序章9話 エレノア・メタトリアス
――ある日突然世界が敵になる。そんな絶望を、味わったことがありますか――
目に見えていた景色、聞こえてきた心なき言葉。その全てを事細かく話せるほど、あの日のことは鮮明にエレノアの中に刻まれている。
「人生、けいかくしょ……ですか?」
毎日繰り返していた日常。いつも通り学校から帰ってきたエレノアを待ち受けていたのは、三人の騎士と一枚の書類だった。
「二年後、十二歳。わたしはアルヒリウム中学院に入学して……」
ここ『王冠』の平均寿命は四十歳。余裕をもってか、五十歳になるまで。
何歳に学院を卒業し、どの職種に就き、誰と結婚し何人の子供を産むのか。エレノアの人生が、たった一枚の書類に記載されていた。
「どう? エレノアちゃん? 嬉しいよね?」
騎士の一人が耳元で囁く。
(だめ……耐えて! 気持ち悪いと思わないで!! 笑顔を絶やさないで!)
国民一人一人の人生を支配する、〝王界王冠〟。
ここで嬉しいと思わなければ。「わたしの人生を支配してくれて、ありがとうございます」と感謝の気持ちを示さなければ。
エレノアは、価値なき子として処刑されてしまう。
(耐えて……耐えて、耐えて! ありがとうございます! ありがとうございます! ありがとうございます! ありがとうございます!)
予行演習のように、本心が漏れないよう必死に頭の中で繰り返す。
助けを求めるように両親へと視線を送るが、二人は満足そうに微笑んでいるだけだった。
「ぁ、りがとうございます! とっても素晴らしい人生です!」
吐き気と、寒気を堪えるので精一杯だった。
でもちゃんと言えたのだ。
大丈夫、笑顔もちゃんと浮かべている。声色だってこれでもかと弾ませていた。
殺されるくらいなら、支配される方が何倍もましだ。エレノアはそうやって自分に言い聞かせて、これからの四十年、心を殺す覚悟を決めた。
「ねえ、エレノアちゃん?」
「はい! なんでしょう騎士様!」
不思議なことに、そうと決めたら抵抗はなかった。
変わらず貼り付けた満面の笑み、弾ませた声色。自分は、ちゃんとやったはずなのに。
「それ、ちゃんと本心で言ってる?」
「――ぇ」
揺さぶりでは決してない。エレノアはすぐに察していた。
「か、からかっ、ているんですか? 騎士様でも冗談を言うのですね! あはは、びっくりしちゃいました」
きっとエレノアが何を言ったとしても、確信している騎士の答えは変わらない。分かっていても、でも……死ぬのは嫌だ。
「大丈夫です! ちゃんと嬉しいですよ! だから――」
「これ、何か分かる?」
騎士の手に浮かんでいたのは、掌よりも大きいダイヤモンドだった。
こんな状況でさえなければ、美しさに目を奪われていたはず。けれどもこの時のエレノアは、このダイヤモンドが人を殺す恐ろしい道具にしか見えなかった。
「これはね? ヨハネ王から預かった、嘘を見破る魔法道具なんだ。嘘をついているとね? 黒色の光を放つんだよ」
「え……ぁ」
説明されて初めて気付く。
黒い粒子のような光は、自分の命を刈ろうとでもしているのか首元まで漂ってきて――
「パパ! ママ!」
エレノアは咄嗟に、両親に助けを求めた。
世界で一番愛してくれていて、いつも味方でいてくれた二人。パパとママならというエレノアの希望は、
「「…………」」
無言という名の拒絶によって、絶望へと塗り潰されてしまった。
電源の抜けた機械のように目も虚ろ。まるで、この瞬間にエレノアに対して興味を失ってしまったかのよう。
「いや……やだ」
縋る思いで手を伸ばしたが、二人は微動だにしない。
「誰か! いやっ、誰かぁ!」
両手両足を鎖に繋がれ騎士に連れ去られる中、必死に叫んだ。
隣の家に住んでいた友達、すれ違った先生、見ず知らずの通行人。
誰でもいい。お願いします。誰か……誰か!
「誰か……わたしを、助けてください!!」
伸ばした手を掴もうとする人は一人もいない。
エレノアの助けての声は、誰にも届くことなく空気に溶けていった――。
夜風に吹かれ草木がそよぐ。風が連れてきたのは秋を象徴する花、金木犀の香りだ。甘い香りは気持ちに落ち着きを取り戻させてくれ、ノアは月を肴に一息ついた。
高揚し熱くなった体にも、風が心地よい。
エレノアは自分の過去を語り終えると、泣いて疲れ切ったのか、再び眠りについていた。彼女の寝顔を見て、少なくとも安全と感じられる居場所を提供できているのだと、胸を撫で下ろした。
「ねえ、メシア。当たり前の話なんだけどさ、人って、皆それぞれの人生を歩んでいるんだよね」
「え? ええ。ええ? そ、そう、ね?」
「ごめん、何が言いたいのか分からないよね」
感じたことをそのまま、言いたいことを全く整理せず口にしてしまった。これはノアが悪いが、疑問符を三回も浮かべていたメシアの反応が面白く、クスリと笑ってしまう。
「ちょっと、ノア?」
バカにされたと感じたのか、メシアは頬を膨らませている。「ごめんごめん」ノアは軽く謝って、
「エレノアの過去を聞いて、僕は価値なき子を、じゃなくて、エレノア・メタトリアスを助けられてよかったと、心から思ったんだ」
彼女の身に起きた悲劇は、とても十歳の少女が経験していいものではない。
過去を知って、エレノア・メタトリスのことを深く理解して……しかも、騎士に連れ去られる時は誰も彼女を助けようとしなかったのだ。
今日自分が「助けて」の声に駆けつけられて、本当によかった。
心からそう思った結果、ノアの中である考えが芽生えていた。
「人類を助ける、支配されている国民を助ける、価値なき子を助ける……僕は全体を見すぎていたよ。そうじゃなくて、もっと一人一人を、そこに生きている人をちゃんと見たうえで、助ける方法を模索する。エレノアは、僕に大切なことを気付かせてくれた」
支配という理想に対する怒りはもちろんあったが、深堀すればするほど湧いてくるのだ。キリがない。
だから怒りは一旦しまっておいて、よかったという感情だけに浸る。
「エレノアだけじゃなくて、スピカやアッシュ……子供達全員のことも、もっと知りたい。明日、皆が起きてから、一人一人のことを聞いてみるよ」
「……そうね。とてもいいことだと、私も思うわ」
メシアは感心しているかのように目を瞬かせると、毛布を手にしてノアの横に座った。
大樹を背にして、ノアの肩を枕にすると、
「おやすみ、ノア」
すやすやと、心地よさそうに寝息を立て始める。
「おやすみ、メシア」
ノアもまた目を閉じる。そこからはとても静かな夜だった。
虫の音が聞こえる、平和が流れている。
昼、一国を敵に回したとはとても思えないほどの。
メシアと子供達と過ごす、幸せな夜だった。




