第五話
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「なんだったんだ、いったい」
ふたりが帰ったあとで俺は鈴鹿を見る。今回のケースは七夕事件や、妖精事件とはまた異なっている。
「ルリは少しずつですが、精度を上げているようですね。何度か褒めてしまいそうになりました。ご遺体の妙なところや、カンとは言え、おじいさまの死因を推測したところなどは、お見事です」
鈴鹿は褒めてくれているのだが、その表情は鋭い。俺は自覚のある自分の失敗に、うんざりしていた。さすがに、叱られて当然だろう。それだけの言動をしていたのだから。
「ですが――やはりまだ感情が入っていますね。客観的な観測、理論の組み立て方が荒い。ちなみに呪いという言葉はどこから?」
「……火だよ。“火”にまつわる事故、事件が起きてる。それも奥宮家に関わるすべてに、だ。もしかしたら解体業者の不幸も火に関するものだったかもしれない。それを遡れば、二十年前の火事だ――」
「推察力は大したものですが、解体業者さんの不幸も、充希さまの言葉の端から察するに恐らくは当たっているでしょう。ですが、軽率な言動は自粛しなさい。あと、お客さまの表情、事情、背景。そういったものに対して配慮が足りません」
鈴鹿は声のトーンを落としてこちらに視線を向ける。
「……気をつけるよ」
「敬語を使えと言っているわけではありません。ただ、奥宮さまたちは、この店に入って来たときから、余裕もなく、かなり精神的に参っていました。お兄さんのほうは特に顕著でしたから、攻撃的になっていたのでしょう。あなたがそれに早く気づけていれば、無駄に突っかかったりはしなかったはずです」
「――ああ、悪かったよ」
「過ぎたことです。今後、気を付けていただければかまいません」
ふ、と鈴鹿は微笑する。俺は深いため息をついてうなだれる。
「傷つけてしまいましたね」
「いいや、俺が悪い。言い訳なんてしねえよ。それより――どうするんだ。今回の案件はいまいち、要領を得ない。人体発火の呪いを解く。言葉だけなら簡単だけど、どうやって――誰の、咎をさらすんだ」
「少し話はズレますが……人体発火の原因は今のところ確たるものがないんです。世界で起こっている人体発火のケースの中には寝タバコや人体のロウソク化による発火などが原因ではないか、なんて話ありますが、それも明確に、確定されたものではありませんからね」
そう言うと、鈴鹿は立ち上がり給湯室へと向かって、戻ってくると盆にみっつのグラス。中には緑茶が入っている。俺にひとつ、鈴鹿にひとつ、そして――誰もいない赤いソファーの前、木製のローテーブルに置く。それから鈴鹿は目を細めた。
「ただ――呪いの可能性があるのなら、まずやるべきことはその専門家に話を聞くことです」
呪いの専門家――そんなやつがいるのか。俺は緑茶に口をつけながら黒電話で誰かに電話をする鈴鹿をぼんやりと眺めていた。今回の案件は、目的も原因もはっきりしない。なんとなく気持ちの悪さを感じる。不気味さ、といってもいい。
まるで呪いにかかったような気分だ。
◇◆
十分近く経って、そいつはやってきた。見慣れた栗色のマッシュ・ボブに黒いジャケット、Tシャツにショートパンツ、黒の編み上げブーツ――阿久良 紅葉。
「まったく、忙しいってのに。あんたらは私の邪魔をすることが生きがいなのか。だったらはた迷惑な性癖だからさっさと直せよな」
相変わらずの悪態をつきながら赤いソファーにどっかりと、そのすらりと伸びた両脚を投げ出すように腰を下ろすと、紅葉はぬるくなった緑茶を飲み干してから息をつく。
「相変わらず良い温度だな、咎ざらし」
紅葉は、かつん、とグラスを置く。彼女は冷たいものより、ぬるめのほうが好みのようだ。だから鈴鹿は来る前に緑茶を置いていたのか。
「――それで、鈴鹿。今回はどんな雑用だ。いくら払う」
睨みつけるように、両手を組んでから前のめりになる。余計なやり取りは必要ない。そう言っているのか。しかし鈴鹿は涼しい顔で、
「今回は呪術殺しの魔女に、お話を聞きたいと思いまして」
そう言った。呪術殺しの魔女――それは以前、紅葉が名乗ったものではない。あのとき彼女は――
「ブルーカラーの魔女、じゃないのか」
たしかに、以前はそう名乗った。鈴鹿は不思議そうに俺を見てから、「ああ」とひとり納得したようにつぶやく。
「そうでした。今はそう名乗っていましたね。けれど、名前は変えられても、本質は変わらないでしょう。私がそうであるように」
「呪術殺しなんて時代錯誤もはなはだしいからな。バイクの色でそう呼ばせているだけだ。それで、私にその話をしろってのは、また面倒な厄介事でも抱えたか。ほんと物好きなことだ」
紅葉はニヤリ、と口の端を吊り上げる。鈴鹿は目を細めてしばし沈黙が降ってくる。最初に口にしたのは、その耳に痛い静寂に耐えかねた俺だった。
「そもそも、呪いってのはなんなんだよ」
ブルーカラーの魔女、もとい、呪術殺しは答える。
「あんたも、もう呪いにかかっている」
「――は」
ぞくりと背筋が冷える。七夕事件を思い出した。話を聞いただけで呪いにかかったとでもいうのか。
「あー、勘違いすんな。あんたを縛り付けるもの、それが呪いだ。あんたはルリという名前を持ってるだろ。それは、あんた自身を表すものであり、あんた自身を縛り付けるものでもある」
「名前が、自分を縛り付ける呪いか」
「そうだ。古くから名前には“呪”があるとされているからな」
だとしたら俺たちは、生まれながらにして呪いにかかっているというわけだ。肩を落としそうになるところに、紅葉は続ける。
「なにも悲観することじゃない。呪詛と愛情は紙一重だ。今じゃペットみたいな名前をつける輩もいるけど、例外じゃない。名前は個を識別するため、そんで個を縛り付けるためのものでもある。それに、祈りや期待、由来や未来を想って名付ける親のほうが多いだろ。字数や画数を調べることも、愛情だ。でも、裏返せば――」
「人生を左右する呪いになる」
「そういうことだ。飲み込みが早くなってきたじゃないか、ルリちゃん。まあ、今は法的に手続きをとれば改名も出来るけどな。それでも、根っこは変わらない。名前を変えたところで、そいつを表す記号が変わっただけで、それまで生きてきた個人の名前――それがきれいさっぱり記憶から消えることはないんだからな」
「ちゃん付けはやめろ。つまり、名前を変えても忘れることは出来ないってことか」
その言葉に、紅葉は小さく笑った。
「仮に本人が忘れても、そいつを知っている全員からは消せない。その逆も然りだ。つまり、私が“ブルーカラーの魔女”と名乗っても、鈴鹿は“呪術殺しの魔女”と呼ぶ。呼ばせるように強制は出来ても、きれいに記憶を消すことは出来ない」
「なるほどな」
「それに名前を変えたとしても、その名前がまた――自己を縛る呪いとなるんだよ」
俺が改名しても、俺自身が完全にその名前に慣れ、ルリという名前を完全に忘れることが出来るかと問われれば、難しいかもしれない。逆に俺が忘れたとしても、仲間が覚えている可能性は高い。それが顔見知りどころか、近親者ならなおさら難しいだろう。
そして――新しい名前を得て、それが浸透すれば、それもまた、呪い。まるで悪夢の連鎖のような話だ。
「さて、メジャーな話をしようか。たとえば丑の刻参りにも、呪いをかけたい相手の名前が必要だ。まあ、呪術にもいろいろあるから一概にはいえないけど、それでも、相手の情報が無ければ、相手を縛り付けることは出来ない」
「――相手を縛り付けること自体が呪いの本質ってことか」
「相手の精神を壊すことも、ましてや命を奪うことも――相手の精神や命を縛り、手中で握りつぶすような行為だ。たとえば、毎日、ルリちゃんの顔を見るたびに“顔色が悪いな。具合でも悪いのか”と言い続けたとしよう。一日や二日じゃ呪いは効果を発動しないが、一週間、一ヶ月と言い続ければ、ルリちゃんは本当に体調を崩すだろうな」
「それは、ノイローゼじゃないのか」
「それだよ。呪いってのは、なにも儀式的な、オカルティックなものばかりじゃないってことだ。言い続けることで、本人の無意識の中にすり込んでいくんだよ。そうやって名前も、言葉も、使いようによっちゃ呪いに変わっていく」
「無意識の中に――」
「世の中、“自分はダメな人間だ”とか“自分にはなにも出来ない”なんて自分を責め続けるやつがいるだろ。そいつはなにをやっても成功しない。自分で自分を呪っているから、満足な結果を出せない」
紅葉は鈴鹿に目配せをすると、彼女は給湯室へと入っていった。お茶のお代わりを催促したのだろう。
「でも、自信満々なやつだって成功するとは限らない」
「まあな。でも自分は大丈夫だ、自分には才能がある、かならず成功する。これだってプラスに働けば、成功する可能性は自分を責め続けるやつより確率的には高くなるんだよ。だがな、ルリちゃん。根拠のない過剰な自信は、努力を奪う。それもまた、慢心という自らに降りかかった呪詛だ」
「……あんたにかかればすべてが呪いになるな」
鈴鹿が緑茶を運んでローテーブルに置く。氷がひとつ。鈴鹿はまずお茶を煎って水出しをする。そして急須で氷の上から注ぐ。俺がいつも飲んでいるのは冷やすために氷が四つか、五つ入っている。紅葉の好みを把握している証拠だ。
「すべてが呪い――ルリちゃんはなかなか面白いな。そうだよ。この世界は呪詛で満ちている。言っただろ、愛情と呪いは紙一重だと。友愛も、恋愛も、親愛も、ひとつの側面だ。そいつが裏返れば――行き過ぎれば――この前のストーカー事件と同じになる」
――愛は、この世で一番恐ろしい呪いだよ。紅葉はそう言ってグラスをかたむける。
俺は自然と眉間にしわが寄る。俺が鈴鹿に抱いている感情も、呪いに変わる可能性があるというのか。それを察したように、紅葉は苦笑する。
「あくまで極論だ。普通に生活している限り、そんなことを考えるひまもない。ただ、知っておいてほしいのは一歩でもその世界の深みに入れば、被害者にも加害者にもなり得るってことだ。たとえそれが、無意識だとしてもな」
それに――と、紅葉はそう言って、くくく、と低く笑った。
「これは人間が人間を呪う手法、それも基本的なものだ。この世にはそれらの工程を超越する呪いだって存在する」
「どういう意味だ」
「幽霊が呪いをかけた場合だ」
「幽霊が……それは祟り、みたいなもんか」
「似て非なるものだ。祟りと呪いも重なる部分がある。けれど――祟りは災いの前兆があったりするんだよ。それに、祟りが個人だけを狙う、なんてことは稀有だ。天変地異レベルのものから、一族郎党、その血を根絶やしにするものまで。まあ、呪いと重なる部分は大きいからその違いは些事だけどな」
魔女は首を鳴らして、ひざにひじを乗せて手を組んであごを置き、鈴鹿を見る。
「幽霊の呪いか、人間の呪いか。まずはそこを見極めるべきだな」
◇◆
「さて、ルリ。ある程度の知識は得られたでしょう。呪いというものがどんなものなのか」
鈴鹿の言葉にあごを引く。
「呪いってのは簡単に言えば、相手自身を縛り付けるものってことだろ。その握力を強めれば、簡単に精神だろうが命だろうが砕いちまう。その強弱が、呪い――呪術には、ある。で、色んなもんをすっ飛ばして殺しちまうチートくさいもんは幽霊の呪い、って感じか」
その言葉に紅葉が補足した。
「ただ、人間の精神と命はガラス細工みたいなもんだ。握り込んで砕けば――自分も痛みを負うことになる。人を呪わば穴二つってなあ、そういうことだよ。それは、人間も幽霊も変わらない」
ただな――と紅葉は続ける。
「一番読めないのは、素人がたまたま成功させた場合だ。今じゃネットの海の中にガセも本物も混じってる。最悪の玉石混交、それがインターネットの怖いところなんだよ」
「……なるほどな。形式ばったものばかりじゃないとうことか」
「そうだ。呪法も様々、千差万別あるけど――まあ、細かいことを抜きにして、基礎になる部分だけを語るなら、そんなもんだ」
それで鈴鹿――と、ソファーの肘置きで頬杖をついて、呆れた視線を鈴鹿に向ける。なにかを察した表情だった。
「あんたは私になにをさせたい。呪いの話をルリちゃんに語らせたのもその案件に絡んでいるから、だんまりを決め込んで教えさせたんだろ」
それから鈴鹿はお茶でのどを潤してから、奥宮医院――ブルーム総合病院の話を始めた。
二十年前の火事、開かずの間、祖父の死、解体業者の拒絶。ふたりの元・医療従事者の焼死体。それもスポンティニアス・ヒューマン・コンバッション――人体発火であること。クライアントはそれが呪いであると考えていること。
その呪いを――解いてほしいということ。
すべてを訊き終えた紅葉は低く笑った。
「これを、あんたは請けたのか。相変わらず、自分の領分を知らない女だ。咎をさらすのがあんただろ、咎ざらし。だというのに……今回の案件は明らかに畑違いだと分からないのか」
そう――咎をさらすのが、咎をさらすことこそ、さらすべき咎があってこそ、咎ざらしの朱猫の本分だ。逆に言えば、今回の案件は“呪いを解いてほしい”ときた。依頼自体がすでに理解できる範疇にないうえ、解決方法だって皆目見当もつかない。
「請けたのは私ですが、元をたどれば彼から投げてきたのですよ」
「あの探偵か……まったく面倒な事件はすぐに投げちまうな」
「そもそも、彼の分野でもなかった――ということです」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。そいつは何者なんだ? 探偵って」
「ルリちゃんも近いうちに会えるかもな。あの変人に」
「答えになってねえぞ」
「今回の事件を解決するなら、余計な不純物はない方が良い。あんたは式神として、自分の役割を全うすれば良いって話だ」
そう言われて、自然と眉間にしわが寄る。鈴鹿にも、紅葉にも、まだ知らない部分がある。そう思えば、なんだか落ち着かない気分だった。
「しかしまあ、あの変人から投げられて、畑違いの事件に顔を突っ込むなんて、らしくないじゃないか」
「だから、あなたを呼びました」
「そこの式神ちゃんと違うんだぜ、私は」
紅葉は鈴鹿を睨むが、彼女は素知らぬ顔で――
「今回の案件、あなたにとって利があると踏まなければ、さすがに私だって請けませんよ。私は単純にあなたへこの前のお詫びがしたい。それだけです」
そういえば、妖精事件のとき鈴鹿は紅葉からこっぴどく叱られたと聞いた。それも俺の不甲斐なさがそうさせたのだけれど、鈴鹿なりに紅葉へのケジメを考えていたようだ。
鈴鹿は続けた。
「クライアントさまからの依頼料は五十万。そのうち、三十万をあなたに。残りはルリの給与がありますので」
「……安いな」
「そうでしょうか。今回の事案、呪いが関わっているのであれば――こちらの提示した金額以上の成果を得られるのではないですか。少なくともヒントは得られるかと。もしもあなたの望む結果にならないようでしたら、追加で支払いましょう。あなたの言い値で」
そう言われてしばらく黙り込んだが、やがてしかめっ面をして「三十万で手を打とう。ただし、条件がある」といった。
「なんでしょう」
そこで紅葉は俺を見る。嫌な予感が背筋を駆け上っていく。そいつが脳天に届くころに、
「この案件が終わるまで、ルリちゃんを――そこの式神を私に貸せ」
案の定、嫌な予感は的中した。




