序章17話 喪魂病
エレノアは人々の魂から本音を聞き出しただけで、騎士と観客らから支配を解いたわけではない。魂が肉体に戻れば必然、肉体が支配の粒子に侵されているためヨハネの支配通りに行動してしまう。
現実世界へと戻ってきたエレノアを待ち受けていたのは、たった今ノアに助けを求めたはずの騎士の剣だった――が、
「う、ぐぐぅ、うっ」
支配に魂が抗っているのか、騎士はもがきながら剣を振るう。その軌道はふらついており、戦闘経験のないエレノアでも避けるのは容易だった。
「侵入者を……切る、殺す……助けて……殺す……助けて……殺す」
支配され口にする「殺す」と、魂からの「助けて」を交互に繰り返している。
言動すらおぼつかず、騎士は今どれ程の苦痛を感じているのか……想像すらできない。
(ごめんなさい、すぐ戻ってきますから!)
今エレノアの『祈りの書記官』には、ノアに「助けて」と叫んだ彼らの本当の祈りが記されている。
これをノアに届けさえすれば、信仰心を糧にするあの人であれば、何とかしてくれるはず。
「行きますよ! ユリエル!」
だから一刻も早くここから抜け出し、ノアと合流せねばならない。
エレノアは漆黒のコートのポケットに入っていた、震号機のスイッチを押した。これでノアに合図が送られ、エレノアが救済を終えたと気付いてくれるはず。
「殺す……助けて……殺す……殺す!」
本音と支配の狭間で闘い続けていた騎士だったが、やはりヨハネの力には適わなかったらしい。涎を垂らし獣のように、むやみやたらに剣を振るい始めた。
「ユリエル! こちらに来てください! わたしの手を絶対に離さないで!」
「は、はい!」
精錬された剣筋ではないのなら、大袈裟に距離を取りさえすれば、切っ先から離れることは容易。ユリエルの手を引っ張りながら、出口へと向かう二人だったが、
「殺す!」殺せ!」「価値なき子を殺せ!」「侵入者を殺せ!」
他の四人の騎士も、支配に打ち勝てず各々の魔法を発動させていた。
「ひっ……やだ! いやぁ!」
「ユリエル!?」
人のそれとは思えないほど恐ろしい形相をしている騎士と、迫りくる雷・炎・風・水の魔法。怖気づいたユリエルが、その場に蹲ってしまう。
力を入れて引っ張っても、完全に腰が抜けているせいでビクともしない。
(これは……だめ、避けられません――!)
エレノアがもう無理だと悟ってしまうほど、死がすぐそこに。
その瞬間エレノアが感じていたのは、あれだけ抱いていた死への恐怖ではなく――
(申し訳ありません――ノア様――!)
役目を果たせなかったという、ノアに対しての謝罪だった。
まず初めに雷が、炎と風が続き、とどめとばかりに津波のような水が押し寄せてくる。
直撃し、エレノアもユリエルも呆気なく死ぬ。まさにその刹那だった。
「待ってください!」
エレノア達の前に立ちふさがるように、壇上に新たな乱入者が現れたのは。
何故かは分からない。ただ何故か騎士は魔法を途中で解除したようで、攻撃が跡形もなく消えていた。
(いったい、何が起きて……)
神の子ノアか、はたまたスピカやアッシュといった、他の都市に駆けつけていた英雄が先に救済を終え、加勢しに来てくれたのか。
そう予想して乱入者を見やるが、
「あなたは……どちら様、ですか」
現れたのは神の子でも英雄でもない、どこにでもいるような普通の、壮年の男性だった。
男性は息も絶え絶えに、疲れ切った顔をエレノアに向けて言う。
「私はその子の、ユリエル・ダリアンの父、ユースティス・ダリアンと申します」
「――! ユリエルの!」
ハッとなって彼女を見ると、ユリエルもまた男性の姿を確認しており、
「パパ……パパぁ!」
ユースティス・ダリアンの、父の腰に、思い切り抱き着いていた。
「ああ、ユリエル! ごめん、ごめんよ! 愛する我が子を見捨ててしまって! もう二度とあんなことはしないから、不甲斐ない父を許してくれ!!」
「うん……うん!」
価値なき子になってしまった我が子を、父が助けに駆けつけるという光景。
エレノアは目の当たりにし、自覚する。これは自分がずっと見たかった、待ち望んでいた光景なのだと。
(パパ……ママ)
抱き締めあう父と娘の姿に、エレノアは自身の両親の顔を思い出す。
エレノアが価値なき子になってしまったあの日、二人も支配に打ち勝ってくれていたら……ユースティス・ダリアンのように、わたしを助けようとしてくれたのかなと。
感極まり涙が流れかけるが、今はそれよりもと気を引き締める。
「二人とも、水を差すようで申し訳ありませんが、今は早くここから逃げませんと! 騎士の攻撃が――」
「その心配は必要ありませんよ、エレノア殿」
ユースティスは、次の攻撃が来る前にと慌てるエレノアを手で制し、
「私はこの子の、ユリエル・ダリアンの父です!」
騎士に向かって声を張り上げた。
(……! なるほど、そういうことですか!)
彼の意図を察し、エレノアは嘆息する。エレノアの視線に気付いたユースティスは、任せてくださいと頷いて、
「騎士殿よ! 王からの支配の中には、価値なき子の父を殺せとありましたか! ないのであれば、勝手に私を殺せないはずです!!」
二撃目を繰り出そうとしていた騎士の手が、完全に止まった。
「グ……ゴ、ゴロせ、殺す、価値なき子を……神の子ノアを……乱入者を……」
壊れた機械のように、植え付けられた支配の内容を繰り返している。
そこに「価値なき子の父」についての内容はなく、ユースティスの目論見通り、ついぞ騎士からの攻撃はもう来なかった。
(これで少しは、一息つけますね)
ユースティスが間に入ってくれている限り、ひとまずは命の危機がないことを知ると、安堵に胸を撫で下ろす。
心に余裕ができたことで彼を見上げ、
「ユーティス様、助けていただきありがとうございました……あなたは支配に打ち勝てたと、そう思ってもいいのでしょうか」
「ええ、貴女のおかげですエレノア殿」
父は娘の頭を撫でる手を、名残惜しそうに止めてエレノアに頭を下げる。
「貴女があの世界で呼びかけてくれたおかげで、物心ついた時から支配され奥底に沈んでいた私の魂が目を覚ましたのです。あの世界から離れる瞬間に私は、絶対に娘を助けるんだと強く誓うことで、辛うじて支配に打ち勝つことができました」
「そうですか……!」
きっかけと強固な意志さえあれば、支配は打ち勝つことができる。その事実はエレノアの胸を強く打っていた。
(これは思いがけない朗報です! ノア様にも報告しなくては!)
希望が生まれたことにより、歓喜に震え無邪気に笑うエレノアとは対照的に「しかし――」どうしてか、ユースティスは顔を曇らせていた。
彼は服の裾を捲ると、両腕を差し出した。
「ユースティス様、その腕は……まさか!」
「ええ。支配に勝つ代償は、決して安いものではありませんでした」
〝それ〟を目の当たりにし、エレノアも彼と同じように顔色を曇らせる。
「喪魂病!!」
両腕にびっしりと刻まれている亀裂。赤黒く変色もしており、凄惨な様は思わず目を覆いたくなるほどだった。
(魂が悲鳴をあげることによって、発症する国病! まさかそんな、魂が支配に抗う時も発症するのですか!?)
ユースティスのすぐ傍では、ユリエルが顔を青ざめさせている。
(喪魂病は治療法のない不治の病……わたしの力では、どうすることもできません……)
完全に予想外の状況に、エレノアは全身から血の気が引くのを感じていた。笑顔から打って変わって自分も、ユリエルと同じ色の顔をしていることだろう。
「私はもう大丈夫ですよエレノア殿。支配に打ち勝つことができたため、これ以上亀裂が広がることはないでしょう」
でも、とユースティスはエレノアから視線を外す。
彼の目線の先を辿ると、今も支配に抗い続けている騎士がそこにはいた。
「騎士殿は、あと三十分も保たないでしょう」
「――――!」
喪魂病は、まず手足から亀裂が入っていき、徐々に心臓へと広がっていく。心臓からは頭の先へと向かっていき、顔全体に広がれば末期症状だ。いつ魂が抜けることで、死んでもおかしくない。
騎士の体には、すでに首元まで亀裂が広がっていた。
(わたしが……わたしのせいで、わたしは――!)
通常は数十年の年月をかけて進行する不治の病が、『祈りの書記官』をきっかけに三十分足らずで。
エレノアは自分の行いに正義があったと信じて疑わないが、自分のせいで人を死なせてしまうと、非を感じずにはいられなかった。
(ノア様――!)
迷っている時間などない。ゆっくりと、しかし確実に、亀裂は騎士の体を蝕んでいった。




