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咎ざらしの朱猫 ――怪談屋・月詠 鈴鹿の推理譚――  作者: 永久島 群青


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第八話



 8



 ブルーム総合病院は小ぎれいな六階建てで、それが二棟建っていた。エントランスの院内地図では前面の建物は外来、後ろにあるのが入院病棟。その間に中庭がある。ただ、外来受付の四階から上はまだなにも書かれていない。


 おそらく周産期医療とやらの認可が得られたら、この場所にあてがうつもりなのだろう。院内地図自体は新しいものだったから、もしかしたら前までは外来の四階から上も入院病棟をあつらえていたのかもしれない。


「あの、月詠さんですか」


 魔女がなにやら受付で呼び出してから、二十分後、小柄な女性が声をかけてきた。このエントランスにも多くの人間がいるから、看護師である彼女が俺たちを怪談屋なんて呼べるはずもなかった。


「ええ、月詠より派遣されてきました。阿久良(あくら) 紅葉(もみじ)です。こっちは助手の久乃木(くのぎ) 瑠璃(るり)。あなたは――奥宮さんの」


 敬語が使えるのか、この魔女は。紅葉が敬語を使っただけなのに、それが初対面の、仕事上での依頼人に対する正当な態度であるというのに、なぜか妙な感覚になる。


「ええ、次女、紗季(さき)と申します。本日は院内の案内を申し使っております。よろしくお願いします」


 紗季は弱々しそうな、小動物みたいな印象。顔立ちは充希や直樹とは違って丸顔に一重の目。髪は黒のボブカットで、母親似か、父親似。どちらかなのだろう。小柄な身体も、あのふたりより頭ひとつ分ほど低い。


「じゃあ、お願いしたいのですが――こちらに三滝(みたき) 順子(じゅんこ)さんが入院されていますよね。お話を伺いたいのですが、可能ですか」


 三滝 順子――マサキの情報によれば三滝 彰浩の母親で、今年四十五歳。二十年前の火事で、この病院に入院している。


「……本来でしたら、その」


「分かっています。本来なら患者である三滝さんか、ご家族の許可が必要ですよね。なので、その許可を取っていただきたいんです。もちろん、私たちの職業は伏せた状態で」


 紅葉は一歩、前に出て紗季の表情を見るように少しかがんだ。射すくめられたのか、彼女の小柄な身体がますます小さくなったような気がする。威圧感を隠せない魔女である。


 いや――これでも隠しているのか。それが漏れ出しているのか、それとも、拒否できないようにわざと少し圧をかけたのか。判断がつかない。


 どちらにせよ、自身の威圧感をコントロールできる時点で恐ろしい女であることは間違いない。自分の強みの使いどころを分かっているやつほど、厄介な相手はいないのだ。


 しかし、紗季は困り果てたように、予想外のことを口にした。


「個人情報といいますか、守秘義務に反するのですが……三滝さんは今、言葉を発することが出来ません」


「――言葉を、話せない?」


 俺は思わず声を出してしまい、紅葉に睨まれる。仕方ないだろ、こんな初っ端から壁にぶつかるなんて思ってもみなかったのだから。


「許可が取れないなら病室に入ることはせず、せめて外から病室を見せていただければ。可能でしょうか」


「母――いいえ、看護師長の許可が必要ですので、まずは相談させていただきます。少しお待ちいただくことになりますが、よろしいでしょうか」


「かまいません」


 紗季は院内用のPHSを胸ポケットから取り出して、俺たちから離れた。


「……敬語、使えるんだな」


「当たり前だろ、バカかあんたは」


 ぐうの音も出なかった。



◇◆



 昼食の時間とかぶってしまうので、一時間後に面会の許可が下りた。なので先に院内の案内をしてもらうことにする。本当ならさっさと焼け落ちた旧館に行きたかったのだけれど、紅葉がなぜか院内の案内を望んだのだ。


 外来病棟は混み合っていた。各科を紹介されつつ、精神科、内科、外科等々の受付前のソファーに座る患者たちを、早足ですれ違う看護師や医者を眺めながら進んでいく。


 (やまい)。動物でも植物でも、その脅威からは逃れられない。健康であることがいかに奇跡的であるか――俺だって風邪くらいはひくけれど、もしかしたらこれからの人生で大きな病に侵されることがあるかもしれない。他人事(ひとごと)ではないのだ。


 病は――ある意味では、呪いと同じだ。無差別でそこに悪意がないだけ、余計にタチが悪い。


 外来を回っているうちに一時間が過ぎ、俺たちは入院病棟へ向かうために二階の渡り廊下へと進む。


 そこで清掃用具を積んだ清掃員――まだ二十代くらいだろうか――がすれ違いざまに紅葉の肩にぶつかった。メガネをかけていて、肩甲骨あたりまである黒髪の後ろをシュシュで束ねてヘアクリップで持ち上げている。


「申し訳ありません」


 その清掃員は抑揚のない声でそう言った。そのメガネをかけた視線は、あまりに冷たいもののように感じた。


 控えめに言って知的さを思わせる美人で、しかしどこか薄く、触れれば割れてしまいそうな存在のような――危うい均衡を持った不思議な女だった。


「いや、こちらこそ申し訳ない」


 紅葉は特に気にしていないのか、肩をすくめて笑ってみせるが、彼女は笑みを浮かべることもなく、濃淡のない言葉で「失礼します」とだけ言って、俺たちを通り過ぎていく。


 彼女の後姿を視線で追いかけようとしたとき、そこから階下にある中庭が見えた。木をぐるりと囲うように木製のベンチが等間隔で並んでいる。その中のひとつに――知った顔を見つけて、足を止めた。


「――奥宮、直樹」


 尖ったあごに、短髪。知的な表情は崩れることなく、しかしどこか疲弊したやつは、あまり美味しくなさそうにメロンパンをかじっていた。


「兄さんはほとんど休憩を取らないので、いつもこれくらいの時間に中庭で昼食をとるんです」


 足を止めた俺に気付いた紗季が困ったように言う。紅葉もじ、っと見ていた。


「休憩を取らない?」


 俺のふとした疑問に、


「ええ。いつだって患者さまが優先で、自分のことは後回しなんです」


「そう言えば、ずっと疑問だったんだ。どうしてあいつが外科ではなく、内科を選んだのか。なんつったっけ。解剖の資格だって、長男が取りそうなもんだけど」


 固定観念というか、ただ勝手に後継ぎとしてなら、父親が外科医で法医学を持っているのだから、長女の充希ではなく長男が取得するような気がしたのだ。それを言うと、紗季が小さく笑った。


「内科医は患者さまの命に寄り添える。もちろん、どの科においても、医者や看護師は同じです。でも、内科医は見えない病を見つけられる――患者さまから目を離さず診ていれば。そう言っていました」


 科学信奉者、そう思っていたけれど、実際は理想主義者なのかもしれない。やつの表情や態度からはとうてい想像が出来ないけれど、外見で語る権利なんて俺にはない。むしろ――外見で嫌われてしかるべきは、俺のほうだろう。


「良い医者、なんだな」


「ええ、とっても。家族の中では口数が少ない兄ですけど、患者さまの命こそ医者の誇りなのだと――そう言っていました」


 それは聞き覚えがあった。兄妹二人が怪談屋を訪れたときに聞いた言葉だ。けれど、それを言っていたのは――。


「……充希の言葉じゃないのか、それは」


 俺が覚えている限り、その言葉を発したのは充希だった。しかし、紗季はその言葉にかぶりを振る。


「姉さんが言うのは珍しいですね。兄さんは時折、そういうことを言うんですけれど」


「……なるほど、ね」


 あのとき、俺が医者を揶揄(やゆ)したとき、本当ならば直樹は激昂してでもそれを言う可能性があったのだ。それを制して、充希が端的に、冷静に、俺に対してその言葉を使ったことで、熱くなっていた直樹にも、俺にも、水を差した――そんなところだろう。


 直樹からすれば自身の抱く強い信念であり、そのセリフをとられた形になって、俺にとってはその言葉の真摯さを受けてそれ以上の嫌味を出せなくなる。あれ以上依頼とは別のところで加熱されていく俺たちの感情を上手く抑制(よくせい)させたのだ。充希は。


「――あいつが直樹か」


 紅葉はぼそりと小さくつぶやいた。


「どうかしたのか」


「名前と顔を一致させているだけだ。情報の裏付けだよ」


 紅葉がそう言って、歩みを再開させたことで紗季も俺も渡り廊下を進みきる。一瞬だけ、もう一度直樹が座っている場所を見たが、やつはすでに外来病棟へと向かっていた。本当にあっという間の休憩とも呼べない休憩だった。



◇◆



 連れていかれたのは、精神科の入院病棟だった。母である師長にはすでに話がいっているらしく、俺たちは他の看護師に三滝 順子の遠縁の親戚ということで紹介されて、紗季の手筈で病室に入ったのだが――俺はその姿を見て、息をのんだ。


 顔の左側は皮膚が赤くただれて、腕などもケロイド状の熱傷が見られる。起きているのか、目は開いているが、まぶたにも火傷の跡があって開けるのも重そうな状態だった。


 自発呼吸も難しいのか、呼吸器をつけていて、パッチから伸びた管が心電図モニターへと繋がっている。


 なにより、その身体から滲みだしている黒い(もや)。いや――それは立ち昇り、くすぶる煙のようにも見えた。


 それについて口にしようとしたが、紅葉の視線で制止されて別の言葉を吐きだした。


「なんで――ここなんだ」


「最初は皮膚熱傷と気道熱傷で医療センターに運ばれましたが、鬱を発症しておりまして、治療が落ち着いた段階でこちらに移送されました」


「鬱を発症、か」


 紅葉はあごを指で挟むようにして、彼女を見る。


「のちに気道熱傷だけではなく、心因性の発話障害だと診断されていまして。もちろん定期的に外科を受診されていますが、下肢筋力の低下による歩行障害も見受けられています」


「コミュニケーションはとれますか」


「少し前まで――とはいえ、二年ほど前ですが――は、簡単な対話は可能でした」


「ということは、今は」


 紗季の言葉に、紅葉が返すけれど、彼女は静かにかぶりを振る。


「鬱の進行もありましたが、それ以上に熱傷の度合いがひどく、悪化しているんです。なんとか処置はしているのですが……」


「……三滝さんは、二十年前の火事の場にいらっしゃったのですね?」


「――はい。そう聞いています」


「息子の看病のときに、か」


 俺は二十年前の火災を想像する。三滝 順子の火傷の度合いは、素人目に見ても軽傷とは言い難い。ともすれば、最後まで息子を想い、助けようとしていたのだろう。自分の命よりも、彰浩の命を優先しようとした。けれど、それが叶わなかった――。


「――待て」


 俺は気が付けばそう言っていた。


「……どうかしたか」


 紅葉と紗季の視線を受けて、俺はこの妙な感覚を言語化することに(きゅう)した。なぜ、叶わなかったのか。消防隊は、母親だけを助けて彰浩を見捨てたとでもいうのだろうか。


 見捨てる理由――それは。




「火事のとき、すでに彰浩は――死んでいた……?」




 紗季が息をのみ、紅葉が笑みをかみ殺すのが分かった。消防隊は彰浩を見捨てたんじゃない、順子を助けたのだ。そして彼女が目を覚まし、息子が死んだことを告げられ――心に深い傷を負った。文字通り、言葉を失った。


「奥宮さん、そういえば解体業者が旧館の取り壊しを拒否したそうですね。理由は聞いていますか」


 俺の推測を聞いて、紅葉は特になにを言うでもなく話題を変えた。俺の中に、妙な違和感が残る。彰浩を救う手立てはなかった。だから命のある順子を優先した。


 しっくりくるはずなのに――呪って当然のはずなのに――どこかズレ(・・)のようなものがあるような気がする。


「ええと、そうですね。詳細は聞いていませんが、作業員の方が怪我をされたとか」


「その作業員は、この病院に入院していましたか」


「いいえ――そのような話は聞いてません」


「ならどこの病院に行ったかはご存知ですか」


「……申し訳ありません」


 紅葉は畳みかけるように聞いた。俺はなぜそんなことを訊くのか、理解が及ばない。


「なるほど。分かりました。ところで、院長にお会いしたいのですが――時間はありますか」


「聞いてみます」


 紗季はそう言うと病室から出ていった。俺たちもなんだか、この場にいるのは不躾な気がして、外に出た。


「ご足労、ありがとうございます」


 そこに、看護師長――奥宮(おくのみや) 瑞貴(みずき)が顔を出した。紅葉は目を細める。瑞貴は痩せぎすで背が高い。あごの尖った気の強そうな女だった。肩で切りそろえられた黒い髪にメガネも合わさって知的な印象を受ける。直樹と充希は母親似のようだ。


「奥宮 瑞貴さんですね。初めまして」


 俺たちは廊下の一番奥、縦長のガラスのはめ込まれ、ソファーのある場所へと移動して、互いに腰を落ち着かせた。


「うちの子――充希がご迷惑をおかけして申し訳ありません」


「いえいえ。こういった仕事ですので信用されないことも多いんですけど、面会まで許可していただいて。ありがとうございます」


 それは、俺にとって上っ面の会話に聞こえた。瑞貴は俺たちのことを信用どころか猜疑心(さいぎしん)を持っているに違いない。紅葉もそれを分かったうえで、社交辞令として言葉を返している。


「あまり、その……おおっぴらには言えませんけれど、あまり吹聴しないでいただけると」


「もちろん、こちらにも守秘義務がありますから心配なさらずに。それより、あれが旧館ですか」


 立ち上がり、縦長の窓から階下を見下ろせば、そこに黒く焦げた建築物が見えた。屋根の半分は完全に落ちていて、ところどころ部屋の内部が見下ろせるほどに焼けている。


 そこに瑞樹も並んでそちらを見る。


「ええ、あれが旧館です。三階建てで、当時はこの辺りでは病院は少なくて。それも精神科でしょう? それもあってか、患者さまも多くいらっしゃいました」


「――二十年前といえば精神科自体が、少なかったようですね」


「認知はされていましたけれど、来院、入院するとなれば世間の目もありましたから。こう言ってはなんですが、この立地は田舎でしょう? 人の目というのは少なく、患者さまとしては来院しやすい場所だったのではないでしょうか」


「鬱などの精神疾患は未だに根強い偏見がありますからね」


「そうでしょう。二十年も前ならなおのこと。だから遠方から来られる方が多かったようです。知った方のいない場所にあるこの病院は、そんな患者さまにとっては良い療養所となっていました」


「その場所が――火事、か」


 俺はふたりの話を聞きながら、誰ともなくひとりつぶやく。いわば偏見から解き放たれるはずの場所が、焼け落ちたのだ。患者たちは重軽傷を負い、ひとりの子供がその命を失った。そしてその母親は失意の底へ叩き落とされて言葉を失った。


 そんなとき、じりじりと、うなじが焼けるような感覚を覚えた。エアコンが効いているというのに、妙にアツく感じる。あの旧館になにかあるからだろうか。


 俺の中の霊感とでも呼べるものが、反応しているのかもしれない。


「そういえば、あなたは皆川さんと小野さんをご存知ですか」


 その言葉に、ふう、と瑞貴は息をついた。


「ええ――もちろん。同じ職場で従事していましたから」


「奥宮医院ということですか」


「そうです。私の実家も医師の家系で、その繋がりもあって今の院長と結婚して奥宮医院で外来の看護師として従事していました。小野さんは精神科の医師として、皆川さんは精神病棟の看護師を担当されていて――どうしてこうなってしまったのか、残念で仕方ありません」


「心中お察しいたします。では、解体業者についてですが――」


 紅葉は平然として質問を続けた。旧館を見下ろしている俺はさっきから続けてジリジリと焦げるような熱さを感じている。


 見ているだけで、まるで火の中にいるような感覚。


 呪い、なのだろうか。灼熱にその身をさらしているような恐怖感と、焦燥感。そして感覚として、幻覚として、肌が焦げていくような熱を知覚している。


「解体業者の方々には申し訳ないことをいたしました。けれど、仔細までは把握できていないのです。よもや充希が呪いだなんて――そんな突飛なことを言う子ではないのですけれど」


「阿久良さん、久乃木さん。連絡が取れました。今から院長室へご案内します」


 深くため息をつく瑞貴の言葉に割り込むように紗季が戻ってきて、師長――自分の母親に頭を下げてから、俺たちを見た。


「紗季さん、失礼のないように」


「はい。かしこまりました」


 いくら家族とはいえ、院内では師長と看護師なのだ。上下関係がはっきりしている。これでは家に戻っても敬語が抜けないんじゃないだろうか。なんだか、この奥宮という家というは、家族だんらんを想像するには難しいものだ。


 それは単純に俺の想像力が足りないって話なのだけれど。



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