序章16話 『祈りの書記官』
エレノアはこれまで、スピカやアッシュら子供たちを助けてきたが、その方法は処刑場に送られる前に逃がすというものだった。
壇上に駆けつけたことにより、必然向けられる五人の騎士の剣と殺意……エレノアにとってはこれが、初めての戦場。
「来たか、とは言ったが貴様、神の子ノアではないのか」
緊張はある。死への恐怖も相変わらず。
しかしそれよりも何よりも、助けたいという一心が勝っていた。
「その顔……まさかあの時神の子ノアが助けていた、価値なき子の一人か!」
ヨハネに支配され、子供を殺そうとしている騎士の言葉なんて、右から左に流れるだけ。エレノアは欠片も気にも留めずに、もう大丈夫だと、安心してほしいと、助けを呼んだ少女に呼びかける。
「わたしは、エレノア・メタトリアスと申します。あなたの名前は?」
いきなり話しかけられて、少女は戸惑いこそしたものの、
「ユリエル! ユリエル・ダリアンです!」
エレノアがノアの箱舟の一員だと気付くと、顔ばせに希望が宿っていた。
「ユリエル・ダリアン……、光ある贈り物ですか。いい名前ですね」
名前を呼んでくれる。つまりそれは、貴方をちゃんと見ていますという意思表示に他ならない。
価値なき子になってしまった日から、誰も自分を見てくれなかった。誰にも声は届かなかった。だから名前を呼んでくれるのがどれほど嬉しいことなのかを、エレノアは身をもって知っている。
「ユリエル、ここはわたしに任せてください」
「は……はい!」
エレノアは両手を合わせるとその場に跪き、手にしていた本が宙に浮いた。
本を攻撃と捉えたのか、リーダー格の騎士が「殺せ!!」と合図を送る。
(賽は投げられました。ここから先は――)
『祈りの書記官』。それがエレノアの魔法。
人々の心の内を、この本が記すというのが元々の効果なのだが、
「――ここから先は、わたしの出番です!!」
神の子ノアの『生命の鍵』によって、『祈りの書記官』は人の領域から外れるほどの強化を遂げていた。
エレノアが魔力を注いだ途端、本から閃光の如き強烈な、白き光が放たれる。
光は五人の騎士を、ユリエルを、十万の観客を、処刑場全てを瞬時に包み込んでいき、彼らの魂だけを連れて本の中に戻っていった。
本の中、真っ白な空間で、エレノアは立ち上がると語りかける。
「一人の王に支配されし哀れな民たちよ、わたしに聞かせてください」
ここはエレノアの精神世界。
エレノアの精神と、光が連れてきた人々の魂だけが存在する世界。ここでエレノアは、彼らの魂と直接会話をすることで、本当の願いを引きずり出すのだ。
「子供を殺さなければならない騎士よ! 処刑の時何を考えていましたか? 首を撥ねた手に残っている感触を、今でも覚えていますか!?」
魂だけとはいえ、姿形は肉体と同じ。ここはどこなのかと、騎士五人は目に見えてうろたえていたが……エレノアの言葉を受けると、剣を握っていた両手に目を落としていた。
「処刑を目の当たりにしている観客たちよ! 本当に、心の底から楽しんで処刑場にいたのですか? 人
が殺されるところなんて見たくないと、そう思っている人はいないのですか!?」
十万の観客も動揺を隠せなかったが、この空間の全員に届くほどの、凛と透き通ったエレノアの問答に……疑問を挟める者はおらず、皆口を閉ざして俯いていた。
「おかしいとは思わないのですか!? 人生を支配されるだなんて……この国の、ヨハネ・ケトラルヒの理想を本当に、皆さんは理想の国だと信じているのですか!?」
五人の騎士と十万の観客に囲まれ、たった一人の少女がまるで説教でもするかのように。
気を逸らしている者は誰もいない。全員が自分事と捉えちゃんと聞いている。
ここがエレノアの精神世界だから、だけではない。
有無を言わさないほどの、エレノアの迫力とそして、
「あなたたちの本音の声を! 本当の想いを! わたしに聞かせてください!!」
ここにいる者は全員が、肉体から離れた魂。
魂には、ヨハネ・ケトラルヒの支配の粒子がついておらず――
「――覚えているよ、ノアの箱舟が英雄よ」
やがて騎士の一人が、重々しく口を開いた。
「十三人だ。私はこれまで、十三人の無垢なき子の首を撥ねてきた……一人一人の感触を、今でも覚えているよ」
騎士の両手は震えていた。遠くを見るその眼差しはエレノアではなく、子供を殺した時のことを映しているのだと、心で理解できた。
騎士の告白を皮切りに、
「僕は――」「俺は――」
己の罪を自白するかのように、騎士が次々に。
――騎士だけではない。
「本当は、目を背けたかった!」「子供が殺されるところなんて、見たいはずがないだろう!」「支配されていたけど、心に刻まれている! あんな悲劇は起きちゃ駄目だって!」「もし私の子供がって考えたら……怖くて、夜も寝られませんでした!」
観客たちも続々と、抑えつけられていた魂からの声を爆発させていた。
「なんで子供たちが――」「なんでヨハネは殺そうと――」
十万人が唱え続ける、ヨハネの理想に対する異。
(ああ……よかった)
なんせ、十万人が一斉に、なのだ。もはや収集がつかないほどだったが、エレノアはこの混沌めいた彼らの叫びが心の底から嬉しかった。
(そうですよね、やっぱり、皆、そうだったんですよね)
ヨハネの理想を、理想としている国民なんて一人としていなかった。
支配されているだけで本当は、自分と同じ気持ちだったのだと思い知れて、救われたかのような気さえしてくる。
涙を拭うと後ろでは、同じようにユリエルも涙を流していた。
「ノアの箱舟が英雄よ、一つ聞かせてほしい」
「……はい、なんなりと」
支配されていないのであれば、騎士の言葉が右から左に、なんてことにはならない。
エレノアは真っ直ぐに受け止めると、頷いて先を促した。
「神の子ノアとやらは、本当に信用するに足る存在なのか?」
「…………」
「かの者は、本当に……あのヨハネ・ケトラルヒの理想を打ち砕いてくれるのか?」
「騎士様……」
抑揚がなく、不安を殺しながらという口調だったが、瞳だけは真っ直ぐにエレノアを捉えていた。
できるかできないかという、疑問を抱いているのではなく、打ち砕いてほしいができるのか、という願望なのだろう。
ならばこそ、エレノアは即答する。
「助けてという声に駆けつけ、助けるというのがあの方の掲げる理想です」
「…………」
「現にわたしは、助けてと必死に叫んだからこそ、今ここにいます」
「……そう、か」
理解が及んだらしく、騎士はその場に跪いた。
会話を聞いていた残りの四人の騎士も、祈るように、
「神の子ノアよ、どうか……どうか! 支配され望まぬ人生を歩んでいる騎士を、国民を、お助けください!!」
――騎士だけではない。
一連のやり取りを眺めていた、前方にいた観客も跪き始め、空気を読んだのか波を打つように後方の観客も、十万人もがその場に跪いていた。
観客も口を揃えて叫ぶ。「助けてください」と。
「皆さん……」
エレノアの魔法は『祈りの書記官』。
その役目はユリエルを救いそして、騎士と観客の魂からの祈りを、「助けて」の声を、記し神の子ノアに届けること。
無事役目を果たしたエレノアは、最後にこの言葉を残し精神世界を解除した。
「聞こえましたよ、あなた達の、助けを求める声が!!」
白き光は止み、エレノアの精神体と魂は処刑場へと再び戻っていく。




