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ノアの掲げる理想の世界  作者: 可借夜
序章 理想の国『王冠』編
16/18

序章16話 『祈りの書記官』

 エレノアはこれまで、スピカやアッシュら子供たちを助けてきたが、その方法は処刑場に送られる前に逃がすというものだった。

 壇上に駆けつけたことにより、必然向けられる五人の騎士の剣と殺意……エレノアにとってはこれが、初めての戦場。


「来たか、とは言ったが貴様、神の子ノアではないのか」


 緊張はある。死への恐怖も相変わらず。

 しかしそれよりも何よりも、助けたいという一心が勝っていた。


「その顔……まさかあの時神の子ノアが助けていた、価値なき子の一人か!」


 ヨハネに支配され、子供を殺そうとしている騎士の言葉なんて、右から左に流れるだけ。エレノアは欠片も気にも留めずに、もう大丈夫だと、安心してほしいと、助けを呼んだ少女に呼びかける。


「わたしは、エレノア・メタトリアスと申します。あなたの名前は?」


 いきなり話しかけられて、少女は戸惑いこそしたものの、


「ユリエル! ユリエル・ダリアンです!」


 エレノアがノアの箱舟の一員だと気付くと、顔ばせに希望が宿っていた。


「ユリエル・ダリアン……、光ある贈り物ですか。いい名前ですね」


 名前を呼んでくれる。つまりそれは、貴方をちゃんと見ていますという意思表示に他ならない。

 価値なき子になってしまった日から、誰も自分を見てくれなかった。誰にも声は届かなかった。だから名前を呼んでくれるのがどれほど嬉しいことなのかを、エレノアは身をもって知っている。


「ユリエル、ここはわたしに任せてください」

「は……はい!」


 エレノアは両手を合わせるとその場に跪き、手にしていた本が宙に浮いた。

 本を攻撃と捉えたのか、リーダー格の騎士が「殺せ!!」と合図を送る。


(賽は投げられました。ここから先は――)


祈りの書記官(オラシエル)』。それがエレノアの魔法。

 人々の心の内を、この本が記すというのが元々の効果なのだが、


「――ここから先は、わたしの出番です!!」


 神の子ノアの『生命の鍵(セフィロトのかぎ)』によって、『祈りの書記官(オラシエル)』は人の領域から外れるほどの強化を遂げていた。

 

 エレノアが魔力を注いだ途端、本から閃光の如き強烈な、白き光が放たれる。

 光は五人の騎士を、ユリエルを、十万の観客を、処刑場全てを瞬時に包み込んでいき、彼らの魂だけを連れて本の中に戻っていった。


 本の中、真っ白な空間で、エレノアは立ち上がると語りかける。


「一人の王に支配されし哀れな民たちよ、わたしに聞かせてください」


 ここはエレノアの精神世界。

 エレノアの精神と、光が連れてきた人々の魂だけが存在する世界。ここでエレノアは、彼らの魂と直接会話をすることで、本当の願いを引きずり出すのだ。


「子供を殺さなければならない騎士よ! 処刑の時何を考えていましたか? 首を撥ねた手に残っている感触を、今でも覚えていますか!?」


 魂だけとはいえ、姿形は肉体と同じ。ここはどこなのかと、騎士五人は目に見えてうろたえていたが……エレノアの言葉を受けると、剣を握っていた両手に目を落としていた。


「処刑を目の当たりにしている観客たちよ! 本当に、心の底から楽しんで処刑場にいたのですか? 人

が殺されるところなんて見たくないと、そう思っている人はいないのですか!?」


 十万の観客も動揺を隠せなかったが、この空間の全員に届くほどの、凛と透き通ったエレノアの問答に……疑問を挟める者はおらず、皆口を閉ざして俯いていた。


「おかしいとは思わないのですか!? 人生を支配されるだなんて……この国の、ヨハネ・ケトラルヒの理想を本当に、皆さんは理想の国だと信じているのですか!?」


 五人の騎士と十万の観客に囲まれ、たった一人の少女がまるで説教でもするかのように。

 気を逸らしている者は誰もいない。全員が自分事と捉えちゃんと聞いている。


 ここがエレノアの精神世界だから、だけではない。

 有無を言わさないほどの、エレノアの迫力とそして、


「あなたたちの本音の声を! 本当の想いを! わたしに聞かせてください!!」


 ここにいる者は全員が、肉体から離れた魂。

 魂には、ヨハネ・ケトラルヒの支配の粒子がついておらず――


「――覚えているよ、ノアの箱舟が英雄よ」


 やがて騎士の一人が、重々しく口を開いた。


「十三人だ。私はこれまで、十三人の無垢なき子の首を撥ねてきた……一人一人の感触を、今でも覚えているよ」


 騎士の両手は震えていた。遠くを見るその眼差しはエレノアではなく、子供を殺した時のことを映しているのだと、心で理解できた。


 騎士の告白を皮切りに、


「僕は――」「俺は――」


 己の罪を自白するかのように、騎士が次々に。


 ――騎士だけではない。


「本当は、目を背けたかった!」「子供が殺されるところなんて、見たいはずがないだろう!」「支配されていたけど、心に刻まれている! あんな悲劇は起きちゃ駄目だって!」「もし私の子供がって考えたら……怖くて、夜も寝られませんでした!」


 観客たちも続々と、抑えつけられていた魂からの声を爆発させていた。


「なんで子供たちが――」「なんでヨハネは殺そうと――」


 十万人が唱え続ける、ヨハネの理想に対する異。


(ああ……よかった)


 なんせ、十万人が一斉に、なのだ。もはや収集がつかないほどだったが、エレノアはこの混沌めいた彼らの叫びが心の底から嬉しかった。


(そうですよね、やっぱり、皆、そうだったんですよね)


 ヨハネの理想を、理想としている国民なんて一人としていなかった。

 支配されているだけで本当は、自分と同じ気持ちだったのだと思い知れて、救われたかのような気さえしてくる。


 涙を拭うと後ろでは、同じようにユリエルも涙を流していた。


「ノアの箱舟が英雄よ、一つ聞かせてほしい」


「……はい、なんなりと」


 支配されていないのであれば、騎士の言葉が右から左に、なんてことにはならない。

 エレノアは真っ直ぐに受け止めると、頷いて先を促した。


「神の子ノアとやらは、本当に信用するに足る存在なのか?」

「…………」


「かの者は、本当に……あのヨハネ・ケトラルヒの理想を打ち砕いてくれるのか?」

「騎士様……」


 抑揚がなく、不安を殺しながらという口調だったが、瞳だけは真っ直ぐにエレノアを捉えていた。

 できるかできないかという、疑問を抱いているのではなく、打ち砕いてほしいができるのか、という願望なのだろう。


 ならばこそ、エレノアは即答する。


「助けてという声に駆けつけ、助けるというのがあの方の掲げる理想です」

「…………」


「現にわたしは、助けてと必死に叫んだからこそ、今ここにいます」

「……そう、か」


 理解が及んだらしく、騎士はその場に跪いた。

 会話を聞いていた残りの四人の騎士も、祈るように、


「神の子ノアよ、どうか……どうか! 支配され望まぬ人生を歩んでいる騎士(われわれ)を、国民を、お助けください!!」


 ――騎士だけではない。


 一連のやり取りを眺めていた、前方にいた観客も跪き始め、空気を読んだのか波を打つように後方の観客も、十万人もがその場に跪いていた。


 観客も口を揃えて叫ぶ。「助けてください」と。


「皆さん……」


 エレノアの魔法は『祈りの書記官』。

 その役目はユリエルを救いそして、騎士と観客の魂からの祈りを、「助けて」の声を、記し神の子ノアに届けること。


 無事役目を果たしたエレノアは、最後にこの言葉を残し精神世界を解除した。


「聞こえましたよ、あなた達の、助けを求める声が!!」


 白き光は止み、エレノアの精神体と魂は処刑場へと再び戻っていく。


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