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咎ざらしの朱猫 ――怪談屋・月詠 鈴鹿の推理譚――  作者: 永久島 群青


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第六話



 6



 翌日。うちの店主はあっさりと俺を紅葉に預けた。そして紅葉が待ち合わせに選んだのは豊島区、池袋だった。


 俺は東口に出てサンシャイン通りを歩く。西口と違ってこちらは健全な街の様相。若いガキどもがゲームセンターに入っていったり、カップルが映画館から降りて来たり、外国人がハンズあたりで団子になっていたりと忙しない。新宿とは全く別物の活気にあふれている。


 そしてなにより、この通りからでも見える池袋のランドマークタワー。サンシャイン60が陽光を照り返していて、俺はあまり東口に足を運ばなくなったな、なんてことを考えていた。


「それで、今回の案件。どう決着つけるつもりだよ」


 ハンズ前の壁に背をつけて座っている紅葉を見つけて、声をかける。紅葉は缶コーヒーを飲みながら、見上げるように視線をこちらへ向けて片方の口の端を吊り上げる。


「呪いだろ。解けば済む話だ」


「それをどうやって解くんだって聞いてるんだよ」


「ルリちゃん。まあ、ついてくれば嫌でも分かるよ」


「簡単に言うもんだな。それに病院は春日部だろ。なんで池袋なんだ」


 俺が嘆息すると、


「たしかに、まずは現場を確認する必要があるから、病院に向かうべきなんだけどな。念には念を、事前に情報を得ておくことも大事だってことだよ。だからここで待ち合わせしてる。あと一時間くらいだな」


 紅葉はサンシャイン60の北側にある区立東池袋中央公園に入った。


 このあたりはオフィスビルが多く、噴水の周りではリーマンやOLが休憩をとったり、休日はカップルなどが寄り添ったり、コンクリート敷きの広場にはスケーター・ボーイがいたりと昼間は憩いの場として使われている。


 しかし噴水の奥――森のようになった場所にはホームレスのダンボール・ハウスが並んでいたりもする。


 それはこの公園にとどまらず、サンシャインシティの隣りを走る首都高の高架下、中央分離帯あたりにまで広がっていて、一時期はホームレス狩りが横行したこともあったという。格差の表裏は、この街にもしっかりと貼りついているのだ。


 そんな思考を切り替えて、俺は以前から気になっていたことを訊くことにした。せっかくお嬢さまから魔女に預けられた式神だ。タイミングとしてはここで訊いておきたかった。答えてくれるかは、期待してなかったけれど。


「……なあ」


「鈴鹿のことか」


 紅葉は苦笑して、筒抜けだな、と俺がぼやく。どれだけの資産があれば、あれほど金銭感覚がマヒするのだろうか。異常と呼べるほどの機械音痴のことといい、常識から外れすぎている。


「あいつは、なんで怪談屋になった」


「……私もあいつも、同じなんだよ」


 紅葉はそう言ってラッキーストライクを咥える。俺も指定喫煙所ではなかったが、ポールモールに火をつけた。


「同じ?」


「あいつは、ろくに義務教育を受けさせてもらえなかった。あいつが陰陽師の家系ってのは知ってるよな」


 俺は頷く。


「月詠家の一族の中でも、あいつだけは極端に(・・・)霊感が(・・・)弱かった(・・・・)。本家筋でありながら、だ。これじゃあ、分家のやつらにメンツが立たない。そう考えた鈴鹿の親父は、まだ十歳にも満たない鈴鹿に禁断の(・・・)呪法(・・)を使った」


 禁断の――呪法。呪い。また呪いか。俺が怪訝そうにしていると、紅葉も笑顔を消し、忌々しそうに眉間にしわを寄せた。


「先祖返しの呪法だ。本来なら、親の持ち得ない遺伝を子が宿すことを言うんだけどな――あの親父は、もっとも強かった先祖の霊感を鈴鹿に宿す方法を選んだ。それも四六時中だ」


「――は」


「飯もろくに与えられず、腕を縛られて、口をふさがれて、松明だけの薄暗い中、神職者に囲われて祝詞を聞かされ続けた。何年も、何年も。当然、学校に行けるわけもない」


 俺は絶句した。そんな前時代的なことをやっていたというのか。紅葉は、はっ、と自嘲気味に紫煙を吐き出す。


「でも、先祖返しは、失敗した。鈴鹿は、さんざん苦しみと恐怖を与えられた挙げ句、失敗したんだ。それが十三歳のころ。私と出会ったころはもう見るに堪えなかったよ」


 紅葉は首を鳴らした。


「失敗してからようやく通学が許された。それに服装こそメンツのために良いものを着せられたけれど、目の下にクマ、枝みたいな腕。頬はこけて、やつれて、今みたいな美しさの欠片もなかった」


「――ッ」


「中学に行けるようになったはいいけど、勉強にはもちろんついていけない、常識も分からない。つたない会話しかできない。しかも、その見た目だ。いじめの対象だった。幽霊、ブス、消えろ、キモイ、死ね。キ××イ。あいつの机や教科書にはそんな文字が書かれていた」


 紅葉は思い出したのか、目を閉じる。


「それでも、帰り道に鈴鹿は野良猫を見つけてな。まだ小さな子猫だった。給食の残りをあげていたよ。あいつにとって、唯一の救いだった」


「子猫?」


「ああ。心の拠り所だったんだろうな。んで、なにを思ったのか、名前を付けたんだよ。その猫に、自分の(・・・)名前を(・・・)。“鈴鹿”ってな。行き帰りにいつもいる、少し赤茶けた猫だった」


「あんたは、止めなかったのか。その、呪法を、イジメを」


 批難がましく言うと、


「言ったろ。私も同じだったって。そのころは、それどころじゃなかったんだよ」


「……でも一緒にいたんじゃないのか」


「なにもしてやれない。その余裕すらない。その歯がゆさと悔しさは、この話を聞いてるあんただって感じているはずだ」


「……」


 返す言葉がなかった。俺の知らない鈴鹿の過去に、俺が入る隙間なんてない。俺は、そのころの鈴鹿に出会ったことがないのだから。


「んで、鈴鹿の秘密――可愛がっていた猫――それに気付いたクラスメイトは、その猫をとっ捕まえてナイフで切り刻んで殺し、鈴鹿の下駄箱に突っ込んだんだ。あいつは、そこで壊れた」


「なんてことしやがる――」


 鈴鹿の、過酷な状況下でようやく見つけた癒しともいえる猫。自分の名前を付けた彼女は、求めていたのだろう。自由を。そしてその子猫を愛した。彼女が愛されない分、彼女はその子猫を愛でたに違いない。それを――。


「下駄箱からな、真っ赤な血が垂れてるんだ。あいつは猫の死骸を抱きしめて叫んで泣いていたよ。服も真っ赤に染まっても構わずに。クラスメイトはそれを見て笑ってやがった。人間とは思えなかったよ、正直」


 俺は腹の中に炎が滾る感覚に襲われる。ぶっ潰したい。ぶっ殺したい。地獄よりも恐ろしいと思える、生きることさえ苦痛になるくらいの、痛みを与えてやりたい。その月詠家を。そのクラスメイトを。その衝動を感じ取ったのか、


「落ち着けよ。それから、三年。あいつが十八のころだ。祖父が他界してな。廃人同然となった鈴鹿は学校にも行かなくなっていたんだが――祖父の遺言書が残されていた」


「遺言書……」


「鈴鹿への謝罪と、莫大な遺産をすべて孫、鈴鹿に相続させるって。父親の暴走を止められなかったことを悔やんでいたんだろうな。とんでもない、途方もない、信じられないくらいの金が鈴鹿に流れ込んだ。当然、税金もかなりでかかったらしいけど」


 紅葉はラッキーストライクを咥え、編み上げブーツの紐を結びなおす。


「んで、親はもちろん、分家もそいつを横取りしようと考えて、手のひらを返してなんとか鈴鹿に取り入ろうとした。ここまでくると滑稽だ。クソみたいな悲劇は下手な喜劇より笑えるんもんだ」


 笑えるものか。俺はその言葉にイライラを抑えられなくなってきていた。鈴鹿をさんざん家の人形、それよりも非道な扱いをしておきながら、大金が入り込んだら機嫌をとって横取りか。自分の子供を、なんだと思ってんだ。


「……誰かに助けを求めることも出来たんじゃないのか」


「いいや――それが洗脳の怖いところだ。鈴鹿も私もそれに抗おうともしなかった。誰かに助けを求めることすら考えられなかった。そもそも、そんな思考さえ、持つことを許されなかったんだ」


「洗脳――」


「それに私たちの地元では鈴鹿家、阿久良家は地主――さらには議員サマとも繋がった有力者だ。子供はもちろん、逆らえるオトナなんていなかったよ」


「……腐ってんな。それで、ガキどもはお咎めなしかよ」


「月詠家がなにも言わなかったからな」


「……自分の子供が、そんな目に遭っているのに、か」


 沸々と怒りが込み上がってくる。


「祖父さんが死ぬまではな」


「……大金が転がり込んで、やっと動いたってのかよ」


「いいや。月詠家が動く前に鈴鹿が完全に覚醒したんだよ。失敗した先祖返しが、祖父さんの遺志で完成したんだ。どこぞの先祖のものではなく、祖父の強力な霊感を、あいつは先祖返りとして受け継いでしまった」


「それから、どうなったんだ」


「一族を、崩壊させた。自制の効かない、暴走した鈴鹿は、祖父さんだけが持ち得た“咎ざらし”の力を持ってその咎をさらし、その権力を、その一族を破綻させ、破滅をもたらした」


「――あの鈴鹿が、か」


 あの美麗で、温和なお嬢さまが、そこまでするとは考えにくかった。それを伝えると、


「言ったろ。鈴鹿自身が壊れちまってたんだよ。自制が効かなくなってたんだ。その結果、衆人環視の前で咎はさらされ、鈴鹿家は没落、金もない、信用も失い、市会議員も県議会議員もさっさと尻尾を切って、有力者でさえなくなった」


 紅葉は続ける。


「さらに、今までの高慢なツケが祟って、地元でも村八分。惨めなもんだったよ。屋敷には暴言オンパレードの貼り紙まみれ、火をつけようとしたやつもいた。で、結局は居場所を失って四国あたりに身を寄せたって聞いたな。隠遁(いんとん)。そのままの意味で島送りってやつだ」


 俺は目を閉じる。家族と呼ばれる方々――鈴鹿はいつかそう言った。あいつはもう、家族と見なしていない。その言葉の真意は、そこにあったわけだ。そして――


「……気になっていたんだ。なんであいつが、咎ざらしの“朱猫(・・)”なんて呼ばれているのか」


「家にも、学校にも居場所がなかった、傷ついたあいつを癒してくれたのは、行き帰りに会う野良の子猫だった。それも自分の名前を付けた、な」


 俺はそこまで聞けば、もう理解できていた。彼女は祖父の遺志をもって、自分の愛した子猫の未練を、自分で背負うことに決めたのだろう。そして――


「靴箱に入っていたその猫の死骸から垂れた朱い血の色。それは、クラスメイトたちの紛うことなき“咎”だ。だから――」


――咎ざらしの朱猫は生まれた。


「クラスメイトたちはどうなった」


「どうにもならなかったよ。鈴鹿は一族を意図せずに壊して、そのまま私と一緒に上京した。あいつは一族に破滅をもたらしたことで、自分の力に怯えていたんだ。元来、根は優しいやつなんだよ。復讐なんて考えるやつじゃない」


「……この話は、聞かなかったことにしたほうがいいのか」


「少なくとも、知らない振りはしておけばいいさ。いつか、あいつ自身が過去と決着をつけたときに、聞くことになるだろうからな」


「――あんたは、自分も同じだっていったな」


 俺は紅葉を見る。ラッキーストライクを靴底でねじり消してから紫煙を吐き出す。


「……私は常に、暴力を受けつづけていた。罵声を浴びせられ、飯なんて地面にぶちまけられて、頭を踏みつけられてそいつを食わされたんだぜ。“呪術”の基本は呪い、呪詛だ。人間の醜悪さ、汚さ、悪意をずっと、ずっと聞かされ続けていた」


 俺はポールモールを紅葉の差し出した携帯灰皿にねじ込む。


「鈴鹿とは逆だけど、同じ境遇だ。中学で出会ったとき、すぐに分かったよ。こいつは私と一緒だ、ってな」


「陰陽師の家系に――呪術師の家系、ってやつか」


 その言葉に、さすがの推察力だな、なんて紅葉が自嘲する。


「そうだよ。私は呪術師として育てられた。環境は最悪だったよ。自分の部屋が鉄格子付きなんだぜ。檻の中で、延々とラジカセから呪詛の言葉が聞こえてくるんだ。人間は醜い、醜悪だ、呪え、呪え、ってな」


「……狂ってんな」


「だろ。朝になったら学校に行って、帰ってきたら薄汚い、かび臭い牢屋の中に蹴り入れられて、便所さえない部屋に閉じ込められる。ほとんど寝る時間もなかったな」


 抵抗なんて出来なかったに違いない。それが当たり前のものとして洗脳されているこの魔女も、鈴鹿と同じだったのだろう。


 自然と眉間にしわが寄る。陰陽師やら呪術師やら――俺とはまったく別ものの世界の話。なのに、だからこそ、俺は心底からはらわたが煮えくり返る。人間をなんだと思っているんだ。自分を――何様だと思っているんだ。


「その間、聞かされるのが、人間がどれほど醜いか、汚いか。逃げ出すことさえ考えられない。さっきも言ったけど、そのままの意味で洗脳だよ」


 だから、同じなんだ。


「くそったれが」


 俺は気付けば拳を握り締めて――地面を殴りつけた。やり場のない怒り。どうして、そんなことを、自分の娘に出来るんだ。鈴鹿も、紅葉も、ただ――普通に生きていたいだけだったはずなのに。


「ルリちゃんは優しいねえ。でもまあ、今じゃ悲嘆することでもないさ。人を呪わば穴二つって、昨日言ったろ」


――私の親は、勝手に狂って、勝手に死んだ。


 紅葉はもう一本、ラッキーストライクに火をつける。俺は戦慄した。


「呪術師を育てているつもりが、いつの間にか私を呪っちまってたんだな。バカな親だ。で、上京して、あいつはその相続税を払っても余り過ぎる莫大な遺産で怪談屋と咎ざらしを、私はあいつから仕事をもらって忌まわしい呪術を殺す仕事を始めた」


「……あんたの別件ってやつは、そういう(・・・・)ことか(・・・)


 呪術を殺す。つまり、紅葉が相手にしているのは――その別件に絡んでいるやつは――


――呪術師だ。


「さすがだねえ、ルリちゃんは。おっと、来たな」


 紫煙を吐き出してから、足音を聞いて紅葉が振り返る。つられて俺も半身を返すと――驚きに目を見開く。


「なんで、お前が」


「……それはこっちのセリフなんだけどね」


 下手なホストなんかよりも端正な顔立ちの男――マサキが苦笑して、そこに立っていた。



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