第五話
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「おかえりなさいませにゃ! ルリご主人さま!」
安奈の家に泊まって三日目。今のところ動きはない。とりあえず、いつも通りに安奈が出勤してから時刻を遅らせて入店すると、ユナの元気な声で出迎えてもらった。やっぱりキャラになりきるタイプらしい。リリも目が合うと、笑顔でぺこりと頭を下げてくれる。
「ご主人さま、今日はにゃんにするー?」
「妖精セット。ペペロンチーノで。ドリンクはコーラ」
「かしこまりましたにゃ!」
そう言ってユナは厨房のほうへオーダー票を持っていく。今日はやたら盛り上がっている。気弱そうなガキがひとり、サラリーマンがひとり、奥にはの四人の団体客。安奈は気弱そうなガキと、サラリーマンと交互に何か話している。楽しそうな笑みを浮かべて。
リリも団体客の相手の合間に俺のところにきてくれる。
「ルリご主人さまはアイさん推しなんですよね」
「あ、ああ。可愛いよな」
「そうですよね! 本当に可愛いいんです。でも私は、アイさんみたいにはなれそうにないですけど」
「そんなことないんじゃないか。リリちゃんもアイちゃんに憧れてこの店に入ったんだろ。その行動力ってか、それはすごいことだと思う」
「ありがとうございます! 私、最初はお客さんだったんです。でも、アイさんが本当に可愛くって。私、アイさんと同じ美容室に通っているんですよ。たまに一緒に行ったりしてて、オススメのシャンプーとか、そういったものも教えてもらって」
「へえ、そこまで」
「私、アイさんになりたくって。たくさん色んな所に連れて行ってもらったり、一緒に遊んでもらったりしてて。でも本当に可愛くて、ずっと憧れてて」
「入れ込んでるなあ」
そう言うと、リリはハッとした表情になり、
「アイさん、先輩なのに、失礼でしょうか」
「いいんじゃないか。リリだって、後輩に可愛いって言われたら嬉しいだろ」
「そうですね……アイさんみたい、って言われるとすごく嬉しくて。この髪型も、昔のアイさんの髪型と同じなんですよ」
そう言って、茶髪をウェーブにしている部分に触れる。こころなしか、頬が紅潮しているようだ。
「じゃあ、次は伸ばしてサイドポニーか」
「はい! 素敵な先輩で、本当に憧れなんです」
色っぽい妖精ははにかむ。
「本当に好きなんだな」
「アイさんも、アイさんの好きなものも、私も大好きです。だから、いっぱいアイさんとお給仕して色んなことを知りたいし、教えてもらいたいなって。アイさんの好きなアニメのほうはまだまだお勉強しなきゃですけど」
「慕われてるな、アイちゃんは」
「だって、本当に可愛いんですよ!」
俺は苦笑した。そこまで素直に相手を認め、褒められるやつはなかなかいない。それに彼女の言葉がセールストークの類ではないことは、その声のトーンからしても明らかだった。
「ねえ、ユナは~? 可愛いって思ってくれてるのかにゃ~?」
そこに戻ってきたユナが頬を膨らませる。俺は苦笑して、「俺は思ってるけど、言わないだけだ」と言ってみると、「ふーんだ。どーせ私は三番目だもんね~」と頬を膨らませて言ってから、吹き出す。俺も笑った。
この店でも三日通うとなんとなく、空気というのかその場に合った対応というものがあることに気付かされる。
自由にくつろぐ空間で、話したいことを話す。妖精たちはそれに答えてくれる。しかし、傲慢な態度や消極的な態度、恥じらいを持った態度では、楽しめやしない。
むろん、彼女たちもプロであり、ちゃんと仕事をしているからどんな客に対しても対応の方法はある。
けれど、一緒に楽しむことほうが良い。ひとりで自由に妖精たちの世界を楽しむのもアリだが、俺には俺の“仕事”もある。せっかくなら楽しみながら仕事をするに越したことはない。
なにより――距離が近づけば、安奈のことも話しやすくなる。
三日も続けて通いづめ、安奈の店での評判くらいは訊いても不自然ではないくらいにフラットな会話ができるようになった。
そこに駆け引きや打算はいらない。素直に、率直に聞いてみる。すると彼女たちは笑顔でそれに答えてくれる。やっぱり、素直さは大事だとつくづく思う。
「あ、ルリご主人さま、大好きなアイにゃんだよ~」
俺が目を向けるとペペロンチーノセットを持ったアイ――安奈がおずおずとこちらに向かってきた。
「あ、あのあの、いつも、そのありがとうございます」
俺は口の端が吊り上がりそうになるのを堪える。仕事用のスイッチが入っているときの安奈だ。俺は「ありがとう」と返してからフォークを手に取る。「そういえば、アイちゃんってさ。好きな映画とかあるの?」
なんて、知っていることをわざわざ訊いてみる。リリが言っていた通り、彼女はアニメか、洋画のぶっ飛んだB級映画が好きなのだが、この店ではどんな反応をするのか気になった。
そんな俺の悪戯に気付いているのか、少しだけ――目元に素が出るけれど、口許は笑みを飾り付けて「あ、えとえと、アニメの劇場版とかラブストーリーとか好きです」なんて言って、アニメのタイトルを言った。
ラブストーリーは安奈がもっとも退屈だといっていたものだが、アニメに関してはウソではない。
本当のことに小さなウソを混ぜ込む、プロの技。しかし、俺は言ってみたものの、あとでなにを言われるか――そう思って保身に走り、アニメのタイトルをいくつか挙げてみる。
少年漫画のアニメ、ライトノベルのアニメ、オリジナルアニメ、どれかに琴線が触れれば、帰りの道で小言を吐かれる確率は低いと踏んだのだ。
案の定、安奈はあるライトノベルのアニメのタイトルに食いついた。
誰でも知っている――といえば大げさだが、それでもビッグタイトルで、俺だって観たことがある。来年には劇場版が公開されるらしい。
「ルリご主人さまってアニメ見るんだぁ」
気の弱そうなガキのところから戻ってきたユナが聞いていたのか、不思議そうに首をかしげる。
安奈は入れ替わりに団体客のほうへと向かって行った。にっこりと笑っていたから怒ってはいないらしい――と、信じたい。
「俺だって二次元の女の子に癒されたいんだよ」
「えー、妖精さんじゃ満足できないの~」
「それはそれ、これはこれってやつだよ」
「じゃあ秋アニメか、今期推してるアニメはあるのかにゃ?」
少し言葉に詰まる。俺はもっぱら動画サブスクリプションで、リアルタイムではアニメを観ない。
しかしウソをついても仕方ないのでそう告げると、ユナは次々とアニメのタイトルを、流れるように言いはじめた。
タイトルを聞けば、秋アニメはどれも安奈が持っているラノベや漫画ばかりだった。良かった。これなら話が通じる。
俺はいくつか秋アニメのタイトルを言って、今期のアニメもマイナーだけどダークホースの可能性があると安奈が言っていたタイトルを告げる。
「配信でしか観にゃいのにのに詳しいね~」
「そりゃ、先に決めておいたほうがいいだろ。タイトルだけでも知っとけば後で追っかけられるからな」
「やっぱりリアタイでは観にゃいのね」
ユナはそう言うと小さく笑った。
「これでも忙しくてね。リアルタイムで観たいところだけど、テレビに録画機能もないし」
「でも、マイナーなアニメまで知ってるのは意外かもにゃ。あれってそんなに期待されてない作品だよ?」
「みたいだな。でもほら、ダークホースって可能性もあるからな。俺は期待してるよ」
これは安奈からの受け売りだ。
「おー、強気ですなあ」
ユナは顎に手を当てておどける。俺はご主人さまらしく、お上品にパスタをズルズルすすってから、
「ユナの好きなアニメはなに」
「んっとねえ」
と訊いてみる。すると驚いたことに安奈が中学時代にアニメにハマるきっかけになったというマイナーなアニメだった。
内容は勇者とお姫さまが悪い魔王に殺されて、現代に転生したものの記憶を失ったまま出会い、ふたりが転生したのを知って現代に入り込んだ魔王から再び追い詰められるアクション・ファンタジー。十話完結の全五巻。
たしか魔王は姫に惚れていて、勇者に嫉妬して殺したはずが転生してしまって再会し、それを知って我慢ならずに自分も配下を連れて現代に転生する。
そして徐々に勇者たちは記憶を取り戻していくが最終回は俺たちの戦いはこれからだ、って感じの――概要だけ訊いてもよく分からない展開の話だった。
続編を思わせる終わりかたのわりに、まったく人気が出ず二期が絶望的だ――なんて、安奈が嘆いていた作品。良かったな、安奈。二期の可能性はまだ絶えていないようだ。
「そっちこそ、やけにマイナーだな」
「だって面白いんだもん! それにルリご主人さまも知ってるじゃん!」
そう言った。俺は観たこともない。安奈からタイトルと概要を訊いただけ――とも言えず、あいまいに笑うしかなかった。
たしか全巻、安奈はDVDを揃えていたが、結末まで聞かされているものだから、観る気も起きなかった。
けれどこの機会に、二次元にどっぷりと浸かるのもいいかもしれない。多趣味は無趣味というけれど、俺にはそもそも趣味らしい趣味はないのだ。
どんなきっかけであれ、新しい趣味を見つけられる人間でいたい。そんな大人こそ、素敵なのだと。そんなことを思った。
◇◆
「なんであんなイジワルするかな」
帰り道、やっぱり安奈になじられた。俺は笑ってから、謝る。依然として憮然としている安奈だったが、目が合うと小さく吹き出した。「ま、いいけどね」その言葉と同時に――着信音が鳴る。俺はスマホを取り出すと、携帯からではなく固定電話から――鈴鹿だ。
俺は安奈に断りを入れて通話に出る。
「どうかしたか」
『ええ。突然このような時間にお電話してしまい、申し訳ありません。少し――厄介なことになりまして。お時間がよろしければ、怪談屋までお越しいただくことは可能でしょうか』
「安奈も一緒でいいのか」
『もちろんです』
ちょうどモア三番街を抜けてアパートに戻るところだった俺たちは、そのまま道順に沿って怪談屋へ立ち寄ることにした。時刻は二十二時過ぎ。こんな時間に呼び出すなんて、鈴鹿にしては珍しいことだった。
着信を切って、向かおうとすると続いて紅葉から着信があった。突然忙しくなったな、なんて考えつつ安奈に手で謝ってから、歩みを進めつつ着信に応じる。
「なんだよ」
『あんたはバカか』
「は?」
紅葉は怒っている――というよりも、呆れているような口調で、電話越しにため息が聞こえる。
『女と同居してメイドカフェで楽しんで茹だってんじゃねえよ童貞』
「いきなりなんだよ。どうしたっていうんだ」
紅葉は一層深く息をついて声を荒げた。
『あんたが仕事をしてねえから言ってんだよ! ストーカー野郎を放置してなに普通に暮らしてんだ。鈴鹿の金つぎ込んで女といちゃつくのが仕事だってんなら、てめえの金でホストでもなるか、その女のヒモにでもなれよクソ童貞がッ!』
「だから――いきなり電話してきてなにを言ってんのか分かんねえっつってんだよ! 仕事ならしてるだろうが。ストーカーはまだ出てきてない。カメラ設置してんならそれくらい分かるだろうッ! 言いたいことがあるならはっきり言え!」
気付けば俺は怒鳴っていた。意味が分からない。なにが言いたいのだ、こいつは。いつもいつも思わせぶりで、すべてを知っているようなことばかり――
『ちょっと待て――あんた、まさか見てないってのか』
「だからなんの話だ。何度も言うけれどストーカーは来てない。手紙も一緒だ。証拠ならカメラでちゃんと確認してくれ。そのためにあるんだろ」
そう告げると、紅葉の声のトーンが落ちた。俺の言葉で、やつはなにかに気付いたようだった。
『……ああ、そうか。くそ。鈴鹿のバカが見誤ったな。いや、それを言うなら私だって……。まあいい――それで、ネックレスはつけてんのか』
俺は自分の胸元を見る。ちゃんとついてる、と答えると、
『この件が終わるまでつけとけよ。あんたの寝ぼけているそいつが知覚していないのは少し考えれば分かったことだ。その点、私も鈴鹿も考えが甘かった。クソ、だから厄介なんだよ。ストーカーってやつは。隠れて、こそこそ覗き込んでくる。しかも私たちの目さえ掻いくぐって』
寝ぼけているそいつ、それは――俺の。
――シナプス細胞が眠らせてしまった俺の――
――鈴鹿が意図せず目を覚まさせた俺の――
魔女の言葉に冷や水を浴びせられたような気がした。それは、その言葉の真意は。
「おい、まさか」
紅葉は俺の言葉を遮った。
『鈴鹿から連絡は』
「ついさっきあった」
『あのバカも大概だ。今ごろになって事実に気付いて、しかもあんたのことになると気付かない。自分と同等に考えて、過信するからこうなるんだ。店主失格だ』
「……それ以上、鈴鹿を悪く言ったら、俺も黙っているわけにはいかない」
絞り出すように、声が低くなる。
『悪く言われるのは私もだ。今回に限っては、私もあいつも同罪だ。魔女失格だよ。あんたがキレても、私はそれを聞く。あとでいくらでも罵ればいい。なんなら一発でも二発でも殴らせてやる。だから今は私の聞け』
「――女を殴る趣味はねえよ。それで、なんだってんだ。俺が転がり込んでこの三日間、なにもなかった。でも、そうじゃねえって、あんたは言うんだな」
『そうだ。お前もそこのお姫さまも、なにも見えちゃいない。でもこの三日前後どころか現在進行形で複雑に絡み合ってやがる。咎ざらしも魔女も、見事に裏をかかれたよ。そこのお姫さまの放つ蜜は――人間を狂わせる』
「人間を――?」
紅葉は俺の疑問を無視する形で話を進める。
『あんたには――いや、あんただけには見えているものがある。それをあんたのたったひとつの長所、ってかそれくらいしかねえだろうが――その推察力を使って、ちゃんと見ろ』
「ひでえ言われようだな。でも、なにを見ろってんだよ」
『あんたが一度見ていて、けれどちゃんと見なかったものだ』
「――ちゃんと――」
俺は、そこでハッとした。どうして気付かなかったのだ。茹だっている、たしかにそうだ。紅葉のいう通りだ。俺は、見ていない。見ているものを、深く見ていないのだ。
『鈴鹿の言い方と、あんたに対する認識にも問題があった。あんたを餌にしておびき寄せるなんて、あいつらしくもねえ下策だ。そもそもあんたのポテンシャルの低さをまだ理解してなかったからなんだろう』
「……ひでえな」
『別に悪く言っているわけじゃない。仕方ないことだ。そんなもの、これから育てていけばいい。それになにより、鈴鹿はあんたの本質――受動的に解決するなんて出来ないってことにも理解が及んでいなかったようだ』
「……あんたのほうがよく知ってるみたいな口ぶりだな」
『そりゃ分かるさ。あんたと私は同じだからだ。根本的な部分で似通ってる。私やあんたは、鈴鹿みたいな安楽椅子探偵には向いてねえんだよ。でも、私とあんたの違うところは、ここまで言えばもう分かってんだろ。だから――』
――あんたに見えてるもんを、ちゃんと見ろ。
まくしたてるように言って、通話は一方的に切れた。安奈はさすがに青ざめて、俺のほうを見ている。俺はストーン・アイランドを目深にかぶって、あごに手を当てる。
ああ、そうだ。俺には、もうやるべきことが分かっている。そして鈴鹿が気付いたことも。このネックレスの意味するところも。ただし、こいつがどう作用するかまでは――理解の範疇外だ。
それは、あの魔女と俺に決定的な差があるせいだ。なんで三日も一緒にいて、気付かなかったのか。
――俺はまだなにも調査などしていないということに。
――そして、紅葉が見ていたある可能性を微塵も考えていなかったことに。
いいや、今だってその可能性を考えているかといえば、半信半疑だ。
なぜなら――その可能性を考えた時点で、矛盾が生まれる。しかし、紅葉は断言に近いことを言っている。あの魔女はきっとカメラ越しに見たのだ。だから、断言できる。
けれど、それでも――あり得ないと俺の理性は告げている。それについていくら考えたって、おそらく俺では答えなんて分からない。ポテンシャルが低いと、言われたばかりだ。
なら、俺にできることを、俺が考えられることを、するだけだ。
そして紅葉のいう通り、俺はそれに触れている。触れているのに気づかなかった。そして思考を一度は巡らせている。そこからすぐに俺は動くべきだったのだ。
やつが姿を現すのをただ待っているだけなんて――いや、姿を現していたとしても――ともかく、調査にさえなっていない怠慢だ。
紅葉は鈴鹿と同罪だというが、ならば俺だってそうだ。この三日間、すべての可能性を考えず、疑いもせず、放置していただけだ。
来るはずのストーカー野郎を、ただ待っていた。それは、調査でもなんでもないだろう。だからその間にやるべきことはあったのだ。そしてあの魔女の言葉通り、俺の推察力で考えるべきだった。
「ねえ、ルリくん……」
「大丈夫だ。つっても、情けない話、解決するのは俺じゃない。でも――そこまでの道筋を作るのが、今回、俺のやるべきことだったんだよ」
安奈は戸惑ったような表情になるが、「安心しろ」と俺は彼女の手を引いて怪談屋へと足早に向かった。
咎をさらす猫、魔女、俺はとうてい彼女たちには及ばない。けれど、お墨付きをもらった武器がひとつだけある。
それを使うことでしか、俺はこの仕事を完遂することなどできやしなかったのだ。
そう――この依頼を請けた、その瞬間から。
しかし――その前に、誤った認識を正さなければならないやつが、俺には、いる。




