1話 最強の魔法剣士と結婚する羽目になった
私は負けた。完膚なきまでに負けた。
己の全力はいとも簡単に受け切られ、無表情なその顔を歪ませることもなく、完敗したのだ。
自信はあった。
私は世界を脅かす魔王の娘だったからだ。
生まれてすぐに才能を開花させ潜在能力も底しれない。魔法など練習することもなく見れば覚えることができ、無詠唱も当然だった。
従者もすぐに手をつけられなくなるほど私は天賦の才を手にしてこの地に誕生したのだ。
いつしか人類を前に父である魔王をも凌駕する存在だと警鐘を鳴らし、幾重の勇者パーティーを返り討ちにした。
全滅したという訃報を聞いたとき、人類はどのような顔をしていたのやら。
それからのこと、私が一度姿を現せば挑むこともなく人間は恐れ慄き敗走した。
逃げる背中を真っ二つに切り裂くのも、追尾する魔法でいたぶるのも、とにかく私は人間を殺すことに快楽を覚え優越感に浸っていた。
その感覚がとてつもなく心地よかったのだ。私がどれほど強大な存在か、誇示するその一刻が。
だが、あの男は違った。
「……殺せ」
地面に這いつくばり指一本動かせない瀕死の状況下、男はまじまじと私を凝視する。
男は単身で乗り込んできた。
魔王領に人間一人で何ができるというのか。舐められたものだ。この私に対して挑戦状を叩きつけるなど無謀も越えて命知らずの阿呆としか言いようがない。
しかし、先鋒の部下がやられ、手練の部下がやられ、いよいよ私と対峙した男の隠す気のない膨大な魔力のオーラを肌身に感じたとき、こいつはただ者ではないと武者震いした。
返り血で汚れた戦闘服と滴る剣先。無骨な眼差しと余裕そうに佇む薄らな相貌。
久々に面白い戦いになりそうだと突撃したのも束の間、全てにおいて男は私を遥かに上回っていた。
致命傷を負ったところで思い出した。この男のことを。
千年に一人の逸材と謳われる最強の魔法剣士の存在を。
魔王の娘の最後の瞬間をはっきり目に焼き付けたいのか、はたまた人類の積年の恨みを晴らすべく簡単には殺してやらないという意思表示なのか。
暗雲立ち込める深い夜の中、男は一向にトドメを刺そうとはしなかった。
「……どうした、人類の英雄よ。こんな私にも少しでも良心が残っているのかと、改心を期待しているのか……?」
「ん、いや別に」
「ならなぜ殺さない……その剣は飾り物か」
男は私の首筋に剣を添えたまま、悩んだ様子で首を傾げた。
この期に及んで命乞いをしてほしいのだろうか。それとも全てを水に流して仲間になれと誘っているのだろうか。しかし私が心を入れ替えて人類に服従する未来など想像できないだろう。
「……お前の見事な剣捌き、規格外の魔法の数々、全く歯が立たなかった。魔王の娘である私が全力を出してこの有り様なのだからな……。余力を残して平然と勝ってみせるお前には脱帽だ……」
「まあ俺、最強だし」
若々しく端正な容姿を見に持つ男は年相応に傲慢な態度で、無自覚にも私を苛立たせる。
しかしそんな屈辱よりも、男がさらりと吐いた『最強』の一言に、私は怒りから変化した恐怖に震える身体を止めることができなかった。
これが今まで私が与えてきた感情なのだと痛感すると、どこか皮肉なものだ。
死を受け入れ覚悟を決めたところで、結局のところは生にしがみつきたいところがまた性根の腐った臆病者。見逃してくれるのであれば、嘆願してもいいとさえ思ってしまう。
命乞いはせずとも、言葉に表さなくとも、体現する心境は男にも伝わっていたのだろう。
「殺せと言う割には、死ぬのが怖いんだな」
図星をつかれ、思わず唇を噛む。
「黙れ……! これは私のプライドの問題だ。魔王の娘が命を欲するなど、不格好にもほどがあるだろ。これまで築き上げてきた矜持をずたずたに裂かれた今、お前に殺されることで私は救われる」
「そうか」
男はつらつらと並べられた詭弁に退屈そうに欠伸をすると、手に持つ剣に力を込めた。
私はぐっと目を瞑り、その瞬間を今か今かと待ち望んだ。
なのに、男は名残惜しそうに納刀したのだ。
「やっぱ無理だわ」
「……なに?」
「俺には君を殺せない」
「……ふ、ははは! 何を言い出すのかと思えば、今になって怖気付いたか」
「うん」
「私は魔王の娘だぞ……? これまで多くの街を焼き民を殺した人類の憎き仇敵。そのような私を見逃せば、再び反旗を翻すのは目に見えて──」
「俺にとっちゃあさ、もう君が魔王の娘だとか人類の仇敵だとか、ぶっちゃけどうでもいいわけ」
「な……どういう意味だ」
私が動揺のあまり言葉の意味を理解できないでいると、男は近づきあろうことか治癒魔法を唱えたのだ。
「よし、これで少しは動けるようになるな」
身体に力が入る。致命傷の処置をしたのだろう。
未だに立ち上がれるほどの体力はないが、衰弱して死ぬことがなくなったことに驚愕を隠せない。
「ど、どういうつもりだ!? お前は私を殺すためにここへ来たのではなかったのか」
「最初はそのつもりだったよ? どんな悪人面が拝めるのかと道中では考えていたけど、びっくりだ」
男は「はあ」と大きなため息を吐くと、なぜか恥ずかしさを誤魔化すように顔を背ける。
胸に手を当てて早まる鼓動を抑えようとしているのか。まるで私を直視できないといったような表情で、傷一つなくなった顔を一瞥するとこう言った。
それは聞き間違いかと勘違いしてしまうほど、とんでもない発言だった。
「まさか、魔王の娘がこんなに綺麗なお姉さんだったとは。もろ、どストライクだ」
「は……?」
この流れからまさかの言葉に空白が頭を支配したせいで、素っ頓狂な声が漏れてしまった。
男は混乱する私に構うことなく、一人で納得したようにうんうんと頷いている。
「まずその腰まで伸びた絹のような黒髪。艶っぽい顔立ちにマシュマロかと思うほど柔らかく白い肌。全女性が羨むモデル体型に大きな果実を二つ兼ね揃えているという無茶振り。そして天使をも越えた天使長をも彷彿とさせる鮮やかで細い肢体。もう全てが、最高なんだよね」
「な、何を言って」
「ということで結婚しよう。だから君は殺さない」
「け、結婚!?」
「王都に戻ったら早速式を挙げようね! 豪勢にパーティーを開いてさ!」
「いや、なんで私が……ておい!?」
男の描く未来図には微塵も賛同できないが、拒否権を行使する前に肩に担がれ意気揚々と歩きだされてしまう。
口先からは魔法学園時代の友達も呼んで、昔パーティーを組んでもらっていた仲間には代表挨拶をしてもらって、などと既に妄想に耽っている。
「ま、まて! 私はお前なんかと結婚などしとうないぞ!?」
暴れてみるが効いている様子がない。必死の抵抗に背中を殴ってみても「マッサージしてくれるの?」と聞く耳持たずだ。
「あ、せっかくだし魔王にも同席してもらう? 娘のバージンロード、一緒に歩いてほしいし」
「いや、だから、私はお前と結婚など!」
「大丈夫。絶対に君を惚れさせてみせるから」
「話を聞けぇええええ!!!」
かくして、私はこの変な男と結婚することになった。
いやまだ了承はしていないんだが。
初投稿です。
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