第十話
10
「少し――見えてきましたね」
すべてを話し終えると、怪談屋で美の権化のような女は指を組んで執務机に置き、口角を少し上げる。俺にはなにも見えていない。結果、呪いが人為的なものであると紅葉が口にしたことで、誰かが呪術を使っている――それくらいしか。
それが表情に出ていたのか、鈴鹿は、ふ、と小さく笑った。
「あなたの推論、なかなか惜しいところですね。今回に関しては致し方ないところではありますが」
「どういう意味だよ」
「推論は客観的な観測と論理的な証明をもって結実します。あなたの推察力はたしかに今回の案件では近い部分を押さえているのでしょうが――足りないものがある」
「足りないモノ?」
俺は眉間にしわを寄せる。鈴鹿はクスリ、と小さく笑った。至らない我が子を愛でる女神のような笑みだった。それが、なんだか悔しい。
「社会の歴史と、人間の業の深さ――それらを加味していない。あなたは自身ではチンピラ、ろくでなしと自称しますが、その実、まだ無垢なのでしょう。純粋、そう言いかえても構いません」
「歴史と、業の深さ……」
「本来なら、あなたがそのまま生きていけることを望みたいところですけれど」
「咎ざらし。それは無理な話だろ」
息をついた鈴鹿に、紅葉から鋭い言葉が飛ぶ。
「もう、こいつはこの世界に入り込んでいるんだ。変わらずに純粋に――生きていけるわけないだろ」
「単なる私の願望ですよ。私たちは、そうは生きられなかったのですから」
その言葉に、紅葉は舌打ちをした。俺はその意味がよく分かった。彼女たちは、最悪、災厄、地獄、どんな言葉をあげつらねてもその型からはみ出すくらいの暗い過去を持っている。
もしも、普通の家庭で普通に生きていられたら。霊感なんて持ってなかったら。まったく違った人生になっていたはずだ。
けれど、たられば話の域を出ないし、俺はそういった話は好きじゃない。どんな過去を背負っても、俺たちは“今”を生きていくしかないのだから。
しかしそんな過去を持ってなお――鈴鹿は優しく笑っている。
「つまるところ、今回の案件は誰かの命を守るということは、時代によって変わっていく。ということ、そして――人間の欲深い業が呪いの契機となった話です」
「……あんたは、もう真相に行きついたのか?」
俺が問いかけると、鈴鹿はゆっくりとかぶりを振った。
「いいえ。呪いについては把握できましたが、犯人についてはまだ埋めなければならない部分があります。証拠もないままでは妄言、言いがかりに過ぎませんから。それに今回は不能犯です。警察は動けません」
「不能犯……?」
「立証不可能な犯罪ってことだ。呪いが関われば、因果関係の証明が出来ない限り、法で裁くことは出来ない。まあ、裁けたとしても脅迫罪が適応するかどうかだな」
俺の疑問に紅葉が答え、鈴鹿は続ける。
「ただし、警察の代わりに私が動けば、確実にひとつのコミュニティに破滅を齎します。咎ざらしはそういうお役目ですけれど、今回の依頼は呪いを解くことです。これは少し――厄介なことになりそうですね」
「その呪いを解くのは私の仕事だけどな――呪いをかけたやつを、その咎をさらすのはあんたの役目だ」
「嫌な共同作業もあったものですね。私は――あなたに任せたはずですが」
紅葉の言葉に、鈴鹿が嘆息する。「正直、ここまで根深いとは思っていませんでした」と鈴鹿は目を伏せた。俺にはちんぷんかんな会話だったけれど、鈴鹿が言うのだから、よほどのことなのだろう。
「そんなこと言ったって、もう降りることは許されないぜ、咎ざらし。あの馬鹿な探偵が始まりとは言え、あんたはそれを請けたんだ。それにこのままいけば――まだまだ死人が出るぞ」
「ちょっと待てよ。俺にはなにがなんだか。少しくらい説明してくれてもいいだろ。なんなんだよ、あの黒い靄は。旧館を見ないでなにが分かったって言うんだよ」
「ルリ。先ほど紅葉も言いましたが、あなたはこの世界に入り込んだばかりで、深い部分を知りません。いわばまだ新参者です」
鈴鹿は「今までに二回、あなたのおかげで解決を見ているのは疑いようもない事実ですが――」と続けた。
「――だからこそ今回は――あなたは見ていてください。しっかりと、その目を閉じることなく。私たちの生きている世界を」
「それって……」
「今回だけは傍観者でいろってことだ」
魔女はそう言うと、スマートフォンを取り出して誰かに電話をかけた。
「橋姫、もうひと仕事だ。頼む」
短い言葉を告げてから通話を切ると、赤いソファーで伸ばしていた脚を組んだ。
「――橋姫?」
「私の相棒。あんたはもう会ってるよ。それに、まあ、明日には全貌が見えてくるさ」
「どうあっても私のお役目を遂行させるつもりですね」
鈴鹿が息をつくと、魔女は、くくく、と低く笑った。
「破滅させてやればいいんだよ、咎ざらし。あんたらしく、あんたの役目通りにな。それに、よく言うじゃないか」
――人を呪わば穴二つ。
「まあ――そこに私が入るとは限らない、けどな」
◇◆
午後十時。俺はブルーム総合病院の駐車場でやつを待っていた。そいつは毅然と歩いてきた。しかしその表情はひどく疲弊していて、俺が立っているのを確認すると、一瞬目が見開かれ、やがてため息をついた。
「なにか用か」
奥宮 直樹は俺の真っ正面に立った。俺だってなにもしないなんて――なにも知らないなんて――嫌だった。
鈴鹿は自分の生きている世界をしっかりと見ていろと言った。紅葉は傍観者でいろと言った。だから、ここに来たのだ。鈴鹿にも、紅葉にも内緒で。
「時間はあるか? 遊ぼうぜ」
俺はそう言って笑った。直樹は怪訝そうに眉間にしわを寄せてから、「君の相手をするほどヒマじゃないんだ。さっさと帰ってくれないか」なんて当然ながら、棘のある答えが返ってくる。
そのまま軽自動車に乗り込もうとする直樹に、
「患者の命こそが医者の誇り――あれ、あんたの言葉だったんだな」
そう伝えたとき、やつの動きがとまる。
「……それが、どうした」
「俺はあんたが気に入らない。でも、その言葉は好きだ。俺がなにか病気にかかったときは、たとえ気に入らなくても――そんなことを言う医者に診てもらいたい」
率直に、素直に、俺はそう言ってやつを見て笑ってやる。直樹はやれやれ、といった風に再度ため息をついてから、
「その前に健康であるよう努力すべきだろう」
直樹は屈めていた身体を起こし、俺の手――指で挟んでいたポールモールを見て続ける。
「あと、敷地内は禁煙だ」
「ああ、悪いな」
そういえばそうだった。靴底で消して、来るときにコンビニで買ったポケット灰皿にねじ込む。
「飲酒や喫煙は成人であっても脳卒中にかかる危険性は高くなるんだ。それも長期に渡れば心筋症や膵炎も引き起こす可能性はあるし、当然がんになるリスクだってある。身体的に未熟な未成年ならなおさら――」
「あー、分かった、分かった。あんたの医者としての見解はそうなんだろ。でも、酒もタバコもないと、やってられないことだってあるんじゃないか」
「浅はかだとしか言いようがないな。他にも娯楽はあるだろう。年相応のたしなみをすべきだ」
なかなかに正論だ。ぐうの音も出ない。直樹は、
「もういいか?」
これで話は終わりだといわんばかりに俺を睨みつける。俺は肩をすくめてから、
「――あんたは、なんで内科医になった」
俺の言葉に、やつはしばらく黙った。おそらく予想外の返答だったからだろう。話の流れを切って、俺はわざとやつの中――自我の世界へコンタクトしようと試みた。鈴鹿のようにスマートさはない。紅葉のような有無を言わさぬ強引さもない。
だから単刀直入に。
「……私は、祖父を尊敬している」
「――祖父さんは、精神科じゃなかったのか」
「内科や外科が出来たのは父がこの病院を立ち上げてからだ。だからそういう枠組みで、ではない。医者としての祖父を、尊敬していたんだ。」
「含みのある言い方だけど、父親は、尊敬していないのか」
「当たり前だろう――あの男は」
そこで、直樹はハッと息をのんだ。思わず出たのだろう。本心が。この仮面をつけた男の心の底にあるモノが、一瞬でも発露してしまったのだ。俺はそれを――聞き逃さない。
「あの男って、自分の親父に対しての言葉じゃねえよな」
「――もういいだろう。疲れているんだ」
「なあ、少しでいいんだ。時間をくれよ。俺だって――この案件を解決したい。頼むよ」
俺は頭を下げた。ずいぶん久しぶりに下げたような気がする。直樹の深いため息をつく音が聞こえて、
「……どこか店に入るか、行きたい場所はあるのか」
俺が頭を上げると直樹は眉間にしわを寄せながらも、渋々といった感じでそう言った。
「出来れば西口公園に行きたい」
「……池袋まで出るのか」
「俺のホームだからな。込み入った話は、安心できる場所がいいだろ。お互いに」
俺のホームなら、直樹を知るやつはいない。そして俺にとっても鈴鹿や紅葉のいない分、安心して話を聞くことができる。なにせ今回は完全な独断行動だからだ。
「まったく君というやつは」
直樹はそこで初めて、苦笑した。
◇◆
「おーう、ルリ」
車をビル地下にあるパーキングに停めて俺たちは西口公園に入った。すぐさまケンゴが手を挙げる。短髪を茶色に染めて、Tシャツにストレート・デニムにコンバースのスニーカー。その手に拳を当てると、シュウヘイも珍しく起きていた。
シュウヘイはドレッドヘアにあごひげをはやし、グリーンと黄色のツートンカラーTシャツにエスニックな柄のサルエルパンツにグラディエーターサンダル。ふたりとも二十一歳でコンセプトカフェのヘビーユーザーである。
「そっちの人は」
メンバーの中で紅一点のユカリはマッドアッシュの髪を肩までウェーブさせていて、バスケタンクにデニムのショートパンツ。ヴァンズのスリッポン。首筋にはハートのタトゥー。
「お医者さん。最近知り合ってな。それより、ヒロトとマサキは」
「あいつら仕事だよ」
それに答えたのはカツヤだった。ブラウンのライトジェット・モヒカンに俺の真似をして唇の端にピアス三つをあけている。最近、舌にもピアスを入れている。プルオーバーシャツに下はワイドパンツにビルケンシュトックのサンダル。
今日いるのはこの四人だった。
「ヒロトがこの時間に仕事って珍しいな」
「急に客から予約が入ったらしいぜ。あとで合流するってよ。で、そっちの先生は?」
カツヤは不思議そうに直樹を見ている。直樹は渋面で眉間にしわを寄せ、
「君たちはここが公共の場であることをちゃんと理解しているのか」
「ちょいちょい、お堅いことは言いっこなしだぞ、先生」
なんてことを言った。それを受けてマルボロを片手にしたシュウヘイが小さく笑う。
「まったく、規律もなにも無いな」
嘆息する直樹に、
「自由サイコーじゃん! てか先生さ、俺の悪いとこ診てよ。最近なんか身体がだるくてさ」
「いや、お前は頭だろ」
カツヤのひと言にシュウヘイが割り込みカツヤは憮然とした表情になるが、ユカリやケンゴが手を叩いてケラケラと笑う。
「んだよ、お前らひでーよ」
「……君たちは」
直樹はおそらく――今までに会ったことのないタイプだったのか――困ったような表情になっている。俺が「まあ、根は気の良い奴らなんだ。許してやってくれよ」と言えば、小さくうなづいた。
「悪いな、ちょっと話してくるから。じゃあな」
「んじゃ、これあげる。先生は電車?」
「い、いや、車だ」
「じゃあ、こっちあげる」
「……ありがとう」
「どういたしましてー」
そういってユカリは缶チューハイとペットボトルの緑茶を投げてよこした。俺はそれを受け取りそれぞれの広げた両手に軽く拳を当ててから離れて、バス停前の歌うたいの兄ちゃんを過ぎ、カップルが詰めているパイプベンチから少し離れて腰を下ろす。
「……いつも、あんな感じなのか」
「ああ。あとふたりいるんだけどな。仕事中らしい」
「交番も近いのに、注意されたりしないのか」
「いちいち注意してたらキリがないぜ」
俺は缶チューハイのプルトップを上げて、口をつける。直樹もペットボトルの緑茶を飲んでから、
「あんな生き方をしていれば、いづれ立ちいかなくなってしまう。見たところまだ二十代くらいだろう。今からでも遅くはない。ちゃんと定職について、しっかりと将来を考えるべきだと思うがな」
至極真っ当な大人の意見だった。俺たち悪ガキには耳にタコができるほどの言葉。そして俺たちだって、それが正論であることだってどこかで気付いている。けれど。
「正しい生き方だけじゃ幸せを感じられないやつもいるんだよ」
俺たちは正論をいやってほど聞かされてきた。あいつらだってそうだ。その言葉通りに生きているやつもいるし、自分勝手に生きてるやつもいる。
ただ、そんなオトナの意見に、世間や社会に逆らうことがカッコいいという時代は、もうとっくに過ぎているんだ。
俺たちは将来を投げ捨てたわけじゃない。どうしてやろうか、そう考えている。どうやって幸せになってやろうかと。『どんな手でこの世界を変えていこうか』なんて大それたことじゃなく、ただ自分たちの生きる方法での最善を探し続けている。
結果、それが大人から見て、あるいは他人から見て顔をしかめるようなことであっても、今だからこそ出来る、今しか感じられない幸せの在り処が、ここにある。それだけの話なのだ。
まだ顔も知らない未来ってやつよりも、寄り添って肩を抱いてくれる仲間たちと過ごす“今”は、言葉の通り“今”しかないのだから。
それが積み重なって、気付いたらその遠く見えていた未来が“今”になって、思い返せばここでこうやってバカをやっていることも、きっと無駄にはならないはずだと。そう愚直に信じている。自己責任の名のもとに、気付けば俺たちははみ出して好き勝手に生きている。
「――それは現実逃避じゃないのか」
俺がそんなことを言うと、苦々しい表情で直樹はそう言った。
「かもな。ただ、俺たちが現実から逃避しているのか、俺たちから現実が逃避しているのか。俺らはそんなことも考えないで生きてる。それでも、悩んだり、へこんだり、泣いたり。笑ったり、はしゃいだり、バカやったりして、そんな時間が――楽しいんだよ」
「楽しい、か。それは将来を犠牲にしても良い理由にも、規律を破ってもいい免罪符にもならない」
「だから自己責任なんだよ。バカやって拘置所でお泊りするのも、不安になって泣きそうになるのも。それでも、俺たちは生きてる。あんたと同じように。同じ人間なんだよ。あんただって、自分の幸せを考えるだろ」
「私は――」
そこで、直樹は目を伏せた。唇をキュッと結ぶ。
「……あんたは、幸せじゃないのか」
「私は、患者が助かればいい。それが誇りで、幸せだ」
はっきりと迷いなく、直樹は言いきった。
「君には分かるか。命が危ぶまれていた患者が、長い闘病生活を経て、退院するときの笑顔を見る、その嬉しさが。逆に、ただベッドの上で手の施しようもなくなって薄れていく命を看取ることしかできない悔しさが」
――だから私は。
「だから私は――オカルトが嫌いだ。神に祈ってすべての命が助かるなら、幽霊として死後もずっと存在するのなら、私は医者にはならなかっただろう」
そこから、堰を切ったように直樹は饒舌になった。
「限りある選択肢の中で、私たちにできる最善の方法で助けたい。神をも畏れぬ愚行、思い上がりかもしれない。けれど、私は神に祈ることはない。この手で、この目で、患者を診れば、かならず病巣を見つけ出す」
熱が上がってきたのだろう。ペットボトルを握る手に力がこもっている。
「そのために知識を蓄え、経験を経てきた。そりゃあこの手から零れ落ちていく命も多かったさ。けれど、それをいつまでも悔やんでいるよりも、まだまだ助けを求めている多く命がある。悲しみは蓄積されていく。悔しさも。けれど、医者に振り返る時間は許されない」
――だからこそ、助かった患者の命こそが、医者の、私の誇りなんだ――
「……あんたの亡くなった祖父さんは、すげえ医者だったんだな」
「――なにを」
俺はそこまで聞いて、ようやくこの男の姿を見ることが出来たような気がしていた。そしてその後ろにある大きな存在も。
そうだ、これは――鈴鹿とはまったく異なる。けれど、たしかにそれは紛れもない、先祖返りだ。
「あんたは、自分の父親ではなく祖父さんを尊敬しているといったな。だから、祖父さんのような医者になりたいと考えた。きっと患者優先で家庭を顧みないタイプの医者だったんじゃないか」
「知ったようなことを」
「間違っているなら、正してくれよ」
俺は直樹を見る。直樹は泣きそうな表情になったあとで、うなだれて、
「そうだ。それが、私の尊敬した祖父だ」
と、つぶやくようにそう言った。
「だったら――教えてくれないか。あんたの家のこと。今日、病院の中を回っても、違和感がなかった。普通の病院で、紗季っていうあんたの妹も、看護師長も、院長も感じの良い人だった。正直、元・医療従事者が死んだ事件が呪いなんて信じられないくらいに。むしろ――ただの事故かなんかじゃないかって、そう思えるくらいに」
「やはり、呪いと絡めていたのか」
「依頼内容がそれだったからな。それに店主も、協力者も、呪いだとどこか確信している。けど、俺にはどうにもピンとこないんだ。だから」
「私に会いに来たのは、そのためか――君は、呪いかどうかを知りたいんじゃないな」
疲れたように、ペットボトルをプラプラさせて、首を鳴らす。
「我が家に呪われるような原因があるのかどうか。それを知りたいのか」
俺はその言葉に、うなづく。正直、このオカルトが嫌いな男から話を聞けるかどうかは、可能性としては低い。
けれど、充希は呪いであるという先入観があるし、紗季は深く知らされていない。看護師長や院長は事の重きをそこには置いていない。
ならば、現実主義者であり科学信奉者であり理想論者であるこの男が語ってくれれば、俺もそれに納得がいくだろうと踏んだ。
そして呪われる原因――それ自体は鈴鹿も紅葉も確信しているようだった。けれど――
――誰も詳細を語っていないのだ。
だから、俺は。




