真っ黒い創造主ども
ようやく二作目です。
正式な題名は、『真っ黒い創造主ども』です。
タイトル表記欄にはルビを振れなかったので、ここに記しておきます。
彼は一〇〇歳になった。めでたい事である。
ところが、誰からも祝福されない。そもそも正確な生年月日を教えられていないので、自身が何歳なのか考えた事すら無かった。
それどころか、自身の名前すら知らない。周囲からも親しみを込めて名前を呼ばれた事は全く無い。いつも「お前」「おい」「そこのヤツ」等と粗雑に呼び捨てられていた。
そんな彼の人生は、ありとあらゆる拷問を絶え間無く科せられる終身刑も同然だった。
物心が付く前に親兄弟から引き離されて以来、毎日様々な厳しい修行を休み無く続けてきた。
当然、家族の顔を覚えていないし、楽しかった思い出は一つも無い。友達も、恋人も、妻も、子供もいない。
人里から遥かに離れ、自然豊かな環境の中で生きてきた。けれども、それによって心身が癒された事は一度も無い。
険しい岩石がむき出しで急勾配の山肌、獰猛な鳥獣や毒虫が潜む森林、真夏でも凍える程の冷水が大量に押し寄せる滝と川、常に荒れ狂っている海原等、森羅万象山川草木の全てが凶器となって彼の肉体と精神を毎日何度も傷付けているからだ。
そんな場所に建てられた、風が吹けば今にも崩れ落ちそうな掘っ建て小屋で独り暮らしている。
住み始めた頃から薄い壁も屋根も穴だらけで、すきま風や雨漏りが酷い。中は三畳程しかなく、家具は粗末な布団しか置いていない。
衣類とその布団は一年中、同じ物を使っている。与えられた時からボロボロで、鼻の奥が痛くなるくらい臭い。使い古した雑巾の方がまだマシと思える程で、前者は恥部を隠すのが精一杯だった。
それらがいよいよボロ切れと化して使えなくなると、替わりを与えられる。だが、それさえも最初からボロボロで、新品どころか中古すら貰えない。
言うまでもなく着心地や寝心地の良さ、防暑・防寒の面は一切考慮されていない。だから、夏は猛暑、冬は極寒にさらされ、脱水症状や低体温症等が原因で数え切れない程、危うく命を落としかけた。
そこまでいかなくても、大きな怪我を負ったり、重い病気に罹った事も少なくない。しかし、
「未熟者め。自業自得だ」
「こんなつまらぬ事で修行を中断している余裕など無いのに」
「お前の体と心が弱いから、そのような目に遭うのだ。深く反省し、更に精進せよ」
等と、完治するまで師匠達から叱責され続けた。
毎日、夜が明けるかなり前に起きて修行が始まる。
その途中、ふと弱音を吐いてしまったり、痛みに耐えかねて思わず悲鳴や涙が出たりしても仕方無いのに、彼の場合は厳しく罰せられた。
しかも、あらかじめ決められている排泄の時間以外でトイレに行くのはもちろん、尿意や便意が催してしまう事も許されなかった。
ここには風呂が無いので、真冬日であっても川の水で身を清めるしかない。垢は拾った木片でこそぎ落とし、雲脂は爪で掻きむしって取り除いた。
鏡が無いので、髪と髭は錆びて刃が欠けた鋏を使って手探りで切った。その所為で、使い古したタワシみたいにボロボロに仕上がった。
苦行や荒行といった表現が生やさしいと思える、体力と精神力を磨り減らす様々な修行を絶え間無く課せられ、終わるのは深夜。
そんな長い一日を終えると、寝床に辿り着くのが精一杯。そこに倒れこむと、すぐさま死んだように眠り込む。
けれども、心身の疲れが完全に取れるまで熟睡した事は一度も無い。文字通り、寝る間も惜しんでひたすら打ち込んでいるのだ。
続いて食事に関してだが、これまで口にしてきた物は粗末で少量の朝食のみ。美味しさや満腹感を得たことは一度も無い。水も夏は生温く、冬は凍り付く寸前の冷たいものしか許されなかった。
睡眠欲、食欲とくれば、三大欲求の最後・性欲。古今東西、様々な宗教で敵視されている欲望だが、師匠達はこれにも容赦が無かった。
彼の体からその気配を感じた瞬間、殴る蹴るの折檻を喰らわせた。男性特有の起床時に見られる生理現象すら許さなかった。
性は肉欲だけでなく、恋愛も含まれる。けれども、この環境から出ない限り、異性に会う事は一度も無い。
こんな生かさず殺さずの毎日では、恋に落ちる余裕すら無かった。
従って、女性に触れた事も、裸を見た事も無い、完全な童貞だ。
キスや抱擁、そして性交が言葉や文章では伝えきれない程の快楽を得られる行為だと知っている。ところが、恋愛感情すら許されない環境でそれは叶わない。
これまでの人生の中で嬉しい、楽しい、心地良いといった思い出は一つも無かった。あるのは、あらゆる種類の辛苦しか記憶していない。
けれども、師匠達は一般社会や普通の生活、様々な種類の喜びや幸せがどのようなものか、微に入り細に入り詳しく教えていた。
それを聞いて「何も知らなければ色々な欲望に惑わされず、修行に集中できるのでは?」という疑問を口にする者も少なくない。
だが、彼らが返す答えは、
「この世のあらゆる欲望や快楽の概念を熟知しているにも関わらず、それらを欲する事なく、またそれらに一切惑わされず、全ての修行を達成する事が重要なのだ」
では、修行の目標は何か?
「この世界と人類の創造主に直接会い、我々が抱いている疑問に答えて戴く」
その質問の内容とは、
「人類の存在理由は何だ? どうして創造主は我々を創った? しかも、愚かで脆弱で邪悪な存在として。
そんな不完全さゆえに、遥か昔から人々は互いを傷つけ、殺し、騙し、犯し、奪い合い続けてきた。依然として戦争・差別・貧富の差・環境汚染等、あらゆる悪が無くならない。
我々人類がこの生き地獄から脱却して、誰もが幸福に生きていける平和な世界へと変える為にはどうすればいいのか?」
実は彼が生まれる前日、複数の預言者達が告げた。
「これから生まれてくる子が数々の修行を積み重ねれば、創造主に必ず会える。その子こそ創造主との面会が許された唯一の人間だ。その子とは――」
預言者とは神から与えられた言葉を一方的に受け取り、人々に告知する役割に過ぎない。だから、こちらがいくら疑問を投げかけても、神に答える気が無ければ言葉を得られない。
ところが、彼だけは創造主と直接対話を許された。ただし、命の危険すら厭わず数え切れない種類の修行を達成すれば、の話だが。
そこで、教団の長老達は政府すら動かして、まだ生まれて間も無い彼を総本山に引き取った。
つまり、彼は自分の意志や選択によって修行を続けている訳では無い。
修行を強制していた師匠達が亡くなると、その弟子達が昇格して教団の指導者となり、彼の監督を引き継いだ。そして彼らが亡くなると、その弟子達が……と、延々と繰り返された。つまり、孫や曾孫も同然の年下達に命令され続けるのだ。
普段は一人で修行しているが、他の指導者達に師事しているそれぞれの弟子達と合同で修行する事が何度かある。
ところが、弟子達はまともな服装を支給されているのに、顔も体も貧相な彼はボロ着でボロボロ頭。
当然、顔を合わせた瞬間から容赦無く無数の侮蔑の視線と嘲笑を浴びせられた。
その上、彼の要領の悪さや愚鈍な言動に苛立った弟子達は、わざと足を引っかけて転ばせたり、背中を突き飛ばしたり等、思い付く限りの嫌がらせを何度も繰り返した。
それが指導者達に見つかっても、弟子達は「ふざけてないで修行に集中しろ」と軽く注意されるだけで咎められない。一方、彼の場合は、
「皆からこのような仕打ちを受けるのは、要領が悪くて愚鈍だからだ。つまり、お前が全部悪い」
と叱責され、厳しい罰を与えられる。
しかも、合同修行中に彼の不注意で弟子に怪我を負わせてしまうと、それがほんのかすり傷であり、誰の目から見ても不慮の事故であったとしても厳しく責められた。ただし、彼が被害者で弟子が加害者だった場合も、彼が責任を問われて弟子は何も言われなかった。
元々、彼の容貌・容姿・声質・口調・動作・仕草・雰囲気に人を惹き付ける要素は皆無だ。むしろ、幼少の頃から「可愛い」と社交辞令を口にするのでさえも腹が立つ程。何故かその姿を見ただけで、声を聞いただけで、気配を感じただけでイライラしてくる。一瞬たりとも好意と敬意を抱けない。
彼自身は法的にも倫理的にも何も悪い事をしていないのに、暴力を振るわれたりしていてもかばったり、助けたりする気に全然なれない。見捨てるのが法的にも倫理的にも悪い事だとロジックで分かっているが、助けなければならないと考える事に怒りが込み上がってくる。
当然、弟子達は辛い修行の憂さ晴らしで彼にやりたい放題だった。
そんな彼から少し離れた所に何人かの見張り役が控えている。
師匠達への反抗、修行のボイコット、修行場からの脱走、自殺、修行を妨げる何らかのアクシデントが発生した場合に備えているのだ。
実際、彼が思わず口答えをしてしまったり、僅かに残っている勇気を振り絞って逃げ出した時、すかさず追いかけ、たちどころに捕らえて厳罰を与えた。ただし、他の弟子達によるイジメから彼を守る事は無い。
こうして理不尽に立ち向かう意志を根こそぎ奪う事に成功した。
そして見張り役達との会話は事務的な最小限の内容だけに限られ、僅かな雑談すら禁じられていた。
つまり、ひたすら修行に打ち込む事だけを強制された孤立無援の人生だった。常に叱られ、責めれてばかり。誉められ、励まされ、労われた事は一度も無い。
彼は非人道的な生き方を強いられている、と責められても教団は否定できない。
ところが、世界中にいる信者達も、その教団に属していない人々も、彼の処遇を劣悪とは思わず、ありとあらゆる苦痛・苦行・苦難が集結した人生から解放させる気は毛頭無かった。
彼の両親でさえ一瞬の躊躇も無く、「我が子が偉業を成し遂げるなら」と喜んで教団に差し出した。それ以来、一度も会っていない。
それなのに、誰も励ましや慰めの手紙を送ろうとすらしない。
逆に、世界中の誰もが一刻も早い全修行の達成を催促し、創造主に会えない事を厳しく責めた。先述の通り、反抗や逃亡をしようものなら、
「ならば、善良な人々の期待を裏切るというのか?」
「罪無き人々の夢と希望を踏みにじるのか? そんな悪行が許されると思っているのかッ!」
「人類の未来を葬り去る悪魔になるつもりか? ならば、容赦無く殺すぞッ!」
と、責めて責めて責め抜いた。
その態度から「人類の為に、我々に代わって一人で命懸けの修行をしてくれている」といった認識や感謝の念を少しも抱いていないのが分かる。
むしろ「創造主に選ばれたからには、一刻も早く対話を果たして全人類の期待に応える義務と責任があるのに、いつになれば修行を達成させて救いをもたらすのか?」という焦りと苛立ちしかない。
創造主から人類救済の方法を聞き出すという切実で崇高な目的の為、彼に対する違法行為と倫理に反する言動の全てが正当化されていた。
つまり、彼の境遇と、彼を除く全人類の対応に疑問を抱く者は一人もいなかった。
やがて彼が一〇〇歳になった日の早朝、預言者達は新たな託宣を告げた。
「全ての修行を達成した。今夜、創造主がお答えになる」
〜 ☆ 〜
(ここは、どこだ?)
彼は自身がどこにいるのか分からない。
前も後ろも右も左も上も下も同じ光景。視界に入るのは、黒一色のみだった。それは闇ではなく、何かが大量に密集して蠢いているように見える。
そして、あらゆる方向から、カサカサッ、と乾いた小さな音が途切れる事なく聞こえている。また、少し生臭くて胸がムカムカして吐き気を覚えた。
その後、気付いた事が二点ある。
一つは、いつの間にか粗末な服が無くなり、全裸になっている。
もう一つは、体のどこにも地面の感触が全然無い。にわかに信じられないが、自身が宙に浮いているとしか考えられなかった。
『約束の時は来た。必要な修行を全て果たしたこと、誉めてつかわす』
何者かの声が頭の中に直接聞こえてきた。鼓膜が震えるたびに胸の奥から吐き気が込み上げ、頭が痛くなるが、耐えながら誰何した。
「誰だ? どこにいる?」
『先程から、お前の目の前にいるではないか。それにしても、人の身でありながら無礼だな。言葉遣いに気を付けよ』
「どこにもいないじゃないか!」
『未熟者め。よく見てみるがいい』
その言葉に従って眼を凝らした直後、彼の口から悲鳴が迸った。
……蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲……
自身を全方向から完全に包囲しているのは、あのグロテスクにして汚らしい害虫の大群だった。
体が宙に浮いているので、幸いにもそれらに触れることは無かったものの、おぞましい現状にショックを受けた。たちまち激しい吐き気と眩暈に襲われ、痛いくらい全身に鳥肌が立った。
『いかにも。我らはこの星と人類の創造主に他ならない』
『我らは個にして全。つまり、各々が斉しく創造主であると同時に、全員で唯一無二の神である』
「お前達が地球と人類を創った神? ゴキブリが?」
『造られしものの分際で、創造主の言葉を疑うとは愚かな』
『しかも、我らの愛しい子らを蔑んでおるな。身の程知らずめ』
唯一神を自称する卑小で醜悪な虫どもが、嘲りと怒りを込めて言い返す。
『人類が地球上に現れたのは、今から約三〇〇万年前。対して、愛しい子らが現れたのは、約三億八〇〇〇万年前』
『つまり、一二六倍もの歴史を有している』
『その差は明白だな。愛しい子らから見れば、お前達の時間はまだ始まったばかり』
『そう、ゴキブリがこの星に君臨している時間の方が圧倒的に長い』
『その揺るぎない事実を、お前達は高度な知能と科学を駆使して、すでに証明しているではないか』
実際、ゴキブリの先祖は恐竜が闊歩していた時代から存在している。
『人類に伝わる数々の創世神話によれば、創造主は自身の姿を模して人を創り、この星を支配する権限を与えた、とある』
『それと同じ事。我らは遥か昔、自らの姿を模してゴキブリ達を創造した。この星の支配種族として』
『その後、他の生命体と同じように人類を創った。愛しい子らの料理人かつ給仕、そして食料として』
『つまり、彼らの下僕にする為に猿から進化させた訳だ』
『この星で最も繁栄している生物はゴキブリだぞ』
『我らの愛しい子らこそ、この星における真の支配者』
『思い上がるなよ、おこがましくも万物の霊長を自称する痴れ者ら』
『お前達は、高貴なるゴキブリにとって使い捨ての家畜も同然』
『それは他の動植物も同じ事』
『この星に存在する全ての生命体は、愛しい子らの食料であり、彼らの生息環境を保持する為の道具に過ぎぬ』
『人類が文明を発達させるにつれ、ゴミが増えていった。戦争で互いに殺し合い、疫病で大勢の人間どもが死んでいった。つまり、お前達が生み出したゴミも、お前達の死体も彼らのご馳走だ』
『例え、人類が核戦争や環境汚染などで滅び去ったとしても、彼らは生き残る』
『そして、この星を創り出した時と同じように、我らは新たな星を創り、愛しい子らを連れてそこに移住する』
『その際、お前達の生き残りは一人も救わない。全員、この星に置き去りにする』
『当然だ。新たに創る方が容易であり、以前より優れたものができる』
『創造と移動をこれまでに何千回も繰り返してきた。我らにとって造作も無き事』
『ついでに言っておくが、死後の世界も来世も実在しない』
『つまり、「善人が天国に導かれ、悪人が地獄に落とされる」「善行を積めば、より次元の高い存在に生まれ変わる」等というのは、自我の消滅と、自身の人生に意味が無い事に気付くのを恐れる人類の妄想でしかないのだ』
『つまり、お前達の魂が救われる事は絶対にあり得ない』
『他の星々の神どもや支配種族が、我らを“地獄の球体の神々”呼ばわりし、愛しい子らを“次元害虫”と蔑もうとも、我らと彼らはこれからも創世と移動と繁殖を繰り返す』
『今度は我らがお前に問う。この星の支配者は誰だ? 今なら答えられるだろう』
人類の代表である彼は何も言えなかった。
『かつて、我らは愛しい子らの先祖達に告げた。――生めよ。増やせよ。地に満ちよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う全ての生き物を喰らうがよい――とな』
『さて、お前達の疑問に改めて答えよう。
人類の存在理由は、この星の真の支配種族たるゴキブリに食料を提供する事。
愚かで邪悪な存在として創ったのは、いつまでも同胞を傷つけ、殺し、騙し、犯し、奪い続け、戦争も差別も貧富の差も無くさない為。
かような愚行を繰り返す事で、愛しい子らに食料を捧げ続けるのだ。
その為に、我らはお前達を進化させた。歩く機能しか持たなかった前足を器用な手に変え、文明と文化を生み出せるほどの高い知能を授けてやったのだ』
『さあ、我らに深く感謝せよ!』
『歓喜に打ち震えよ!』
『感涙にむせび泣くがよい!』
『光栄に思うがよい!』
『邪悪にして愚かで賤しい人類が、我らに愛されしゴキブリの忠実な下僕である事を!』
残酷な真実に耐えきれなくなった彼は絶叫した。
〜 ☆ 〜
翌朝、彼は自身の叫び声で目覚めた。
すぐに寝床から起き上がれなかったのは、あまりのショックに体が動かないからだ。
(あれは夢だッ! 現実じゃないッ! 悪夢に魘ただけなんだッ!)
心の中で何度も強く否定した。しかし、どうしてもただの夢とは思えない。あまりにもリアリティーがあり過ぎた。
しばらくすると、小屋の中に見張り役達が入って来た。眼を開けている彼を見て驚く。どうやら、彼が寝坊していると勘違いしていたようだ。
そこで、彼はようやく上体を起こして夢の内容を伝えた。
見張り役達は当初、創造主に会えた事を喜んでいた。けれども、彼らの正体と教えられた真実を正直に伝えると不愉快そうに顔をしかめた。
すると、いきなり彼を乱暴に連れ出し、彼より一〇歳以上も年下の長老達の前に立たせた。
彼は命ぜられるがまま、夢の中でのやりとりを再び正確に報告した。
だが、聞き終えた長老達はその内容に落胆し、彼に失望し、怒りを露わにした。
「愚か者めがッ。全ての修行を完全に達成していないから、そんな悪夢を見てしまうのだ」
「未熟ゆえ、悪魔に騙されたに違いない」
「人類の期待を裏切りおって! 猛省しろッ」
長老達は全然信じなかった。それどころか、彼の修行を失敗と結論付けた。
この数分後、彼は修行を強制的に再開させられた。ただし、内容は今まで以上に過酷なものになった。
今回の結果が政府を通じて世間に発表されると、非難と罵声が彼一人に集中した。この計画を遂行する長老や預言者達を責める者は誰もいない。
失敗の原因は一つだけ。
――修行を達成できず、創造主から〈真実〉を聞き出せなかった彼が悪い。
彼に宛てられた苦情の手紙や罵詈雑言だらけのメールを印刷した物は、一つ残らず彼に届けられた。しかも、寝る前に必ず自ら音読して猛省するように強制された。
長老達は、今度こそ創造主から人類救済の方法を教えて戴く、と決意を新たにした。
彼はこれまでの一〇〇年間が幼児のお遊戯だったと思わずにいられない程、様々な修行を課せられた。
その間、彼は何度も訴えた。見張り役や様子を見に来た指導者達に、真っ黒な創造主達から聞かされた内容を繰り返し話した。
しかし、信じる者はいない。それどころか、聞く耳を持たない長老達から呪いを掛けられた。
その所為で、「創造主がゴキブリの大群」「人類は真の支配種族たるゴキブリの下僕として創られた」「人類に明るい未来は無く、絶対に救われない」等という〈嘘〉を口にすると、全身を耐えがたい激痛が襲うようになった。
その筆舌に尽くしがたい痛みは、それらが〈嘘〉だと認めて心から懺悔し、人々に謝罪の言葉を述べるまで止まらない。
肉体と精神の限界を超えた修行による苦痛に加え、呪いによる激痛は彼の口を閉ざすのに充分だった。
〜 ☆ 〜
やがて彼は人類史上最高齢になった。とてもめでたい事である。
ところが、誰も祝福しない。
むしろ、この歳になっても新たなお告げが下されない事を、国や人種等を超えて世界中の人々から激しく責められた。
「修行を達成できていないから、面会を許されないのだ」と。
無理矢理に辛酸を舐めさせられ、老骨に鞭打ちまくられる修行人生の末、ついに二〇〇歳を迎えた。
その日の早朝、預言者達は改めて託宣を告げた。
「全ての修行を達成した。今夜、創造主がお答えになる」
〜 ☆ 〜
彼は前回と同じく全裸になり、汚らわしい虫の大群が埋め尽くしている中心に浮かんでいた。
『お前は我々の神聖な言葉を預かっておきながら、人類にきちんと伝えられなかった。この罪は限り無く重い』
いきなり責められた。それに対して彼はすぐさま反論する。
『誰も信じてくれなかったんですッ! 挙げ句に、本当のことを言うと激痛に襲われる呪いを掛られました。どうする事もできなかったんです』
『それは、皆を信じさせられなかったお前が悪い』
『そうだ。疑われたお前が全面的に悪い』
『まさに、自業自得。悔い改めよ』
「そんなッ! じゃあ、どうすれば良かったんですかッ?」
『それは我らが関与するところではない』
『お前の努力だけで、一人残らず信じさせなければならなかった』
「言い逃れだッ! 創造主を自称するあんた達ができない事をやってのけろ、なんて勝手すぎるッ!」
『己を弁えぬ言い草よな』
『我らに楯突くとは笑止千万』
『天に唾する、とはまさにこの事よ』
『再度言ってやろう。自業自得だ、とな』
その直後、虫どもが一斉に飛び立った。
ヴゥゥゥンヴゥゥゥン、と不気味な羽音を立てながら彼の周囲を飛び交う。
これまでは宙に浮かんでいるので触れずに済んでいたが、今は違う。体のあちこちや顔に何百匹もぶつかる。体をよじって避けようとしても、この数では当たらずに済ませるのは不可能だった。
吹き荒れる蟲の嵐と化した奴らは、やがて彼の全身を覆い尽くして這いずり回り始めた。
当然、悲鳴を上げて手足を振り回す。だが、地面や壁がどこにも無いので手で叩き潰す、足で踏み潰す、体で押し潰す事ができない。
仕方なく自らの体を思い切り叩き、掌を這う虫どもを思い切り握り潰す。
その瞬間、不快極まりない手触りを感じた。それなのに、潰されたゴキブリの体はすぐドロドロに溶けて真っ黒な粘液となり、指の間や手と体の僅かな隙間からヌルヌルと抜け出た。そして、一瞬で元の姿に戻って蹂躙を再開する。
(不死身かッ!?)
驚き恐れる間も無く、ゴキブリどもは“穴”に襲い掛かった。
まず、両眼に殺到した無数のグロテスクな顔や腹が視界全体を覆った。それなのに、瞼を閉じて遮断する事ができない。上下の瞼を物凄い力で押し開かれ、見たくもない光景を見せつけられているのだ。
さらに耳穴と鼻孔、そして口の中に殺到する。慌ててそれらを手で押さえ、口を閉じても遅かった。
ガザガザッ、と無数の脚が蠢く音が頭に響く。同時に、鼓膜が抉られるような強痛に攻められる。
鼻の奥まで押し込まれ、空気を吸い込めない。鼻粘膜がはがされるような辛痛にさらされる。
歯を食い縛って唇を固く閉ざしたが、物凄い力でどちらも押し広げられた。その直後、濁流のように口内に押し入ってきた。
何度吐き出そうとしても、依然として口の中を駆け回る。内部の粘膜と歯茎と舌を凌辱しているゴキブリどもは、やがて喉の奥を目指し始めた。
彼は喉に指を突っ込んで掻き出そうとした。だが、唐突に尻が裂けたかのような激痛に襲われて全身が硬直した。
無理矢理こじ開けられた肛門が裂け、激しく出血していた。そこから入り込んだ無数のゴキブリどもが直腸の中を這いずり回っているのが分かった。
その痛みと不快感に耐えられず尻を押さえる。すると、間髪入れず陰茎が引き千切られたかのような凄痛が走った。
ゴキブリどもが頭を突っ込んでいる尿道口が裂け、血が止めどなく溢れ出た。
(全ての穴から体内に侵入するつもりかッ!?)
体の外と中から侵蝕してくる気色悪い感触の渦に飲み込まれ、今にも意識が消えそうだ。最早、手で払い除ける気力すら失っていた。
『ふふふっ。もう遅い』
『これが天罰だ。くくくっ』
真っ黒い創造主達の声は楽しそうな響きがあった。
やがて、彼は全身と体内で無数のゴキブリが這いずり回るのを感じながら、深い闇の底に落ちていった。
〜 ☆ 〜
翌朝、彼は小屋から出てこなかった。
今度こそ本物の創造主に会い、人類の為になる言葉を受け取ったと期待している見張り役達は、彼を叩き起こそうと中に入った。
すると、彼は寝床の上で立ち尽くしていた。
表情は強張って、死体のように青白い。全身は汗まみれだ。涙と鼻水、だらしなく開いた口から涎を垂れ流している。それどころか、泄れ出た糞尿が足元に溜まっていた。
ただし、体のどこにも傷が一つも無い。
見張り役達が彼の絶望に満ちた顔を覗き込む。すると見開いた眼が虚ろで、ここではない遠い世界を見つめているみたいだった。
独りブツブツと呟いているので耳をすますと、
「……だったんだ……今までの苦しみは……わたしの人生は……何だったんだ……」
〜 ☆ 〜
この物語を読まれた皆様は、彼が可愛そうだと思われましたか? ありとあらゆる苦痛に満ちた悲惨で救いようの無い人生だったと同情されましたか?
私見ではありますが、程度の差はどうあれ、有史以来、人類は一人残らず彼とそれほど変わらないと思いますよ。
何故なら、皆様も望んでいないにも関わらず、無断でこの世界に生み落とされたはず。
物心付いたころから夢や希望や幸福という甘ったるい幻影に誑かされ続け、痛みと苦しみと悲しみだらけの辛い人生を、不条理な死に襲われるまで嫌々送らざるを得ない。
ほら、大した差なんて無かったでしょう?
では、これにて失礼します。そろそろ彼を迎えに行く時間ですので。
本編の最後で、「誰もが主人公とあまり変わらない」と某氏が言いました。
自分は最大多数派である健常者達以上に、彼に限りなく近いのが自閉症スペクトラム障害……すなわち、アスベルガー症候群の人達だと思います。
本人達、そして彼らを見てきた専門家達が記した書物を読むと、それがよく分かるはずです。
また、自分も発覚前は主人公や彼らと同じように、数え切れないほど理不尽な目に遭ってきました。発覚後の今も続いています。
「普通」「まとも」「正常」「周りのみんなと一緒」「世間からはみ出ない」を自認・自称する定型発達者=最大多数派の人々が構築・維持しているこの世界は、自分には知覚・認識・理解ができない無数の何かが集まり、憲法や倫理すら超える規則となっているようです。
従って、この真っ黒い現実世界に未だに慣れません。恐らく、死ぬまで慣れないでしょう。
だから、物語を創り続けているのです。