『大和撫子』とお誘い
休み時間。
特にやることもなかったので、廊下で窓から見える景色を両肘突きながら眺めていた。
「風凪くん」
淀みない静かで穏やかな声が聞こえて、やや倒していた身体を起き上がらせて顔の向きを変えると陽葵が立っていた。
「あの子のその後の様子はどうですか?」
「あの子……あぁ、ユキのことか」
「ユキ……?」
あの子が何を指していたのか一瞬思考が止まった蒼だったが、しばらく間が空いたあとに理解してユキ、という名前を口に出すと、聞き慣れない言葉に陽葵は目を丸くした。
周りの生徒がやたらこちらを見てくるが、その視線を意に解することはなかった。
「あの子って先日拾った猫のことだろ?あのあと色々考えてユキって名前にしたんだよ」
ユキという名前にもあまり深い意味はなく、白いもふもふした毛皮と雪が降っていた日に出会ったから、という単純な理由だ。
それにメスっぽい名前だと思うので、蒼的には中々納得のいく名前を名付けられたと思う。
「そうなのですね。それでユキちゃんは元気なのですか?」
「あぁ。普通に元気だぞ」
まだこれっぽっちも懐いてくれないけどな、と肩を竦めて苦笑を浮かべながらポリポリと頬を掻く。
寝床を教えたりご飯を食べさせたり部屋の中で爪研ぎしないように少し大きめの爪研ぎを用意してあげたりと、色々と慣れないことだらけなので大変だと感じることの方が多い。
だが時折り覗かせる円でまん丸な瞳を向けて声を鳴らすのだから、なんとしてでも懐かせたいと思ってしまう。
「そうですか。それを聞いて安心しました」
あの雪の日、蒼以上にユキのことを気にかけていたので、元気に過ごしていることを知れて安心したのだろう。涼しげな表情は少し頬を緩ませると小さな吐息を漏らしていた。
そんな陽葵を黙って見ていた蒼は「なぁ」と声をかけたあと、
「一ノ瀬さんさえ良かったら、休みの日家来るか?」
蒼の突然の誘いに陽葵は栗色の瞳を何度か瞬きさせた。
そんな反応を見せる陽葵に、もしかしてやましい意味で受け取ってしまったのかと感じとった蒼は再び口を動かす。
「言っておくけど変な意味で誘ったわけじゃないからそこだけ勘違いしないでくれ。一ノ瀬さんもユキの様子が気になるのかなって思ったら誘っただけ」
蒼も女子を自室に招いたことなんてほぼないと言っていい。数回ほど有紗が訪れたくらいでそのどちらとも圭人も一緒にいてゲームで遊んだくらいだ。
蒼からこうして誘ったのは陽葵が初めてで、蒼もかなり緊張している。
だが陽葵だってユキの様子はこの目で確かめたいだろうし、言葉で聞くよりもそっちの方が信じやすいだろうというのが蒼の考えだ。
「分かってますよ。まさかお誘いしてくるとは思わなかったので少々驚いて反応が遅れてしまっただけで。わたしは別にそちらの面で特に心配はしていません」
「あ、そうなの」
「はい。少なくともこれまで誘いの声をかけてきた人たちよりは遥かに信頼していますし信用していますから」
「そいつはどうもありがとう」
陽葵の今の言葉に決して悪意はないのだろう。むしろ今のところ自分に対して害を与える人間ではないと認知してもらっている辺りは喜んでいいところのはず。
だがそれは同時に男として見てもらっていないことの表れもあって、ああもきっぱり言い切られてしまうと、喜んでいいのやら悲しめばいいのやら。
「それでは……今度の土曜日の午前……十時に訪れてもいいですか?」
「あぁ、分かった」
その日はバイトもなくいつも通り家で過ごしているので問題ない。二つ返事を返すと陽葵も頷いて、「それではまた」と言い残して、教室へと戻っていった。
蒼は再び窓の景色に視線を戻して、どうすればユキが懐いてくれるのか思考していた。
「……わぁっ!」
背後から突然の声と共に両肩を軽く叩かれて、蒼の身体は驚きのあまりに硬直する。すぐさま身体を振り返らせると、いつも見せる爽やかな笑みはなく、悪戯を楽しむような不敵の笑みを浮かべる圭人が立っていた。
「圭人か。驚かせるなよ……」
顔を俯せる蒼に「ごめんごめん」と笑いながら圭人は謝ってきて、蒼は深い息を漏らしながら顔を上げた。
「なんか用か?」
「いや。一ノ瀬さんとやたら楽しげに話してたから何かあったのかなーって……もしかして……」
「何もねぇよ。なんていうか……共通の話題があったから話してただけだよ」
呆れた様子を顔に浮かばせる蒼に「ほうほう」と興味深そうに二回ほど強く頷く。
「まぁいいんじゃないですか。そんな小さな一歩の積み重ねが大事なんですよ」
自分でもいい事言ったみたいなドヤ顔を向けてくる圭人に「誰目線で言ってんだよ」と蒼は再度呆れた目を向けながら呟いた。
「そういや蒼、最近お前噂になってんぞ」
「は?なんで」
「そりゃあれよ。一ノ瀬さんと話すことができる生徒だからだろうよ」
撫然な表情を見せて素っ頓狂な声を上げた蒼に圭人は人差し指を蒼に向けてピンと伸ばした。
「前に有紗が言ってただろ。自分からは話すような人じゃないって。そんな子が蒼には自分から話しかける姿を何度か見たら、それはそんなこと言われても無理ないだろ」
「あぁ、だからみんなこっち見てたのか」
「そういうこと。それにほら、一ノ瀬さんって学年の中でもかなり美人じゃん。それに物静かで表情をあまり変えないところが逆に魅力的だって言う生徒も結構いてそれなりの人気らしいのよ。そいつらからは蒼のことを羨んでいるみたいでさ」
「こわっ」
別にそんな大した話をしているわけでもないのだが、彼らからしたら内容には興味なんてこれっぽっちもなく陽葵と話していることに羨望の眼差しを向けてくるのだろう。
先ほどまで視線を向けてきた生徒の中にその目を注いできた生徒がいると考えると、背筋が少し凍りそうになった。
「帰り道には気をつけてな」
「恐ろしいこと言うのやめろよ」
圭人は蒼の肩に手を乗せて能天気に笑い、蒼はもう何度吐いたか数えるのも億劫になった溜息を漏らした。
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