4話 女神のメンタルは割りと柔らかい
「――んあ?」
目が覚める。
夢は無くとも、意識が覚醒するその感覚は基本は毎日味わっていたものだ。
あの魔力酔いによる不快な症状は無い。
体を起こして背を伸ばすと凝り固まった筋肉が解れる。
このベッドは中々良いマットが使われていたようで久々の快眠であった。
「目覚めもバッチリ爽快だし結構熟睡してたみたいだな。……さて、ところでここはドコだ?」
見渡せばどこかの個室。
広さからして6畳間程か。
床のフローリングにはカーペットが敷かれ、白い壁は触感からして漆喰か。
壁にはクローゼットらしき扉もあり、一般的な居室と言えよう。
そこそこ大きな窓もあるが、カーテンが閉められて外は見えない。
部屋は薄暗く、唯一の光源であるカーテンから漏れる光量から察するに時刻は早朝のようだ。
「服は……そのままだな」
自身の衣装は有名スポーツブランドのジャージ。
着心地とその機能性から愛用していたものだ。
伸縮する生地は今も尚、ぽっちゃりと膨らんだ肢体をしっかり覆っていた。
履いていたスニーカーは無く、スリッパがベッドの横に揃えられていた。
どうやら土足文化ではなさそうだ。
「考えられるのはココがあの女神の拠点か。魔力酔いでダウンしたのを運ばれたって辺りか。悪い事しちったな」
なにせぽっちゃりという名のデブだ。
運ぶのに大変苦労した事だろう。
というか、PDAから出られたのか。
「ということで、今俺が取るべき手段は……」
考えるまでも無い。
「まだ朝みたいだし二度寝といきますかー。なーに、用があるなら呼びに来るでしょ」
ベッドに倒れこむ。
中々にフカフカなマットは巨体を優しく包み込んでくれる。
まだ残る微睡が次第に意識を薄れさせる。
「うへっ、俺がエース……」
夢と現が混ざり始めたその時。
扉からノック音が聞こえ、
「おっはようございまーす! 気持ちの良い朝ですよー!」
間を置かずに元気な目覚ましが扉を開け放った。
●
「おはよう、よく眠れた?」
「おかげ様でグッスリとな。ところで自力で出られたのか」
自己紹介も無く目覚まし娘に身支度を整えられ、連れられた先はダイニングルーム。
パンとサラダが並ぶ洋風な朝食が並べられたそこでは女神が座っていた。
目覚まし娘は会話を始めた頃には姿を消していた。
恐らくキッチンにでも行ったのだろう。
「神様ですもの。と言いたいところだけれど、正確にはこの場所が私の領域だからね。ここでは全盛期とまではいかないけれど、そこそこ力が出せるのよ。とはいえ、外に出るなら貴方の“ぴーでぃーえー”? の中に居た方がマシなのよねぇ。地味に神力が回復するし」
「そりゃ良かった。ところで、俺をベッドに運んだのはアンタか? 悪かったな、重かったろ」
「ああ、その事。それなら私じゃないわ。私の信徒が2人掛りで運んだのよ」
「信徒?」
「ホラ、私って国教にもなった神様じゃない? 信徒の1人や10人居るわけよ。ちなみに1人は今貴方を連れてきた娘よ」
「あの娘が?」
自分の身長は男として平均的なものの、体重に関しては3桁を越えている。
対する彼女の頭は自分の胸の位置にあったことから、そこそこ小柄である。
2人掛りとはいえ、自分を運べるとは思えなかった。
「担架を使ったけどね。ちなみに巨人からは私が降ろしたのよ。神が手ずから降ろしたのよ、光栄に思いなさい!」
「ハイハイ、タイヘンコウエイデス。ところで、この用意されている飯って食べていいのか?」
見たところテーブルには4人分の食事が用意されていた。
「気持ちが籠もってなーい! ……まぁいいわ。ご飯に関してはその通りよ。ここには私と信徒2人しか暮らしてないから。そこに座ってても構わないけれど、まだスープが来るから待ってなさいよ」
「流石に家主を置いて先に食べたりはしないって……しっかし不思議だよな」
女神の目の前の席に座って室内を見渡す。
大型テレビに大きなソファー。
景観のためか、青々とした観葉植物が飾られていた。
カーテンの開かれた大開口の窓からは芝が整えられた庭が見える。
敷地を囲う柵は10メートル程の先にあり、ちょっとした広さがある事が窺えた。
天窓からは朝特有の白い陽光が差し込み、足りない光量は下げられたシャンデリアを模した照明器具が補っていた。
はっきり言って平成後期の日本家屋と遜色ないレベルだ。
「技術の格差の事? 確かにあの農村はこの世界における一般的な農村よ。そしてこの町ではこれが当たり前なのよ。気になるでしょうけれど朝食の準備もできたようだし、追々ね」
女神が向けた先には2人の女性がスープを載せたお盆を持っていた。
どちらも黒を基調とする同じ衣服を纏っている。
地球の修道服に似たデザインのそれは彼女たちの所属を表すものだ。
「お待たせいたしました」
「今日のスープは会心の出来ですよ!」
片方は先も会った目覚まし娘だ。
見知らぬメガネを掛けたもう1人が、この家に住む最後の1人のようだ。
横に目覚まし娘が座り、はす向かいにもう1人が座る。
「準備もできたし食べましょうか」
女神の一言に信徒の二人が胸の前で手を組む。
『女神エニシエル様、貴女の祝福が満ちたこの食事が私達の糧となる事を感謝します』
「ハイ、祝福どーん」
「何やってんの!?」
信徒達の祈りはまだ分かる、キリスト教文化の食前食後の祈りと同等のものだと窺える。
だが、祈りの後間髪入れずに食べ物を輝かせるのは何なんだ。
「何って祝福よ。私の大事な信徒達の血肉となるんだから必要な事よ」
あっけらかんと女神は言う。
見ればシスター2人も何事かと視線を向けていた。
「あー、そっか。貴方の故郷じゃ祝福っていうのは概念なんだっけ。けれどこっちじゃ当たり前の光景よ」
そうだった、ここは文字通り世界が違うのだ。
「祝福を掛けると寄生虫や食中毒の元を除去できるし、痛んだ食材をある程度新鮮な状態へ再生できるのよ。後は体内に取り込めば体内環境を整える効果があるわ。基本的に悪い事はないから貴方も食べてみなさい」
「そういう理由だったのか。大声出して悪かった」
この世界の常識を知らないとはいえ、いきなり大声を上げるのはマナーに欠ける行為だった。
「気にしないで、それよりもご飯よご飯。私の信徒のご飯は中々のものなんだから」
「ああ、食べさせてもらうよ。いただきます」
手を合わせてパンを齧る。
この世界で初の食事は中々美味しかった。
●
机の上に食器は既に無い。
シスター達が食器を下げるので手伝おうかと思ったが、やんわりと断られてしまった。
それどころか食後のコーヒーを用意されてしまった。
……なんか凄い見られてるな。
食事中の時から感じていたが、シスター2人から窺うような視線が何度か飛んできた。
考えてみれば、自分の信仰する神と対等に口を効く存在は気にもなるだろう。
どう対応したものかと考えてふと気付く。
……そういえば、自己紹介を一切やってないな。
この中で一番行動時間の長い女神の名前すら知らない。
初対面の時はそんな暇は無く、その後は2人っきりだったため呼称の必要性を感じなかった。
しまった、と女神の方に視線を向けると、
「…………」
どこか焦ったような表情でこちらを見ていた。
どうやら彼女も気付いたらしい。
「ぜっ全員集合! ご飯も済んで一段落ついたし自己紹介でもしましょうか! これから一緒に過ごす事になるんだからね!」
皿洗いを終えたシスター達に女神はそう言った。
「まずは私からね。私は“エニシエル”、この世界で“縁結び”の権能を司っているわ。ちょっと事情があって、私の正式な信徒は彼女達2人だけよ」
そう言って彼女は肩に掛った白のロングヘアをかきあげた。
そんな彼女への印象は“白”だった。
透き通るかのような白の中に、勝気に吊りあがった金の瞳があった。
ワンピースのような衣服を纏うその姿はモデル体型とはまではいかないものの、女性らしさの現れたスタイルだった。
「次、ミラ!」
「はい、ただいまご紹介にあずかりました“ミラル・オーペライズ”、18歳です。エニシエル様の信徒であり、主に神殿の管理を行っております。気軽にミラルとお呼びください」
メガネの位置を直しながら彼女は言う。
後ろで束ねた銀の髪。
黒縁オーバル型のメガネの奥には射抜くような鋭い蒼眼があった。
シスター服ではあるが、自身に迫る身長とビシッとした佇まいから、どこかの企業の秘書と言われても納得してしまいそうだ。
「最後、ミリィ!」
「はい! わたしは“イーミル・オーペライズ”、先日15歳になりました! エニシエル様の信徒で、姉と共に神殿の管理をしています! “ミリィ”と呼んでください!」
元気な目覚ましことイーミルは元気良く手を上げて言った。
肩まで伸びるウェーブの掛ったプラチナブロンド。
ぱちくり開いた碧い瞳からは快活そうな印象を受けた。
小柄ではあるものの、その胸部装甲においては他の2人の追随を許さない。
「これで私達の紹介は済んだわね。次はそっちの番よ」
やる事は終ったとばかりにコーヒーに口をつける。
「昨日はベッドまで運んでもらってありがとうございました。あー昨日からお邪魔している“常磐鉱太”だ。鉱太が名前なんでそっちで呼んでくれ。年齢は18、趣味はロボットに関する事全般。ここに来た理由は――」
口に出しかけて気付いた。
自分がこの世界に来た理由は本を正せば目の前の女神が原因だ。
エルシエルを信仰する彼女達に本当の事を言って信じてもらえるのか。
下手に彼女達の不興を買えば今後は宿無し生活になりかねない。
どこまで話したものかと女神に視線を向けるが、気付いていないのかコーヒーにミルクを追加していた。
一丁前にラテアートを作ろうとしてやがる。
「そこにいるエニシエル……様が乗っていた機体の正式な所有者というかなんというか」
「そうそう、そこのコウタがあの巨人の正式な所有、者……」
相槌を打ったエニシエルだが、それが何を意味するのか思い出したようだ。
滝の様な汗を流しながら沈黙してしまう。
「エニシエル様、正式な所有者という事はコウタさんを使徒として選ばれるという事ですか?」
「使徒?」
「えっとですね。神々が遣わさった巨人、通称“機械仕掛けの神”の正式な操縦士は管理する神の使徒として扱われるんです」
想像していなかった単語に首を傾げているとイーミルが小声で補足してくれた。
ただ、更なる疑問が生まれたが。
「えーっと……そのぅ、何といいますか。正式な所有者だけど使徒じゃないってゆうか……」
冷や汗を流し、焦点の合わない目で誤魔化そうとしていた。
「エニシエル様?」
「ゴメンちょっと待ってて! 少し行き違いがあってそのすり合わせをするから!」
口を塞ぐどころかラリアットを掛ける勢いでエニシエルが飛び掛ってきた。
そのまま部屋の隅へ連れて行かれる。
「どーしよう!? 全く考えてなかった!」
「だろうと思ったよ」
でなければ、のん気にラテアートモドキを作ってたりはしなかった筈だ。
「だとしてもどうする? 正直に説明できないだろ? あの機体は盗品だって」
「うっ、それもそうだけど……」
信仰心の厚さは神としての格に直に影響する。
彼女にとって信仰心が下がるような不祥事は極力避けたいものだ。
「エニシエル様」
気付けばミラルが後ろに立っていた。
その鋭い瞳を向けられたエニシエルは肩を震わせた。
「どっどうしたの?」
「何かを隠されておりませんか?」
「ナ、何ノコトヤラー」
「エニシエル様」
再度、名前を問う。
もはや涙目だ。
「まさかとは思いますが……」
その瞳は真っ直ぐにエニシエルを見つめていた。
「あの巨人……いえ、“機械仕掛けの神”の本来の持ち主はこの世界の神々ではありませんね?」
キッパリと言い放った言葉は疑問系ではあるものの、何かを確信した物言いであった。
盗んだ事実を知るのは神々だけであり、拠点の道中で話を聞いた限り証拠は無い。
知らぬ存ぜぬを突き通す事は可能であったが。
「うぅ……ごめんなさーい!」
女神の心が先に折れたのだった。