序章3話 理想の国『王冠』
理想の国『王冠』は、十の都市と一つの王都、一千万の民によって構成されている。
ノアとメシアが出会ったのはエジュリヌ大森林という未開の地。三十分ほど歩き下山すると小さな村があり、そこから馬車に揺られて一時間。メシアにつられてやってきたのは、最北の都市ノーベン・ヴェルジュ。その中央区にて、
「メシア、あれはなんて名前の食べ物なんだ?」
メシア曰く、ここは各都市に一つしかない歓楽街とのこと。
飲食店があちこちにあり、昼時とあってか、香辛料と甘い香りで満ちていた。
「あれはクオルジュって言って、クオルの実をお肉にまぶして焼いた料理よ。クオルの実は香辛料だから、ピリッとした辛味が特徴的ね。あれはブリュエール。果物を甘味料でコーティングして炙った料理で~~」
彼女は楽しそうに料理の説明をしてくれる。
「じゃあメシア、あれは~~これは~~」
なにせノアは、赤ん坊から今に至るまで、十五年もの間棺の中で眠り続けていたのだ。あの棺は魔法道具で、周囲の酸素や太陽光をエネルギーに変えノアを成長させてくれていたとのことだが、記憶は一切なく目にするのは初めてのことばかり。
またメシアも楽しそうに、嫌な顔一つせず全ての質問に答えてくれていたため、疑問が浮かぶたびに彼女へとぶつけていた。
「そんなに気になるなら、一つ食べてみる?」
「え、でも、それは」
「遠慮しなくてもいいのよ。すみません、クオルジュとブリュエールを二つずつください」
メシアは財布から四枚の銅貨を取り出すと店主へと渡し、
「はい、どうぞ、ノア」
折角奢ってくれるならと、「ありがとう」ノアは遠慮なく受け取る。すぐ近くにあった椅子に腰かけると、クオルジュにかぶりついた。肉の脂の旨味と、クオルの実の香りが広がる。
「美味しい!」
食べ物を口にするのもこれが初めて。感動のあまりあっという間にたいらげると、次はブリュエールを口にした。
「~~~~!」
甘味の暴力が脳天を直撃し、味わうのはまさしく至福の一時。言葉にならない歓喜が口から零れていた。
「美味しいわね、ノア」
「うん。まさか食事が、これほど幸福感を与えてくれるのだと知らなかったよ。本当に、ありがとうメシ
ア」
同じ幸せを教授したことで、二人は顔を合わせて笑う。
「…………」
一口の大きさもさることながら、無心で食べていたため、先に完食してしまったノア。ふとあることが疑問になり、彼女の顔をまじまじと見つめていると、
「なあに? ノア、私の顔になにかついているの?」
唇についた甘味料を舌でなぞったメシアが、首を傾げている。「いや、気に障ったらごめんね」いきなり凝視するなど無礼だった。ノアは軽く頭を下げ反省し、
「神でも、食事をするんだなって、ちょっと疑問に思って」
神の子であるノアは、半分は人の血が流れているため食事が必要だが、メシアは神そのもの。他意はなく、純粋な疑問を投げかけると、メシアは「ああ」と納得したように頷いて、
「神は基本的に人の願いから生まれるから、体の造りは人と同じなの。だから、食べ物をエネルギーに変えることができるのよ……もちろん、エネルギーの質は信仰心とは比べ物にならないんだけどね」
もぐもぐと、小さな口で食べながら続ける。
「この二巡目の世界で私を信仰してくれる人はいないから、減るばかりの信仰心を少しでも堰き止めて、一秒でも長く存在を維持できるよう食事や睡眠だって必要なの」
何の気もなく回答しているメシアだが――一秒でも長く存在を維持できるよう――この一言が、杭のようにノアの心に深く刺さった。
「――信仰心を使い切ったら、君はどうなるの」
想像はついている。だからこそ、悪寒が止まらなかった。この想像を否定してくれと、心臓が嫌に鼓動し訴えている。
「……そうねぇ」
メシアは上を、空よりも遠い場所を見据えて、
「もって一か月。力を使えば、使っただけ私は――跡形もなく消滅するわ」
ノアの願いも虚しく、想像していた通りの答え。
しかし実際に口にされると、衝撃のあまりノアの世界が凍り付いた。
誇張でもなんでもなく、動けもせず言葉も発せず思考もできない。たった数秒とはいえ、呼吸さえ止まっていた。
「だからね、ノア。私は時間の許す限り、せいいっぱい貴方を支えるわ。人類を助けるために、私がいなくなったあとも、貴方が迷わないように」
「メシア……」
こんな時、一体どんな言葉を返せばいいのか。
分からないし、きっと正解なんてない。故にノアは言葉ではなく、代わりに決意を固める。
「――そんなことにはならないよ」
「ノア……?」
「君を助ける。その方法も、見つけてみせるから」
力を使いさえしなければ、一か月の猶予があるのだ。その間にメシアを助ける方法を、信仰心を完全に食い止める術か、信仰心を得る策を考えればいい。
「気持ちは嬉しいけど、あくまでも、最優先はヨハネを倒すことよ?」
「無論だよ。その上で君も助ける」
メシアとは昨日今日の付き合いだが――いや、そうでなくとも、ノアに見捨てるなんてできるはずがない。強く断言すると、メシアの表情が綻んだ。
「ありがとう、ノア。頼りにしているわね」
「任せて」
短く告げると、大きく息を吸って気合を入れる。
「……あれ?」
食事という幸せな一時を過ごしていたため、気持ちが緩んでいた。気合を入れたことにより芯が通ったのだろう、中央区を見回し人々を見ることで、違和感が浮かんだ。
「どうしたの?」
「……気のせい、じゃ、ないと思う。皆笑ってるけど、心から笑ってないような……? 笑顔っていう仮面を貼り付けられているような、そんな感じがする……」
明確な理由があるわけではなく、ただの直感。
しかし何かしらの核心をついていたのだろう、メシアの顔色に緊張が走っていた。
「そう、ね」
僅かに残っていたブリュエールを一口で食すと、立ち上がってノアの手を引っ張った。
「じゃあ、そろそろ行きましょう」
ノアの手を握る手は強く、歩く速度も普段より速い。
……ただごとじゃないと。彼女が抱く緊張がそのままノアにも伝わり、ごくりと唾を飲み込んだ。
隣に並び目線を同じくすると、先にあるのは円形の、闘技場のような場所。
「今日なぜこの都市に来たのか。理由はあそこにあるわ」
「……心しておくよ」
己の内側に意識を集中させ、神の子である自分の力を改めて認識すると、メシアについて中へと入っていった。
ここから先何が起きたとしても、努めて冷静に対処する。そう覚悟していたノアだったが――




