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咎ざらしの朱猫 ――怪談屋・月詠 鈴鹿の推理譚――  作者: 永久島 群青


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第二話



 2



 妖精の集うカフェ。フェアリーズ・ホームでの解決から時は過ぎ、八月下旬。俺の刺された左腕は順調に回復して、肩をまわせるくらいにまでなった。アイ――いや、安奈も、来月上旬ごろに退院の目処がついたらしい。


 リリとはあれ以来、結構な頻度で遊んでいる。


 リリ――本名は、高槻(たかつき) 真希(まき)。泣きぼくろとたわわに実ったふたつの果実、自然体で健全な色っぽさが魅力的な二十歳。


 彼女は安奈の素を知っても態度も変わらず、逆にますます心を惹かれたらしい。会うたびに安奈の話ばかり。それでも、やっぱり安奈のような存在になりたい、その気持ちは変わらないようだ。


 妖精のころのあざとく愛らしいアイではなく、今の精神的に肝の据わったたくましいお姫さまに、真希は憧れを再燃させたのだ。


 真希はコミュニケーション能力に長けた妖精だったが、あの件からしばらく引きこもっていたこともあり、少し消極的な考え方で――あんなことがあったんだ、当然だろう――引っ込み思案な日々が続いていて、控えめな言動が目立つようになったが、安奈のことになると以前のコミュ力を取り戻す。


 安奈は、身を挺してリリ――真希を守った。そして入院している今だって、見舞いに来た真希に世間話に花を咲かせては、以前の明るさを取り戻させようとしている。まったく、本当に強いお姫さまである。


 ちなみに俺が勤める怪談屋は基本、水曜日が定休日であとは不定期に俺の希望で休みが決まる。つまり俺は週休二日制。まあ、店主のいう繁忙期である八月でも、来客は少ない。他の月より少し多いくらいで、予約や待ち時間を必要とするほどのものでもない。


 ただ七夕事件から続いて事件が持ち込まれたので、定休日というものもあってないようなものだった。しかし、うちのお嬢さまの休日なんて想像もつかないけれど。


 だからそんな水曜日の休日、部屋でごろごろしようか、惰眠でも貪ろうかとしていた矢先に真希からラインが入り――俺たちは午後から原宿に行く約束を交わし、原宿駅を待ち合わせにした。


 真希は改札を出てすぐのところで待っているのを見つけた。丸襟にレースのついた白のブラウス、膝上くらいの水色のフレア・スカートに白のウェッジソール・サンダル。花のワンポイントつきの愛らしい格好。あの店の妖精は、今はもういない。


 原宿にはたまに来るけれど、相変わらず駅前に広がる竹下通りは道幅が狭い中かなりの込みようで、まるで人が波打っているようだ。


 通りはゆるく下っているから、うねっている人の流れときゃいきゃいとした色とりどりの眩しい喧騒で俺は回れ右をしそうになる。


「あ、ルリさん。こんにちは」


「おう。おはよう」


 しかしすぐさま見つかってしまった。まあ、約束を交わしてなにも言わずに帰る選択肢なんてハナからありはしないわけだけども。


 俺は左手を挙げると、彼女は小さな拳を控えめに、恐る恐るといった具合で俺の手のひらに当てた。いつもの挨拶は池袋を飛びだして、いまやアキバをホームにしている真希や安奈も使っている。


「腕、痛くなかったですか?」


頭ひとつ分ほど小さい真希が上目遣いで遠慮がちにこちらを見るので俺は肩をぐるりと回してみせる。


「ああ、大丈夫だよ」


 その言葉に真希も小さく笑った。「それで、今日はどうして原宿に?」俺は今まで、彼女とは秋葉原か、新宿あたりでカフェに入って話をしたり、アニメイトなどを巡ったりしていた。だから今日、原宿に行きませんか、という申し出には少し不思議に思ったものだ。


「ええと、アイさん――安奈さんが来月、退院するじゃないですか」


「ああ。この前、見舞いに行ったらもう退院してもいいくらい元気だったな」


 俺が肩をすくめると、真希は口許に手をやって肩を揺すった。


「それで、安奈さんと一緒に行きたい場所が、ここで。安奈さんとは色んな所で遊んでもらったんですけど、いつも安奈さんに連れて行ってもらってたから、今度は私が安奈さんの行ったことがないことない場所に、って」


「ああ、なるほど。デートの下見にひとりは淋しいもんな」


 俺はこの暑い中でポップな横断幕とウェルカムと流れるアーチをくぐって竹下通りに入り、賑わう中で笑った。


 真希は「そういうわけじゃないんですけど」と唇を尖らせていたが、残念かな、その言葉に思い上がるほど俺の自己評価は高くない。なんて言いつつ、口がニヤつくのを抑えているわけだけれど。


 愛らしい女性に思わせぶりなことを言われて、妄想が膨らむ。もちろん、それが本音でも、建て前だったとしても、だ。男ってのはある意味、幸せな生き物なのものかもしれない。


 しかし色とりどり――その言葉がこんなに似合う街も珍しい。新宿のような煌びやかさや、池袋のような安心感とはまったく異なって、若い活力に満ちている。(俺もまだ十九だけれど)。


 外国人の言葉や若い女や男の声がワイファイのように頭上を行き交って、店員の声が混じって活気はこの酷暑の中、さらに盛り上がりをみせて熱を上げているように感じられた。


 原宿――広域にみれば渋谷区は、どこか未成熟な街だというのが俺の印象だった。若いやつらが集まって、とにもかくにも騒いで遊ぶ。


 池袋の熱帯夜のようなジリついた危険とも、新宿みたいな静かに爆ぜるような危険とも違う。若さゆえのキリキリとした危うさを孕んだ、時刻表示のない時限爆弾のような街。


 カラフルな街。日本というよりおとぎの国。マッド・ハッターが紛れ込んでいたとしても気付かないくらい。


 書籍とは縁遠い生活を送っている俺だって、ルイス・キャロルの物語くらいは読んでいるのだ。



◇◆



 しばらく歩いていると人混みに流されそうになる。慣れない街であちこち視線をやってはおぼつかない足取りの真希は何度も人にぶつかっては謝っていた。


 どうにも目移りするらしく、あの店に行きたい、この店に行きたいと口にしないものだから、俺が率先して視線を向けている店に片っ端から入っていった。


 暑さは相変わらずだけれど、この人混みがさらに過熱しているように思えた。この俺でさえ(なんて悲しい話だ)、女の子の薄着に目を向けられないほどに道が埋まっている。


「あ、すみませ」


 何人目かに謝罪している真希を見兼ねて、俺はその細い腕を掴む。ここで手でも握れたらかっこいいのかもしれないが、残念ながら俺は一途なのだ。七月に奪われた心は、返ってくることはない。


「すみません」


「シャツの袖でも裾でも掴んどくと良いよ」


 真希は遠慮がちに袖をつかむ。はぐれないように、なるべくゆっくりと歩いて竹下通りの店を見て回っていると、


「ルリさん、クレープ、食べませんか。せっかく原宿にきたので」


「ああ、そういや腹減ったな」


 昼飯を抜いてきたので、この一時間で空腹を覚えている。喉の渇きも。俺たちは近場にあったクレープ屋に立ち寄り、キャラメルバナナを注文。真希はアップルシナモン。店内が込んでいたのでテイクアウトして、路地へ入る。


 少しばかり失敬して東郷神社の参道である階段の端っこ、その陰でふたりだけのマッド・ティーパーティだ。


 マッド・ハッターも三月ウサギもいないけれど、アリスのようなお姫さまがいれば充分だった。へんてこなクイズも無く、おとぎの街の素敵なお茶会を始めることにする。


「美味いな、これ」


 もっちりした生地にしつこくないクリームの甘さ。キャラメルとバナナの相性もバッチリ。俺はクレープをあまり食べないけれど、今度ここに来ることがあればリピーターになるかもしれない。


「それで、どうだ。安奈を連れまわすのに、いい店はあったか」


「はい! とても素敵な街ですよね。原宿って。みんなキラキラしてて。歩くのは大変ですけど、見てるだけでも楽しくなります。今度は私が安奈さんに色んなお店を知ってもらって、喜んでもらいたいな。それにこのクレープ、とっても美味しいですし――」


 そう言ってから、しばらく考えるようにしていたかと思うと、じっと俺を見ている。いや、正確には俺の手元にあるクレープを。コミュニケーション能力の高いお姫さまでも、苦手分野というのは多々あるらしい。


「……口つけてるけど、ひと口いるか」


「いいんですか?」


「嫌なら別にいいんだけど、味見しとけば他にも安奈にオススメできるんじゃないか」


「じゃあ……」


 真希は遠慮がちに、小さな口で俺の差し出したクレープを()む。しばらく咀嚼してから飲み込むと「ううん、こっちも捨てがたいですね……」なんて言う。俺はこらえきれずに吹き出した。


「真希は本当に安奈が好きなんだな」


 言うと真希は途端にその目を輝かせる。


「かわいいし、とっても頼りになるんですよ。安奈さんは。今までは色んなこと教えてもらって、色んな場所でお話もしましたし、連れて行ってもらいました。それが本当に、嬉しかったんです。お見舞いに行っても、自分のことじゃなく私の心配ばかりで。だから今度は」


「お前が心配して、もっと楽しみ方を教えてやりたい――か。なんだかんだ言って、真希も強いな」


「え?」


「心配してんだろ。退院したら、安奈はしばらく居場所がない。だから、真希がその場所になりたいって。変な意味じゃなく、前までは先輩と後輩だったわけだけどさ。今度は、友達として――安心させてやりたいって」


「――それは」


「安奈が魅力は強さだけじゃないってことを、一番よく知ってるのは真希なんだろうな。だからこそ――あいつが安心できる場所になりたい。そんなところじゃないのか」


 俺の何気ない言葉に、真希は驚いたように目を見開いた。


「……変なこと言ったか、俺」


「い、いえ。安奈さんが言ってました」


――ルリさんの推察力はすごいって。


「喜ばしい風評被害だな」


 俺は肩をすくめる。こんなもの、推察力なんて呼べるものじゃない。強いて言うなら、なんとなくその人間を眺め、そこから感じたことを言っているまでだ。


「でも、ルリさんは不思議です」


「ん?」


「なんというか、私と一歳しか違わないのに大人で、なんというか、飄々(ひょうひょう)としてるっていうか」


「いや、買いかぶるのはやめてくれ。そういうのは苦手なんだ。俺は単なる悪ガキのろくでなしだよ。それに飄々としてんのはうちのお嬢さまだろ」


「そうですか? でも、安奈さんだけじゃなくて、その……あの夜、私はルリさんにも助けてもらって、あの日から今までだって、こうやって色々と助けてもらってます」


 俺は息をつくと、「俺はダチと遊んでるだけだ。バカ話をしながらこうやって街を歩き回って。昔っからなにも変わってない、ろくでなしだよ」


「そういえば安奈さんから聞きましたけど、男子校だったって」


 その言葉にドキリとする。俺がそれを口にしたシチュエーションを思い出したからだ。ある意味、後ろめたい体験。安奈はどこまで話したのか――と俺が思案していると、真希は目を輝かせていた。


「やっぱり、番長とかいたんですか? それで、てっぺん取って、元番長と手を組んで他校と戦争とかしたりして――」


「ちょ、待て待て待て」


 急に饒舌になった真希を両手で制する。番長なんていつの時代の話をしているんだ。この令和の時代に。


「番長なんていなかったし、俺はダラダラ過ごしてただけだよ」


「でも、漫画ではありますよね。男同士の拳を合わせた友情っていうか、それで色んなチームとぶつかって、暴走族とかを仲間に引き入れたり」


 なにかのスイッチが入ったのか、さっきまでとは違って真希の目が活き活きしている。無意識なのだろうけど、拳に力が入っているのが目に見えて分かる。


「完全にフィクションの世界だ。たしかに俺もその漫画は読んでるけど、男子校だからってそんな荒々しい世界じゃない。むしろ、俺が通ってたのは多種多様なサルしかいないレベルの高校だったよ」


 話を聞くに、このお姫さまはそういった不良漫画に興味がある――というより、それが趣味らしい。映画化した原作も全巻揃えているという。意外な一面だった。


「ルリさんはそういった思い出とかないんですか?」


「無いよ。自堕落な学生でくだらない生活を送ってただけだ」


 たしかに喧嘩が絶えない高校だったけれど。窓からロッカーや椅子が落ちてくるような、そんな底辺高だったけれど。ただ、ほとんどそれに俺は絡んでいなかった。


 殴り合いくらいはあったけれど、真希の言うように喧嘩で一番を目指すような負の向上心は持ち合わせているやつはいなかった。


 俺も学校の中でも外でも何度か喧嘩の仲裁を請け負ったことがあるが、結果、刑事である高遠に追い回されたおかげで、今でもシャバで生きていられる。


 仮に一歩間違えれば――そう思えば、あの刑事には感謝すべきだろう。


 しかしこれらは武勇伝ではない。あくまでみっともない過去であり、それに縛られることは過去の栄光を見せびらかせる中年男と同じだろう。


 俺はその自身の過去を――思い出したくない、恥であるとさえ、感じているのだ。


 とはいえ、あのころから変わったかと問われれば、仲間が変わっただけでやっていることはあまり変わりないのかもしれない。


 なんとも馬鹿げた話だが、あの頃のように殺伐していないあたり、安心は出来るのだが。


「ルリさん?」


「ああ、悪い。暑くてな」


 クレープの最後のひと口を咀嚼して飲み込んでから言った。


「飲み物、買ってきましょうか」


「行くならついてくよ。真希ひとりだと危なっかしいし」


「そんなことないと思いますけど……」


 俺は笑ってから「真希は意外と方向音痴みたいだからな」なんて言って、立ち上がる。この夏の陽炎に浮かぶ原宿の色とりどりな看板と人波も合わさって、鮮明な街並みに眩暈がしそうだった。


 それからコンビニまでの道中、真希は不良漫画について熱く語っていた。よほど好きなのだろう。その話を聞いては、返す。


 古いが有名な作品で、当時高校生だった(といってもたった一年前だが)俺も授業をサボって全巻読みふけっていた漫画だったから、話は自然と盛り上がる。


 フェアリーズ・ホームのとき、『アニメはまだまだ勉強しなきゃですけど』なんて真希は言っていたが、たしかに趣味にしている漫画がヤンキー系の漫画だと店内での安奈とは正反対だったのだろう。


 だからアニメにも手を出したらしいが、俺が男子校出身と聞いて、引き戻されたのかもしれない。


 本当に好きな作品っていうのは不思議な引力を持っている。一度離れて、もうページを開かないだろうと考えていても、どこかで再燃してしまう。漫画だけじゃない、映画や音楽だって、似たようなところはあるものだ。



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