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Summer Refrain -狐の嫁入り-  作者: ジャこ
14/16

出逢いと別れ

 三上奈津。五つ下の同期で、髪は栗色。身長は一五〇センチとちょっと。見た目は小動物そのものだが、その正体を、ようやく思い出した。

 買い物からの帰り道、突如道へと出てきた手負いの狐。ドーナツを齧ったのちに俺を誘導するように森の中へと進んだ狐。斜面を滑落した俺の傍で鳴き声をあげていた狐。


「あの狐は……お前だったのか、三上!」


 意識が急速に浮上する。すぐに三上を目で追った。だが、彼女の姿がどこにもない。忽然と、姿を消してしまった。あるのは通ってきた道と、先へ繋がる細い獣道だけだ。


「三上、どこだっ!」


 慌て振りむいた際に足元の濡れたウッドチップに足を滑らせて転倒してしまう。湿った土に顔からダイブしてしまい、土が顔にべったりとついた。

 腕で強引に拭った目の前に、千切れた白と赤のミサンガが落ちていた。


「これは……。三上! どこにいったんだ!」


 彼女が遠くに行ってしまうような危機感。言いようのない不安が全身を襲う。怖いどころの話ではない。立ち上がった足がガクガクと震える。


「おまえ、区切りが着いたら返事を聞かせて、なんて言ってたじゃねーか……まだ何もしていないってのに、勝手にいなくなるんじゃねーよ!」


 俺は立ちあがる。服が土に塗れようが、服が濡れようが、別に大した問題じゃない。



 ――……?



 なんだ、何かがおかしい。落ち着け。冷静になれ。何かがおかしい。違和感の元を探るんだ。

 なんで、渇いた土に転んだはずなのに、服が濡れる。そもそも、なぜ転んだ。さっきまでの道は濡れてなどいなかった。それに――なぜ道を塞いでいた木が無くなっている。


「……まさか、ここは」


 ――あの日、だとでも言うのか。

 案内役の狐も、一緒に歩いてきた小動物のような彼女の姿もない。確信はない、だが身体は勝手に前へと進み始めた。だが、それでいいんだろう。俺は、過去の記憶を取り戻して前に進むために来たのだから。

 切れたミサンガをポケットに突っ込んで、俺はゆっくりと前に歩き出す。


 足場は余りに不安定だった。何度も転びそうになり、何度も滑落しそうになり、木々の葉でところどころが切れて血が流れ、それでも前に進んだ。

 前に進む。ただそれだけを頭に。どれほどの時間を歩いたか。

 やがて、俺は不自然に開けた場所へとたどり着いた。そこは草木が生い茂ってこそいたが、人の手が入った場所だとわかる。人が立ち入らず、幾年の月日が流れたのかはわからないが、そこに建つ建造物には見覚えたがあった。


「――神社?」


 なぜ、こんなところに。

 割れた石畳を踏む甲高い音と、膝下まで伸びた雑草をかきわける音が響く。


「三上、ここにいるのか……?」


 焦りに背中を押されるように、古びた賽銭箱の前に立つ。拝殿へと上がろうと一歩を踏み出そうとして、


「よく来たのう。待っておったぞ」


 掛けられた声に思わず身を固くする。


「貴女は」


「この社の神、稲荷のコゴリじゃ」


 緋色と白の袴に身を包んだ美女だった。切れ長の瞳には、大人の妖艶さと、子供のような無邪気さをのぞかせる、不思議な瞳だった。

 ああ、この女性が。常に靄がかかっていた夢での姿は、間違えようもない。この女性こそが、俺がずっと追い求めていた、記憶を知るひとだ。


「さて、なにから話そうかの」


 女性――稲荷様、コゴリ様は、あごに手を当てながら、ゆっくりと話を始めた。俺の記憶に関する、全てを。


「十年前の夏、お主も知っていようが、この一帯は記録的な豪雨に見舞われた。その被害はことのほか大きく、地滑りや土砂崩れがいくつもの場所で起きてしまった」


 その話題は覚えている。学校からは、山沿いの学生に対して外出は極力控える旨の通達があった。


「妾の居るこの社もまた、このようにところどころが崩壊しておる。お主の居る時間軸であれば、ここは既に朽ち果てておろう」


「……俺のいる時間軸」


「気づいておるのじゃろ。ここは、お主があの日、たどるはずだった道じゃ」


 倒れてきた木に巻き込まれず、進むはずだった道。


「ここは、十年前だっていうのか」


「正確には、十年前の残滓、というところかの。ここは、お主の強い思いが生んだ空間じゃ。人は過去には戻れぬが、強い思いは、行動は、予期せぬ力を生む。結局は、過去も未来も、一瞬一瞬の現在の積み重ねじゃからの」


 ならば、いまここにいる自分は何なのだろうか。


「話が逸れたな。神というものは、信仰があって初めて神たりうる存在じゃ。長年、ひとがろくに訪れぬ社の神は、消滅しかけていた。そこに追い打ちをかけるようにあの豪雨じゃ。たまったもんではなかったのう」


 コゴリ様は自嘲気味にかぶりを振った。


「半ば諦めていた。長生きはしたんじゃし、まあまあ楽しい人生――もとい神生だった、と受け入れておった」


 そこで話が一度区切られた。俺はコゴリ様へと視線を向けると、相手も俺の顔を見た。視線が交差する。全てを見通すような澄んだ瞳が、俺を真っすぐに射抜く。


「一緒に来たあの小娘は、妾の神使じゃ。狐じゃった、と言ったほうがよいかの。記憶には封印がしてあるし、人の身体に受肉させたからの」


 小娘とは、三上のことか。


「お主よ、ここから先の話は、聴けばもう小娘とは会えぬやもしれぬ。それでも、聴きたいと願うか。知りたいと願うか」


 俺の心臓が大きく跳ねる。三上と会えなくなる。ドーナツ屋に行くこともなくなる。職場でバカをやれる相手もいなくなる。あの笑顔が見れなくなる。細い指に触れられなくなる。心地よい会話ができなくなる。

 そんなの――嫌だ。絶対に嫌だ。


「ならば、引き返すがよい。過去は文字通り過ぎ去ったものじゃ。引きずられる道理はない。さっきも言ったように、あるのは現在だけじゃ」


 引き返して、三上と一緒に。また、いつものように――、そこまで考えた時に、三上とのホテルでの会話がリフレインする。


『もし、私か記憶か、どちらかの選択を迫られたら、私の事は考えないでください。何度でも言うように、足枷にはなりたくありませんから』


 ……そうだ。何を迷っている。

 過去も未来もなく、あるのは現在だけだとしても。俺は、過去に区切りをつけて、現在を、未来へとつなげていかなくちゃいけないんだ。

 たとえ三上と離れ離れになったとして。はいそうですか、なんてなるわけがないのだ。会えなくなるなら、会いに行く。矛盾しているようだが、そこには大きな隔たりがある。結果は同じ選択肢でも、そこには行動が伴う。


 ――強い思いは、行動は、予期せぬ力を生む。結局は、過去も未来も、一瞬一瞬の現在の積み重ねじゃからの。

 さっきの言葉を反芻して、俺は大きく深呼吸をする。


「それでも、聴かなきゃならない。自分のために。自分が、まっすぐに三上と向き合うために」


 コゴリ様はそれを聴いてかすかに笑った。


「……青いのう」


 そう言って、続きを始めた。


「妾は諦めたつもりだったんじゃがな。神使である狐はそれを納得せんかった。人を呼ぼうと、山を駆け下りていった。死を待つ神には、追う力も体力も残されておらなんだ。

 当然、山の状態はひどく悪い。山で生きている動物でさえ、恐恐としておったのじゃ。狐は、人里へと出たところで力尽きかけた。じゃが、めぐりあわせとでも言うのかの。一人の人間に助けられた」


 片方の視点から語られる物語が、もう一つの視点を得て、組みあがっていく。そこからの展開は、ある程度、俺も知っている。


「体力を少し取り戻した狐は、すぐさまその人間を先導しながらここへと導こうとした。歩きなれていない人間にとって、山は体力を奪う。集中力も続くわけがない。そして、その人間は、倒れてきた木に巻き込まれるようにして、山肌を転がり落ちていった」


「……この傷は、その時の」


「……妾がなんとか駆け付けた時には、もう時間の問題じゃった。狐から経緯を聴いた妾は、気を失った男を抱えて社へと戻った。残った力を、この人間を生かすために使うことにしたのじゃ」


 結末は見えている。最後のピースはあとひとつで、静かにそれが語られるのを待った。内容は考えるまでもなくわかることで。泣き出してしまいそうな心を、拳を握りしめて耐えた。


「妾は、傷口と記憶に蓋をした。もともと力が残されておらぬ妾には、それが精いっぱいじゃった」


 それは、つまり。


「俺のせいで、貴女は」


「たわけ。誰のせいでもないわ。それに、封印は本来、解けるようなものではない。よほど、その記憶に執着をしない限りはの」


 コゴリ様が申し訳なさそうな目で、俺を見た。


「つまり、それだけ苦しんできたという証左じゃ。お主こそ、辛かったろう」


 よくここまで我慢した。もう、気にせずとも良いのじゃ。そう、言ってくれた。心に言葉がしみこんでいく。開いた穴を優しく塞いでくれる。


「さて、そろそろ時間のようじゃの。そうじゃ、あの小娘――今は安藤奈津、と呼ばれておったか」


「三上がどうかしたのか?」


「三上……? そんな名前になっておるのか。まあ良い。会えなくなる、と言ったが、別にそんなことはないじゃろう。ただ、あの狐はバカじゃからのう。とびぬけてバカじゃからのう。記憶の蓋が外れ、ケガをさせてしまった自身を責めるやもしれん」


 じゃから、と区切りを置いて、


「その時のための鍵を教えておこう」

 鍵? と思った時には、女性の顔は眼の前にあって、

唇に唇が触れる。ふるりと触れた感触は、まるでつきたての餅のような柔らかさで――


「っ、なっ、なな……」


「ふふ、口吸い、じゃ。これで奈津もバッチリじゃろうて」


 底知れぬ妖艶な笑みを浮かべながら、ゆっくりと離れる。その離れ際に、小さく、でも確かに聞こえた。



「……狐を助けてくれて、ありがとの」

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