自宅でご相談
冬に比べるとかなり明るくなってきたとはいえ、さすがに午後も七時近くになると周囲は薄暗い。そんな中、明かりのついた家に着くとそれだけで気持ちが上向きになるな。
「ただいま~」
「義隆、おかえり~」
「やっと戻ってきおったな!」
居間からやってきた美尾ちゃんとお銀ちゃんが出迎えてくれた。思えば去年からこれが当たり前になったんやったなぁ。
靴を脱いで自宅に上がると最初に自室へと向かう。鞄を置くためと背広から私服に着替えるためや。
「義隆、はよ降りといでや~」
「夕飯が待っておるぞ~」
二人はさすがに部屋まではついてこない。廊下で別れてそのまま居間へと戻っていった。
鞄を机の横に置いて手早く着替えると食卓へと向かう。おお、なんかいいにおいがするな!
「あら、お帰りなさい、義隆さん」
「ただいまです、お雪さん」
晩ご飯の用意をしているお雪さんが、こちらに顔を向けて声をかけてくれた。
雪女のお雪さんは二ヶ月ほど前に下山してきて、再びうちに居候してる。四月にはバイト先も見つけて、今ではすっかり当たり前のようにここで生活をしてるんや。
食卓と台所を見ると、今日は八宝菜をかけた皿うどんにえんどう豆の卵とじか。うまそうやな。
美尾ちゃんとお銀ちゃんは既に食卓に揃ってた。二人とも早く座れと俺に目で訴えかけてくる。
「あ、しもた。手を洗うん忘れてた」
「義隆~!」
「あーもー! さっさと洗ってこんか!」
「はいはい、もう少し待ちましょうね」
俺のお間抜けなぽかを非難する二人やったけど、お雪さんにたしなめられて黙る。表情は不満そのものやったけどな。別に先に食べててもええんやけど、お雪さんはこうゆうところが意外と厳しかったりする。
手を洗ってから戻ってきた俺は今度こそ椅子に座った。これで全員揃ったな。
「はい、それじゃ、いただきまーす」
「「「いただきます」」」
俺の声に続いて三人の声が唱和した。やっと晩ご飯や。
しばらくは空腹を満たすために全員が箸を動かすのに忙しかった。けど、食べるに従って空腹は満たされていったので、しゃべることが多くなる。
今日一番の話題といえば、美尾ちゃんとお銀ちゃんが俺の仕事場に来たことやろう。全ては俺がペットボトルを忘れたことが原因や。
「確か、先週はお弁当を忘れてしまったんですよね」
「それで今日はペットボトルのお茶を忘れたんやね。よう忘れんな~」
「この様子じゃと来週も何か忘れそうじゃの。今度は両方か?」
三人とも好き勝手にゆうてくる。けど、忘れた自分が悪いから言い返せん。悔しい。
「ふん、来週はもう何も忘れへんからな!」
「くくく、そうじゃといいんじゃがのう」
負け犬の遠吠えみたいな返事しかできん俺に対して、お銀ちゃんは思いっきり上から目線で応えてくる。その顔に張り付いた笑顔がむかつくな!
しばらくは、俺の忘れ物についての話で盛り上がってしまった。ノートPCを学校に忘れたまま帰宅したときの話やハンカチを忘れたことなど、結構細かいことまでみんな覚えてて驚いた。俺なんてすっかり忘れてたのに。
俺の忘れ物ネタは晩ご飯が終わるまで続いた。なんでこんな話題が延々と続いてたのか不思議やけど、地味に恐ろしかったんはネタが尽きんかったことやな。俺って自分が思っている以上に忘れやすいのかもしれん。
「そうや! 義隆、事件の話はどうなったんや?」
「おお、すっかり忘れておったな。放課後に話を聞いておくんじゃったよな」
食器の後片付けが終わって次に何をしようか考えていたら、美尾ちゃんが昼間の話を思い出した。そういえば、話すって言ってたっけ。
「何の話なんですか?」
「二週間前に私の勤め先の学校で殺人事件が起きたやないですか。その話ですよ」
事情を知らないお雪さんが尋ねてきたので、俺は簡単にあらましを説明した。そして、お昼の時点で美尾ちゃんとお銀ちゃんが知ってることも伝える。
「あら、そんなことを聞いていたんですね。あまり介入するのは良くないと思うんですけど」
「美尾ちゃんが気づいた点がどうなんか調べただけです。それに、俺ができる範囲のことしかしてないですし」
たまたま事情聴取を受けた小説同好会のメンバーと知り合いやったから話を聞いただけで、そうでなかったら話は昼休みの時点で終わってた。俺個人で警察以上のことができるとは思えんし、せいぜい探偵ごっこが関の山やろう。
「話を聞いただけなんやったらええんと違うの?」
「仮に真犯人がいたとして、それを捕まえるというのなら止めはするが、知り合いから話を聞くくらいなら良いと思うぞ」
「まぁ、お銀ちゃんがそういうんでしたらいいですけど」
お銀ちゃんの言葉を聞いたお雪さんは顰めていた眉を元に戻した。
それを見ていた美尾ちゃんは「なぁ、うちは~?」と口をとがらせて不満を漏らす。お雪さんは謝罪して「美尾ちゃんもね」と言葉を返すと、小さなお狐さまは機嫌を直した。
「それで、その知り合いとやらは、どんなことを話してくれたんじゃ?」
「最後の授業が終わってから四階の教室にずっといたそうや。更に、暑くてドアを開けっ放しにしてたから、山下先生の説教とその後の口論は何となく聞こえてたらしい」
「何となくってどうゆうことなん?」
「山下先生が学生を説教するのはいつものことやから、俺の知り合いは聞き流してたらしいんや。更に、室内にある階段やから声が反響してはっきりとは聞こえんかったってゆうこともある」
「それで、佐竹先生ってゆう人の声はいつから聞こえてたん?」
「それがな、山下先生と佐竹君以外の声が聞こえたって記憶してるんは、事件の後かららしいんや。それ以前は記憶にないってゆうとったで」
記憶が曖昧ということも加えて、俺は坂本君と関本さんの話を三人に説明する。
「つまり、犯人の佐竹先生という方は、事件が発生したときにいない可能性がある、ということですか?」
「ええ、そうなりますね」
小説同好会の話を聞き始めてから、お雪さんが初めて口を開いた。俺の話を見事に要約してくれた。
「たまたま聞こえんかったという可能性はないのか?」
「佐竹先生の自供によると、つかみ合いの口論を仲裁するときに階下へ突き落としたことになる。そんときに、周りに声が漏れないほど静かに仲裁できるんかって問題があるけどな」
「そうやんなぁ。山下先生と佐竹君ってゆう人の声は聞こえてたんやろ? そうなると、佐竹先生の声も聞こえてへんかったらおかしいもんな」
「少なくとも、三人目の声が聞こえたってくらいはわかってもおかしくないですよね」
「しかし佐竹先生とやらが犯人でないとすると、山下先生を突き落としたのは佐竹君になるのか?」
「もしそうやったら、なんで佐竹先生は自首なんてしたん? 親戚やから?」
不思議そうに首をかしげながら美尾ちゃんが思ったことを口にする。
もし佐竹君が山下先生を突き落としたんやったら、佐竹先生がかばう理由はなんやろう? 俺は二人がどのくらいの付き合いがあるか知らんから何とも言えんなぁ。
「う~ん、密室ってわけやないんやけど、他に誰も見てへんってゆうのが厄介やなぁ」
「証拠が反響した声だけというのではさすがにのう」
「なんか証拠みたいなんはないん?」
「そんなんがあったら仁科先生が教えてくれるやろう」
仁科先生も全容を知ってるわけとは違うからそんな都合良くいくとも思えんけど、少なくとも知ってたら嬉々としてしゃべってくれるはず。
「うちはその佐竹君ってゆう子が怪しいと思うなぁ。佐竹先生ってかばったんと違うやろか?」
「親戚という理由だけでか? 近年の日の本は一族の結束が弱くなってきておるからの、余程親しくなければかばい立てせんのではなかろうか」
「親戚の集まりのときに会うくらいって佐竹先生に聞いたことあるな。そやから、あんまり親しくないんと違うか?」
「それじゃ、佐竹先生の声が聞こえんかったんはたまたまで、この先生が犯人で合ってんの?」
結局のところ、確たる証拠がないせいで話は堂々巡りに陥りそうやなぁ。まぁ、証拠があったらそもそもここで話なんてせんかったやろうけど。
ただそうなると、警察はどう考えてるんやろ? 一通り事情聴取してるはずやから、当然俺の知ってる情報くらいは関係者から聞き出してるやろう。でも、佐竹君をどうこうするそぶりなんて聞いたことないしなぁ。
「どうやら手詰まりのようですね」
「さすがに動かぬ証拠までは手に入れられへんやろうしなぁ」
お雪さんの言葉を聞いた俺はがっくりとうなだれた。
「なぁ、義隆。次はどうすんの?」
「まだ調べるのか?」
「調べるとしても、あてなんてないしなぁ」
「では、この辺りでおしまいにしてはどうですか?」
元々あんまり気乗りやなかったお雪さんから、やんわりと調査の中止を提案された。
まぁ、確かにここで意地になって調べる理由なんてないしな。これ以上はやめておいた方がええかなぁ。
しばらく迷っていると、いつの間にか美尾ちゃんとお銀ちゃんの話題が別のものに変わっていた。尚も決断できなかった俺は、結局この話はうやむやにする形で二人の話題に加わることになった。