母親エンカウント
歩くこと四十五分ほど。水でも浴びたのかと思われるほどの滴る汗、空になったビニール袋、ペットボトル。たった一時間弱で死にかけるこの一帯は地獄だろうか。とにもかくにも、なんとか実家へと到着した。
「ここが、先輩の家……」
実家は平屋だ。秋元家はお金こそないが土地だけはそこそこに持っていて、家自体は大きい。一部屋あたりの間取りは約十五畳ほどの広さだ。ここに慣れていたものだから、東京で最初に物件を見た際「物置小屋ですか……?」と素で訊ねて失笑を買ったのはしかたない。
「たぶん母さんが居るからエンカウントすることになるだろうけれど。余計なことは言うんじゃないぞ」
念には念をで釘を刺しておく。
「おうおう、なんて言い草だい。いっちょホシモンバトルと行こうじゃないか」
「うわ、エンカウントした」
某国民的ゲームで見たことある因縁の付け方で母が現れた。なんだよホシモンって。ホシモン……干しもん。あ、洗濯物か。わかりにくい。
「お帰り、弘樹。三年ぶりくらいかしらね。あんた、少し痩せたんじゃない?」
この肝っ玉母ちゃんみたいな話し方をするのが、何を隠そう我が母である。秋元家は現在、父と母、そして一人息子の俺・弘樹だ。いきなり姿を見せたものだから、思わず俺の思考が停止してしまった。虚を突かれてしまった。だが、相手も同じようで、俺の後ろに立つ三上の姿を見て、母も言葉を失っているようだった。
「――――……現、実?」
目を瞬かせ、何度もこする母。
「お母さま、こんにちは。暑い中お出迎えありがとうございます。私は――」
母は便所サンダルで三和土から出てきて、三上をいきなり抱きしめた。当人はもちろんのこと、俺も思わず面喰ってしまう。
「えっ、ええっ」
動揺する三上を他所に、母は今にもエンディングを迎えそうなほど情感のこもった声で、
「……ここはあんたの家だ。よく来たね。おかえり」
と、ロクでもないことを言い出した。
さすがに炎天下突っ立っているわけにもいかないので、ひとまず荷物を元・俺の部屋(現在は物置部屋)に置いて、居間へと進んだ。
ソファーに腰を下ろして一息ついていると、母親がポットに入った麦茶とコップを持ってきた。
「あ、私が注ぎます」
立ち上がる三上を制止して、「長旅で疲れただろうし、休んで休んで。気を遣う必要なんてないんだよ」と、俺の見たことがない対応をしている。これは本当に母親だろうか? 中身は別人とか。
二人が世間話に花を咲かせる様子を眺めながら、母親もしくは三上が余計な口を滑らせないか監視する。
うっかり口を滑らせて、家族公認みたいなことになってしまったら困る。俺はまだ、三上のことをそういう目で見れない。見てはいけない。
「もちろん泊まっていくんでしょ?」
「あ、いえ、宿は取ってありますので」
非常にまずい流れを感じ、慌てて立ち上がる。
「もしかして大川ホテル?」
しかし、瞬き一つの間に母親が俺と三上の間に割り込んだ。稲妻のごとき速さに思わずのけぞる。こんな俊敏な母親を初めて見た。まったく嬉しくない。
「そうです。ご存知ですか?」
「このあたりにはホテルなんかあそこぐらいしかないからねえ。さすがに部屋は別よね?」
まずい。まずい。俺は数秒後の未来が見えた。見えてほしくなかった。邪魔しようとしたが、母親に塞がれた。防がれた。笑ってやがる。全部、聞き出すつもりだ。
三上はにまーっとだらしない笑顔を俺に向けたあと、
「ところがどっこい同じ部屋です!」
本当に余計なことを言ってくれた。
母親がそれを聞いてギラリと眼光鋭く睨んできた。
「弘樹ィ!」
「飛び火してきた」
いまにもとびかかってきそうな母親から数歩距離を取って身構える。ウソというものは若干の真実を織り交ぜることでリアリティが増す、って本で読んだことがある。確かに、部屋は一緒だ。もちろんベッドだって別だし寝床もしっかり分ける。だが、どんな言い訳も無駄だろう。それが男女の組み合わせというものだ。三上、覚えてろ。
「奈津ちゃんに恥をかかせるんじゃないよ!」
「うるせえ!」
なんの話だなんの。というか家族とそういう話をするのってすごく気まずいからやめてくれ。三上は両手できゃーとかやっている場合ではないだろう。おもしろがってないで収拾をつけてくれ。
その後もしばらく女性陣での井戸端会議は続いた。巻き添えを喰らうのはもう嫌だとばかりに自室へと退散することにした。