序章8話 静かな夜…だった
十五年もの間棺の中で眠り続けていたノアには、当然家や財貨といった資産など一つもない。処刑場から無事逃げられたはいいものの、子供達を匿えるような施設など用意できるはずもなく。
一時的に身を隠す場所として選んだのは、メシアと出会った森の中だった。
誰にも発見されることなくノアが十五年も眠り続けた場所でもあり、メシア曰く交通網がない未開の地だという。追手が来る気配は微塵もない。また小一時間歩けば川が流れ、木の実や動物を捕獲すれば食料にも事欠かない。
ノアが形態王国になれば薪に火を起こすための火種や、動物を裁くための刃物も具現化できる。野宿とはいえ、少人数が当面の間生活するにそれほど不便はなかった。
(……夜空が綺麗だな)
エレノアら子供達と生活の基盤を整えていたら、辺りはすっかり暗くなってしまった。
見上げれば煌々と輝く一つの月と、小さく光る無数の星々が広がっている。協力しながら懸命に夜を照らすそれらに目を奪われていると、
「ノア、子供達は?」
「……もう寝たよ」
よいしょ、よいしょ、と大きな荷物を抱えたメシアが街から戻ってきていた。
「どうしたの、それ」
「んー? さあ、なんでしょう。当ててみて、ノア!」
「あはは、なんだか楽しそうだね」
基本的にいつも明るいメシアだが、エレノア達を助けた後からとりわけテンションが高い。月と星の光に負けないほど、笑顔が輝いていた。
「君のことだから、今の僕達に必要なものだよね。となると……」
彼女の笑顔に感化されていないと言えば噓になる。箱の大きさと、メシアの性格から……ノアもまた楽しみながら推測を始めていた。
「食料、はあるから、調味料かな? いやだとしたら箱はそんなに大きくない。となると……衣類かな? 子供達全員分の」
「もう、一回で当てないでよノア! ヒントを少しずつあげて、考える貴方の様子を見るっていう私の楽しみがなくなっちゃったじゃない!」
「えっと? ごめん……?」
自分に落ち度はないはずだが……とりあえず謝罪を述べるノア。
メシアは頬を膨らませて、ぷんすかと怒りながら丁寧に箱の包装を解いていく。
「それとも、これはあれかしら。一回で当てたご褒美っていうのをあげたほうがいいのかしら」
「いや、そんな必要な――」
「ちゅうでもする?」
「しない! しないから!」
彼女が告げる「ちゅう」の一言だけで、もはや反射的に否定していた。
「処刑場でもそうだったけど、メシア、君は気軽に口づけしすぎだよ! こういうのはちゃんとした、愛し合う者だけがする行為なんだから」
「……ああ! そうね、そうだったわね」
神と人とでは、倫理観でも異なるのだろうか。忘れていた、とでも言うようにハッと目を大きくしている。ノアは呆れたように溜息を吐いて、
「それに、万が一子供達に見られたらどう説明するの」
英雄という一面を見せている子供達に、いかがわしい場面など見せられない。
「これから先口づけは禁止。いいね、メシア」
「そう……残念だけど、貴方がそう言うなら私は従うわぁ」
冗談ではなく、どうしてか本当に残念そうに俯くと彼女は黙々と服を整理し始めた。
運ぶ途中でぐちゃぐちゃになってしまったのだろう、箱いっぱいにこれでもかと詰まっている。メシアは手慣れた手つきで服を畳むと、地面に付かないよう箱の蓋の裏に置いていった。
「かなりの量だね」
「子供達十三人分と、ノア、私の十五人分を、二セットずつと、夜は冷えるかもしれないから毛布も買ってきたのよ……あ、服の好みとかあったかしら? 何も考えず買ってきちゃったけど」
「特にないよ、買ってきてくれてありがとうね」
服についてはTPOにさえ沿っていれば、着れればいい程度の認識しかない。それよりもノアは一つ気になることがあった。
「今更だけど、お金はどうしたの?」
昼間クオルジュやブリュエールを奢ってくれた時もそうだが、彼女のお金の出所が全く予想できない。
「ノア、私はね、貴方が目覚めるのを十五年も待ち続けていたの」
過ごした月日を思い返しているのだろう。ここではないどこかを見ながら彼女は語る。
「もちろん、最初はいつ目覚めるかなんて分からなかったから、毎日毎日様子を見に来て……いつ起きるかな、今日かな、明日かなって、昨日という日を待ち望んでいたの」
寝坊助さんなんだから、と軽く咎めるように目つきを尖らせ、ニヤリと笑う。
「あんまりにも時間があったから、何年か過ぎた時から、貴方が目覚めた時少しでもサポートできるようにって、働いてお金を稼いでいたのよ」
「メシア……」
「あんまりあてにしちゃダメよ? 考えなしに使っちゃったら、あっという間になくなっちゃう程度しかないんだから」
「うん……ありがとう」
――十五年。眠り続けていたとはいえ、その歳月の重みを分からないノアではない。昔も今もずっと、ノアの為を想ってくれているメシアに対して、感謝の気持ちしか芽生えてこなかった。
(メシアの献身に応えるためにも……)
ありがとう、そんな一言では足りない。
ヨハネ・ケトラルヒを倒し、十か国統一を阻止して人類滅亡の未来を回避する。そこまでして初めて、報いることができたというもの。
また一つ、ノアの両肩に背負うものの重みが増した。
「いやっ! ああ! ああぁぁぁあ!!」
次の瞬間、突如として夜の帳を切り裂くようにエレノアの絶叫が響き渡る。
「エレノア!?」
服の入った箱を軽く蹴飛ばしながらメシアが即座に駆け寄り、
「何があった!?」
ノアは周囲を警戒し、慌ててメシアに続いた。
「はぁ、はあ、ノア、様? メシア、様」
エレノアは虚空を視界に収めていたが、ノアとメシアの顔を交互に見て安堵したのだろう。焦点が定まっていく。
「ぁ……申し訳ありません、嫌な夢を見て取り乱してしまったみたいです」
疲れたように笑うと「皆も、起こしてごめんね」何事かと飛び起きた子供達に、心配かけさせまいと声のトーンをあげて言う。
子供達は安堵したように、無邪気に再び眠りに入っていたが……ノアには、エレノアが無理をしているのだと理解できていた。
「ノア様、メシア様も、驚かせてしまい申し訳――」
「謝らなくていい」
エレノアが謝罪をする? そんな必要は一ミリもないのだと、語気を強くして遮った。「それよりも」悪夢を見てしまった影響か、いまだに震えている彼女の手を取り、
「君が見た夢の話を、聞かせてほしい」
「……ぇ、あ、ですが、わたしは本当に……」
「大丈夫」
心配を、何よりも迷惑をかけさせまいと愛想笑いを浮かべるエレノアに、ノアは訴えかけるようにもう一度告げる。
「大丈夫だから、聞かせて?」
「――――」
すっかり沁みついてしまったのだろう、たった一瞬だけ瞳に宿る猜疑心。彼女の頭を撫でるたびに薄れていった。
やがて意を決したように大きく息を吸う。
「わたしが――!」
そこから先、エレノアは止まらなかった。
ずっと殺してきた感情を、悲痛な叫びを思いのままに。
価値なき子になってしまった日のことを吐き出していく。




