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4 彼女が魔女であった時

 いくつもの生と死を覚えているのに、生まれて間もない頃の記憶になるとほとんど持ち合わせていない。今から話す生のなかで、僕は気が付くと、数個の星が点々と煌めいている暗く青い空を見ていた。森の落ち葉の上に寝そべって、傍らの老婆がしわがれた声でゆっくり歌う子守唄を聞きながら、僕は自分が五歳であることを認識し、生まれて間もなく森に捨てられた僕をこの老婆が育ててくれていることを理解した。

 老婆は予言のような歌をいつも歌ってくれた。赤い目の女が少年の黒い髪を優しく撫でる、という歌詩は、今でも覚えている。というのも、その時僕の前に現れた彼女こそ、赤い目の女だったからだ。

 老婆は魔女狩りを恐れていた。森の奥深くに住み着いていたが、この森には他にも、同じように魔女狩りを恐れる老婆、いわゆる古い魔女達が住んでいた。老婆の住む家は丸太を組み合わせて造られていて、とても彼女一人で造ったとは思えなかったので、誰が建てたのか聞いたことがある。老婆は自分が建てたと言い、目を閉じて肩を震わせながら笑った。

 暮らしは質素で、森で取れる草や木の実が主な食べ物で、時々兎や蛙を食べた。鶏も飼っていたが、数が少なく、その肉にはほとんど手を付けなかった。老婆は火も恐れていた。調理以外ではほとんど火を使わず、冬の寒さにも火を使わなかった。老婆は寒さを訴えることがなく、僕が寒いというと、僕のためだけに火を付けてくれた。

 さて、では、彼女はどこにいたのか。この時、彼女は老婆と同じく、森に潜む魔女だった。僕よりも十年早く生まれていて、彼女は幼少時から、森で魔女として育てられてきたのだった。赤い目の、髪の長い彼女、肌は雪のように白く、森で野性的な暮らしをしているとは思えないほど細身で、その体は、まるで絵に描いたかのような、なめらかで自然な線をしていた。

 彼女と初めて会ったのは、僕が十二歳の時、彼女は二十二歳、僕を育ててくれた老婆が死ぬ二年前のことだ。僕はこれまでのことを全て覚えているから、その時の彼女には少々違和感を覚えた。彼女はどうやって死ぬのだろか、今回もまた白いシーツの上なのだろうか、だとすれば、彼女はこの森からどうやって出ていくのだろうか。

 僕の思考は生のことにはあまり触れない。どういう人生が豊かと呼べるのかという哲学は、僕にとって全く意味を持たない。生の次に死があり、その次にはまた生があるということを僕は知っている。そして自分の生を覚えている。僕の関心は、死のあとの彼女の光の行方にある。だというのに、生の度に変わる彼女の肉体を欲し、それが本当の彼女ではないと分かっているのに、彼女の肉体を愛してしまう。そして、その死を考える。彼女の死は、僕にとって一体何であろう。

 僕が十四歳の時、森に神の遣いを名乗る者達が来た。二十人くらいが森中を捜し回り、老婆が捕まった。僕と彼女は老婆に逃がされ、森のさらに奥へと向かった。「火に、真っ赤な炎に焼かれてしまう」それが、最後に聞いた老婆の言葉だった。

 魔女、と言っても、老婆や彼女は特別なことができたわけではない。薬草の使い方や、動物の行方を探ることができたぐらいだ。森の奥深くに迷い込んだ僕等は、適当な木を見つけてその根元で休むことにした。彼女は震えていた。いつか自分も捕まってしまうのではないかとぶつぶつものを言い、時々ヒステリックに奇声を上げた。陽が完全に沈む前、僕は彼女を抱いた。この生の時、僕と彼女は特に愛を語らったりはしなかった。だが抱きしめると彼女はすっと安心したように力を抜き、その身を預けてくれた。僕と彼女との間に子供ができたことはない。この時はもしかして、とも思ったが、その結果を知る前に、彼女は死ぬことになる。

 次の日、僕等は神の使者に見つかり、捕らえられて見知らぬ町へと連れて行かれた。僕は町というものをよく知っていたが、彼女は初めての場所に戸惑い、恐怖し、絶望した。何度も何度も大声を上げ、泣き喚いたが、無慈悲な神の使者達の手により、粗末な十字架に掛けられて、火刑となった。僕は集まった町の民衆達のなかで、檻に入れられたまま、焼かれる彼女をずっと見ていた。雪のようだった彼女の皮膚に色が付き、やがて黒くなって、悶え苦しみ続けた彼女は動かなくなった。

 痛みの声を上げるなか、彼女は確かに呪いの言葉を呟いていた。それが誰に向けられたものなのかは分からない。だが僕は知っている。彼女を焼いた者達は、次の生の時には彼女に復讐される運命にあるのだということを。

 真っ赤な炎がばちばちと音を立て、黒い煙を吐きながら天に昇っていく。町に流れたこの時の熱は、彼女を燃やした焔の熱であり、同時に、彼女が次の生で約束した死の予兆であった。

 彼女の生命の光は、激しく破壊の衝動で蠢いていて、その恨みの発散場所を探していた。これほど強ければ、しばらくは彼女を見失わない。僕はそう安心したが、無用なことだった。魔女と共に暮らしていた者として、僕も次の日には、真っ黒焦げの彼女の死体が置かれた白いシーツの隣で、首を絞められて殺された。


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