優等生との雑談
暦は六月に入った。事件から三週間が経過したが、直接関わりのない俺にとっては、もう遠い昔の出来事のように感じつつある。事件のあった現場である三階と四階の間にある踊り場も今は普通に使えるしな。
仁科先生も話題として事件を取り上げることが減った。新しい情報がないから話すことがないのかもしれん。ただ、どうも今期はずっと昼ご飯に付き合わんといかんようや。俺は仮眠をとりたいんやけどなぁ。
「はい、それじゃ今日の授業はこれまで! 今から出席とるしな~」
本日最後の授業がたった今終わった。授業終了のチャイムが鳴るまでまだ五分あるけど、早く終わる分には学生から文句が出ることはない。
この専門学校では学生にICチップを埋め込んだ学生証を発行しており、専用のカードリーダーに通すことで出席をとってる。俺はカードリーダーのタッチパネルを操作して自分の授業時間を探し出し、学生らが出席をとれるようにした。
「それじゃカードを通してください」
俺のその言葉を待ち構えていた学生らは、次々とカードリーダーに学生証をかざして教室を出て行く。そして、五分もしないうちに教室はほぼからになった。授業が始まるときとは大違いや。
その間に俺は使った道具を片付ける。ホワイトボードに板書した文章や図表を消し、空調を切って、プロジェクターをオフにした。
そして道具をまとめて小さい籠に入れて最後に教室の電気を消して俺も出ていくんやけど、たまに質問を抱えてる学生から呼び止められるときは教室にとどまる。今日はそのたまにが発生した。
「先生、ちょっとわからないところがあるんですけど」
俺を呼び止めたのはおとなしそうな男子学生やった。いつもの俺やと学生の顔と名前が一致するんは期末なんやけど、この子はさすがにすぐわかった。佐竹昭彦君や。
聞いてる範囲やと、佐竹君は授業に毎回必ず出席して期末試験も満点に近い点数を取る優等生らしい。確かに、俺の授業も休んだことはないし、こうやって質問しに来るくらいやから熱心に勉強する方とゆうてええやろう。
それだけに、この佐竹君をことあるごとに説教していた山下先生は、一体どんな理由で説教していたのか不思議で仕方ない。
「どこがわからへんかったんや?」
「えっと、教科書のこの部分なんですけど」
佐竹君が指さしたところは、確かにしゃべってて俺も怪しいと思ったところやった。俺は内心焦りながらも、授業終了直後に思いついたよりわかりやすい説明を話した。
途中、授業終了のチャイムに邪魔されながらも話し終わると、佐竹君も納得してくれたようや。
「わかりました。ありがとうございます」
不明点が理解できたことが嬉しかったんやろう、佐竹君が笑う。俺は事件以来初めて見る笑顔やな。
「やっぱり先生は聞きやすいから安心します」
「聞きやすい? 説明がわかりやすかったんと違って?」
「あ、説明もそうなんですけど、先生は他の学生と同じように接してくれるから安心するんですよ」
「あー、あの事件以来か?」
「それ以降は特にですね。でも、前から微妙な接し方をされてたんですよ。感覚的なものですけど」
「そりゃ初耳やな」
普段は他の先生と雑談することはあっても、授業内容について話をすることはない。学生個人なんて特に、余程の問題児でないと話題になんてならん。だからそんな話は今まで聞いたことがなかった。
「でもなんで微妙な接し方されるんや? 佐竹君に問題があるとは思えへんねんけど」
「たぶん、佐竹先生と山下先生の仲が悪いからだったと思います」
「そんなところにまで影響してたんか、あれ」
これ、下手したら教師が何の落ち度もない学生をいじめてたって受け取られかねへんやんか。山下先生が圧力をかけてたんか、周囲が勝手に遠慮してたんかは知らんけど、問題ありやん。
「なんか嫌がらせを受けてたってことはあるんか?」
「さすがにそれはないですよ。ただ、やっぱり質問はしにくいですけど」
「同じ学生から距離を置かれたりしたことはないんか?」
「あ、それは大丈夫ですよ。みんな山下先生は嫌いでしたから、同情してくれてますし。不謹慎ですけど、『佐竹はよくやった!』って言われることもあるくらいなんです」
思わず苦笑しかけたところで、俺はどきりとした。『佐竹はよくやった!』だけやとどちらのことかわからんから紛らわしい。
「そういや、階段は使えるんか? 特に三階から四階にかけてやけど」
「あーはい、なんとか。多少気にはなりますけど」
「大変なことに巻き込まれたよなぁ。山下先生もあんなところで説教なんてせぇへんかったらよかったのに」
佐竹君の表情が微妙なものになってくる。あのときのことを思い出したんやろう。
「割って入った佐竹先生も災難やな。あ、でも、佐竹先生って、なんてゆうて止めに入ってきたんやろう?」
「どういうことですか?」
「え、いや、聞いた話やと、山下先生と佐竹君の口論の大声は周りに聞こえてたらしいんやけど、佐竹先生の声ってほとんど聞こえんかったらしいんや。特に『あっ!』ってゆう悲鳴の前は」
俺の言葉を聞いた佐竹君は真っ青になった。あまり期待せずに知ってることを口にしてみたけど、これは……
「まぁ、所詮又聞きやし信憑性がどのくらいあるんかなんてわからんけどな」
「……はい」
「どうしたんや、佐竹君。気分でも悪いんか?」
「え、ええ。それじゃ、帰ります」
そう言い残すと、佐竹君は頼りない足取りで教室を出て行った。
「ゆわんかった方がよかったかな」
佐竹君が出ていった扉を見ながら俺はつぶやいた。
きっかけを作ったんは佐竹君やけど、本人は安心してつい口が滑ってしもたんやろう。あれがなかったら警察や探偵でもない俺が事件のことなんて聞けんしな。
今の心境としては、やめときゃよかったと思う。あの問いかけに対する佐竹君の反応で佐竹先生の逮捕は冤罪やと強く思うようになった。ただ、佐竹君が佐竹先生に罪をなすりつけたってゆう感じはせぇへんねんなぁ。どっちかってゆうと、佐竹先生が自主的に犯人やって名乗り出たように思える。もしそうなら、下手に俺がそれに対して突っ込むべきやなかった。
学校はあくまでも個人同士のいざこざという立場をとってる。だから、わざわざ今の状況を覆して色々と引っかき回すようなことを望んどらんやろう。まぁ、確かに学校としたらその態度は間違っとらん。
一方、俺としても全てをなげうってまで事件の真相を解明したいわけやない。それやったら最初からこんなことをせんかったらよかったんやけど、そう思うからこそさっきから後悔してる。
「結局、黙ってるんが一番なんか」
何とも胸の内にもやもやとしたもんが残るけど、結論としては無難なものに落ち着いた。
お雪さんのゆう通り、興味本位で首を突っ込まんかった方がよかったなぁ。