第四話
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ことの始まりは七月九日。ちょうど俺たちが七夕事件を解決したころあいだった。埼玉の春日部市にある一軒家で焼死体が見つかったそうだ。家は燃えてはおらず――詳細を言えばその遺体の付近、箪笥やベッドなどは焦げていたのだが――遺体だけが焼死体として見つかった。
離れて暮らしている親族の証言ではその遺体――小野 頼子、四十七歳。ひとり暮らしだったそうだ。そしてその死体検案書を書いたのが、奥宮 充希だった。
さらにその二日後の十一日にも、皆川 早苗――四十二歳が自宅の庭先で焼死体として見つかっている。こちらも芝は焼けていたが、せいぜいボヤ騒ぎ程度だった。
皆川は急遽、火の手が上がり、それに気付いた近所の人間が急いで消防に連絡するも、一瞬のことで間に合わなかったのだという。そしてその死体検案書も――奥宮の父親と充希が担当したらしい。
近所に住んでいる人間が証言では小野も皆川も結婚しておらず、子供はいなかったのだという。
「――でも、死体検案書ってなんだ、あれだろ。警察の……なんだっけ」
「検視官のことですか?」
「ああ。そいつらの仕事じゃねえの?」
俺がそういうと、また直樹が鼻で嗤った。いちいち癪に障るやつだな。
「法医学という資格があるんだ。充希とうちの父――奥宮 善三は法医学の資格を持っていてね。埼玉県警とも繋がりがある。だから、依頼を請けて父と充希が立ち会った」
「ご親切にどうも」
「これくらいは一般常識だ。学校を卒業して、就職もせずにアルバイトなんていい加減な生き方をしてないで、きちんと勉強することだな」
「あんたはうちの親父かよ」
「一般的な常識人としてのアドバイスだ」
俺はやっぱりこいつとは相性が悪いようだ。俺の性格とは合わない。杓子定規でかたまった相手とは折り合いがつけられない。
「お話を続けていただけますか」
鈴鹿は困ったように俺と直樹を見比べてから、充希に話を促す。
「……はい。司法解剖は父が主にやってまして、私は検案書作成のために立ち会ったのですが、そのご遺体が少し――妙で」
「妙といいますと」
「焼死にはいくつかの種類があります。熱傷により肌が焼け赤くただれる火傷死。酸欠による窒息死。燃焼ガスにより一酸化炭素中毒死。一般的な――というのも不謹慎な話ですが――焼死体であれば、これらが複合的に起こり死に至ることをいいます」
「なるほど」
鈴鹿は静かに話を聞きながら万年筆を走らせる。目は充希に合わせたままの、相変わらずのアナログなブラインドタッチ。
「あと、炭化したご遺体はボクサー型というのですが、熱硬直といって、筋肉などが萎縮して、焼死体というのはこう……赤ちゃんが丸まっているような形で亡くなっていることも多いです」
充希はボクサーの構えをとる。赤ちゃんが丸まっているということは、脚も丸まっているのだろうか。なんとなく、母体にいる嬰児の姿を想起する。
「小野さんはどうでしたか」
「肌は炭化が見られました。けれど、完全に焼けてはいませんでした。むしろ、大腿部より下は赤みと水疱……水ぶくれがありましたけれど、深達性二度の熱傷の域を出ないくらいで正直、死因にはなり得ません」
「大腿部ってのは太ももだっけか」
「そうです。なので詳細を言えば太ももより下――ふくらはぎあたりに熱傷、深達性二度というのは熱傷と火傷の度合いと考えていただければ」
充希はそういうと、冷たいほうじ茶で口を潤す。俺もつられてお茶を飲んだ。なんだか、遺体の話を聞く――それも焼死体の――それだけでやけにのどが渇くような気がする。
「皆川さんの場合はどうでしょう」
「ほとんど同じでした。違いといえば皆川さんは上半身の表皮の炭化がひどく、頭蓋骨が縮んでしまっていて非常に稀有な例でした。かなり高温な火災に見舞われたとしても、なかなかそうはならないのですが……」
「妙な点というのは、そこだけでしょうか」
鈴鹿が訊く。俺はそろそろディスプレイを眺めつづけて目が疲れてきた。あくびをひとつ、頬杖をついて聞くともなしに話を聞いていた。
「いいえ。遺体の表面上の熱傷は不審な点もありますが、それだけなら説明がつけられるのです」
「――誰かに灯油でもかけられて焼かれた、あるいは自分からかぶった。そんな感じか。だったら他殺か自殺で捜査は可能だな。肺に一酸化炭素が入ってるかどうか、他に損害箇所はなかったか、死んでから焼かれたか生きながら焼いたかがカギだな」
「――え?」
「それに被害者の名前も住所も割れてるし。自殺でも他殺でも家族、交友関係、環境を遡れば初動である程度はその理由と裏付けくらいは絞れるんじゃないか。まあ、殺人の場合は現場の状況だけが不自然だから時間はかかるだろうけど。あいつならなんとかするだろ――」
――あの高遠刑事であれば。
俺がふとそんなことをいうと、充希と直樹は驚いたようにこちらを見た。鈴鹿は優しく微笑んで横目でこちらを見ている。俺はなんとなく居心地が悪くなる。
「久乃木さんは――この話だけで」
「充希さん、続けてください」
充希の言葉を遮って、鈴鹿が催促をする。
「……すみません。ええと、それだけなら、その、久乃木さんのいう通りなのですが。しかしご遺体の解剖――ここが、妙なんです」
「つまり、内臓が、ということでしょうか」
「はい。表皮はある程度の炭化が見られましたが、臓器のほうの炭化が進みすぎているんです」
「――どういう意味でしょう」
「自殺でも他殺でも――焼かれた場合、当然、表皮がまず熱傷を起こします。それに身体が完全に炭化するまでは時間がかかりますし、その上、かなりの高温であることが条件となります。なのに、表皮は炭化が始まりかけた程度、しかし臓器はことごとく炭化、中には形すら残っていないものもありました」
俺はその言葉にゾクリとした。外から灯油やガソリンをかけて焼き殺す。あるいは自分から死ぬ。まあ、手間はかかるがやろうと思えば、出来ない話じゃない。
ただ、やり方が派手だから殺人であればすぐに犯人の特定、自殺だったとすれば未遂に終わるというリスクがある。それで済めば――不謹慎ではあるが問題はなかった。だというのに――。
「身体の中から焼けたというのか」
俺の言葉に、充希は小さくあごを引いた。突然、身体の中にある心臓やら肝臓に火がついて、燃える。そんな病があるのだろうか。それを聞くと直樹が、
「そんな症例は、聞いたことがない」
不愛想にそう返した。俺が言葉を失っているところに、鈴鹿の、草葉を滑る朝露のように澄んだ言葉が――流暢なイントネーションで告げる。
「なるほど――驚きました。Spontaneous・Human・Combustion、ですか」
「す、すっぽん……なに?」
「分かりやすい発音でいえば――スポンティニアス・ヒューマン・コンバッション。通称SHCと呼ばれるものです。日本語で言えば人体発火のことですよ」
混乱する俺に鈴鹿は小首をかしげてそういった。そしてその言葉に反応したのは、直樹だ。
「ほら見ろ、充希。やっぱり――オカルトに持っていかれるじゃないか」
「兄さん――」
「うんざりなんだよ。いいか、店主。医療は、突き詰めれば科学なんだ。オカルトの差し挟まる隙なんてない。なのに怪談といえば病院、病院といえば怪談。まったくふざけている」
直樹は頭をガシガシと掻いた。たしかに、怪談話には多くの病院が舞台に上がる。ホラー番組でも、ホラー映画でも、なんだったらお化け屋敷でも――病院をイコールして恐怖の舞台にすることは珍しくはない。
直樹はその部分になにか思うところがあるのだろうが――だったらなぜ、この話を怪談屋に持ってきたのだろうか。売りにきたわけではないのか。疑問に思っていると、鈴鹿が先にそれを口にした。
「お兄さまのほうは、このお話をお売りに来たわけではないのですか」
「そんなわけないだろ!」
「ではなぜ――」
鈴鹿が言いかけたところで、充希が答える。
「この話を解決してもらうことを、私たちは望んでいるんです」
その言葉に店内が静まり返る。俺は、
「どういう意味だ」
そう言っていた。
「ある男から、ここを紹介されたんだ。こんな面倒で厄介なことは、怪談屋にやらせろとな」
「ある男って、誰だ」
「それは言えない。約束している」
直樹はため息をつき、鈴鹿を見ると――呆れたような、ダメな子供を見るような笑みを浮かべている。それが直樹や充希、俺に向けたものではないことは、すぐに分かった。
おそらく、この場所を教えた人間と知り合いなのだろう。しかし、納得がいかない。
「医者としての守秘義務は守らないのに、その男の約束とやらは守るのか」
「いちいち突っかかるな。こっちにも事情というものがある」
「だからこっちからしても風評被害だってんだよ。うちは探偵じゃない。怪談屋だ。それに、その小野や皆川とかいう人体発火の被害者のために、なんであんたらが困ってるんだ。その検案書とやらを警察に渡せば終わりだろ」
「そうじゃないから困っているんだ!」
「……どういう意味だ」
そのピリピリした空気の中で、うちのお嬢さまは冷静に、静かに、微笑みを消して鋭い視線を直樹に向けて、言った。いつしか怪談屋の店主としての顔から、咎ざらしの朱猫の表情に変わっている。
「――詳しいお話を」
◇◆
「小野さんと皆川さんは、昔――まだ祖父の代、奥宮医院に勤務していました。当時は精神科の医師で、皆川さんは精神科病棟の看護師でした」
兄をなんとか落ち着けて、充希は再び語り出す。
「おじいさまのお名前は」
「奥宮 祐善といいます。精神科医で、享年は八十二歳。祖母は琴美、享年は六十六歳でした」
「家族はみなさん、お医者さまなのでしょうか」
「父は外科医で法医学者を兼業していて、年齢は五十七歳です。兄は内科医で、私は外科医と、父と同じ法医学者です」
充希はぽつぽつと語り始めた。
「あとは、妹がひとりいるんですが、紗季といいまして、三十二歳です。彼女は内科の病棟看護師です。母は瑞貴で、五十五歳。今は精神科病棟の看護師長をやっています」
「おばあさまは」
「祖母は医療関係者ではありませんでした。今年の六月、脳梗塞で亡くなって、祖父もその後――先月、七月に亡くなりました」
俺は不意に違和感を持った。カンでしかない、裏付けもない憶測だが――
「あんまり聞くのもどうかと思うけど――その祖父さん、焼死だったんじゃないか」
「――な」
――思いついただけの不謹慎極まりない言葉だが、直樹の取り乱しようを見て、不意にそんなことを思ったのだ。怪談の遠因――それが、もし親族から始まっていたとしたら、科学崇拝の直樹からすれば、信じたくないだろう。
「なんでそれを――」
案の定、充希は驚き、直樹は苦虫をかみつぶしたような顔になる。俺も、眉間にしわが寄る。嫌な予感は、いつだって高確率で当たるものだ。
「カンだよ。たまたま当たっただけだ。気にしないでくれ」
「ルリ、少し静かに」
「ええと、それで、その……敷地の中には――新館と旧館をブロック塀で分けているのですが――その旧館というのが、奥宮医院です。昔、二十年ほど前に火事になったことがあって、半焼で重軽傷者、死者も出ました」
その言葉を受けてさっそくマックに打ち込んでいく。
二十年前、奥宮医院、火事。死者は一名、重軽傷者は五十九名。立地的に狭い道に囲まれていて、消防の到着が遅れた。それでも死者を一名で済んだことが奇跡だと、ネットニュースには書かれている。ふざけた記事だ。
死者が一名でも出れば、奇跡なんかじゃない。
「しかし、不思議ですね。その旧館を取り壊すことはしなかったのですか。その、失礼なことを言いますが、半焼とはいえ火事になり、怪我人も出ています。患者さまたちからの信頼という面では、マイナスにしかならないのではないでしょうか」
鈴鹿は笑みを消して、そのままペンを走らせる。充希はそこで兄――直樹を見た。直樹は深いため息をつく。
「保険自体はおりていたんだ。七年前、祖父が引退して父が院長の座に就くときには――その金で新館も建てられた。正直な話、そのとき取り壊す話は決まっていたんだ。けれど――」
一拍の間が空いた。
「業者に取り壊しを依頼したが――着工してからすぐに、金は要らないから手を引かせてくれと断わられた。それから間もなく祖父は亡くなった。そこの青年が言うように、焼死だ」
「――断られた?」
苦々しい表情の直樹に鈴鹿は首をひねる。俺もそこが分からない。金は要らない、だから拒否する。今は栄えている病院からの依頼だ。金もそれなりに弾まれるだろう。儲かる話だと思うけれど。
「それは――」
「おい」
その言葉に充希が答えようとしたとき、直樹が声を荒げた。しかし、充希はそれを制してから続ける。
「旧館の精神科病棟には開かずの間――と、呼ばれる部屋があるんです。噂では、その業者さんに不幸があったと、聞いてます。その噂が業者さんの間に流れて、今では引き受けてくれるところが無いのではないでしょうか」
開かずの間に解体業者の事故――なんだ、これは。
下手な怪談よりよっぽど怪談じみている。ここまでのエピソードを持ちながら、それでも直樹は怪談ではないと、そう言いたいのか。
「二十年前の旧館に開かずの間ですか――その噂は、今の患者さんには?」
「はい。患者さまやお恥ずかしい話ですが、医師、看護師、近隣の方にも流れています。それでも二十年前の話ですし、住んでいる方も変わりました。本気で捉えている方はまだ少ないほうかと。けれど――」
――今回の事件が起きた今、早かれ遅かれ過去の噂と繋がり広まる可能性は大きいでしょう。
充希はため息をついた。鈴鹿は、じ、っとふたりの様子を見ている。俺も、兄妹を見ると、直樹だけではなく、充希もかなり疲弊している様子だった。
二十年前の、奥宮医院の火事。祖父の焼死、そこで勤務していた元医療従事者ふたりの焼死体。すべては『火』だ。火にまつわるそれは――まるで――
「呪い、か」
「やめろッ!」
俺の言葉に、直樹が怒鳴った。その鬼気迫る勢いに俺もさすがに驚いて肩が揺れる。
「悪い、軽率だった」
「いや……すまない」
直樹はそういうと両手で顔を覆う。切羽詰まった男の表情。奥宮家にとっては過去の噂と今回の事件が結ばれたとき、歴史ある奥宮医院にとってその機能が壊死するほどの致死性のある毒へと変わってしまう可能性があるのだろう。
「私は呪いだとは思っていない。そんな非科学的な存在を肯定するわけにはいかないんだ。我々は、人間のテクノロジーという力で人の命を救う。呪いなんて症例は、あってはならない」
「……すみません。私が、依頼人なんです。兄は、最後までこのお店に行くことを反対していました。けれど、これは誰かの呪いとしか思えないんです。人体発火のふたりが、元々は火事のあった奥宮医院に勤務していた、それが偶然だとは思えなくて。それに業者の方々も――」
そこまで言って、ハッとしたように充希は言葉を噤んだ。再度降りかかってくる静寂を、凛とした声が裂く。
「あなた方は、怪談屋にではなく、咎ざらしの朱猫に依頼をしました」
「――はい」
「それに私を紹介したあの方も、今回の件は専門外のはずですから。しかし咎ざらしに出来ることは、その名の通り、咎をさらすことだけです。それが齎すものは破壊か、破滅か、破綻です」
「――ッ」
直樹が息をのむ。気圧されたように、充希も唇をキュッと結んだ。
「咎ざらしに依頼をされるのでしたら――それを救いととるか否かは、あなた方の覚悟次第ということを、肝に銘じていただきたいのです」
鈴鹿は目を細めてふたりを見ていた。兄妹はその空気に圧倒されたのか、何も言えずに、深々と頭を下げた。




