3話 半端者が絡む相手ではなかった
馬車を走らせること数時間。
次第に生い茂った森は影を潜め始め、広大な平原へと景色が変わっていく。
その先に米粒程度の遠目だったが、大変栄えた街が確認できた。
もう時期この丘陵を下ればその人目でわかる王国の象徴に感嘆すると同時にこうも思うだろう。
ついに、来てしまったのだと。
「もうそろそろだね」
半日ほど休まず馬車を走らせていたエリスは疲れの一つも見せず、満足そうに光景を凝視する。
青い空に続く摩天楼。王宮の全貌が一望できたのはこれまた少しの時間が過ぎた頃だった。
「もしかして緊張してる?」
「なっ!?」
「いや、急に固まったように動かなくなったからさ」
人の内情に土足で上がり込んでくるような、無遠慮な質問。
喉奥がきゅっとしまった感覚に陥りながら、訂正するべく威厳を保つ文言を言い放つ。
「わ、私を誰だと思っている! 世界を脅かす魔王の娘、アイリニ=ムソエトナだぞ。今更非力な人間種に怯えるような私ではない!」
「ほんとかな? 口調も慌ただしいし、もしかして図星?」
「ち、違う!」
いたずらっぽくエリスは「あはは」と私のことをからかってくる。
まるで借りてきた猫のように大人しくなったよね、と追撃されるとますます歯切れが悪くなった。
実際、必死に自分に言い聞かせてはきたが王都に立ち入るのは人生で初めてのこと。今までなら強気に人間種を蹂躙してやろうと足取りも軽かったのだろうが、今回は目的が違う。
人類の英雄と魔王の娘が結婚。その前代未聞の一大事。
緊張の種類が違うのだ。
断じてエリスに負けてしまったから、殺される可能性を危惧しているとかではない。ただこの男が化物なだけであってどんな手練であろうと返り討ちにできる自信はある。
ある者は身ぐるみ全てを投げ出し逃げ回り、またある者は命を賭して勝負を挑んでくる。魔王の娘という圧倒的畏怖の権化を易々と失っては沽券に関わる。
だが虚勢を張っているのはエリスに見破られていたのだろう。
戦闘狂から僅かに溢れた綻びは、結婚を迫った当事者だからこそわかるもの。
「人間種に受け入れてもらえるか、緊張の理由は大方それでしょ」
今更アイリニが戦闘面で怖気づくわけないもんね、とまた私のことを把握しているかのようにエリスは続けた。
何を知った口で、とちょっと癪だったので、語気を強めて。
「馬鹿を言うな。そもそも結婚の話はまだ了承しておらん。自惚れるのも大概にしろよ?」
「ごめんて、怒らないでよ。ただ俺は緊張しているアイリニも可愛いなと思ってさ」
「かわっ!?」
こいつ、なんでこう恥ずかしげもなく歯の浮くような台詞を堂々と言えるんだ!?
その純真な笑顔に悪意がないのはわかるのだが、私はどうしても慣れないし、慣れてはいけないと思う。
「緊張などするはずがないだろ。私の擬態魔法は高度な術式を何十にも掛け合わせている。並の人間ではまず見破れまい」
「だろうね。解析しようにも複雑で骨が折れそうだ」
王都でも人間種として普通に生活ができてしまうほど擬態は完璧である。まずバレることはないだろう。
おそらくエリスのような者には通用しないが、その場合は強者に血が騒ぐというものだ。
「それよりも、お前は自身の心配をせんでもよいのか」
「俺の心配?」
「さすがに私を魔王の娘として紹介するのは世間体的に悪いだろう。折角の名誉に傷をつけることになるぞ?」
エリスは最強の魔法剣士だ。
多くの同胞が突如現れた何者かによって瞬殺されたと、嘘のような情報は魔族の中で間欠的に出回っていた。
出会うまではそんなはずがないとたかを括っていたが、戦ってみてわかるのは本当に最強なのだろうということ。惨殺した勇者パーティーと比較すれば話が早い。
魔法技量も剣術も郡をずば抜いている。
彼がそこまでの技術を会得するまでには相当な時間と血の滲むような努力をしてきたことは間違いない。きっと才能を努力で磨き上げてきた結果なのだろう。
そして得た富や名声。王国民からの感謝の声や信頼。
私と結婚すれば、その全てを投げうることになるのだ。
「お前とて今の地位を失うのは避けたいはずだ。何を根拠に最強を目指したのかは知らんが、人生を棒に振るのは気が進まんだろう?」
「あー、別に心配することないよ。大々的に魔王の娘と結婚するって、公に発表するつもりだったし」
しかし、聞こえてきたのは耳を疑うものだった。
「は、え?」
「いやなんで俺の可愛くて可憐で美人で艶っぽくて最強のお嫁さんを正体を隠して紹介しないといけないのさ」
エリスは不服そうに頬を膨らます。
どうやら事の重大さを理解していないというよりかは、私のことが好きすぎて最早世間のイメーや評価などどうでもよくなっているらしい。
「お、お前! 正気か!?」
「うん」
「魔王の娘だぞ!? 人類を長い間恐怖に陥れた大罪人なんだぞ!」
「うん」
「それを……お前は……」
うん、じゃない。
この勇者は頭がイカれているのか?それともただの馬鹿なのか?いやどっちもか。そんなの人類が許さないし、私が許さない。
「え、だって俺は人間種に擬態しているアイリニももちろん好きだけど、魔王の娘としての君を好きになったわけで」
「人目のつかんところで擬態を解けばいい話ではないか」
「そんなの嫌だよ。四六時中、素のアイリニを眺めていたいんだから」
こ、この男は。さも当然でしょと言わんばかりにあざとく首を傾げよって。
素の私を四六時中眺めていたいだと!?魔王の娘として恐れられてきたこの姿を?
人間種は私を一目見れば悪魔だ、邪神だ、と狼狽え尻尾を巻いて逃げ出すというのに。
今まで向けられてきた敵意や殺意とははっきり違うわかりやすい好意を示されると、私にはクリティカルヒットだった。
初めての体験に無意識に頬が赤く染まり、動機が強まるのを感じる。ただ好きだと言うのではなく具体的に欲を表に出してくるので反応にも困る。
私はどうかしてしまったのだろうか。
悪くない。嬉しい。歯痒い。もどかしい。制御不能な思慮の困惑。体内から耳の先へと素早く動く鼓動の音がエリスに聞こえてしまいそうだった。
だから。だから。
こうして結婚前提に話が進んでいるのも、満更でもなくなってきているのも、全てが私らしくなくて、腹が立つ。
「え、ちょっと!?」
「今はこの顔を誰にも見せたくない!」
私は勢いよく馬車から飛び降りると、全速力で逃げるように走った。
背中には私の名前を叫ぶエリスの声がこだましていたが、気にもとめずただただ無我夢中で走った。こんなに鼓動が激しく高鳴っているのも初めてだ。
エリスと一緒にいれば、どんな些細なことでも可愛いと容認されてしまう。これでは私が掲げた魔王の娘像が瓦解してしまう。心が持たなくなってしまう。
「本当に……調子が狂う男だ」
しばらく平原を走っただろうか。幾ばくか人道らしきものが展開され始め、王都まで目と鼻の先というところまで来てしまった。
随分と先を急いでしまったな。
「おいおい姉ちゃん」
いくらか休憩をしなければエリスの思う壺だと、火の出るような血相を整えていると。
お世辞にもきれいとは呼べない薄汚い声が聞こえてくる。何者かの正体を容易に裏付ける、野蛮で重低い、嘔気をもよおすほど。
「なんだ、貴様ら」
「人気のない場所に女一人とは危機感が足りねぇな?」
「めちゃくちゃ美人だぜ。今すぐにでも食べてしまいたいぐらいだ」
「早まるな。傷物にするのは俺が許さん」
馬車から降りてくるのは三人の男。下品な薄ら笑いを浮かべては私の体を舐め回すように見ている。
薄汚い人間種だ。なんて無様で不格好なのだろうか。
おそらく先程の発言から奴隷商人だろう。あるいは売春婦を売りさばく元手か。
なんにせよ、私に喧嘩を売るとはいい度胸だ。
「失せろ、殺すぞ」
「口だけは一丁前だな姉ちゃんよぉ? だが俺達だって雑魚ってわけじゃねぇんだぜ?」
「強気な女は俺の大好物なんだ。股間が疼いちゃう」
「まさかここまでの美人と出くわすとは運が良い。既に大事な商品に違いはないんだ。殺すのはご法度だぞ」
「ほう、この私を商品呼ばわりか」
「わかってますって旦那。ただ多少荒っぽくなっても文句言わないでくだせぇよ?」
「けけけ、俺が純血を奪ってやるよ」
二人の男が前に出る。一人は小太りで汚い無精髭が特徴的な、ねちっこい喋り方が耳障りな男。もう一人は細身で、性欲が突出した品の欠片もない軟派な男。
腰に剣を携えているのを視認する。魔力を微塵も感じないため魔法剣士ではないようだ。
つまり旦那と呼ばれたあの男が魔法で支援というわけか。魔法詠唱がか細い声で聞こえてくるため、本人たちは連携をとって私を手に入れるつもりらしい。
たかが女一匹に総出とは、ごく僅かに放出された魔力を解析されてしまったか。怒りの沸点が低いのは反省だな。
しかしそれも微細。男たちには魔法を少々齧った程度の弱者にでも見えているのだろう。とんだ勘違いだな。
ここは人目もない。殺すか。
擬態中は魔力が制限されいつもの豪快さは発揮できないが、実力は雲泥の差だ。
魔王の娘に喧嘩を売ったこと、後悔するがいい。