『大和撫子』と保健室
「大丈夫か?」
「おう。まぁ転んだだけだから」
授業終わり。
片付けを終えたところで圭人から心配そうに声をかけられて、蒼は問題ないことを伝えて体操服に付着した砂を払う。
蒼の体操服は上下共に汚れていて、膝からは擦り傷ができてしまい僅かだが血が滲んでいた。一応水で汚れは落としてきたが、色々手当てをしてもらった方がいいだろう。
「なーに女子の方見てたんだよ」
「それはたまたま視界に入ったっていうか……」
「嘘つけ。たまたまどころかしっかり見てたじゃねえか。おまけに随分と派手によぉ……くくっ。すまん……」
そう言う圭人は頬を膨らませていて、今にも吹き出しそうな勢いだ。
あんな無様な姿を目の前で目撃すれば圭人みたいに笑いそうになるのも不思議ではない。
今は擦り傷による痛みよりもみんなの前で転んだところを見られたことによる心の痛みの方が大きくて、教室に戻るのが少し億劫になっていて蒼は大きく肩を落とした。
グラウンドから校舎へと入っていき、生徒たちは更衣室へと向かっていく。
「保健室行ってから戻るから先行ってて」
「俺も着いていこっか?」
「大丈夫。なんで?」
「また余所見して転んでしまうんじゃないかと」
「あー。もういいからさっさと着替えて部活行ってこい」
「はいはいっと」
階段のところで圭人と別れた蒼は一階にある保健室へと向かう。
やはり土まみれの体操服はみんなの注目を集めてしまうようで、すれ違う生徒は一度は蒼に視線を送るので蒼は羞恥心に襲われる。そのせいか保健室までのやたら道のりが長く感じた。
「失礼します」
二回ノックした後にガラガラっとドアを開いて保健室の中へと入る。
訪れたタイミングが悪かったのか、先生の姿はどこにも見当たらなくて「マジかよ……」と蒼は落胆の声を漏らす。
おそらく職員室にいるのだろうが、わざわざ呼びに行ってまで手当てをしてもらう理由はない。
さっさと着替えを済ませて家に帰ろうと、保健室のドアを閉めて更衣室に向かおうとしたところで――陽葵が立っていた。
既に体操着から制服姿に着替えを済ませていて、肩には鞄を担いでいたのでもう帰宅するところなのだろう。
「大丈夫ですか……?」
「まぁなんとか」
彼女も蒼のあの姿を目撃した人物の一人。
醜態を晒してしまった蒼としては、一刻も早くこの場から去りたい気持ちでいっぱいになっていた。陽葵は一瞬保健室へと視線を移してまた蒼に戻す。
「先生はいらっしゃらないのですか?」
「あぁ。だから着替えてすぐに帰る」
それじゃあ、と足早にこの場を去ろうとすると「待ってください」と陽葵から引き止められる声が届く。
「だめですよ。傷は早めに手当てしておかないと跡が残ってしまいます」
「じゃあ先生を呼んできて手当てを受けろと?」
陽葵はきょろきょろと周りを見渡して人気がないことを確認すると、保健室のドアに手をかけて開く。
「保健室、入ってきてください」
「いや、先生が……」
「いいですから」
陽葵の言葉以上の圧力を感じて、最後は蒼が折れるような形で再び保健室の中に入った。
「そこの椅子にかけてください」
言われるがまま蒼は少し硬めのソファーに腰を下ろすと、陽葵は鞄のチャックを開けて小さなポーチを取り出した。
「それは?」
「救急セットです」
「いつも持ち歩いてんの?」
「はい。何かあったときにすぐ応急処置ができるようにと」
「女子力高いな」
「ありがとうございます」
そのポーチから一本のチューブを取り出した。
「消毒液じゃないんだ」
「消毒液は細菌だけではなくその傷を治そうとする自分の細胞も攻撃してしまいますし、傷も残りやすくなるので。こういうときは軟膏剤とかおすすめですよ」
「へぇ。詳しいんだな」
「それなりには。それよりも擦り傷になっているところ見せてください」
「え、いや。自分でやるからいいよ。第一他人のそんな部分はあまり触るもんじゃないだろ。それに水で洗ったとはいえ汚いし」
人差し指に適量の軟膏剤を乗せた陽葵が怪我したところを見せろと促してきて、蒼は戸惑いながらも首を横に振る。
「わたしは気にしませんよ。それにもう軟膏剤も出してしまっているのですから無駄にしないためにも」
「じゃあ……お願いします」
またにしても陽葵に押されて、蒼はそう言葉を発すると擦り傷ができた膝まで体操着を捲って口を噤む。
はい、と陽葵はしゃがみ込むと傷の部分に軟膏剤を塗る。
てっきり消毒液のように塗った部分を刺激して痛みが走ると思ったのだが、そういうのは全くなかった。
(こうして近くで見るとやっぱ美人だよな)
見下ろしながら眺める陽葵の表情は引き込まれそうなほどに綺麗で可愛らしい顔立ちをしている。
笑った顔はもっと可愛いだろうな、と蒼は心の中で思いながらもそれを自分に見せることはないことも分かっていたので、今考えたことは即頭の中から消し去った。
「痛くはないですか?」
「大丈夫。痛くない」
「そうですか」
軟膏剤を塗り終わった陽葵は最後にポーチから絆創膏取り出してペタリと貼った。
「家に帰ってからも擦り傷は乾かさないでください。かさぶたになってしまいますので」
「分かった」
応急処置をしてもらい、捲っていた体操着を元に戻した蒼は陽葵に感謝の言葉を告げた。
「いえ。今度からは余所見をしないように気をつけてください。今回はたまたま擦り傷だけで済みましたけど足首を捻って捻挫する可能性もありますから」
怒っているわけではない。全くもっての正論で蒼はぐっと言葉を詰まらせたあとに小さく「はい……」と返事をした。
「処置も終わったのでわたしはこれで」
陽葵は立ち上がってスカートに着いた埃を手で払う。ポーチを鞄にしまうと鞄を担いでそれでは、と保健室のドアに触れる。
「ありがとう。助かったよ。気をつけてな」
「はい。風凪くんもお気をつけて」
小さく頭を下げた陽葵は保健室から出て行き、時間差で蒼も保健室をあとにして、更衣室へと向かった。
「おっ」
着替えを済ませて教室に入ろうとしたところで圭人と出会した。鞄を持っていたので今から部活に向かうところだったのだろう。
「おかえり。思ったよりも遅かったな。先生いなかったのか?」
「まぁ……そんなところかな」
まさか陽葵に処置してもらったなんて言えなくて、蒼は頷いて視線を陽葵に処置してもらった膝へと向けた。
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