第七話
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『私はあなたとやっと再会できました。これは奇跡、いいや運命と言っても過言ではありません。私とあなたの転生前の記憶を覚えていますか? 魔王の策略により決別を強いられたあのことを。私はようやく記憶を取り戻しました。一介の騎士であった私は、気高く高貴な姫君であるあなたの手を取り生涯を共にできなかったことを、今でも後悔しています。だから生まれ変わり、あなたとこうして再会したとき、心に決めたのです。魔王の手から今度こそあなたを守ろうと』
『今日はアイちゃんが使っているシャンプーとボディソープを買ってきたよ。アイちゃんはいつもこんなに優しい香りに包まれているんだね。眠るとき、なんだかアイちゃんに抱かれているような感覚になる。これが愛なんだね。僕はアイちゃんを愛している。とっても気持ちいいよ』
『好きです。好きです。好きです。好きです! 愛してます! あなたを! 私とともに、真実の愛を賜りましょう! 神から与えられた二人だけの幸福を、二人だけの世界で分かち合おう! 魔王の脅威を取り払って、ふたりだけの楽園を作りましょう!』
『アイちゃん、今日はなにしてたのかな。僕はアイちゃんとの写真を見て、気持ちよくなってました。また会いに行くね』
『私はあなたを守ると決めています。魔王の配下たちに、魔王にこれ以上好き勝手させません。今度こそ、絶対に邪魔はさせません! 愛に試練はつきものなのです。私はあなたを守る。その想いは転生前となんら変わっていません』
『やらせてくれないなら、自宅に閉じ込める。どれだけ金をつぎ込んだと思っているんだ。僕の愛を受けとめろ。アイちゃんにはその義務を果たしてほしい』
『あの人は誰なのかな。僕のアイちゃんと、対等に、しかもバカみたいな顔で写真を撮って。身の程をわきまえてほしい。アイちゃんも、いくら妖精だからといって、無理なことは無理だといってほしい』
『魔王だけではなく、魔王の配下までやってきました。気配を隠しているつもりでしょうが、私にはわかるのです。でも安心してください。私はあなたを守ってみせます。私はあなたとともに、もう一度幸せな世界を生きるのです』
『アイちゃん今ごろどうしてるのかなあ。アイちゃんのことばかり考えてるよ』
『やっと! やっとだ! 魔王を倒しました。これであなたと、幸せな世界を作ることが出来る。でもまだ安心はできません。魔王の配下は、まだ私たちを狙っているのだから。でも、恐くない。魔王の脅威はもうない。配下なんて私の力が覚醒した今、敵ではないのです。かならず最後まであなたを守ってみせます。安心してください。プレゼントを贈ります。魔王を倒したお祝いとして。けれど、わたしの戦いはまだ終わっていません。かならず、あなたを守りきってみせます』
やっぱりか――と俺は原点とも言える謎に直面した。そしてそいつが、謎でもなんでもないことを、今となっては分かっている。この事件に、謎なんてないのだ。
七夕事件のときのような、自分が犯人であることを隠そうとした醜悪な謎など。あるのは、エゴイズムの塊と、自己顕示欲。なによりこいつは、自分が犯人であることを隠そうともしていない。
ただ――俺は、見る順番をランダムにしたことで、時系列が歪んでしまっていたに過ぎない。
そして、鈴鹿の言う先入観に――囚われていただけなのだ。ストーカーは、人間の怪談である、その言葉に翻弄されていた。
そして一番の失態は――この手紙の中にある、ちぐはぐな感覚を、そのままにしてしまっていたことだ。
怠惰、怠慢。俺は、ちっとも調べる気がなかったのだ。ストーカーがやってきて、そいつを吊るし上げて警察に引き渡す――それしか考えずに、放棄していた。
俺は紅葉の番号をタップする。
『あいあい。ルリちゃん。ちっとはのぼせた頭が冷めたみたいだな』
「ちゃん付けはやめろ。それより――頼みたいことがある」
『別件で忙しいってのに、あんたらは』
「いや、これは俺の独断だ。鈴鹿の案じゃない」
『ってことは店主の許可なく、私に依頼する――ってことか。あんたは。そんな不義理な真似、許されると思ってんの?』
「なんとでも言え。俺も、あんたも、鈴鹿も、今回はしてやられたんだ。どいつもこいつも認識不足で、事実の食い違いにも気づかず、あまつさえ――先入観のままに縛られて真実が見えてるのに、見えていなかった」
『ははあ、なるほど。私を殴る代わりに、私を使うつもりか。いい度胸をしてるな。あんたは』
「なに、線路に飛び込んで女の子を助けるよりは、簡単なことだ」
――あんたの知恵を貸せ。
俺の言葉に、しばらく沈黙が降りてきた。そのあとで、くくく、と低い、魔女の笑い声がする。
『あんたは、さっきから今のこの短時間で、ある程度の真相まで行きついた――ってことだな』
「まだ推測の域を出ない。それに謎なんてほとんど――いや、まったく無いって言っても過言じゃないだろ。なによりこの情報から咎をさらし出すのは、俺じゃない」
随分と分かってきたじゃないか――魔女はひとしきり笑うと息をついた。
ノイズは聞こえない。さすがの桐生も、この女には干渉が出来ないのか。それとも、もうベランダにはいないのか。俺には分からない。
『いいぜ。いくらでも貸してやる。まだ赤ん坊みたいなあんたの霊感を、きちんと育てるには鈴鹿だけじゃダメみたいだからな。それに――』
――やっぱり、あんたの推察力は本物だ。
◇◆
一時間が過ぎ、午前二時を回ったころ、俺のパソコンにマサキからメールが入った。添付付きのデータを解凍しながら、メールの本分に目を通す。
『ノイズを出来る限り消してクリアにしてある。でも、完全には消しきれなかった。ごめん』
『いや、助かった。ありがとう』
俺は返信してから、イヤホンジャックにプラグを差し込んでその無言電話を聞いた。ざざ、ざざ。とさっきよりは小さいノイズに紛れて、かすかな息遣いが聞こえる。そして、耳をそばだてていると、息遣いに混じって、ある単語がささやかれていた。
やっぱりな――。
即座に紅葉から連絡がはいる。『明日の午後八時。先方に話は通してある。まあ、渋々だったけどな』ときた。
さすが、仕事が早すぎる。こんな時間だというのに相手が出たことに驚きだ。しかし舞台措置はこんなものでいいだろう。あとは――。
俺は鈴鹿の番号をタップする。
携帯ではなく、固定電話だが――あいつは、まだそこにいるはずだ。あの美の権化のようなお嬢さまの脳内は、この事件に対することで今、頭がいっぱいだろう。そしてこれは完全に俺の思い上がりだが――俺からの連絡を待っている。
『はい――怪談屋です』
凛とした声が聞こえた。
「俺だ。紅葉に手伝ってもらって、舞台は整った。証拠もある。収拾つけるなら、明日の午後八時だぜ、咎ざらし」
『承知いたしました。ご苦労様です。しかし――やけに早かったようですね。いくら紅葉が動いたとしても、あなたはどうやって真相までたどり着いたのです』
「あくまで推察だけど、簡単なことだ。犯人は、隠れてなんかいやしない。だったら、この家にある、やつの愛情を拾い集めて、つなぎ合わせれば答えは出る」
『なるほど、大した推察力ですね』
「でも――ここから先は、俺にはなにも出来ない」
『ええ。分かっています。そこから先は、私のお役目。そのためにも、ルリ、あなたの情報が不可欠です。そこからあなたの得た情報の正確性と理論的要素を吟味し、私は咎をさらします』
「分かってるさ――その代わり、長くなるぞ」
俺は再度、キッチンに向かった。煙草がないと、とてもじゃないが語れない。長い長い、エゴの塊の話を。
「――まず、ストーカーの話だ。俺たちは、佐久間 桐生を知っているよな」
『ええ。もちろんです。彼はいわば今回の事件の発端であり、今では被害者でもありますから。舞台には必要な人物でしょう』
「そうだ。やつは死んでいる。少なくとも紅葉はカメラ越しに見ているはずだ。ベランダに立つ、やつの姿を」
『――そうですね。あなたに見えなかったことは想定外でしたが。それは本当に私の』
「やめろ。そんな話をしているわけじゃない。あんたは、咎ざらしだろ。たとえばあんたが陰陽師だとして、俺は式神だ。まあ、詳しくは知らないが、映画では式神ってのは、陰陽師の使いみたいなもんだろ。その式神が思ってたより役に立たなかった、それだけの話だ」
その言葉に、沈黙が訪れる。
『なぜ――それを』
鈴鹿はそう言いかけて、咳ばらいをした。俺は話を続ける。
「まず、第一の食い違い。それが俺の霊感の低さだ。こればかりは、俺にも、あんたらにも想定外だった。それに続く第二の失態、俺はストーカー野郎を人間だと思い込んでいた。人間の起こす怪談だと。まあ、このあたりは――あながち間違いでもないけどな」
鈴鹿は黙ったままだ。
「そして三つめは最悪の展開だ。佐久間 桐生が殺された事実。あんたの言っていた“関わった時点で後手に回っていた”ってのは、実はここにある。そうだよ、依頼を請けた時点でストーカーはすでに死んでいたんだ」
俺は見てきた事実を長々と語った。ときにペットボトルのお茶を飲みながら。ポールモールの吸い殻が山になるほど。
そしてだいたい語り終えると、次に手紙の内容を一枚ずつ読み上げていく。
ただ、俺が推測した動機や、この事件に対するトリック――そう呼ぶのも憚られるが――そして犯人の名前は言わなかった。なぜなら、鈴鹿がそれは必要ないと、先に釘を刺したからだ。
きっと彼女の中でパズルのように、客観的に組み立て、そこから犯人を導き出すつもりなのだ。俺が先に言ってしまえば、それこそが先入観となり、更なる二の轍を踏むと、そう考えたのだろう。
三十枚、読み上げたところで鈴鹿は息をついた。こくり、という音が聞こえる。お茶を飲んだのだろう。
『――そこまでで構いません。なるほど、あなたの言う通りですね。これは、犯人が誰であるかなどではない。その内容からは隠す意思がまったく感じられせん。それに、トリックなどこの事件にはありません。あるのは、あなたが先に述べた食い違いだけです』
「真相に――行きついたのか」
俺の話だけで。俺なんかより、ずっと早く、話の根幹部分を理解したとでもいうのだろうか。俺でさえ、確信こそあれ、語った推察の奥にあるモノが見えていないというのに。
そんな俺の内心を知ってか知らずか、鈴鹿は静かに言った。
『ルリ、あなたはやはり本物です。ただ、まだ甘い。前回の事件でもそうでしたが、今回に関しても、あなたは――自分の推察に感情を必要以上に入り込ませています。推察とは、客観的な観測と、論理的な証明をもって結実します。本物であることに疑う余地はありませんが、それでも完成しているとは、言い難い。精度を上げるために研鑽の必要はあります』
厳しい言葉だった。けれど、それでいい。俺は――もうゲストではない。恩人でもない。お手伝いさんでもない。怪談屋の、調査員なのだから。
「それで、どう結ぶつもりだ、咎ざらし」
『咎ざらしは、結ぶのではなく――綻ばせるのですよ。始めることは出来ず、終わらせることしか出来ません。そこをはき違えてはいけません。それに、すでに舞台は整っているのでしょう。明日の午後八時に、この一連の事案の咎をさらします。そのために、あなたから情報を得ました。ここからは私の領分です』
「じゃあ明日――」
言いかけたところに、鈴鹿の声が重なった。
『しかしあとひとつ、あなたに対して、店主として――いいえ、月詠 鈴鹿個人として、言っておかなければならないことがあります』
「――なんだ」
『あなたが今日、怪談屋で吐いた、あなた自身に向けた暴言の撤回です』
一層厳しい言葉になる。
「あれは本心だ。撤回なんて」
『私があなたを評価したことはたしかに、色眼鏡であったと認めましょう。けれど、あなた自身が自分をそう評価したことは、絶対にあってはならないのです』
「――つまり、なにが言いたい。撤回って」
鈴鹿は、なにを言いたいのだろう。俺には理解が出来なかった。
『あなただけは――あなたを信じ、慈しみ、そして愛してあげなければならない。他の誰かの評価がどうあれ、慢心なく、等身大のあなたを、裏切るような言動はいけません』
鈴鹿は続ける。
『あなたは――とても優しく、聡明で空のように澄み切っている。しかしまだ発展途上の中にある、男の子です。客観的にもそう見えるのです。あなたがそれを否定してしまえば、その“これから”の可能性は――損なわれ、失われます』
手の甲の、タトゥーに滴が落ちた。漏らさぬように、唇をかみしめる。それでも、鈴鹿にはお見通しだったようだ。彼女は優しい声で、
『至らない私のために、優しいあなたに自分の手で自身を傷つけさせてしまったことを、私は後悔しています。謝罪はいらないのでしょうが、それでも――私は後悔している。それだけは伝えておきます』
「俺は、俺は……!」
『ルリ、あなたはクズでもゴミでもない。さっき仰ってくださったじゃないですか。式神であると。ならば、あなたは私のパートナーです。過不足なく、正当な評価としてのパートナーであることは、否定しないでください。あなたに不足した能力や知識はこれから私が育てていきます。それが、怪談屋の店主としての役目ですから』
鈴鹿は小さく、くすり、と笑った。俺は腕で涙を拭ってから、
「撤回、する。あんたが見てくれる俺を、信じる。俺が見ている俺を、信じるよ」
優しさに触れて泣いてしまうなんて、この歳にもなってみっともない限りだ。それでも、そんな俺を信じて、信じられて、進んでいく。等身大の自分を否定していたら、そこが行き止まりになると、もう分かっている。
「良い子です」
鈴鹿はそう言うと、少し休んでください、と告げてから通話を切った。
◇◆
アラームが鳴った。午前十時。あまり深い眠りには落ちなかった。寝ているようで、しかし夢の類は見ず、意識は覚醒していた。そんな感覚。
安奈はもう起きていて、朝食を作ってくれた。トーストにハムエッグ、オレンジジュース。そう言えば、彼女の手料理を食べるのはこれが初めてだったな――なんてことを考える。
「ルリくん、本当にすごいんだね。鈴鹿さんが言ってた通りだよ」
俺の隣りに座った安奈はそう言った。
「……聞いてたのか」
「途中で少し目が覚めちゃってさ。なんていうか、色んな情報を使って、考えてるときの顔がライトで少し見えたけど、本当に、かっこいいなって。今は、本気でそう思ってる」
「今までのはリップサービスってか」
俺は苦笑した。
「そういうわけじゃないってば。今までは外見だけ見てた感じ。今は――ルリくんの内面っていうかさ、そういう部分がかっこいいって。そう思うんだよ」
「そりゃ、両親に感謝しないとな」
「またそれ?」
安奈は小さく笑った。朝の白い陽光がカーテン越しに差し込む。
今日も暑くなりそうだった。




