10話 契約書の注意事項
「魂を食べる……嫌よ」
「ダメだ。もう契約は成立している。あとはこの紙に形式上のサインを書いてくれ」
「嫌」
「じゃあ、こうだ……」
大悪魔デビルンが右手を上げると、例によって私の右手も動く。
「ほいっ! ボールペンを受け取れ」
大悪魔は左手である物を投げると、次は右手で受け止める態勢に入り、その動きにつられた私の右手がボールペンを掴み取った。
「強制サイン……ホントはこんな真似したくはないんだぜぃ」
「――これは何だ! 手が勝手に動く。バステト何とかして――!」
「はい!」
バステトが私の勝手に動く腕にとりついて、口でボールペンを引き抜こうとしていた。
「――ダメです! ビクともしません!」
「この役立たずが! ヤダヤダ! 契約なんてしたくない!」
「……はぁ~~~~これでも、人間側に合わせて配慮した契約の結び方なんだよ。何なら今すぐ強引に魂を掻っ攫っていくぞ」
「今すぐだと! ふざけるな! 私の自由意思がないじゃないか!?」
勝手に動く右手を、残った左手で、バステト共に必死に止めていた。
「古い手順だと、血の契約だな。俺様はそっちでもいいんだぞ……でも、中世でもあるまいし、そんな契約は嫌だろう。だからサインにしとけ」
「――詐欺だ! 詐欺だ! そもそも期限あるのか! 何か月の契約とか!」
「あるぞ。大体一か月だ」
「――早すぎる。じゃあもう私はバステトと話していることが一か月も続いているから、契約期間はお仕舞いじゃないか」
「いや、契約書にサインさえしてくれればいいんだよ。そうなると契約期間がリセットされる。このままだと強制的に魂を持っていくことになるけど、そっちの方がお好みか?」
「い・や・だ」
「なら早く書いちまえよ。どのみち逃げられんぞ。言っておくけど俺様は超強い。戦って契約破棄なんて使わせないからな」
(――包丁で刺してもピンピンしているもん。除霊の結界もぶち破って来たし……契約破棄は望み薄か……?)
「――まぁ、こっちはいつでも戦闘オーケーだぜ。期間中に呪詛やら魔法でも覚えて、俺様への反乱という手もある」
テーブルに置いてあったマカロンを左手に、右手はしっかりとエアボールペンを握る手にして、私の名を契約書にサインさせようとしていた。
(名前を教えるんじゃなかった)
「(主様――これ以上は抵抗できかねます。こうなってしまえば、まず、サインしてその期間中というモノに対策を模索するしかないのでは――)」
「おうおう、そうしろそうしろ! 勝負ならいつでも大歓迎だ」
バステトのヒソヒソ話を小悪魔的マスコットは聞いていた。そしてクッキーやチョコレートを次々と平らげていく。
(あぁ~~~~もう、私の魂があと一か月しか保たないのなんて、何かの冗談か――けれど聞いておきたいことが出来た)
「おい! まず規約を読ませてくれないか! サインしようにも今言ったことが本当か嘘か確かめたい」
「う~~~~ん、それもそうだな。よし一旦呪いは解いてやろう」
デビルンが右手を上げると、私の右手は自由に動くようになった。バステトも一旦離れて行き、疲れたのか――キャットフードを口にしていた。
「え~~っと、ナニナニ……(指名、年齢、生年月日に住所と来たか)」
私は契約書を読み進めて行く。
――悪魔との取引き――
「………………………………」
十分に読み込んだ私は、一旦用紙をテーブルに降ろして、疲れた首を回す。そして――
「フフフ、フーハッハッハッハッ! 何よ簡単じゃないかしら! 戦う必要もない! 本当にサインしていいのかしら……?」
「――うっ、ゲッホ、ゲホ――何だ? どういうことだ? サインは嫌じゃなかったのか?」
「ここに書かれている一文を読んでもらえるかしら」
私はデビルンに契約書の一文に目を通すよう促せた。
「ん? 注意事項? 事故で契約してしまった場合は、その契約を破棄することが出来、元の生活に戻ることが出来る――か。これは無理だぞ。お前の場合は、期限切れだ。確か契約したのは7月20日、そして俺様と出会った日は9月1日、この項目は一か月のお試し期間みたいなものだ。悪魔はそんなに優しくないぞ」
ギラリとお菓子で汚れた歯を見せつけてくる。
「(また詐欺みたいな契約ね、けど私が見てほしいのはそっちではなくて)――違う。私の言っているのはこの下の一文よ」
またも用紙に顔を近づける大悪魔はその一文を読む。
「契約者様の願望が実現できなかった、あるいは契約者様の期待に応えられなかったなど、そういう時にはこの契約自体を破棄するものとするか、遅れて契約を持続させる…………これが何だ? オカルト少女になる夢は叶えてやっただろう」
「ところが、私の満足しない契約は破棄と書かれているな。この場合は魂の所得も引き延ばしになると書いてある」
「――何が言いたい」
「つまり、私がこの契約の内容に納得が出来ていない。夢を叶えていない」
「何でだ? お前の願いオカルト少女になる夢は叶ったぞ。続きがあるのか……?」
「――世界征服よ。オカルト少女になって世界を征服するのよ」
リビングで優雅に踊る私を、デビルンとバステトは呆気にとられた顔で見ていた。もとい見とれていた。
「これで私は、契約書にサインをしても魂の所得が遅れるようになったのね」