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男旅  作者: 献残屋藤吉郎
1/1

タイトル未定2024/07/25 04:53

大阪の富豪である公安委員会の副理事である男が、大泥棒の男を相棒に全国治安視察の旅道中物語。

全国の公安を訪ね、、各五町村のやくざ情勢をを調べたり、現地の街状況を調査して歩く公安旅物語。

そして、全国を走り回るトラック野郎の活劇ハードボイルド物語。

トラック野郎の主人公はお人好しで、何でも安請け合いをしてしまい、、それが大事件になり、人肌も二肌も脱いで面倒を見てしまうのであった、そのために密輸事件に巻き枯れて、大事件に巻き込まれる騒動で命がけの抗争をするアクションドラマです。

短編小説「男旅」 原作者 献残屋藤吉郎


第一話「弥次喜多道中殺しの数え歌」


第二話「運び屋」


〇「第一話」弥次喜多道中殺しの数え歌


1)大富豪の隠居と大泥棒の末裔


大阪浪花の大富豪の隠居「金田弥次郎」と通称、大泥棒石川五右衛門の末裔、二人の奇妙な道中が始まった。石川五右衛門の末裔と称して、関西で泥棒稼業をしている

金本喜多郎は、ある夜、大阪の浪花商会という屋敷に忍び込んだ。家族全員で海外旅行に出かけたはずだと、聞いて、調べていたのだが。。。。

その忍び込んだ屋敷に一人の隠居がいたのであった。金本喜多郎は少々甘く見ていた。年寄り隠居で、寝ているところも離れの屋敷なのでと。。。

そんなことで、石川五右衛門の末裔と称する「金本喜多郎」が忍び込んだら、、、その隠居が離れではなく、母屋にいたのであっあた。

甘く見ていた年寄り、、隠居が伊勢がよく元気であったので

金本喜多郎はねじ伏せられて、御用となってしまった。

そして、浪花商会の隠居というか留守番に捕まり、しばらくの間、その隠居に睨まれ、観察された。

金本喜多郎は、、、まずいところに入っte

しまったと、泣き

べそをかいていた。ロープでぐるぐる巻きに縛られて、その隠居に言われた。

「お前、、弱いな、、、こんな年よりに負けて、、、まったく情けない泥棒だ、、はははーー」

金本喜多郎は体が小さく、細かったので、、、柔道か何かをしている大柄な隠居に投げ飛ばされたのであった。

「おい、、爺さん、、、そんなに眺めていないで、さっさと

警察にでもどこにでも突き出してくれ、、、」と、、、

隠居が、、、

「そんなに不貞腐れるよ。。。今、考えているところだから」と、気味の悪い、、意地悪い目つきをしながら言った。



2.)夜の出会いから二人旅へ


金田弥次郎は考えた。

「おい、、、泥棒、、お前はどうしてほしい、、、」

石川五右衛門の末裔と称する金本喜多郎は、ふざけて事を聞くおやじだな、、と、思いながら。。。

「それは逃がして欲しいよ、、、捕まえられてな。。。悔しいけど」

泥棒の金本喜多郎はふざけた問いに、、、真面目に答えた。

しかし、今夜は、、「俺一人でよかった、、、逃がすも、警察へ突き出すも、俺の胸先一つだから」

と、、、変なことを、ぶつぶつ言いながら,なお考えた。

余りに時間をかけて、考えられているので、泥棒の金本喜多郎の方がイライラしてきた。

「おい、、爺さんよ、早いとこ答えてくれ、、、夜が明けてしまうよ。。」

しばらく考えたいた隠居は口を開いた。

「おい、、泥棒さん、、、俺に付き合ってくれるか、、、しばらく時間はかかるけど。。。」

泥部の金本喜多郎は、どうせ、やることのない、つまらない身だから、助けてくれて無罪放免なら、いいかと思った。

「いいよ、このまま許してくれるなら、、」と頷いた。

爺さんは答えた。

「よし、、、わかった。俺に付き合ってくれるなら、許してやろう。。」

と言ってから、爺さんも身分を明らかにした。

「俺は金田弥次郎という、、、年は60の隠居だ」

「おい、、泥棒さん、お前の名前を教えろ。。。」

金田喜多郎で、通称、石川五右衛門の末裔であり、由緒ある泥棒稼業であると名乗った。

そして、隠居の金田弥次郎が許す代わりにと条件を出した。

「これからすぐに旅に出る、、、俺と一緒にな。そして、偶然にも名字が似ているので、、野次さん,喜多さんコンビで日本全国へ、のんびり旅に出かける。。。いやだとは言わせないから、、、ふぅっふっ。」と爺さんが笑った。

旅の費用は隠居の野次さん持ちということで。。。

真夜中の大阪北新地から旅立った。




3.)野次喜多道中のてんやわんや


そんなことで二人は妙な縁から旅に出ることになった。

金田弥次郎は「弥次さん」に金本喜多郎は「喜多さん」と称して、まずは夜間の大阪駅に行き、博多までの始発まで待つことにした。のんびり旅なので普通列車で行くことに。。。

これからも新幹線や飛行機は使わない。

但し、海を渡らなければならないときは船を利用することで、旅を始めることにした。

この旅の目的は他に一つだけあった。

弥次さん事、金田弥次郎は国家公安委員会に勤務し、副委員長の要職にいた。しかし、10年前に家業の事情で大阪の「浪花商会」を継ぐことになり、その職を辞していた。

そして、彼は武道の達人で、「居合切り」が得意であった。

もう一人の喜多さん事、金本喜多郎は根っからの無償無頼であり、泥棒仲間には石川五右衛門の末裔と豪語していた。

たまたま、金田弥次郎宅に泥棒に忍び込んだが、相手が悪かったので、取り押さえられてしまったのであった。

そして、半ば脅迫じみた誘いで、今回の道津旅になった。

野次さんの言うことはなんでも聞く、、、言うことになり従うという、どちらかと言えば「従者」的な旅であった。

泥棒稼業の喜多さんの特技を聞くと、、体が小さく身軽で、運動神経はいいとのことであった。そして、「吹き矢」であった。

そんな二人の旅は始まった。

日本全国の公安刺殺旅だ、、、博多駅始発の普通列車に乗り、博多駅で買った「明太子弁当」を食べ始めた。

最初の目的地は鹿児島であった。途中の列車で旅する人々を、、、窓の外の景色を眺めながら。。。

明治維新で活躍した西郷隆盛、大久保利通(一蔵)の故郷を旅して、桜島を眺め、温泉にしたりながら心は弾んだ。

単なる遊び旅ではなく、、、一昔前なら「隠密」」のような。。。



4.)桜島、男意気の花


今回の弥次喜多旅で、泥棒の喜多さんはお弁当を食べながらの列車旅を楽しんだ。

鹿児島駅というより、降りた駅名は西鹿児島駅だった。最初の日は予約していたホテルへ直行した。昨夜はふたりともあまり寝ていなかったので。。。

ホテルは桜島観光で、夕食をとる前に温泉に入った、桜島ホテルの中の露天風呂は絶景だった。温泉につかりながら、目の前に雄大な桜島が黙々と煙を吐いていた。

入浴後の夕食は和食で、海の幸が満載だった。

夜は昨夜のこともあり、二人とも寝不足で早くベットに入った。

喜多さんは少々不安だった。目が覚めたら、弥次さんがいなかったらと。。。しかし、そんな翌朝、朝食を済ませてから、戦時中の特攻隊基地である、。

知覧基地を訪ねた。

そして、日本の若者が負け戦と知りながら、沖縄の空に飛んでいった。知覧基地の記念館で、飛行機ゼロ戦や特攻隊員の写真を見ながら、心にぐっと来たものがあった。

日本という国は、何と無駄なことをしたんだろう、、、負けると分かっていても、ガタガタの戦闘機で、、、若い命を海の彼方に、、、しかし、それが戦争だ。

人とは意味不明の、勝算がないにも関わらず、望んでいく。

人の欲望なのかもしれない、、、

未練がましい、、、人間の嵯峨なのかもしれない。

無駄なことをしたものだ、、、しかし、その戦争があったからこそ今があるのかもしれないが。。。。

出来るなら残逆な行為、戦争はしたくない。絶対にしてはだめだ、、、

弥次さんは心から、そう思った。

同行の喜多さんは現代っ子、、、ましてや「泥棒稼業」だ。。。人の不幸はどうでもいいような。。。

二人は知覧基地の中のレストランでお昼の時間を過ごした。

食事しながら、他の見学者の話が聞こえてきた。。。

「あの年齢で、国のためにと死んでいく若者がかわいそうだ、、」

とか。。。

「特攻隊員に死を覚悟させて、成功するかどうかもわからい、ガタガタの飛行機で行かせたものだ」

とか。。。

「今から死ぬというときに何を考えていくのかな」

とか。。。

実際は本当に辛かったと思う、、、逃げ出したいと思っただろう。。。しかし、仲間がいる、世の中の勢い、社会背景の環境で往かざるを得なかったような。。。

人の世界と恐ろしい。。。

今の時代でも,テロが起こり、若い世代が意味不明の行動をしている。不思議な現象が多発している。

弥次さんは世の中の風潮を観察して、不幸を防ぎたい、、、そんな志で公安委員会では励んできたのであった。

日本の各地に特攻基地があった、特攻で戦死した若者は全国で1036名もいた。そして、鹿児島の知覧特攻基地からは402名が飛び立った。



5.)誰もが人のためには動かない、、利己主義


日本の戦時中の話は、今の時代に通用はしないが、少しぐらいは参考になることもあるような、、、

何でもかんでも国のためにと犠牲を強いられたが、今の時代に他人のために、、会社のために、命を賭けて尽くす人間はいるだろうか、、、

しかし、家族のために一生懸命はいるだろうが、その家族にも、ある時期が来ると裏切られる。

何処までも最後までもと、助けあいながら生きる人間はすなくなったにょうな。。。

今の世の中、老後を間違いなく、幸せに、穏やかに過ごせる人間がどれだけいるだろうか、、、

男も女も定年とは言わないが、ある程度の老後まで働いて、

「さあーーーこれから、ゆっくり出来るか」と思うのも、つかの間だ、、、今の時代に、老後を保証だけで、自分の貯えで生きていくものがどれだけいるか、、、

こんな世の中に、不平不満を言わずに生活できるものがどれだけいるか、、、

言って当然だ。。。、

世の中には不平不満分子が多くいる。その憤りが、怒りが爆発するのはいつなのか、、、

安全に、今の世のなかで、我慢をして、辛抱して、何とか細々と生きている人たち、弱者を守るためにも、世の中を平穏に暮らせるように、国や行政は擁護しなければならない。

そんな平穏な世の中であって欲しいと、弥次さん事「金田弥次郎」は願っていた。

しかし、噂を聞いてきてみれば、、、

少々、不穏な空気が漂っていた。鹿児島県の桜島周辺で。



6.)若い燃える血汐


見た目隠居に見える、弥次さん事、金田弥次郎は鹿児島になんとなく勢いを感じた。明治維新を成し遂げたエネルギーを今も持っているような。。。。小さなことでも、南の国、鹿児島から何事も始まるといった、、、、

街の噂で聞いた話で、、夜な夜なオートバイの音をひびかせながら集会をしている若者の集団がいると。

夜の事だから、音は響く、、ましてや、オートバイの爆音だうるさいに決まっている。

只、オートバイを走らせるだけならいいが、若い世代は体力も能力もあまり余っている。そして、酒などを煽り、その勢いで悪さをする。迷惑に決まっている。

本人たちは、冗談交じりのつもりでも、悪さをされたものにとっては恐怖だ、、恐ろしい。

そんな苦情が町で出ているので、弥次さん喜多さんは暴走族の集まる場所に行ってみた。

時代は変わったのだ、、、一昔前なら、国が一丸となって、ひとつの目的に向かっていた。そして、若者は進んだ。

良くても悪くても、ただ、がむしゃらに走った。

今の時代は自由だ、、、これは言葉が悪い、表現が悪い。

余りにも個人に自由に人生道を選ばせているような、、

人はそれぞれであり、人勢目的を、人生設計をもって努力している、日々精進している若者も多い。

中には人生を落胆して、希望を見失う者も、、、さらには人生に対して無謀行為を起こして、間違った道を往くもの、いろいろだ、、、

そんな人生道でわずかではあるが、少人数の若者が、わが道を往き、迷惑行為に走るものがいるような。。。

何の世界も、、植物の世界でも人が手を入れて育てたものは美しい、、、但し、間違いなく指導し、育てたものはであるような。

人間も時には教えて導いて、それでも導かれないで、反社会的行動をとるものは、植物ではないが「間引き」しないと。

綺麗な「藤の花」は咲かないような。




7)火の国「くまもと」



弥次さんと喜多さんは熊本に入った。ふたりとも、まずは熊本城を見物した。平成28年の熊本地震で被害を受けたが、見事に復旧していた。

熊本は戦国武将「加藤清正」が築いた名城だ、、、また、熊本は阿蘇山系からの伏流水が湧き出る「水の国」であり、熊本市内の至るところで湧水が見られる。

その代表的な公園が「水前時公園」であり、桃山時代の優雅な回遊式庭園であった。一時は熊本藩主の細川家の御茶屋として利用されていた。

熊本城も水前寺公園も熊本市中央区にある。

そんな観光地巡りを弥次さん喜多さんは済ませて、熊本城内の茶店でっ昼食をとった。

そして、今夜の宿泊先である「ホテル火の国」へ向かった。

二人はホテル内の食事処で少々の酒を飲みながら、夕食をとった。

「弥次さん、、、折角の気楽な旅なのだから、、夜の街にでも行きませんか、、、」

喜多さんに誘われるままに、夜の熊本の街に出かけた。

熊本市内には下通、上通、新市街(花畑町)の繁華街がある、にぎやかな花街だ。

二人は下通の銀座プレイスKUMAMOTOに行ってみた

旅人の弥次さん喜多さんは、少しは興味を持たれて、店が高そうな高級だったので、訳の分からない洋酒を飲んだ。

案の定、料金は高かった。

高級店で飲んでいる客層を観察していた弥次さんは、なんとなく不穏なことを耳に挟んだ。

喜多さんは女の色気に、毒されて、いい気分に飲んでいた。喜多さんは気楽なものだった、、飲み料金はすべて野次さん持ちだから。。。

弥次さんが聞いていると、隣の40代半ばの紳士が女をくどいていた

弥次さんが男と女の話を要約すると、自分の別荘でパーティーがあるからと誘っていたのだ。

どうも噂によると弥次さんが訪れたクラブ「夜の舞」は客と女の間で薬が横行しているようだった。いわゆる「覚せい剤」の売買であり、その覚せい剤を使った売春だ。

その噂をもとに、弥次さんが調べたら、「夜に舞」の経営者が広域暴力団幹部の人間だった。

その裏付けを取り、弥次さんは、喜多さんにはわからないように、地元の公安委員会に情報を提供した。

その弥次さんの情報提供を調査確認した、公安委員会は動いた。

情報提供してから3日後のテレビでニュースが流れた。

熊本市内の反勢力の地元組織暴力団が摘発されると。

これで、少しは世の中が、社会が清浄化されたのかなと、、、

容易なことではないが、地味な努力が少しずつは進むような。。。。



8.)原爆の街、、長崎


長崎県は1945年8月9日11時02分に原子爆弾がアメリカのB29より投下された。

長崎市松山町、城山町,本尾町、坂本1丁目に、、、

平和記念公園に記念碑、平和の像が建立された。

世界で広島県と原爆被爆県であり、、、戦後もその後遺症を多数残した街だ。

戦後復興した街には反社会勢力がはびこった。いわゆる暴力団であり、現在も日本有数の暴力団組織が群雄割拠している。長崎県は暴力団対策を厳重に行っている。しかし、現代は巧妙というか頭脳的な活動が行われ、厳重な法体制を潜り抜けているような、、、

また、長崎市内には繁華街もあり、、、特に有名なのは「思案橋横丁」がある。ほかにも「浜町アーケード」が。。。

色街があれば、トラブルもあり、やくざ同士のいざこざも多い。

特に反勢力団体の資金稼ぎにはいろいろあり、その縄張りでとトラブルも起きている。

そのトラブルなどに巻き込まれる一般市民もあって、警察関係もその処理には苦労している。

特に覚せい剤などを扱っている暴力団同士での争い、そして、その抗争に巻き込まれる一般市民の保護などもあって。。。

そんな長崎にも風光明媚な玄界灘がある、玄界灘の島々には美食を楽しむ旅人が。。。

弥次さん喜多さんも玄界灘を訪ね「魚料理」を楽しんだ。

人とは何て面白いんだろう、、、日々の生活を楽しむ人間、観光を楽しむ人間、いろいろだ。

しかし、ある日突然に襲われる悲劇、、誰も想像もしない不幸が起きる、

この世の中でやってはいけない、、、「戦争」を断じて起こさせないように、、、人は努力をしないと。



9.)九州一の繁華街、博多


福岡県福岡市、、、黒田如水、黒田長政の築いた城下町。。

52万石の大名だった。

いろいろある福岡であり、九州の中心地である。

弥次さんが公安視察の目的で、福岡までやってきた。今のご時世、不安だらけだ、テロ行為、殺人、泥棒というか窃盗、

薬物の違反による多方面にわたる事件などによる被害を未然に防ごうと動いてきた。

鹿児島における暴走族等による事件、長崎、熊本のやくざ問題、薬物による人的被害等を視察してきたが、いずれも背後には組織暴力団が絡んでいる。

その組織暴力団の撲滅を狙っての旅ではあるが、敵もさるもの、ボロを出さない。

いつも影に隠れている。

「本当の闇の悪」を始末しないと。。。。。

九州福岡には反社会勢力と言われる公安委員会指定の組織暴力団が多数ある。

福岡に指定暴力団と言われる組織が「5団体」ある。構成組員は70人から300人規模である。特に北九州に所在する暴力団はやることなすことが強烈である。

従って、九州一円での犯罪の頂点はやくざ組織であると言われている。。

そんな犯罪組織相手の公安活動も命がけであった。

そして、博多では「博多祇園山笠」7月、「博多どんたく」5月、「博多くんち」10月というように大きな祭りが年三回、その他の氏紙神社の祭礼とお祭り騒ぎだ。博多の商人はお祭り準備などで半年を要して、考えてみたらほとんどお祭り騒ぎだ、、、だから、「九州男子」とは博多女が強く、しっかりしてるからと言われるようだ。。。

余談になるが「博多女」は酒が強い。

博多の人たちはにぎやかだ、遊びが好きなようだ、、、そんなところへの「魔の手」が「悪人たち」がはびこって、社会問題を引き起こしている。

また、博多は歴史的にも52万石の大藩の黒田家が統治していた。始祖の黒田官兵衛(栗だ如水)、藩祖の黒田長政が治めて11代まで続いていた。

黒田如水、黒田長政が祭られている通称「幸福神社」も春の桜は見事だ。




10).山口県下関、、、明治維新の萩城、志士たちを


明治維新の夜明けを開いた志士たちが多い、、また、志士を育てた松下村塾の吉田松陰は、勤王思想を推進していった。

黒船来航の折に渡航を試みるが失敗して、時の権力者、井伊直弼による「安政の大獄」で罰せられる。

その後、高杉晋作たちの奇兵隊が活躍する。

明治維新は土佐の坂本竜馬を介して、長州の木戸孝允、薩摩の西郷隆盛らが「薩長同盟」を結び、最終的には明治維新を成し遂げた。

そんな下関氏には毛利輝元が毛利藩を堅持していた。

山口県下関に着いた弥次さん、喜多さんは萩市まで行き、ホテルを取った。

萩市は明治維新に活躍した、勤王の志士たちを多く輩出している、志士たちの啓蒙思想を教育していたのが「吉田松陰」で、黒船来航の折に密航を企てとらわれた。

その後、井伊直弼の政策により「安政の大獄」で罰せられた。死罪であった。

松下村塾の塾生たち、木戸孝允、高杉晋作、草野玄随などが活躍する。

また、土佐の坂本龍馬をかいして、長州の木戸孝允、薩摩の西郷隆盛らが「薩長同盟」を結び、最終的には明治維新がなった。

下関には豊前田ふせんだや唐戸という繁華街も栄えていて、諸悪のもとになるような組織が活動していた。

山口県には4団体16組織の反勢力団体が引き締めあっていた。

それらの団体が「覚せい剤」「経済的闘争」などで、一般市民を巻き込んでしまうことが多い。

そんな世情をみまわり、未然に防ごうとしている人々が、組織がある、、、公安委員会の人々だ。

しかし、法の目を潜りぬえて、悪の組織は町中を闊歩している。悪を絶たなくては、、、、




11)。広島県、、原爆投下の街


弥次さん喜多さんは九州の視察旅から広島へ入った。久しぶりに観光で広島の原爆ドームや厳島神社を訪れた。

厳島神社を参拝しているときに、弥次さんが襲われた。喜多さんが側にいてくれて対処した。突然に暴漢3人に襲われたが、喜多さんの咄嗟の行動で、暴漢を退けた。

喜多さんは吹きやの名手で、いつも所持していたので、ふきやで暴漢を射とめた。九州各県の公安を兼ねた調査が知られて、都合の悪い団体から暗殺指令がでたらしい。

今までの調査によれば、やくざ社会の団体ではなく、特別な組織が暗躍しているようだった。

弥次さんは喜多さんに事情を話しておこうと、思った矢先の出来事だった。弥次さんの襲われた傷は軽傷ですんだ。

喜多さんの機敏な行動で助かった。

「喜多さん、、、ありがとう、本当にありがとう」と、、、

「何を言うんですか、、、このぐらいのこと。これからも、事情は分かったので、次さん弥次さんのボディガードをするから」

と、、、二人は無事だったことを感謝しホテルに帰った。

これからの公安調査は慎重に、しないとと、、、

見えない敵が動きだしたので。。。

そんな広島で、世界遺産の「原爆ドーム」を、暴漢に襲われる前に観光しておいてよかった。と、、思って夜の時間を潰した。

広島県の繁華街は中四国地方「八丁堀」で紙屋町から銀の町にかけて、、、、

広島は映画でもやっていたようにやくざが多く、抗争が多かった。しかし、郷友会がまとめて、抗争は少なくなった。

広島にある、広島城は毛利輝元が築城し、その後、福島正則、らが治めた。

怪我をした弥次さんの傷が謂えるまで、広島県内の観光を楽しんだ。

「弥次さん、、あまり無理するなよ、、、年なんだから」

そして、「出来ることがあったら、俺に頼んでな」

「喜多さん、ありがとうな、、、これからは甘えて、頼むことにするから」

今回の怪我で、二人の仲は近くなったような。

元気になった弥次さん喜多さんは、次の岡山市に向かった。


12.岡山へ

岡山県岡山市へ着いた。岡山駅前には「桃太郎」の銅像が立っていた。お伽話で有名な「桃太郎」は岡山の史跡であった。

広島で暴漢に襲われ怪我した野次さんも元気になり、喜多さんとこれからの視察旅は充分に気を付けようと。。。

日本全国にはびこる組織暴力団の経済戦争というか、悪銭稼ぎには、さらに目を光らせないと思った。

岡山にも反勢力の広域指定暴力団隊が多数、引き締めあっている、どの組織も「覚せい剤」に絡んだあぶく銭を動かしている。

弥次さんの今までの捜査をまとめると、「覚せい剤」に関しては闇の組織が動いているようだ。そして、その闇の組織から、経済的に金銭的に力のあるやくざ組織が仕入れているような。。。そこから、組織だった分配ルートをつくり、管理しているようだと、弥次さんは睨み、その流れを掴もうといていた。

そして、岡山で噂を耳にした。

岡山市は東瀬戸経済園最大の都市であり、経。、仲間同士で密かに「茶道」が流行っていた。情報交換を兼ねて、経営者関係で「お茶会」が開かれていた。

そこで、弥次さんは大学時代の同級に「お茶の家元」がいたことを思い出した。大きな家元ではないが、岡山地方では

名の通った家柄であった。

弥次さんは俵屋総一郎宅を訪ねた。

そして、俵屋総一郎宅の立派な屋敷を訪問した。何年ぶりであったが、覚えていてくれた。

「久しぶりです、、しかし、元気でよかった、商売の「茶の湯」も繁盛してるみたいだな、、、」

玄関からすぐに客間に案内された。

弥次さんはお茶を飲みながら、しばらく世間話や大学時代の思い出を語りなら、時を過ごした。

「ちょっと、、、話は変わるが、、、お茶の世界で何か変わったことは無いかな」

と謎を賭けてみた。

「例えば、反社会的な団体からの話とか、、、最近、何か問題を起こした人がいるとか、、組合同士でトラブルが起きたとか。。。。。

俵屋総一郎が気になることをいった。

他の茶会の事だけど、お茶の会の幹部が最近、よく遊んでいるという話を聞いたことがある。

お茶の世界で家元が金回りがいいとか、豪邸を立てたとかの話はあるが、、、幹部で夜の巷を飲み歩くということはあまりない、しかし、何人かが金回りがよくなった話は聞く。

そんな話をしながら、弥次さんは長いしたことを詫びて退散した。

弥次さんは帰り道、俵屋総一郎にあってよかった思った。

明日からは「茶道」の家元やそれれのお茶の関係商売を調べてみようと考えた。

宿に帰ってから、喜多さんに相談をした。




13.)鳥取県、、、出雲大社、、、


島根県には出雲大社、鳥取砂丘、そして、いくつかの温泉町がある、、玉造温泉、三朝温泉、皆生温泉、末広温泉、、、歓楽街も温泉周辺に存在する。

鳥取には中国地方の最高峰「大山」あって、冬などはスキーでにぎあう、、、

鳥取は「漫画王国」と言われている.

水木しげる「ゲゲゲの鬼太郎」や「名探偵コナン」が。。。

鳥取県は人口55万人と少ない、、、それでも悪の獣たちは多い。

指定暴力団は活動している。いつの時代にも無くならないやくざは、、、経済戦争に、、覚せい剤がらみで一般市民を巻き込んで、不幸を呼び込んでいる.

芸能界にもスポーツ界にも「その毒爪」は伸ばしている。

そんな鳥取でも「覚せい剤」は暴力団の資金源になってなっている人とは面白い、やってはいけないことに手を染めて、本の出来心が、現実になってしまう。そして、苦しんでいる。

そんな人々が居なくなることを願って、日々、必死に動いている人たちがいる。

弥次さんたちも覚せい剤の流れを追って、島根まで来ているのであった。




14.)神戸市、、、神戸牛の美味いところ。


弥次さんの今回の目的である視察旅は神戸で終わる。大泥棒の石川五右衛門の末裔「金本喜多郎」を伴った旅は有意義だった。

弥次さんが思ってた以上に喜多さんは心つよかった。

その旅も神戸で終わり、また、いつの日にか関東、東北、北海道へ旅立つ予定だ。

兵庫県は日本で人口は6番目で、観光ともに商業第一の都市であった。

兵庫県には神戸市、姫路市、城崎、淡路とあり神戸最大の繁華街は「三の宮と三宮」である。

三宮には南京町、神戸ハーバ

ーランド、ポートアイランドがある。

また、姫路城は別名「白鷺城」とも言われる、日本屈指の名城である。

そして、神戸には日本最大の指定暴力団が存在する。そんな街でのやくざ同士の抗争も多く、やくざ絡みの経済闘争、覚せい剤問題等も多く、一般市民には恐怖を与えている。

そんな中での警察関係、特に公安は毎日が忙しい。

そんな公安視察旅から神戸まで来て、今までの公安記録を本部に提出して、次の視察旅に備えることとした。。



15)大阪府大阪市、、、、日本最大都市



大阪市は日本最大の都市と言われている。。。徳川幕府が江戸に開かれ、豊臣政権が大阪から消えて、

大阪は取り残されていったのであったが、、大阪の商人たちは頑張り、大阪は商業都市として花が開いたのである。

そして、現在は日本最大の都市として栄え、、、大阪の繁華街も「キタ」エリア「ミナミ」エリアに分かれ繁盛してかけたる。

また、万博が終わってから「ニシ」も広がった。

「ミナミエリア」には「道頓堀」があり、、心斎橋、なんばパークス、なんばシティがあるのだった。

そして、「法善寺横丁」があり、、、高級料理店が立ち並んでいる、、、大阪の顔だ。

新世界、通天閣下や天王寺動物園があり、、

「梅田エリア」は「大阪のキタ」と言われて高級クラブなどの飲食街がある。

そして、、「ミナミエリア」には吉本新喜劇、よしもと漫才劇場や、、、NMB48などもあって飲食街として賑わった居る。

弥次さんと喜多さん神戸から移動してホテルに部屋を取って、ゆっくりした。

「弥次さん、、、大阪へ戻ってきたんだから、どこか馴染みのお店へ連れて行ってくださいよ、、、」

と、、、喜多さんは弥次さんにたのんでいたのである。

大阪へ戻ったが弥次さんは自宅へ帰らなかった。

このまま、、京都へ回って関東、東北の旅に出かけるつもりでいたので、、喜多さんにせかされたが,まるっきり知らないお店へ食事にでかけたのであった。

大阪は反社会勢力の指定暴力団が多いので弥次さんはあまり出かけたくなかったのである。

大阪には指定暴力団が「25団体」あり、、「組とか一家を構えている組織」は31組織もあるのだった。

ヤクザの多いところであり、、やくざ同士の抗争も多いのであ弥次さんは大阪の事情を知っているので、今回の刺殺旅では必要のない街であった。



16)京都府京都市。。。


京都は昔の山城国全域、丹波国の東部、丹後国全域が含まれている。

そして、歴史的には,恭仁京(木津川)、長岡京(向日市、長岡京市、京都市西京区)、平安京(京都市)に都が置かれた。

そして、203年には文化庁が移設されたのである。

京都府の人口は26万人で、そのうちの140万人は京都市内に住んでいる。

京都には名所名刹が多数存在しているのだった。

伏見稲荷大社(稲荷さんの総本山)、金閣寺(北山鹿苑寺が正式名である、、足利幕府の三代目将軍足利義光の隠居所であった)、嵐山の竹林の道、西本願寺(浄土宗本願寺派の本山)、二条城(徳川家康の居城)、京都御所(天皇のお住まいであった)、清水寺(清水の観音さま、、くぎを一本も使っていない建築物、清水の舞台で有名)

などの名所名刹があるが、、他にもまだまだある。

京都にも、日本全国にはやくざが存在するから、不思議な国だ。。

日本には住みやすいのかヤクザたちは、、、しかし、警察の取り締まりや公安の監視が厳しいので、やくざ組織はやりづらくなっているのであるが、取り締まりの目を搔い潜って蔓延っているのだっ

その都市の繁華街に、いたるところに根付いているようだ。

「覚せい剤の密造販売」と、、、最近では「闇バイト」「オレオレ詐欺」や「投資詐欺」にまで、、

手を伸ばし、、、各種詐欺や強盗に指令を出して、管理している組織暴力団もいるようだ。

そんなことで「公安の仕事」は忙しく成ってきている。

世の中の悪事に対する「情報集め」が大事になり、、、弥次さん喜多さんの視察旅も気が抜けなくなってきた。

京都、大阪は地元なので情報集めも容易であった。

これからは名古屋、横浜、東京であるから、、大変な道中旅になるような、、、



17)名古屋の街で、、、


名古屋は政令都市であり、、日本で「東京、横浜市、大阪市、名古屋市と」というように最大都市となっています。

人口は「1024万人」、、濃尾平野の中に位置し。。。「三種の神器である、草薙の剣」を祀る「熱田神宮」がある。

名古屋には「名古屋港」という日本最大の港があり、、以前は「神戸港」であったが時代の流れで名古屋港が一番になった。

湊には「港湾業務」があって、その事業利権を反社会勢力の暴力団が握っているのであった、、、港湾利権とともに「開発利権」も抑えているので、その利益を利用して、、暴力団が力を持ってきたのであった。

名古屋の「弘道会」で、、今では山口組6代目を差配している、、、

弘道会も6代目山口組も、特定抗争指定暴力団である。

そんなやくざ組織がうごめいている社会であるから、、公安の監視も忙しくなり、気を休めることは無かった。

弥二さん喜多さんの旅も名古屋について、、いろいろ調査を始めたのである。。

うな。。。



18)静岡市


静岡市は政令都市で全国で14番目になったのである、静岡県で浜松市に次いで人口が二番目での事業所が存在する.

また、静岡市には三保の松原、駿府城、清水港、静岡浅間神社の世界遺産があり、、国宝の久能山東照宮がある。

駿府は徳川家康の時代には日本の政治の中心であった。

浪曲とか映画で有名な清水次郎長(本名山本長五郎)と子分の清水一家28人衆は有名である。

静岡市の繁華街は両替町の周辺に飲食店、クラブなどが多く、呉服町周辺にも飲食店、カフェ、スーパーなどがある。

また、静岡おでん街(青葉横丁、青葉おでん街)の赤提灯のおでん屋が数多く出ている、そして、静岡ゴールデン街には焼き鳥、ホルモンなどの7店舗がガード下に並んでいる。

また、静岡で一番大きな都市は浜松市であり、、繁華街も肴町界隈(有楽街)で飲食店、居酒屋、パル、カラオケ、ゲームセンターなどがあり、、、千歳町界隈(モール街)には料亭、割烹、

寿司、居酒屋、クラブ、スナックが多い。

静岡市、浜松市と繁華街もあり、、組織暴力団の住みつきやすい地域でもある。。

指定暴力団の「稲川2団体」「六代目山口組が6団体」あって、「6代目山口組の二次団体が50幾つか存在するのであった。」

そんな地方都市であっても「公安」はその監視が大変だった。

「公安」の弥次さんは地元公安から状況を聞いて回ったのである、、

どうしても指定暴力団が多いので監視取締りが容易ではなかったようだった。

日本で一番目、二番目に構成員が多い組織なので、全てに目が届かないようだった。。

喜多さんを連れて、浜松市内の一番賑やかな繁華街である、、肴町界隈を歩いてみた、、、



19)横須賀市、、、


横須賀市は神奈川県東部に位置する。三浦半島の北半分を占めている。

東京湾に唯一の自然島、、猿島を含んでいた。

三浦半島の中心都市であるが、、、農業も盛んである。東京都心まで電車で約1時間15分で行けるのであった、、、

江戸時代にはペリーが来航したことで有名。

軍港都市だ、、、アメリカ海軍第7艦隊が配置されて、、海上自衛隊船衛艦隊横須賀地方隊、陸上自衛隊武山駐屯地、航空自衛隊武山分屯地がある。

横須賀市の観光名所には、、、、、

秋谷・立石海岸、愛宕山公園、荒崎公園、淡島神社、按針塚、うみかぜ公園、海辺つり公園、浦賀ドック、浦賀渡し船、大楠山、大田原のツツジノ丘、貝山地下壕、観音埼公園、衣笠城跡、坂本龍馬の妻お龍の墓、猿島公園,七釜トンネル、ショウブ園など多数がある。

横須賀市の繁華街で有名なのが「どぶ板通り商店街」で、横須賀スカジャンが有名である。。。

どぶ板通り商店街には「アメリカンバー」や「スナック」もある。

ホテルニューポートヨコスカやホテルニューヨコスカがあり、、どぶ板通りには「はしご酒ツアー」などがある。

暴力団にも「横須賀一家」があって、、指定暴力団が根付いていた。

一昔前のやくざには「任侠道」に生きる極道もいたようであるが、、、」今の時代には綺麗ごとを並べていては生きていけないのも現実であった。

横須賀一家の組長で、、「殺し、恐喝、博打、薬物、闇金融などを禁じて、、、やくざも税金を払えるようにならなくては、、」と、いった侠客もいたそうである。

そして、貸しビル業や飲食店経営をして、不良を更生させようとした親分も居たそうであった。

しかし、現実的にはなかなかいない、、、いても数えるだけのやくざだ、、、

大概は世の中の寄生虫の様な生き方をしているのがやくざである。

弥次さんは地元の公安と会い、、話を聞けば現代やくざは巧妙であり、悧巧なのであった。

なかなか、ボロを出さないのだった。

弥次さんが話を聞くところでは「各察関係で5人から7人」では見回り監視をするためには人員が少ないと感じた。

弥次さんは喜多さんを連れて「どぶ板通り商店街」を散歩して、、、喜多さんが欲しいという「横須賀スカジャン」を買ったのである、、、



20)横浜市



横浜市は神奈川県東部に位置する都市で、県庁所在地であり政令都市である。

人口は377,2万人で、」日本有数の港湾都市であり、商工業都市だ。そして、東京都心から30㎞から40㎞に位置している。

1859年に日米修好通商条約によって開港した「横浜港」を持つ港湾工業都市でもある。

古くは鎌倉時代に鎌倉幕府が開かれてから開発され、、江戸時代には江戸幕府の直轄地で旗本領が置かれていた。小藩として六浦藩があっただけである。

その後は異国情緒あふれた東京の衛星都市として発展してきた。

そして、横浜港では生糸貿易が盛んであったが、昭和時代になると工業港へと変わっていった。

関東大震災の時は震源地が近かったために東京より被害がおおきかったのであった。

第二次世界大戦の時にも昭和20年5月29日の横浜大空襲での被害も大きかった。

しかし、横浜は復興した。

1989年、市制100年、開港130年には「横浜博覧会」が行われた。

横浜市の観光スポットはいろいろある、、、

横浜中華街(約300以上の中華料理店がある)、山下公園(1930年に開園、、赤い靴はいてる女の子像がある)

横浜八景島シーパラダイス、横浜ランドマークタワー(69階スカイガーデン)、よこはま動物園ズーラシア、

新横浜ラーメン博物館、イセザキモル(下町風な商店街)、横浜スタジアム、横浜レンガ倉庫、崎陽軒本店、

横浜元町ショッピングストリート、三渓園(日本庭園)、横浜アンパンマンこどもミュージアム、JIC横浜。。

そして、横浜は繁華街も多く、やくざ組織の暗躍する場所でもあるのだった。

弥次さんが公安を訪ねると忙しく動いていた、、、指定暴力団の稲川会三次団体が「薬物」は扱わないと言いながら、取り扱っていて幹部全員が逮捕されて、現在、服役している組織もあった。

公安委員会の捜査では、、稲川会組織では「薬物」を禁止されていても、、傘下下部組織では取り扱っているのが現状であったので、、取り締まり監視を緩めるわけにはいかないらしい。。。

やくざ組織は資金源としての「薬物の密売」は必要であり、、法に隠れてとりあつかっているのであった。

やくざ組織は「悪行はやらないと、、」言いながら「やっている」、、、そして、抗争はしないと言いながら「暴力集団としての実力」を誇示するためにはやらざるを得ないようだ。

しかし、日本では「やくざ組織より強い広大な暴力装置、行政権力を持っている警察当局」がいるのだから、、

やっていることはやっていると思うけど、、やくざ組織対策を取ってもいいような。。。

やくざ同士での抗争が起きると、、「手打ち」とか称して和解が成立するのであった。

そんな目先の誤魔化しで、、手を緩めずに悪行を働く不良を殲滅して欲しいものだ。

そんな話を聞きながら弥次さんは喜多さんと横浜市内の繁華街を徘徊したのであった。



21)川崎市


川崎市は神奈川県の東部に位置し、人口154万の政令都市である。川崎市は政令都市20の中で、最も面積の狭い都市であるが経済的には裕福である。

川崎市にある「川崎大師」は初詣の発祥の地で,参拝客で日本で3番目に多い。

川崎駅東口を中心に繁華街、歓楽街があり、、川崎市は工業地帯、超高層ビル、マンション街、郊外の新興住宅街などがある。

また、川崎駅東口には京急川崎駅が隣接し、ており、、ショッピングや飲食街、ピンク街、ドヤ街、公営ギャンブルなどがあって、、一般住民から見たら一番住みたくないところである。

川崎駅東口の「銀柳商店街」には一日「2万3200人」が訪れる、、北寄りには「堀之内」という一大ソープランド街がある。

川崎市の観光名所は、、、、

東京湾アクアライン、生田緑地、ラゾーナ川崎プラザ、川崎マリン、

川崎市藤子・F・不二雄ミュウジアム、東扇島東公園、等々力緑地、

金山神社、東芝未来科学館、王禅寺ふるさと公園、溝口温泉喜楽里、

川崎市岡本太郎美術館、CLUB CITTAクラブチッタ、宮前平温泉湯けむりの庄、その他(16等の名所)がある。

川崎市にはピンク街、ソープランド街があり、、悪の組織が暗躍する施設が多く、、覚せい剤の密売、拳銃などの闇取りきなどが横行し、組織暴力団の資金源になっている。。公安委員会に顔を出したが、今の人数での対応は難しいとのことであった。

川崎市は広域指定暴力団の稲川会の勢力が強く、二次団体、三次団体が

動いている、、、ヤクザ組織はどこまで行ってもなくならないような世の中であるような、、闇の世界は、、悪人が蔓延る世界をなくすことは困難であるのかも知れない。

日本の最高の暴力・権力機関である警察には頑張ってもらいたい。。

次さんは川崎市のピンク街やドヤ街を歩いてみて思ったのである。。いつも感じるのは「隠密捜査班」の公安はその組織員が少ないのでは無いのかと、、、



22)東京都、、、


関東地方に位置する都で、政令都市で都庁の所在地である。

金融機関や大企業が集中、新聞、放送、出版などの文化面。大学、教育機関などの教育、学術面。

においての日本の中枢、交通網でも、鉄道網、道路網、航空網の中心である。

総人口は約1405万人で、世界有数の人口を有する世界都市。

また、沖ノ鳥島、南鳥島を含む小笠原諸島を含む日本の最南端、最東端に位置する。

日本人口の11%をに当たり、東京近郊の衛星都市を入れると3700万人になる。

東京は江戸時代には徳川幕府があって、政治行政の中心であった。

東京都には観光スポットがいろいろある、、、、

東京観光スポットは、、1

1)東京下町エリア(浅草、上野)

2)東京駅周辺のエリア(丸の内、銀座、秋葉原)

3)東京湾岸エリア(お台場、品川、羽田空港)

4)六本木、渋谷駅周辺エリア

5)新宿、池袋周辺エリア

6)西東京エリア(吉祥寺、高尾)

という風に6か所のエリアに分かれているのである(全部で74か所の名所)


1)東京下町エリア(浅草、上野)

浅草寺、雷門、仲見世。今戸神社(隅田川のほとりにある縁結びのスポット)

東京スカイツリー・東京ソラマチ、すみだ江戸切子館、江戸東京博物館、

国技館、アメヤ横丁(アメ横)、上野動物園、根津神社(重要文化財)

柴又帝釈天参道(男はつらいよ)、亀戸香取神社(スポーツ振興の神)


2)東京駅周辺のエリア(丸の内、銀座、秋葉原)

東京駅一番街、KITTE丸の内、丸の内仲通り、銀座、歌舞伎座、築地場外市場、日本橋、秋葉原電気街、AKB48劇場。


3)東京湾岸エリア(お台場、品川、羽田空港)

お台場海浜公園「レインボーブリッジ」、お台場ショッピングモール、

フジテレビ本社、屋形船、豊洲市場、月島西仲通り(月島もんじゃストリート)

羽田空港、、国会議事堂、


4)六本木、渋谷駅周辺エリア

東京タワー、六本木ヒルズ展望台、ミヤシタパーク、

渋谷スクランブルスクエア、恵比寿ガーデンクライス、下北線路街、表参道ヒルズ、竹下通り、

明治神宮、渋谷ストリーム、キャットストリート、


5)新宿・池袋周辺エリア

東京都庁展望台、新宿御苑、東急歌舞伎町タワー、新小久保コリアンタウン、サンシャイン水族館、ワーナープラザススタジオ東京、神楽坂、東京ドームシテイ、湯島天神宮(湯島天神、学問の神社、菅原道真を祀ってある)

靖国神(戦没者の御霊を祀ってある、桜の名所)、東京大神宮(伊勢神宮へお参りしたこととなる、縁結びの神)


6)西東京エリア(吉祥寺、高尾)


井之頭恩賜公園、日原鍾乳洞、高尾山などがあるが、、まだ名所旧跡は沢山ある。。。。


弥次さんは特別公安委員会の副会長をしているので、全国の公安委員会を巡回していたのであった。

東京では公安委員会指定の暴力団が、全国規模で東京に事務所を構えているやくざ組織が多い。

その団体数は「25団体がある」

そして、大きな組織では住吉会(構成組員が総勢3600人)稲川会(3100人)山口組(18000人)には構成員と準構成員を含めてこれだけのやくざ組員がいる。

そして、、日本の公安委員会指定だけでなくアメリカ等からは国際犯罪組織に認定されている組織もある、、、

住吉会は博徒,的屋系やくざであるが、、薬物、武器の密輸、人身売買などで国際犯罪組織として認定されてい

るのであった。

そんな訳で公安委員会も警察をも摘発、警戒の手を緩めるとは出来ない状況である。

公安委員会の監視も「組織犯罪処罰法違反」(犯罪収益収受)に目を光らせて監視する必要があったのであった。

警察が取り締まりを強化しているので、、やくざ組織も生きる道が狭められていることも事実であった。

やくざ組織の収入源の「みかめ料」も集めにくくはなってきている、、、

しかし、、どんなに厳しく取り締まっても、、潜り抜けているのが現実であった。



23)茨城県土浦市


茨城県発足から県南地域の商業、行政の中心地であった。

1918年(大勝年)筑波鉄道の開通(関東鉄道築波線、1987年廃止)

そして、昭和4年、海軍航空隊が設置された。その影響で土浦市には料亭や遊郭その他の休養地域が多く、終戦になるまで海軍の街であった。

桜川に程近い、桜町二丁目は北関東最大の風俗街(ソープランド街)となっている。

また、日本三大花火の一つである「土浦全国花火競技大会」は毎年11月に行われる。

土浦市は霞ヶ浦に隣接していて「レンコン」が特産品であり、その生産量は日本一である。

歴史的には、鎌倉時代は八田知家が地頭として、小田城にいた小田氏の勢力下にいて統治していた。

室町時代には小田氏に属する若泉氏にが土浦城を築き、統治していたのである。

その後、土浦城には佐竹氏に追われた小田氏がはいった。

そして,結城秀康の土浦の一部は所領となり、、藤井松平家の松平信一が3万5千石ではいったのであった。

1622年若年寄「土屋数直」が入城後、、綱吉から吉宗までの4代の将軍に仕えた、、老中まで勤め、石高も「9万5千石」まで加増されたのであった。

土浦は水戸街道と霞ヶ浦水軍で結びつき、交通の要所でもあった。常陸の国では水戸に次ぐ第二の都市であった。

明治時代には新治県が設置されて、土浦は県庁所在地となった。

土浦には霞ヶ浦海軍航空隊があって、海軍飛行予科練習生がいった、、「予科練」の名で呼ばれていた。

土浦市の観光スポットは、、、、

イオンモール土浦、福来軒(ラーメン専門店)、土浦魚市場、等覚寺(鎌倉時代の八田知家が寄進した常陸の国、三古鐘が重要文化財と残る)、朝日峠展望公園、ネイチャーセンター、土浦市立博物館、小町の館、

上高津貝塚ふるさと歴史の広場、土浦市霞ヶ浦総合公園、湯楽の里土浦店、真鍋の桜、観光帆引き船、

現在は土浦市は、、商店街はシャッター街が多く、錆びれている。

そんな中でもやくざ組織は蔓延っているのであった。。。弥次さんは公安委員会を訪ねて最近の情報を入手した。土浦市は指定暴力団「松葉会」が勢力を持っていた、、、松葉会の本部は東京浅草であるが、現在は本家が茨城県鹿嶋市にあるために、、茨城県公安委員会では監視を緩めずに取り締まりを強化していた。

最近、」松葉会は内部抗争で分裂をして、、代紋の使用が出来ない「関東関根組」が土浦に本部が置かれたのであった。

そんなことで公安委員会は忙しかった。

弥次さんは土浦の繁華街を歩いてみたが、夜のネオン町には人が出てるが、、昼間の商店街は閑散としていた。



24)茨城県水戸市


水戸市は茨城県の県央地域に位置する。県庁所在地であり、政令都市である。

徳川時代に徳川御三家となり、明治時代に廃藩置県が行われるまで、水戸藩の統治となった。

水戸市は「水戸黄門」「偕楽園」で知られている。毎年2月には「梅まつり」8月には「水戸黄門まつり」9月には「萩まつり」が行われる。明治時代以降は「納豆生産」で有名。

水戸の地名の由来は那珂川の舟運の河港として栄えた。そして、水運の戸口とされたことから、頭文字をとって、「水戸」となった。

戦国時代は佐竹義宣が豊臣秀吉の下で勢力を伸ばし、水戸城を手に入れた。しかし、関ヶ原の戦いで豊臣方に味方したために、関ヶ原の戦いの後に徳川家康によって秋田へ転封された。

その後、1609年徳川家康の代11子の徳川頼房が水戸藩主となり、徳川御三家が置かれた。

明治時代の廃藩置県まで水戸藩が納めた。

1889年(明治22年)水戸市となる、、、日本で市制が施行した「31番目の市」である。

水戸市の人口は「26万7095人」で、、予想ではつくば市に抜かれるだろうと言われている。

水戸市の代表的な観光スポットは約30か所ある。。。。

偕楽園(日本三大名園のひとつ)、水戸芸術館、弘道館(日本最大規模の潘校)、木村屋本店、徳川ミュウジアム、仙波湖、蛇の目寿司、常盤神社(徳川光圀、徳川斉昭を祀る神社)、茨城県近代美術館、茨城県立歴史館、

水戸オーパ、保和苑、仙波公園、水戸森林公園、白河そば、七つ洞公園、好文亭、義烈館、ダルマ納豆新本店、

たらいうどん糀や、森のシェープル館、カフェリン、東照宮、レストランイイジマ、常陸牛きくすい、とんかつ八戒、

水戸山翠、好文CAFEカフェ、パワストーン専門店エルドラード、水戸そば大和屋。


弥次さんは茨城県公安委員会が厳しく取り締まって活動していることをしったのである、、、

水戸市は「暴力団追放推進センターを設立して、建設業、宅建業、貸金業、警備業などのあらゆる分野から遮断する活動をしていた、、許可制の業種には許可をしないように働きかけて、、締め出しを実行していた。

実際に水戸市内に「暴力団事務所に使用制限の本命令」を出して、6代目山口組の傘下事務所に3か月間の使用制限をしたり、、水戸市が暴力団事務所を買い上げしたりしているのであった。

全国の指定暴力団は令和4年現在で「22,400人」であるが「全体で1700人減少している」

6代目山口組「8100人}神戸山口組「760人」、住吉会「3800人」、稲川会「3100人」いるがいずれも構成員は減少している。。警察県警の取り締まりがきびしく、逮捕者も続出している。

現在の犯罪では、、ニセ電話詐欺対策、侵入強盗対策、暴走族対策、少年非行対策にも力を入れて、連携しての捜査を強化しているのであった。

茨城県内も暴力団勢力は「83組織」あり、、最大勢力は住吉会、松葉会、6代目山口組、関東関根組だけで、、全体組織の「89%」を閉めている。

最近、松葉会の分裂で「関東関根組」が土浦市に設置された、、勢力は「1都1道3県」にまたがり、、構成員は「100名」である。。

弥次さんは喜多さんを連れて、、水戸市内を歩したが、、昔ほどの街に活気がなくなっているような、、、それでも暴力団は裏社会で暗躍しているんであった。

何時に成ったら「暴力のない街」ができるかなと、、、努力はしている筈で在るが、、なくならない

人の世は不思議であった。暴力は人の世の永遠の謎なのか、、、



25)これからの弥次喜多旅は北陸、東北、北海道の公安視察は続く、、、


今までに九州鹿児島県から始まった弥次喜多さんの公安視察旅は、、九州、、中国地方、関西地区、近畿地区、東海地区、関東へ入った横浜市、川崎市、横須賀市、東京都、、茨城県と巡ってきた。

何時の時代にも犯罪はあるが、、江戸時代からの「やくざの組織の流れ」は絶えることなく引き継がれてきている。そして、現在は日本全国に公安委員会の指定する「広域指定暴力団」が存在する。

その勢力も「6代目山口組」「神戸山口組」「住吉会」「稲川会」「会津小鉄一家」「松葉会」「関東関根組」などの大きな組織も各地に暴力勢力を持っている。

しかし、、国家警察や全国組織の公安委員会及び、暴力反対を唱える各種団体が協力して、、その戦力は減少をしている。。

これからも「暴力追放運動」を飽きることなく繰り返し、活動していくことが大切であると弥次さんは考えるのであった。。今の世の「非情」と「矛盾」の谷間を旅しながら、、、




〇「第二話」運び屋


(1)殺しの後の始末屋「運び屋」


網走虎次郎はトラック野郎と言われて15年になる。関東筑波山の麓にトラック拠点を置いて、北海道から九州薩摩まで走りまくっている。


トラック運転仲間では知らぬものがいない、、、義理堅くて、思いやりにある人情豊かな男であった。


約束したことは必ず守り、荷物を荷主に送り届けるいいとこであった。荒くれ雲助ではあるが、信頼されていた。


トラック野郎の面倒見は良く、、、誰からも慕われていた。


北海道釧路港でのことだった。トラック野郎の荷札三郎が、、、


「虎さん、頼みがあるんだよ、、、荷物がだぶちゃって、困ってんだけど、、、手伝ってもらえないかな」


「頼まれてもいいよ、、、丁度、福岡までの荷物で、荷台がサブちゃんの荷物ぐらいなら乗るよ。。。」と虎さんは気軽に引き受けた。


その晩、虎次郎は釧路を出発した。


北海道釧路から、福岡箱崎港までの旅となった。釧路から東京芝浦、そして、釧路までフェリーを利用した。


暫く船旅となり、虎次郎は太平洋を眺めてゆっくりした。


フェリーを利用するトラックは多く、今は陸上だけを走ることはなかった。


虎次郎が船室で休んでいたら、、、、


仲間の運転手が、「虎さん、、、誰かが虎さんの車を、なんかしているよ、、」と夜中に起こされた。


虎次郎は運搬する荷物を悪戯されたり困るので、起きて、デッキに見に行った。


確かに、虎次郎のトラックの荷台に乗って、何かを探していた。


「こらーーー、何してんだよ、俺のトラックに。。」


声をかけられて、荷台に乗っていた。


怒鳴られた人間たちはびっくりしてか、、、振り向いた。


しかし、どこうともしなかった。


なんか言ってたが、言葉が分からなかった。


一人が日本語を話していたので、理解できた。


ロシア人だった。。。。自分たちの荷物がなくなったので探していたようだった。


日本語の分かる人間と話し合い、その場は収まった、


虎次郎も納得して部屋に戻った。


後でわかった事だったが、東京芝浦桟橋で乗船したのだが、自分たちの荷物が行方不明になり、困っていたのであった。


公安を読んで調べてもらった。


そして、どえらい事件が持ち上がった。






(2)覚せい剤が積み込まれていた。


虎次郎のトラックに荷台荒しが見つかったので、公安が一応、虎次郎の荷物を改めた。


公安もロシア人の窃盗ぐるみなので疑って、虎次郎の荷物を念入りに調べた。


その結果、後から積み込んだ荷物の中に「覚せい剤」が積み込まれていた。大変であった。


虎次郎は身に覚えのないことであったが、覚せい剤であるので、疑われ、取り調べを受けた。


最終的には無罪放免であったが、荷物は没収であった。


勿論、ロシア人たちは逮捕された。知らぬ間に「覚せい剤」が積み込まれての事件であった。


虎次郎はトラック野郎をしていて、初めて恐ろしさを感じた。自分が注意していても、気が付いたら犯罪に巻き込まれて、犯罪者にされていた、、と言う怖さ。


公安及び警察の取り調べがかさなり、目的地への到着が遅れたが、、、その責任は取ってくれない。警察とはふざけたところだ。。。。しかし、仕方がないことなのか。


いつもの得意先に荷物を届けて、遅れたことを詫びた。


「すいません、、、事件に巻き込まれて遅れてしまい、申し訳ありませんでした。」


虎次郎たちの仕事は時間を守り、安全に無事届ける正確さが大事であった。


虎次郎に取っては災難であり、不可抗力な点もあった。


しかし、ミスには違いない、、、管理不行き届きだった。言い訳は聞かなかった。


この事件が大きく報道されてしまい、虎次郎の運び屋の仕事も少し減った。


荷物を下ろした、福岡箱崎港で仕事が一段落して、いつもの食堂で昼飯を食べていた。


虎次郎は今回はついていなかったと思った。


そんな虎次郎のところへ近寄ってきた男がいた。


「虎次郎さん、、、今回は飛んだ災難だったね、、」と新聞でも見たのか声をかけてきた。


「ついていなかったな、、、、俺の荷物の管理も悪かったから、、仕方がによ」と、、、運の悪いことを嘆いた。


近づいてきた男が、、、「安全で、効率のいい仕事があるんだけどな。。」


と、、話を持ち掛けてきた。


虎次郎もちょっぴりしけていたので、その話に乗ったのであった。






(3)冷凍肉10箱の輸送


網走虎次郎は今度は騙されまいと、冷凍の荷物を確認した。


牛肉の冷凍箱詰めだった。福岡の箱崎にある牛肉卸商社からの依頼だった。


箱崎から東京築地までの運搬だった。


検疫も通り、虎次郎は安心して箱崎を出発した。


途中大阪へ寄り、同じ会社の冷凍箱詰めを乗せた。今回の運賃は割増もあって儲けも良かった。


途中彦根のドライブインで昼食をとっていたら、仲間のトラック野郎とであった。


久しぶりの再会であった、北海度出身の運転手で「北海の熊さん」こと、新井熊次郎だった。


古い付き合いで、飲み友達でもあった。


「そういえば、、、やられたな。。。きおつけろよ」


と、、、覚せい剤の事を知っていた。


昔、熊さんも引っかかったことがあり、大量だったので逮捕されたことがあった。


ロシアマフィアには気を付けないとな。。。。。


お互いに励まし合いながら別れた。


虎次郎もいろいろあったが目的地の築地に無事荷物を運んだ。今回は何事も無く済んだようだった。


前科があるということ、疑われるようにできていた。築地に着くと待っていたように、警視庁麻薬課捜査員が飛んできた。


「なんか用事かな。。。何もしてないよ。。」


と、虎次郎が言うなり、トラックの荷台を調べ始めた。


虎次郎も頭にきて、逆らったが遅かった。


調べていた荷物から、なんか変な塊が出てきた。


それが覚せい剤だった、、、


虎次郎は思った、悔しがった。


「やられた、、、、今回は大丈夫だと思ってたのに。。。


くそーー」


大量の覚せい剤だったので、虎次郎も逮捕された。


しかし、事情が分かり、不起訴になった。


虎次郎は思った、、、「ちくしょう、、、この礼はするぞ、、必ずな」と、、、


虎次郎は不起訴になってから、福岡箱崎に戻った。


虎次郎を騙した奴を探した。必ず、見つけてやるからな、、


虎次郎は仕事を休んで、虎次郎に運びを頼んだ奴を探しあてた。




(4)覚せい剤運び屋の仲介屋


虎次郎もトラック野郎には違いないが、誇りを持って運び屋をやっていた。雲助には雲助の仁義があり、騙しは許せなかった。


虎次郎に荷物を紹介した奴を訪ねた、、、しかし、そこには虎次郎に荷物を紹介した、反ぐれの小田正一の死骸があっただけだった。虎次郎は不味い事件に巻き込まれたと思いながら、その元を探し当てた。


九州連合と言うやくざ組織だった。


そんなことでひるんではいられなかった、虎次郎はトラック野郎ではなかった。


無鉄砲な虎次郎は「九州連合」の事務所に乗り込んでいった。対応に出たのが、九州連合の副参謀の有馬一山であった。話はわかったので、騙した方が悪かったと言って、、、


虎次郎の損害を見てくれた。


虎次郎はその有馬一山とはその後、懇意になった。


有馬一山もロシアマフィアのやり口があくどいので、嫌っていた。


しかし、組織の仕事なのでやらずにはできなかったのであった。


虎次郎はトラック野郎のたまり場に戻って、今後、密輸関係の事が起きたら、自分に話してくれと告げた。


絶対に密輸は嫌いであり、覚せい剤は許せなかったのである。






(5)虎次郎大いに怒る


暫くは密輸問題も、覚せい剤の話も出なくなった。


虎次郎もトラック野郎に専念していた、、、虎次郎の弟分で追分の達治と言うトラック野郎がいた。気のいい、キップの良い男だった。


その男が虎次郎のところへやってきた。


「ご無沙汰してます、、、虎兄い、、、相談があってきました、、、いいかな」


と言いながら虎次郎の溜まり場と言うか、食事処にやった来た。


「どうした、、、たつ、、、話してみなよ、、、金ならないからな、、、あはは、、、」


「実は虎兄い、、、俺の妹の事なんだけどといって、、」


相談してきたことが、覚せい剤に絡んだ話だった。


妹の亭主がロシアマフィアの覚せい剤の密輸に巻き込まれてしまい、、、困っていたのであった。


「馬鹿野郎、、、なんで早く相談してこなかったんだ、、、」と言うことになり、話を聞いた。


「兎に角、今、すぐに俺のところへ来い、、逃げて来いよ」


身柄を確保してから、話に乗るから。。。


と言うことで、妹たちを秋田から呼び寄せた。


虎次郎は仲介人に会うことした。仕事を辞めさせて、、、


仲介人に会う前に「九州連合」の有馬一山に連絡を取り、今回のロシアマフィアの話を聞きだした。


かなり、やばい連中だった。


九州連合の有馬一山も情報は流すけど、気を付けるようにと忠告してきた。殺しも平気でやる連中らしい。


虎次郎は覚悟を決めた。


トラック野郎の仲間のためならば命を賭けても惜しくないと思っていたので、、、


虎次郎は九州連合の有馬一山の助けを借りて、今回のロシアマフィアの秋田事務所に乗り込んだ。


一か八かの覚悟であった。


乗り込んだ秋田事務所の責任者が日本人だった。


乗り込んだ虎次郎とは最初は喧嘩になった。しかし、その虎次郎の度胸の良さに、話は収まった。


そして、今回の事は運賃の問題だけに話が付き、今後一切、弟分の追分の達治の妹たちにはお構いなしとなった。


ロシアマフィアの秋田事務所の立花信二とはなんとなく付き合い事になった。


覚せい剤密輸とは別にと言うことで、、、




(6)虎次郎軍団


虎次郎軍団の名前はやくざ仲間にもとどろいた。そして、虎次郎軍団には密輸関係の仕事は回らくなった。


しかし、やくざ関係のやばい仕事はなくなったが、、、企業間の汚職関係や贈収賄事件に巻き込まれていった。


大企業間の頭脳プレーである、、、今回も大企業の建設会社である、大日本土木株式会社の荷物の運搬に関わる仕事での資材の横流しがあり、その手伝いをしてしまったのであった。


運搬上は分からない仕組みになっており、運搬先に分けて,巧みな罠が仕掛けてあった。


全て、本社と出先工事現場との伝票のからくりであった。


そんな高尚なカラクリなど、運転手風情には分かるはずがなく、、、公正委員会の調査がはいった。


当然、運搬するトラック野郎にも調査がはいった。


訳が分からないままに、、、運搬管理の問題が指摘されて、罰を受けることになった。


トラック野郎にはたまらない、、、罰金は取られる、、、行政処分は受けるで。。。


そんなことがあると、、、虎次郎の所に相談が回ってくるのであった。


虎次郎だって、法律的な細かいことはとんと分からない。


虎次郎が懇意にしている弁護士のところへ相談にいくのであった。


結果的にはトラック野郎が悪いことになってしまう。。。初めから騙しが入っていたので、、、依頼した企業側には責任はないと、、、


早い話が騙されたのでった。


法律的には負けである、、、、


後は騙したことに対しての責任問題が残った。


虎次郎は企業側に損害賠償を求めたのであった。


今までの虎次郎だったら、乗り込んで、文句を言って、脅して慰謝料をせしめたいた。


しかし、少し利口になり、弁護士を力を借りて、法的立証をして、損害賠償に訴えたのであった。」








(6)無残虎次郎


虎次郎もロシアマフィアに逆らいすぎたような。。。


相手は国際密輸団であり、やくざ組織でもあった。虎次郎が一匹オオカミで逆らうには組織が大きすぎた。


ある日、、九州連合の有馬一山から連絡がり、、、


「虎さん、、情報が入ったので連絡しておくよ。。。ロシアマフィアがあんたを狙っているとのことだから、、、、気を付けてな、、」


「連中は本当にやるからな、、、、気を付けるように」


そんな連絡が虎次郎にあった。


のんきなトラック野郎の虎次郎はあまり、気にしないでいた。


しかし、狙われた。。。何度か思い当たることがあった。


気を付けるといっても、気を付けようがなかった。


そして、トラック運転中に狙われた。


本当に狙撃されたのであった。


その狙撃があってから、、、虎次郎は頭にきて、ロシアマフィアの博多事務所に乗り込んだ。


虎次郎もたラック野郎だった。。。猟銃片手に事務所に暴れ込み、乱射した、、、何人かは狙撃したはずだった

そのあと虎次郎の姿は見なくなった。博多の箱崎港から消えた。



7)虎次郎、博多事務所に乗り込んだが、虎次郎も撃たれた。。。


虎次郎はロシアマフィアの博多事務所に乗り込んで猟銃を乱射したが、虎次郎も撃たれた。

何とか逃げて、トラック仲間の大熊浩二に助けられたのだった、、、彼はもとは九州連合の副若頭をしていたが堅気になって虎次郎のトラック軍団に参加して仕事をした居た上に、浩二とは気が合ったのである。

虎次郎は大熊浩二の実家のある、別府温泉で傷の療養をしていた。

ロシアマフィアの情報は有馬一山から内密で入るので、虎次郎は助かっていたのである。博多事務所に乗り込まれ、社員が撃ち殺されたロシアマフィアは何としても虎次郎を探して報復をしたいのであった。

虎次郎もやばいので、、傷が治るまでは隠れていなくてはと思っている。

兎に角、傷が癒えるまではじっとしていようと、、

その後のことはその時と、考えている虎次郎である、、、、

虎次郎は覚悟はしていた、、、「やってしまったことはやったこと、、、出たとこ勝負だと、、、深くは考えていなかった」

男と生まれたら、、一度は授かった命だけど、、捨てて勝負をすることも仕方がない、、決めたことだ、、、助けると決めたのだから。。。

そんな男だったのだ虎次郎は、、、


虎次郎は弟分の追分の達治には当分、博多には近づかいように伝えていたので、、口の堅い連中で仕事を回して、追分の達治を守っていた。達治の妹のことも面倒を見ていたのである、、、

有馬一山から情報が入ったが、、今回はロシアマフィアも強気でいるらしいと、、、

その話を聞いた虎次郎は逃げることは出来ない、体が治ったら出て行って「一か八か」の勝負をしなくてはと考えていた。

傷の癒しで別府温泉に隠れてから1か月が経った、ある日、虎次郎が現れたのである。

それも奇想天外な行動だった。

逃げても仕方がないので、、ロシアマフィアの博多事務所に一人で行ったのである、、、、

博多事務所にも日本人社員がいたので、取り次いでもらった。

「虎次郎が来たと伝えてくれや、、逃げも隠れもしないからと、、、」慌てたのはロシアマフィア側だった。

ロシア人のやくざ連中が何人か出てきて、、虎次郎を取り囲んだ、、そして、下手な日本語で、、

「殺してやる、、覚悟はいいか、、」と、意気を巻いていた。

虎次郎は「じたばたするなよ、、、何もしないよ、、、欲しけりゃくれてやるから、、俺の命くらい、、」と、、啖呵を切ったので、ロシアマフィアたちも静かになった。

そこに一人の日本人が出てきたのである、、、上杉健太郎という、貫禄のある男だった。



8)ロシアマフィアの日本担当の責任者、上杉健太郎、、


「ほう、、、大分威勢がいいな、、元気で良かった、、あんたが網走虎次郎か、、、一度会って見たいとおもっていたよ、、、」

「実は九州連合とは付き合いがあってな、、有馬一山とは知り合いなんだよ、、、彼から話はきいてる、、」

と、、話を上杉健太郎が言ってきたのだった。

「話を聞けば、、俺たちにも責任はある、、だから、言って来いで、今回の事は無しにしようか、、、」

「あんたも、、撃たれたようだから、、虎次郎さん、手を打ちませんか」

と、、、言われて虎次郎は「駄目だ、、」とは、、言えなかった。

「それではいいですね、、虎次郎さんにはお礼が言いたいよ、、今回の事で警察にも言わないでくれて、、、ありがとう、、、」

「ところで、時間があったら今夜、手打ち式の真似事をしたいのですが、、、」

と、、話しているところに、、、「良かった、、よかった」と有馬一山が現れた。

「正直言って、心配したよ、、お前に会ってから、どうするか決めるというからな、、上杉さんのお眼鏡に合格しなかったら、虎次郎、、お前をここで殺すと言っていたので、、本当に心配だった」

「そうか、、一山ありがとう、、口添えをしてくれて、、実は覚悟してきたんだよ、、差し違えるつもりでな、、助かったよ、、、絶対に生きては帰れないと思ってた、、」

話し合いが付き、、虎次郎も一山も笑いが出たのであった。

上杉健太郎は日本のやくざ世界では、どの組織も世話に成っている大物だったのである。

彼が頼めば、、どこの組織も言うことを聞いてくれる上に動いてくれるのであった。

彼は暗黒世界の裏の顔役でもあり、、密輸業界で彼が動かないと「麻薬」もあらゆる「密輸製品」が流通しないのであった。

「それでは、、有馬さん、今夜一緒に、いつものとこで会いましょう、、虎次郎さんを連れて来て下さいよ、、」ということになり、虎次郎は有馬一山とロシアマフィアの博多事務所を出たのである。

外へ出て二人になったとところで、有馬一山が呟いた。「よかったよ」

「虎次郎、、本当によかっよ、、命拾いしたな、、余程、お前を気に入ったみたいだ、、」と、、有馬一山は話してくれた



9)上杉健太郎と網走虎次郎


ロシアマフィアの博多事務所上杉健太郎と食事をしたのであった、、有馬一山も同席をしたのである、、、

虎次郎などが食べに行けるような寿司屋ではなく、、世の中にはこんな「高級な寿司屋」があるのかと思えるような、お店であった。

虎次郎は酒を呑みながらおもったのである、、、この世のなかは悪事をしないと、、旨いものを食べて、、いい車に乗って、、高級時計をすると言うことは出来ないのかと、、、

正直言って腹が立ち、、、「くそ、、」とおもったのである。

それでも、、運転手野郎で一生懸命働いて、仲間同士で酒を呑みながら毎日、汗を流すことに生きがいを感じて活きて来たことを誇りに思っていた。お

だから、上杉健多郎にご馳走になりながら「矛盾」を感じていたのである。

仕方がないのかという「諦め」も必要だと思う時もある、、そして、「分相応」な生き方もいいとおもったのであった。

上杉健太郎は、、「虎次郎さん、、あんたの一本気な生き方は羨ましい、、私にもそんな時があったよ、、人間、時を重ねるとずるくなって駄目だね、、自分ではいつまでも心意気はあるつもりなんだが、、いつしか時代に流されてしまったようだ、、、」

そして、こうも言ってくれた。。。

「あなたと話してると楽しい、、汚れた心が洗われるような気がする、、、これからも、時々遊びに来て欲しい、、あなたの都合でいいから、一緒に食事をしながら話がしたい、、」

と、、、その晩は有馬一山も入れて、楽しいひと時を過ごした。

その晩、虎次郎は思った,、、ひとにはそれぞれの人生があり、、生き方をもっている。だから、その人生道に

精一杯生きることが大事だと、、、一生懸命に生きえ居れば、、何かに通じる、、人の幸せは必ず訪れると、、、

明日、弟分の追分の達治を訪ねようと思いながら布団に入った。



10)弟分の追分の達治と会う、、、


虎次郎は久しぶりに追分の達治に会いに行くことにして、約束を取ったのである。

追分の達治は実家が北海道であったが、、岩手県や青森県方面で運送仕事をしていた。

虎次郎は今、いる岩手県のアパートに訪ねた、、、妹さんも一緒だったのである。

「達治、、、ロシアマフィアとは話がついたから、もうどこで仕事しても大丈夫だ、、

妹さんも心配しないで、、いいよ」と、、、虎次郎は話をした。

「良かったら、、、俺がすんでる東京へ出てこい、、、そして、一緒に仕事をしようや

そして、、、虎次郎は達治と妹さんを誘って夕飯を食べに出かけた。

「達治、、ロシアマフィアの連中に何か言われたら、、虎次郎と上杉健太郎さんと話がついているので、、上杉さんに話して欲しい、」と言えば、大丈夫だから、、

そんな話をしながら久しぶりに達治たちと楽しい食事をしたのであった。

「達治、、東京へ戻って来い、、住むところが無ければ俺の寝床を空けるから、、妹さんと一緒に住んだらいいよ、、もともとは倉庫だし、住まいの2階も広からな、、それに、、タダだからな、、」

そう言って、達治と妹を引っ越しさせたのである。

「ありがとう、、兄貴、、、でもよ、、兄貴はどこで寝るんだよ、、」

「馬鹿野郎、、、俺はひとりもんだし、、全国津々浦々に女がいるじゃあないか、、、東京へ来た時には倉庫に車を止めて寝るからな、、心配するなよ、、、あはっあはっ、、、」と、、いつものように笑って済ました。

東京の倉庫は虎次郎が世話していた爺さんが亡くなったので、その世話代金でもらったものであった。

「そうだ、、、達治、、今の時代は仕事もそんなにないし、、看板を出せよ、、お前、字が旨かったな、、

引っ越し何でも引き受けますと、、」

トラック野郎仲間にも宣伝するから、二人で引っ越し専門屋をやろうということになった、

妹さんの洋子さんに電話番を頼んでと、、、「追分引っ越しセンター」とか名前を出して始めたのである。



11)トラック野郎の叫び声、、


追分の達治の引っ越しセンターの看板を挙げてから間もなく、、達治のトラック野郎の仲間の細野新次郎から連絡が入った、、「たっちゃん、、助けてくれよ、、いっちもはっちもいかなくなった、、、頼む助けて欲しい」

と、、、悲痛な叫びが届いた。

虎次郎がたまたま、、帰ってきていたので、、「どうした、、達治、、そんな苦虫潰した顔をし、、」と、、

虎次郎が心配そうに聞いたのであった。

「実はな、、虎兄いも知っている、栃木の細野新次郎が困って、、助けを求めてきてるのよ、、」と、、訳を話したので、、、「馬鹿野郎、、、仲間が助けてくれと言ってきたんだから、、話だけでも聞いてやれよ、、

出来る出来ないは二の次だ、、すぐに行ってやれ、、俺もいってやるから、、」

二人は達治のトラックで出かけた。

留守の事は妹の洋子に頼んで、、何かあったら連絡しろよと、、、

東京からなので、宇都宮には夕方に出かけたが、その晩には着いた。

細野新次郎の親が交通事故を起こして、病院に運ばれて危篤状態であったのである、、そして、事故の内容を聞いてみると細野新次郎の親の方が違反をしての正面衝突とのことであり、、細野新次郎は気が動顛していた。

虎次郎と達治がついた時に、話を聞いたら、細野新次郎はどうしたらいいか分からない、、と、、

「たっちゃん、、困ったよ、、」と、、おろおろしていた。

虎次郎も細野新次郎のことは知っていたので、、「馬鹿野郎、、お前がおろおろしてどうする、、兎に角、落ち着け、、」と、、言い聞かせた。

「まずは、新次郎、お前の親父さんを心配しろ、、」と、、虎次郎は病院側に聞いた。

一時は危篤状態であったが、様態を持ち直したとのことであり、、ゆっくり養生すれば大丈夫とのことであった。それを聞いた虎次郎と達治は安心した。

「ところで、事故の相手はどうなんだ」と、、聞くと車は破損したが、怪我の状態は思ったより軽く、同じ病院で治療は済んでいたので、、虎次郎が会って挨拶をしたのであった。

虎次郎はついてきてよかったと思った、、、日を改めて事故の相手とは話し合う約束をした。

「新次郎、、後のことは心配するな、、相談に乗るから、、今夜は親父さんの傍にいてやれよ、、言いな、、」と、言い聞かせて虎次郎と達治は引き上げた。



12)トラック野郎の男の涙


新次郎の父親の交通事故が起きてから、達治は連絡をもらった、、、

「たっちゃん、、恥ずかしい話だけど頼みがある、、、実は俺な金が無いいだよ、、、トラックを買ったばかりで、親父の入院費が払えないで困っている、、少し貸してもらえないかな、、、」

「自慢じゃないが、俺も引っ越しセンターを始めたばかりで、からっけつなんだな、、、虎兄いに相談してみるよ、、ところで新次郎、お前、保険かなんか掛けてないのか、、」と、、無駄だとは思ったが聞いてみた。

そして、、新次郎は泣きそうな声を出して、、「事故の相手の損害も払えないんだよ、、親父の奴、自動車保険を入ってなかったし、、一年前の保険料も払ってなかった上に、、車検が切れてたから困った、、」

と、、相談してきたのである。

達治も唸った、、「なんだと、、車検切れに保険なしか、、、参ったな、、ところで警察の現場検証はやってたのか、、」と、、聞いたら、親父の奴、覚えていないんだと話してくれた。

虎次郎が帰ってきてから達治は、今回の新次郎の親父の事故の内容を説明して、、相談をしたのであった。

「馬鹿野郎、、兎に角,金を集めよう、、警察の事は後回しだ、、、損害金と病院の入院費を作らないとな、、」

と、、虎次郎はすぐにトラック野郎の仲間に呼びかけた。

普段、面倒見のいい、虎次郎からの頼みなので、すぐに必要な金は集まった。

虎次郎は感謝した、、「ありがとう、、本当にすまない、、」と、、トラック野郎仲間に頭を下げたのである。

車検切れも「罰金刑」で済むように虎次郎は段取りをしたのであった。

やっちゃいけないことだけど、、普段は交通違反でばかり世話に成っている、、新次郎の親父が住んでいる警察署の交通安全課の大森課長宅を訪ねた。

虎次郎は日本全国の交通安全課とは顔を売っていたのであった、、

「こんばんわ、、、虎次郎です、、ご無沙汰しています、、いいですかお邪魔して、、」と、、大森課長に挨拶をして、部屋に入って行った。

大森課長の奥さんが出て来て、、「あら、、虎次郎さん、珍しいわね、、あなたが来たからには碌な話ではないわね、、でも、あなたは楽しい人だから、上がんなさい、、」

と、、、

「おお、、虎次郎か,最近違反がないようだな、、まあ、、上がれや。。」と、、久しぶりに尋ねた虎次郎を歓迎してくれた。

「どうも、たまには親父さんの顔を見たくなって、、旨い酒が入ったので持ってきたよ、、」

「嘘つけ、、お前が来るときは碌な話がないからな、、でも、、いいから中に入れや」

と言って酒盛りが始まった。

そして、新次郎の親父のことを話して、、穏便にしてもらえるように頼んだのである。。

虎次郎のなんとも言えない人懐っこさが、人を引き付けるのであった。



13)運転時間に規制が出来て、、、働きたくても働けない。。。


虎次郎たちトラック野郎にとって、働く時間改正は問題であった、、、

なんの保証もないトラック野郎には走ることが稼ぎになるのであるから、、、法律的な規制は死活問題であったのである、、、

中には「気にすることはない、、、今まで通りに走って稼げばいい、、掴まった時はそのときだよ、、、」という運転手もいたのであった。。

「俺たちトラック野郎は、、、会社もない、、一匹狼だから、、、申告しなければいいじゃないか、、」

とか、、いう奴もいた。

「今までのように、スピード違反をする様によ、、掴まるまでやればいい、、、」というトラック野郎もいたのである。

虎次郎は違うと思った。これからのトラック野郎は変わらないといけないのだと、、、やっぱり、税金を払って仕事をしないと、、そんな風に考える虎次郎であった。

追分の達治に「引っ越しセンター」を作って仕事をやる様に、トラック野郎も一匹狼ではなく、、グループ団体で運送業をしないと、まともな運賃がもらえないと思ったのであった。

そして、虎次郎は弟分の達治とも相談して、、旗揚げをしたのである。。。

その名も「東京トラック野郎組合」を作って、一匹狼のトラック野郎を加盟させていっ


14)トラック野郎、悪行集団に巻き込まれる。。。


虎次郎の古い仲間で、、長距離専門にしている「疾風の狼」と言われてる「黒田長治」というトラック野郎がいる、、、その男が久しぶりに虎次郎を訪ねて来た、、、一人の若いトラック仲間を連れて、、、

「虎さん、、ご無沙汰しています、、今日は頼みごとが有ってきたんだよ、、何時もいつも頼み事ばかりですまない、、、困ったときにしか来ないで悪いな、、、」

と言って、、訪ねて来た訳を話し

「一緒に来た,こいつは俺が今、面倒見ている高松道夫っていうんだが、、、二人で間違いを起こしてな、、

困っている、、、助けてほしいんだよ、、、虎さんにしか頼む人が居なくて、、」

その訳とは、、、二人で中身を知らずに、秋田から東京の芝浦まで運んだ荷物にあったのだ。

疾風の狼こと「黒田長治」は同じトラック野郎の仲間である、「大島茂」という奴から頼まれた仕事であった。

仕事の中身を確認しなかった黒田長治も悪かったんであるが、、、東京都内に入る検問で引っかかってしまったのであるが、、運んだ中身が「密輸入の拳銃やライフル」だったのであった。

その検問所で御用となり「銃の密輸入現行犯」及びに「銃刀違反の現行犯」で逮捕されたのである。。

黒田長治たちは22日間の取り調べ拘留で板橋警察署の留置所にいて、、、不起訴になって出て来たばかりであった。

しかし、、運んだ「銃類」は没収になり、、黒田長治に頼んだ「大島茂」が逮捕されてしまったのである。。

逮捕された板橋警察署で聞いた話では、、密輸グループがバックにいるようなので、、怖くなって、、虎次郎の所に相談に来たのであった。

黒田長治の警察の取り調べから想像して、、、どうも「ロシアマフィア」が絡んでいるような気がして、、直観的にまずいとおもったのである、、、最悪の場合、殺されるような気がしたのであった。

自分たちも危険な状態ではあるが、、逮捕された「大島茂」は消されてしまうような気がしたのであった。

「虎さん、、、俺たちではどうしょうもない、、何とか助けてくれ、、恐ろしくて、寝てもいられないよ、、、」

泣き出しそうな顔で虎次郎にすがった。

「困ったな、、しばらく動くな、、俺の事務所にいろよ、、何とか考えるから、、」

二人を匿った。

虎次郎は弟分の達人に訳を話して、、自分の部屋に二人を入れた。

早速、ロシアマフィアならば、、とりあえず「有馬一山」に連絡を取って、会うことにした。



15)虎次郎、、覚悟を決めて闘う


虎次郎は有馬一山に連絡を取ってもらい、ロシアマフィアの日本組織の代表と会うことになった。

そして虎次郎は有馬一山と一緒に博多事務所に行き、上杉健太郎と会った。

「先日は御馳走さまでた、、、いろいろとありがとうございました、、、今日は、また面倒なことでお邪魔しましたがよろしくお願いします」

と、、挨拶をしてのであった。

「虎次郎さん、、用件はわかっています、、組織から報告は受けているので、、しかし、私も組織の人間ですから、出来ないともあります、、」

釘を刺されていまった虎次郎でした。

「虎次郎さん、、今回の事は組織が決めたことであり、私なんかが口の挟めるものでは

ありません、、、虎次郎さんとは友達として付き合っていきたいのですが、、私の力ではどうにもならない、、勘弁してください、、」と、、言われては虎次郎も頼めるものだはなかった。

「しかし、虎次郎さん、、私のにも出来ることはあります、、知られれば消されるかも知れないが、、情報だけは入れますよ、、それで許してください、、」

傍にいた有馬一山も、、「虎次郎、、上杉さんも大きな組織の一員なのだから、無理は言うな、、」と言われて、虎次郎は何も言えなかった。

「分かりました、、上杉さん、無理なお願いですいませんでした、、俺が間違ってたよ、、」と、、上杉健次郎に礼をいったのである。

そして、教えてくれた、、、

「虎次郎さん、、組織は本気で今回逮捕された「大島茂」を狙っているから,注意してくださいよ、、ロシアマフィア組織は日本の政治の中枢にも食い込んでいますから、本当に慎重に、、行動してください、、」

と、、情報をいれてくれてことに感謝して、博多事務所を後にした。

虎次郎は腹を決めた、、、これ博多事務所に来ることは無いだろうと、、

相手が国だろうとやくざ組織だろうと、「やってやろうじゃあないか、、」

と、、助けを求めたきた「トラック野郎」を助けることにしたのであった。

「一山、、今日はありがとうな、、あんたもやくざ組織の人間だから、、俺が今からやろうとしていることには、関わらないほうがいい、、」と、、お礼を言うと、、

「馬鹿野郎、、俺は日本人だぞ、、水臭いことを言うな。。」

そして、、「虎次郎、、ここまで来たからには、、お前に付き合うよ、、最後までな、、なんかお前をほっとけない、、虎次郎、、今から俺と兄弟分の付き合いをしよう、、あははは、、、宜しくな。。」

と、、言ってくれた有馬一山に涙したのであった。



16)トラック野郎軍団とロシアマフィア組織の闘い。。。


虎次郎は覚悟を決めた。有馬一山が今日から虎次郎の事務所に寝どまりをすることんしたのであった。

あいてはロシアマフィア組織である、油断は出来なかった。

そして、

逮捕されているトラック野郎の大島茂に虎次郎は面会に行き、伝言したのであった。

差し入れされたものは絶対に食べないこと、誰彼のからでも駄目だとした、ロシアマフィア組織は証拠を消したいのである。間違いなく、殺しを企てている筈であった。

まずは差し入れされたものを食べない、そして、他にも注意して行動するように指示をした。

間違いなく、今回の逮捕では起訴はされるのであるから、判決が出るまでの留置所、拘置所の中で、どうして、トラック野郎の大島茂の身を守るかを、虎次郎は考えた。しかし、警察塀の中では方法がなかったのである。

板橋警察署の留置所では、調べたら、虎次郎の昔の遊び仲間のやくざ者が一人掴まって、留置所にいたのであった。

暴れ者で、喧嘩慣れした無法者であったので、虎次郎は面会に行って、大島茂のガードを頼んだのである。

虎次郎には命の借りがあったので、引き受けてくれた。

その無法者「若松寅吉」は拘置所に移動され、懲役刑で刑務所に服役する予定でもあったので、しばらくは留置所、拘置所に留置されているので虎次郎の頼みを聞いてくれたのであった。

後は運否天賦である。運が良けりゃ助かるだろうが、、相手は組織だから駄目かも知れない。


虎次郎はやってみようと、駆け込んできたトラック野郎の二人にも言い聞かせた。

「虎次郎さん、仕方がないですよ、、、覚悟はしてますから宜しくお願いします。自分たちの蒔いた種ですから、俺たちも頑張りますよ、、、」と、、納得して、頼み込んだトラック野郎ふたりは虎次郎に任せたのである。

ここまで来たら虎次郎に命を預ける他に道はなかった。

有馬一山も用意するものを準備して、虎次郎に掛けてみたかったのである。

「虎さん、、奴らは、逮捕された居る男以外の二人も狙って来る筈だ、、」と、、、ロシアマフィア組織のやり方を知っている有馬一山は虎次郎に告げた。

必ず、匿っている二人も始末するだろう、、、だから、襲撃してくると、、、

今までにロシアマフィア組織が生き残って来たわけは、絶対に証拠を残さなかったからであった。

必ず、襲撃してくるから注意しなとと有馬一山は言ったのである。

どういうやり方で攻めてくるかである、、、

「虎さん、、銃は、、ライフルは三丁用意してきたよ、、、後は日本刀を振り回して、相手の行き根を止めないとな、、」

という、一山であった。

「ああ、、わかった、命がけでやってやるよ、、俺たちの人生も終わるかも知れない、、一山、すまないな、、付き合わせて、、あんたにはこの世では返せない義理を借りてしまったな、、、本当にすまない、、」

と、、虎次郎は頭を下げて礼を述べ、謝った。

助けを求めた二人のトラック野郎も涙ぐんで謝った、、頼んだ追分の達治も「すまない、、すまない」と言いながら頭を下げたのである。


追分の達治は自分の仲間の為に、命を掛けてくれる虎次郎と一山に言葉では言えないが、、心の中で詫びていたのであった。

虎次郎は弟分の達治の為に、一山は虎次郎の義理の為に命を掛けてくれるた、、、

達治は心から、「いい兄貴分を持ったと感謝した、、」そして、今回は達治は仲間の為にと体を張って、命がけでロシアマフィア組織と闘うことに悔いはなかった。

自分の為に命を掛けてくれる大好き兄貴「虎次郎」と一緒にこの世の中の悪と戦えることに誇りを持って死ねるのであった。

そんな覚悟を見抜いたのか、虎次郎は、、、

「達治、、死ぬなよ、、生き延びることを考えるようにな、、」と、、言ってくれた。

覚悟が決まった虎次郎たち五人は待ったのである。今回はロシアマフィア組織が攻めてくるのを迎え撃つのであった。

絶対にこの倉庫からは外に出ないようにと指示を出した、虎次郎であった。


そして、一回目の襲撃があった。

堪らない、20名ほどの無法者が銃を乱射して、虎次郎の倉庫に突っ込んできたの

虎次郎たちは一山が用意してくれたライフル三丁と日本刀五本であった。

それと虎次郎が持っている猟銃三丁での戦いだった

しかし、この戦いを知ったトラック野郎たちが,ありったけの銃を集めて、参加してくれたのであった。

どこで手に入れたのか手榴弾もいくつかあったのである。

その上、ロシアマフィア組織が攻め込んできた時にダンプ野郎たちが、ヤクザマフィア軍団のなかにダンプで突っ込んでくれたのであった。

それも砂利を満載に積んできてくれて、取り囲んでいるマフィア軍団の中に振りまいてくれた。


このたラック野郎の応援部隊によって、ロシアマフィア組織は退散したのであった。

逃げるロシアマフィア集団から、虎次郎たちは機関銃などの銃を奪った。

今回のロシアマフィア組織の襲撃は、直ちに上杉健太郎の耳に入り、有馬一山に情報がはいった。

「やったね、、凄いよ、、、博多事務所でも噂になっている、、どうしたものかと、、」

虎次郎たちトラック野郎軍団の力は馬鹿に出来ないとの噂であった。


逮捕されたトラック野郎の大島茂にもロシアマフィア組織からの手は廻り、、差し入れは何回もあったのであった。そして、調べてもらったら「独饅頭」であった。

そして、大島茂はロシアマフィア組織の回し者が留置所に入り、、何度も夜中に命を狙われたのであるが、、、虎次郎の悪友の「若松寅吉」に助けられていた。

しかし、守り通した虎次郎たちは一層の警戒を強めた。

何が何でも守り通して、密輸犯罪を潰さないと、虎次郎はおもったのである。

そして、虎次郎は新しい情報を入手した。

二回目の襲撃が近いうちにあるという噂が聞こえてきたのである。

トラック野郎軍団が虎次郎の倉庫の周りを囲み、完全装備をしたのであった。

このころには警察も動き始めて、虎次郎の倉庫近くに銃撃戦にそなえたのである。

この警察機動隊の出撃でロシアマフィア組織の勢いも止まって、襲撃はなくなった。

そして、今回の銃撃戦がきっかけとなり、、ロシアマフィア組織への取り締まりが強化された。


虎次郎たちトラック野郎軍団の動きが国家警察を動かし、、ロシアマフィア組織への取り締まりが厳しく成り、、博多事務所への強制捜査の手が入ったのであった。

そして、逮捕されているトラック野郎「大島茂」の身の安全が警察によって保障されたのである。

トラック野郎の虎次郎たちの命がけの闘いが、国家権力の警察をうごかしたのであった。

今回の銃撃戦が引き金となり、、悪徳な権力者たち、甘い汁を吸っていた悪徳政治家の力も、、陰の暴力者たちも動くことができなかった。

そして、ロシアマフィア組織の人間たちが厳しい警察の追及を受けて,検挙されたのであった。

今まで、警察の捜査が入らなかったロシアマフィア組織にいっ気に警察暴力がはいったのである。。

裏社会の密輸軍団に対して、、日本国家の威信を掛けての闘いが始まった。

トラック野郎軍団が勝利したのであった。虎次郎も一山も命がけの闘いをしたことに、、

救われたのである。


17)手打ち式


ロシアマフィア組織との抗争のあとに、、有馬一山を通して虎次郎に連絡がはいった。ロシアマフィア組織も今回のトラック野郎軍団との

抗争で警察からの家宅捜査が入り、、逮捕者がでたのであった。

犯罪組織取り締まり法や銃刀法違反での逮捕者がロシアマフィア組織からも幹部社員を含めて多数が逮捕され、かなりの痛手を被ったのである、、、

それで今後の組織としての事業展開の都合で有馬一山を通して、「手打ち式」の申し込みがあった。

その話が出たので、、虎次郎としてはいつまでも抗争状態よりは良かれと思い、、申し込みを受けることにしたのである。

有馬一山の話によると、、ロシアマフィア組織側からは、日本代表上杉健太郎と極東ロシアマフィア組織代表の「ロブコッチ」が出席して、、トラック野郎軍団代表は「網走虎次郎」で、、有馬一山が介添え人として出席することになった。

手打ち式の日時も決まり、虎次郎と一山が出席することで話が進んだのであった。

手打ち式会場はロシアマフィア組織の博多事務所の3階フロアに設けられたのである。

そして、手打ち式当日、ロシアマフィア組織からは上杉健太郎と極東代表の「ロブコッチ」が顔をそろえた、、ロシアマフィア組織側は数人の幹部社員が列席した。

そして、、一同が揃ったところで、上杉健太郎が挨拶を始めた、、、

「それでは、、これから、ロシアマフィア組織とトラック野郎軍団との手打ち式を執り行います、、」

ということでそれらしく、厳かなにはいまった。

その時の会場の雰囲気で、虎次郎は何かが変だぞという不安感というか不審な気持ちに襲われたのである。

もしかしたら、、ロシアマフィア組織の罠かも知れないと思った虎次郎であった。

手打ち式もそろそろ終わるかなと思った、、瞬間にロシアマフィア組織の幹部社員が機関銃を撃ちながらなだれ込んできたのである、、堪らない、、虎次郎も一山も銃撃されてしまった。。

その時、、上杉健太郎が撃たれる二人の前に立ち塞がったのであった。。

「何をするんだ、、お前らは、、辞めろ、、」と叫んだ、、

そして、上杉健太郎も撃たれた、、、「汚いぞ、、約束が違うぞ、、豚野郎、、」と、叫びながら倒れた、、、

一山も体中に銃弾を浴びて、その場に倒れたのであった。

その修羅場の中から、、虎次郎が立ちあがった、、、ロシアマフィア軍団は驚いてひきさがった、、、

「馬鹿野郎、、、騙したな、、、こんなことだろうとは思っていたが、、ふざけやがって、、糞、、ロシアの外道、、覚悟しやがれ、、」と、、嫌な予感がした虎次郎は隠し持っていた短刀で切りかかった、、代表の「ロブコッチ」を刺し倒したのであった。

そして、、ロシアマフィア幹部社員から機関銃を奪い、、その場にいたロシアマフィア組織の人間を撃ち殺して、、一階に下りた、、

心配して来てくれたトラック野郎の弟分の達治や、仲間たちが虎次郎を助けたのであった。

有馬一山も上杉健太郎も絶命していた。。。

虎次郎は用心のために「自家製の防弾チョッキ」をつけていたので一命は取り留めての抵抗であった。

oraて、引き揚げ

虎次郎は引き上げながら考えた、、、自分の命を捨てても、二人への義理は返さないと、、死んでも死にきれない。。

虎次郎は二人の葬儀はトラック野郎軍団で行ったのである、、二人とも身寄りのない極道であったので、、、

そして、虎次郎は二人の墓前に誓った。



18)虎次郎は燃えた、、命尽きるまで、


ロシアマフィア組織との抗争のあと、虎次郎は辛うじて命拾いをした、、、

しかし、長い付き合いの「有馬一山」と何となく気の合った「上杉健太郎」を失った。有馬一山には返し切れない「義理と恩義」があった。虎次郎はこの世では返せない義理をあの世で返すと誓ったのである、、、

一山の墓前で、、、そして、、命がけで虎次郎の味方をした上杉健太郎も死んだ、、虎次郎は決めたのである、、、「上杉さん、、、仇は討つよ、、ロシアマフィアは命に代えても潰すからな。。」と、、

虎次郎は今回の事件で警察から呼ばれていた、、、取り調べで虎次郎の正当防衛は認められたが、、警察としてもロシアマフィアを殲滅したかったのであった。

それで、、ロシアマフィア組織の状況を知りたいので、虎次郎に抗争の時の狙撃時の人間たちを聞いてきたのである、、警察も必死であった。逮捕したロシアマフィアの特殊社員たちは黙秘を使い、、銃撃戦は認めたので、暴力行為での逮捕だけとなった。

そのために虎次郎から「密輸関係」のことを聞きだしたかったのであるが、、、虎次郎もはなさなかった。

警察から戻った虎次郎は仇討の準備に取り掛かった。

ろしアマフィア組織は、、ロシア本国に守られていたのでる。

虎次郎の人脈や情報では太刀打ちで来るものではなかったが、、虎次郎は諦めなかった。

虎次郎は弟分の追分の達治を呼んだ、、、

そして、、「達治、、お前の命を俺にくれ、、一緒についてきて欲、、しい、、、俺には組織もなければ、、力もない、、、だから俺の糞度胸で体当たりしか方法がない、、いいかな、、恩返しはあの世でしか出来ないが、、来てくれるか。。」

「何を言ってるだよ、、兄貴、、俺で良かったらいつでも使ってくれ、、こんな時でしか恩返し「いいか、達治、、相手はロシアマフィアだぞ、、多分バックにはロシア本国がついているはずだ、、生きては戻れない、、、それでもやらないとな、あの世で一山に笑われるよ、、、」

と言いながら虎次郎は達治に礼を言った。

襲撃するところはロシア大使館の傍の付属ビルであった。


そして、虎次郎は達治を連れてロシアマフィアの本部ビルに向かったのえある、、

虎次郎はわざわざ天気の悪い大雨の日を選んだ、、、

東京の赤坂にあるロシアマフィア本部の前に虎次郎と達治が立ったときに、、3人の男達が近寄ってきた、、、「虎次郎さん、、私たちにも義理を果たさせてください、、、」

と、、言って、細野新次郎、高松道夫と釈放されたばかりの大島茂が待っていたのであった。」



19)命尽きるまで、、その2


虎次郎は無茶な計画を立てて、、ロシアマフィア本部を襲撃をしたのであった、、追分の達治とそのトラック野郎たち、細野新次郎、高松道夫、大島茂の5人で捨て身で乗り込んだ。

全員、自分たちの防弾チョッキをまとい、機関銃片手に撃ちまくりながらロシアマフィア本部の中に入った、、、明け方の3時だった、、、

ロシアマフィア側は寝起きを襲われたから堪らない、、、虎次郎たちは5人ひと固まりで乗り込み、2階からは二人ひと組で乱射を始めた、、虎次郎は7階建てのビルの最上階に本部責任者が居ることを確認していたので一気に、その部屋に向かった。

無防備だった明け方なので、ロシアマフィア側は応戦がなかなかできなかったが、、途中から銃撃を開始してきた、、、しかし、戦闘準備の出来ている虎次郎たちのトラック野郎には適わなかった。

7階に乗り込んだ虎次郎は、、、

「覚悟せいや、、死にやがれ、、、一山と上杉さんのお礼参りだ、、くたばれ、、」と、,叫びながらロシアマフィアの責任者、プーチン塩田に機関銃を撃ちこんだ。。

仇は執った、、達治たちに引き上げる指示をしながら7階から降りていった。

虎次郎はロシアマフィア本部の組織の人間を一人残らず射殺したのであった。そして、、「達治、、みんなを連れて逃げろ、、いいな、、こんな奴らの為にみんなで責任を取ることは無い、、早く逃げろ。」

「いいか達治、とらっく野郎軍団は頼んだぞ、、いいな、、みんなありがとうな、、」と、、虎次郎は頭を下げて、、、

「みんな、達治を頼んだぞ、、、早く行け」と、、引き揚げさせた。

「兄貴、、分かった、、行くよ、、任せてくれ、、」と、、4人はその場を離れた。

一人残った虎次郎は警察に連絡をして、ロシアマフィア本部のビルで待った。。「一山、、仇は執ったよ、、上杉さんの恨みも晴らしたぜ、、後はあの世へ行ってから謝るな、、」と、、独り言を呟いた居た。


20)虎次郎、命果てるまで。。。


虎次郎は夜が明ける赤坂の眩しい陽を浴びながら歩いた。

血だらけの機関銃を片手にひとり歩いたのであった、、そして、、青山通りの赤坂警察署の前に立った。

人を殺してきた虎次郎であったが気持ちは清々しかった。

虎次郎が警察署の前に立つと、、警察官が取り囲んだのであった。

虎次郎は持っていた機関銃を投げだして両手を挙げた間へ進んだ、、

「何もしませんよ、、人を殺してきたので逮捕してください、、」と、、言うと数人の掲示らしき男たちが虎次郎を抑えた。

そして、顔見知りの刑事が虎次郎の前に出て、、話をした。

「虎次郎、、、お前か、、やったのか、、兎に角、中に入れ、、」と言って、手錠も掛けずに警察署内に入れてくれた。

「まずは、留置所に入って、少し休め、、寝てないんだろう、、取り調べは後からでいい、、、虎次郎、顔中血だらけだ、、顔を洗ってな、、」

そして、、朝飯を食べてからということで留置所に案内された。

虎次郎は増川警部補に感謝した、、、この人には以前からロシアマフィア組織とのいざこざを知っていたので、、今回は全てを話すつもりで、出頭してきたのであった。

虎次郎は増川警部補の計らいに感謝して、留置所で横に成った。

そして,午前中いっぱい休ませてもらった虎次郎はお昼ご飯を食べてから、取り調べになった。

取り調べは増川警部補が担当してくれた。

虎次郎は取り調べ室に入って、、、「虎次郎、、長い取り調べになるだろうから、、まずはお茶を飲めよ、、」と、薦められた。

「虎次郎、、お前の面会はしばらく出来ないので、、今からお手洗いに連れて行くから、、途中の廊下をよく見てな、、よく見ろよ、、」

と、言ってくれた。

虎次郎の目に飛び込んできた3人の男達が目に涙を浮かべていた、、増川警部補から話はしては駄目と止められていたので、、ただ、じっと見つめていた。

虎次郎には無言の言葉が聞こえた、、虎次郎も答えた「元気だな、、俺の分まで生きてくれ、、」と、、

達治が声を出しそうに成ったが止められた、、「兄貴、ありがとう、、面会が出来るようになっら、:必ず来るよ、、」と、、目で言葉を投げかけた。

そして,わずかな時間だけど別れが出来た、、

虎次郎は増川警部補に感謝しながら、頭を下げたのであった。

取調室に戻った虎次郎は改めて感謝の言葉を言ったのである。。

「良いよ、、俺にはこれぐらいしか出来ないからな、、、」

と、、話を本題に戻した。

「虎次郎、、今回は言っておくぞ、、覚悟をしておけよ、、多分刑は重いと思う、、、死刑か旨くいって無期懲役だ、、ロシア。人を20人も殺したのだからな、、」と、、言われても虎次郎は動じなかった。

































弘安の旅では日本では津々浦々まで、組織やくざが蔓延っていた。公安も警察も更に厳しく監視取締りをしなと駄目だと実感した、そんな公安旅をしながら、世の中の闇社会は消えないような気もした。

トラック野郎は全国に一匹野郎で仕事をしているが、団結しないと正当な運賃が貰えないと、団結するような機運を高めながら、日々運転をしている。

そんなかで、「密輸業」の荷物を運ばされて、、密輸業者とトラブルが起きて、抗争事件まで発展した。

そんな時にも主人公は責任を取り、命を掛けて闘った、ハードボイルド物語。

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