日記二十肆頁目:欠ける言葉〜ハッター&沙羅〜
「紅く染まった白」
「アリス……っ!」
そう部屋に入るなり呟いたのは一人の男性だった。男性は虚ろな瞳のアリスに近寄り、その両肩を掴んだ。するとアリスは小さな、今にも消えてしまいそうな声で「…兄…貴」と呟いた。
男性の名はマッドハッター=グランワール。通称、ハッター。アリスと同じ不思議の国のアリスがモチーフの“荒神”である。薄緑色のセミロングで首の辺りで外に跳ねている。瞳は青色。特徴的な深緑色のシルクハットをかぶり、青色の少々大きめなリボンが目立つ明るい茶色のロングコートに白ワイシャツ。茶の長ズボン、その下には室内なので脱いでいるがこげ茶のブーツ。
そして彼はアリスの兄である。
ハッターは妹に優しく聞いた。
ハッターは数日の間、要請で居なかったが今日帰宅した。帰って来たら友人達が何やらコソコソと話しているし、弟のように可愛がっていた碧と翠の兄弟も見当たらない。アリスの視力の事も気になり、彼女の部屋へと赴いたらこの様である。
「ゆっくりでいいから話してご覧?」
「……………翠が、あたしをかばって死んだ」
「うん」
思考が停止するのをセーブしてアリスを怖がらせないように頷き、続きを促す。
「碧が……復讐をしに…」
「えぇ?!碧くんが?!」
ハッターは驚いて声を荒げてしまった。それに一瞬、正気に戻ったようにアリスの瞳に光が戻った。
「碧、全然帰って来なくて!あたし、見えなくなって動けないし……みんな、気を使ってか誰も来ないから……ねぇ碧はどうなったの?あたし……」
「落ち着いてアリス」
よしよしとハッターが頭を撫でるとアリスは落ち着き、フッと前のめりになって気を失った。それをハッターは慌ててキャッチする。張り詰めていた緊張と悲しみが切れたのだろう。それと今日まで一睡もしていない事も原因だが。目尻に出来た黒い隈と涙の跡が証拠だ。ハッターは静かにアリスを寝かせて掛け布団をタンスから取り出すと彼女の上にかける。
正直、アリスの目がもう無理だと云うのは知っていた。翠から内密に聞いてはいたが
「これほどとは…」
我ながらため息が漏れた。アリスの目は焦点が合っていなかった。そして、紅い色が滲んでいた。
「………………まさか、ねぇ…」
本物の“荒神”。見たことはないがそれはそれは恐ろしくも美しいと聞く。それが今、目の前の唯一の妹がなろうとしているのなら、それは此処の破滅を意味し、自分達の破滅をも意味する。一人がなれば、伝染病のように感染していく。それが、憎しみと云う‘感情’の恐ろしさ。
ハッターはシルクハットを深くかぶり直すと部屋を出た。
あの碧くんが復讐?あの優しくて大人しいというかネガティブっ子が?
それに、翠くんも…
ハッターの心中に嫌な予感しか渦巻かなかったが彼は歩き始めた。
***
「………What kind of thing is this on earth?(これは一体どういうことだ?)」
たった1日か2日前だと言うその現状にハッターは驚愕していた。地面に染み付いた血の海と地面にめり込んだ銃痕。そして、アリスが言っていた『翠が死に、碧が復讐に駆られた』のが2日前とするとその日に翠以外にも2人の“荒神”が逝っていた。つまり、おそらくともその仲の良かった者約3人(碧含む)は復讐に駆られ、既に……
「遅かったか…っ…くそっ!」
バンッと柱を叩く。碧は死んでいた。大将がアリスの力を奪ったと仮定すれば返り討ちになったと想像するのは容易い。ふとハッターは疑問を抱いた。誰も、この復讐に気づかなかったのか?きっと大きな音が響いていたはず。誰かしら様子を見に来ても……
「…………Come (おいで)」
スゥとハッターが片腕を上げるとそこに薄っすらと小さなコーヒーカップが現れる。その中身をハッターはバシャっとその現場にかけた。そして浮かび上がったのは、『誰も来なかった原因』。ハッターは唇を噛み締め、驚きに染まった顔をする。
「…This is crazy…(これはクレイジーだ…)」
今日は癖である英語がよく出るななんて考えはハッターの脳から消えていた。シルクハットのつばを握り、浮かび上がった真実、英語で書かれた文字を凝視する。文字は消えてしまったがハッターの目に焼き付いていた。そしてハッターは早足に廊下を駆けた。
***
暗いその部屋の扉付近には扇で口元を隠し、冷めた目でその状況を見下ろす霧雨がいた。その瞳は角度によって紅く見える気がする。
とその時、荒々しく部屋の扉を開けてハッターが入ってきた。そして霧雨と同じ状況を見てとっさに後ずさった。それを同じく冷めた目で横目で見る霧雨。
「………本当は俺がやっても良かったんだけど、聞かなくてな」
「…なぁ霧雨?」
「ん?」
俯き加減のハッターを横目に見る霧雨。スゥと顔を上げたその顔には‘誰かさん’にそっくりな‘感情’が宿っていた。
「王様の心臓は血塗れぇ♪」
「ふふ、マッドハッターは本当にイかれ帽子屋だね」
ハッターは不気味なほどに嗤っていた。
「妹に真実を伝えるのは悲しいけれど……」
その顔は先ほどの笑みではなく、本当に妹を心配する兄の顔だった。それに霧雨は横目で見た後、状況に目を移した。
そこにいたのは真っ白な姿からかけ離れ、紅く全身が染まった沙羅。その向こう、壁の方にも紅い血飛沫が飛び散っている。お分かりだろうか?沙羅と壁の間には首を掻き切られ、事切れた人間の亡骸があった。
「……ふふ、ふふふ……あはは」
沙羅はその亡骸を見て嗤う。嬉しそうに愉しそうに。その手には真っ赤に染まった彼の武器、脇差が握られていた。
「いつもわたしを蔑んで…皆様を壊して…ははっ……何も出来ない役立たずのわたしでも、貴方様の隙をついて殺すくらい簡単なのですよ」
コテンと何も言わない忌まわしき大将だった人間に向かって沙羅は嗤いかける。
「わたしは弱いです。貴方様の言う通り。でもね、わたしは他の皆様の‘感情’を受け継いでいるんですよ?だから」
美しく、沙羅の瞳が紅く光った。そして彼の影から何かが蠢き出す。それは沙羅の背後に現れる。‘それ’、花魁姿の骸骨はカタカタと嗤った。
「………貴方様の力なんて、今日この時から無意味です」
華の名の通り、沙羅は紅い一輪の“荒神”となった。その背後に看取った“荒神”の骸骨を背負って。
霧雨とハッターの方を振り返った沙羅を見て、ハッターは誰かから聞いたあの言葉は真実だと知る。
「本物の“荒神”は恐ろしくも美しい」
***
ービーッビーッ!!ー
無機質な音が管理室に響き渡る。此処は情報管理局の管理室。モニターに映し出された情報を新人が声を震わせながら報告する。
「ほ、報告!使役者No.007642の生体反応が途絶えましたっ!」
なんだ、よくあることじゃないか。
そう、小さな声で呟いたのはある役員。そしてまた小さな声で呟く。
「『Is everything a trick of an administrative bureau?(全ては管理局の悪戯?)』」
さて、今日も世界を救う彼らのためにお仕事いたしましょうか。
白が紅く……
それは何を意味するのでしょう?意味するところは誰もが違うものです……




