第九話
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院長――奥宮 善三は五十七歳とは思えないほど精悍で彫りの深い顔立ちをしていて、背も鼻梁も高い。ワイシャツに白衣を着ているが、それさえ大人の色気をかもし出しているような気がする。
奥宮 瑞貴でも同じ印象をもったが、この家系は若作りなのだろうか。年相応のしわでさえ、味のある魅力に作り変えてしまっているようだ。爽やかな壮年。そんな印象。
俺たちは名刺を渡して院長室のソファーに座り、紅茶を振る舞ってもらった。詳しくはないけれど、良い匂い。そんなオレンジ色の液体を見ていると、
「ダージリンはお嫌いかね」
そんな俺を見て、善三は苦笑する。
「……好き嫌いがないのが長所なんだ」
俺はいつもの調子。相変わらず、敬語が仕えない。そろそろ叱られてもおかしくはないだろう。
「それは良かった。ダージリンは紅茶としてはもっともポピュラーだが、これはセカンドフラッシュといってね。茶葉の二番摘みのことをいうのだけれど、五、六月に収穫される。ストレートで飲むことはなかなかに贅沢なものだよ」
「俺は別に紅茶の知識を教えてもらいにきたわけじゃない」
俺がそう言うと、善三は苦笑してから執務机に座る。その所作は優雅で、少し鈴鹿に似ている。
「充希が迷惑をかけてしまったね」
「いいえ、依頼は自由ですから。それで、小野女医と皆川看護師の件についてですが」
紅葉が切り出した。紅茶には手を付けていない。熱いのだろう。その点はやはり鈴鹿との付き合いの長さが垣間見える。鈴鹿は紅葉の好きな温度を心得ているのだ。
「ふむ。もう二十年になるか。私が若いころはよく世話になったものだよ。だからあのふたりの検死に立ち会ったのは、つらかった。しかも妙な死因だろう?」
「人体発火、か」
「オカルトを持ち込むと直樹が怒るものだから、私は直接口にはしない。あいつは医学と科学こそが医療の発展を果たすものだと信じているからね」
「そういえば、二十年前――奥宮医院に内科も外科もなかったんですよね。なのに、院長は外科医になった。外科外来がないのに、どうしてです?」
「私はそのころ、外科外来を作るつもりだった。だから祖父の知人――まあ、妻の実家がやっている病院で経験を積んでいた。そこからは早かったよ。今じゃあ外科も内科もある。直樹と充希は婦人科や産科も取り入れようとしているようだがね」
「なるほど。それで院長は二十年前の火事のときに、病院にいましたか」
俺は善三の身体から黒い靄が立ち昇っているのが見えている。さっき、順子の身体から発せられたものと同じだ。けれど、先ほど紅葉はそれを口にしなかったので俺はそれを指摘することはない。
「……いたよ。奥宮医院の近くに実家があったんだ。火の手があがったと聞いて、すぐに家を飛びだしたよ。ひどい火事だった。今でこそ道幅も広いが、当時は消防車が一台通れる程度でね。患者を助け出したあと、あっという間に炎に飲み込まれていくところをただ見ていることしかできなかった」
「……死者が出てる」
「私も医師だ。今だって心が痛む。だから親御さんはこちらの病院が建ったときに無償で入院を受け入れた」
善三は指を組んで、前のめりになる。紅葉はふう、と息をついた。
「なるほどね」
「他に聞きたいことは?」
爽やかな笑顔だった。それに対して、彼女は鋭い視線を飛ばし、口許だけで笑みを作った。
「解体業者の怪我と入院先について。あとは、どうして解体業者が仕事を放棄したのか、教えていただけますか」
その言葉に、ふむ、と善三は背もたれに身体を預けた。きぃ、という音が小さく響く。
「解体業者からは詳細を聞かされていないんだ。どんな怪我だったのか、どこに入院したのか。ただ、怪我人が出たので取り壊しの件は白紙に、とだけ言われてそれっきりだ」
「ここは病院ですよね。どうしてここで治療を受けようとしなかったのでしょうか」
「それこそ、彼らにしか分からないことだね。こっちとしては救命救急こそないけれど、怪我の度合いによっては受け入れることは可能なのだけれど」
「つまり、軽傷じゃなかった、ということですね」
紅葉の言葉に、善三は小さく笑った。
「それは私には分からないさ。その場にいたわけじゃないからね」
「……なるほど。ありがとうございます」
紅葉は立ち上がり、会釈するとドアの取っ手をひねる。そのあとに続こうとしたとき、善三がゆったりと口を開いた。
「久乃木くん」
「……なんだよ」
善三はニコリと笑って、
「紅茶の味はどうだったかな」
そう言った。
「貧乏舌なもんでね。俺にはインスタントのほうが似合っているみたいだ」
「そうかい」
さして残念そうでもなく、善三はそう言ってはにかみ、再度背もたれを軋ませた。俺は横目でそれを見ながら、ドアを閉めて紅葉の後ろに続いた。
◇◆
「……なんだったんだ。あの靄は」
病院の敷地外へと出てからポールモールに火をつける。紅葉も我慢していたのだろう、やけに美味そうにラッキーストライクを吸っている。
「ルリちゃんはまだまだムラッけがあるねえ」
「ちゃん付けはやめろ。なんだよ、ムラッけって」
俺が不服そうに言えば、紅葉はこめかみを指で差す。
「推察力。惜しいところではあるんだけどな。まあ、発展途上の男の子を育てるのはある意味、気持ちがいいもんだ」
「魔女に言われてもな」
俺はため息をつく。紅葉は「一途だねえ」とだけ軽口を叩いてから、主流煙を肺一杯に吸い込む。
「それで俺の問いには答えてくれねえのか」
「まだ、な。でも、これでおおよその概要はつかめた。こいつは――この案件は間違いなく――」
――二つの呪術が絡んでいる。
「あんたが狙ってるやつか」
「いいや――それにしては、あまりに杜撰だ。こんなやり方をするってのは、素人だろうな。それに、もうひとりは混乱しているはずだ」
「素人……? 素人が呪術を? それに二人ってなんだよ」
紅葉は俺の問いには答えず、にやりと笑った。
「今回は面倒くさいぜ、ルリちゃん。なにせ二十年前の事故が、蘇ってきたんだから」
いや――。
「目覚めさせた、といったところか」
紅葉はひとり納得したような表情で笑って紫煙を吐き出すと、煙草をポケット灰皿にねじ込む。
「どう始末してやるかね。まったく、あのお嬢さまはここまで読んで私を動かしたのか、それとも単なる偶然か。とかく、鈴鹿はこの咎をさらすつもりなのか」
「咎を、さらす? この案件に咎ざらしは必要なのか。人体発火は呪いで、その呪いはあんたの専門なんだろ。鈴鹿の出番なんてないはずだ」
俺が言うと、紅葉は目を細めた。
「破滅させ、破壊させ、破綻させる。それが咎ざらしだ。今回の案件には必要だと思うぜ」
そこで気付く。俺たちはまだ旧館を見ていないことに。それを伝えると魔女は、
「見たじゃないか。見下ろしたじゃないか。それで充分だろ」
「充分って」
「もう分かってるんだ。だいたいのことは、な」
紅葉はそう言うとバイクにまたがる。俺もその後ろに座り、エンジンがかかる。重低音の振動を感じながら、アクセルをひねって東京に戻ることになった。場所は新宿、モア三番街。
怪談屋へ。




