8 太陽に導かれた、僕等の始まり
塔での生の後、僕等の生は最初に語った墓場の物語に繋がる。次に第二次世界大戦を生き、そして今に至っている。そろそろ物語も終わりだ。しかしその前に、僕等の始まりを語っておきたい。これは僕の正体の話でもある。
言ったように、僕が最初に生を受けたのは、キリストの奇跡の直後だった。それまで僕はずっと向こうにいたのだ。それは、人間の言葉で言えば、死後の世界、となる。僕の存在はそこでは人間と違う。キリストとも少し違うが、人間よりもキリストに近い魂だった。僕はその世界から、キリストの奇跡を見ていた。何とも言えない昂揚感に満たされ、僕は本当に、衝動に近い形ですぐに受肉して人間となった。この時の僕は、キリストへの愛で満たされていて、キリストの奇跡を広く人間に広めることを使命としていた。
だがそれは、彼女との出会いで挫折する。彼女は普通の人間だった。キリストの奇跡を知ってはいたが、その深い意味まで理解はしていなかった。それでも僕は彼女に惹かれ、僕の愛は濁ってしまったのだ。心ではなく、僕は肉体で彼女を求めたのだ。初めての受肉であり、僕は肉体というものがこんなにも扱いづらいとは知らなかった。そしてキリストへの純粋な愛がどのようなものであったのかを忘れてしまい、そこから、僕の業が始まった。
彼女はというと、僕からの愛に快く応じてくれ、彼女も熱く僕を愛してくれた。しかしもちろんそれは、肉体の愛だ。僕の業は彼女を捕まえ、彼女は僕の罪の被害者となってしまった。
キリストの奇跡に感動して受肉した仲間もいなかったわけではない。しかし本来の使命を全うできた者は少ない。こうやって僕等の存在は、人間の世界にいらぬ罪を撒き散らしてしまった。その償いのつもりの転生が、いつしか業を増やすだけの惰性に変わってしまい、僕の魂はキリストと同質であった部分を失くしていっている。それらを全て失ったならば、僕の転生の記憶もなくなるだろう。あと何回、彼女を追えるのか分からない。もしかするとこれで最後かもしれない。何といっても、あの墓場の物語の時から、僕の世界を感じる力は著しく弱くなってしまっているのだから。
ただもう、僕には、生命の光をわずかに感じる力があるだけで、ほとんど人間と変わりはしない。その代わり、僕の心は人間の幸せを享受する力を強めている。この一度だけの生、という気持ちが大きくなり、死を恐怖し、彼女を失うことを、何よりも怖れるようになっている。




