序章15話 そしてエレノア・メタトリアスは、どこまでいっても英雄だった
――時は遡り、王都にある処刑場にて。
エレノアは人混みに紛れながら入場すると観客席には座らず、手すりに手を置いて壇上を見下ろしていた。
到着するのが早かったからか、価値なき子はあそこにはいない。
まだ処刑は始まらない、自分の闘いはまだ先だと安堵の息を零す。そして無意識とはいえ、安堵してしまった自分に対して嫌悪感を抱いていた。
(ちゃんと、やらないと……ここにはわたししかいないのですから)
エレノアはもう、助けを呼ぶ側じゃない。助けに駆けつけた英雄なのだ。
自分から「任せてください」と宣言したし、そうあれとノアに創り替えてもらった。誰の力も借りることなく、わたしが助けないといけない。
頬を叩いて気合を入れる真似をするが――それが無理矢理入れているだけだと自覚しているせいか――心はむしろ、底冷えしていく一方。
気を紛らわせるように周囲を見れば、その時が近づいているのを示すかのように続々と席が埋まっていった。
ここは王都にある処刑場とだけあって、観客席は最大。確か十万人が入れる規模になっていたはずだ。
一番遠くにいる人はもはや点にしか見えないし、壇上も目を凝らさないと細部までは見えない。
そのため奥の層にいる観客は壇上ではなく、天井を見上げていた。
ドーム型の拡大版という巨大な魔法道具で覆われており、壇上を映すことで、どの席からでも処刑を目の当たりにできるようになっているのだ。
(人が殺される光景をよく見えるようになんて、なんて趣味が悪いんでしょう)
この処刑場を造るよう支配したヨハネに対し、吐き気が込み上げてくる。
(ノア様は大丈夫でしょうか……かの王の足止めを引き受けてくれましたが、分は相当悪いはずです)
今の段階でノアがヨハネに勝てるなら、足止めどうのという作戦は取っていない。いきなり決戦になっているはずだ。
創りかえてもらう前の、エレノア達と騎士以上の力の差があるはず。ノアなら大丈夫だと信じたいが……最悪な想像が簡単に、それも具体的によぎってしまう。
(ノア様が負けてしまう前に、わたし達が、わたしがっ、ちゃんと、やらないと……)
一度不安を感じてしまうと、堰を切ったように止まらなかった。
(わたしが……でも、負けてしまったら殺されてしまうんですよね……せっかくノア様に助けてくれたのに、騎士の剣で、首を……)
吐く息が震えている。手足はもう拘束されていないはずなのに、何かに繋がれているかのように上手く動かせなかった。
(あぁ、駄目だなぁ、やっぱりこわいなぁ、助けるって決めたのになぁ)
前方を、壇上から目を逸らすと、処刑される前のあの時のように俯いてしまう。
冷たい石畳の床しか映っていない。自分は英雄なんだと奮い立たせてみるものの、一度は殺されかけたエレノアだからこそ、どうやっても鮮明な死への恐怖はぬぐい切れなかった。
(あの時のノア様は、どんな気持ちだったんでしょうか……やっぱりノア様ならこんなこと考えずに……それとも、今のわたしみたいに本当は怖かったのでしょうか)
頭の中で繰り返し再生されるのは、自分たちの「助けて」の声に駆けつけてくれた時のこと。神の子ノアの姿。
(わたしたちの話ばかり聞いてもらうんじゃなくて、もっと、ノア様のことを聞いておけばよかった)
そうしたら少しは、神の子ノアであっても怖さを感じていたと知ったなら、ここで恐怖を感じるのはおかしいことではないのだと、安心できたかもしれない。
エレノアはついぞ、その場に蹲ってしまい、
「……ぇて……さい、ノア様……」
――助けてください――
胸をぎゅっと押さえつけ、その一言だけは口に出してはならないと必死に堪える。
これを口にしてしまったら、自分はきっとここで頑張れない。そんな気がしたから。
力を入れようとすればするほど抜けていき、覚悟を決めようとすればするほど消えていく。そんなエレノアの状況とは裏腹に、とうとうその時が来てしまった。
――価値なき子が――
騎士に引っ張られ、壇上へと姿を現した。両手両足を鎖で繋がれ、首を撥ねやすいよう地面に押し付けられている。
少女の表情は見えないが、力の抜けきった体から、抵抗しても無駄だと諦めているのだと手に取るように理解できていた。
二日目の自分と重なり、胸が締め付けられるような衝撃を受ける。
この光景を傍から見た時、子供が大人に殺されようとしている光景はこんなにも凄惨なのだと、涙が止まらなかった。
(どうして、どうしてこんなことができるんですか! 誰も何も思わないんですか!)
騎士は支配されて処刑している? 国民は支配されてここにいる?
そんなのは言い訳だ。それなら仕方ないですねなんて、納得できるはずがない。
現に自分は支配されていないのだから、同じように「許せない」とヨハネの理想を強く否定すれば、支配は跳ね除けられないのか。
恐怖に打ちひしがれていたエレノアを奮い立たせたのは、理不尽に対する激しい怒り。
――そしてエレノア・メタトリアスは、例えノアに創りかえてもらおうがなかろうが、どこまでいっても英雄だった――
壇上で少女は突如として顔を上げる。その瞳からは涙が溢れており、振り上げられる剣を見つめながら、
「お願いします! 神の子ノア様!」
死の刹那、少女はそれを思い出していたのだろう。
「わたしを、助けてください!!」
この声に応えることこそがノアの掲げる理想の世界であり、エレノアの理想にもなっていた。恐怖や怒りを遥かに凌駕し、エレノアを強く唱導させる一言だ。
――「助けて」の声を聴いたエレノアは、気付いた時には壇上に駆けつけていた――
「来たか……」
騎士は剣の向ける先を変える。
突如として現れた、漆黒のマントを羽織ったエレノアへ。
「我々は、ノアの箱舟。神の子ノア様に付き従い、救済を理想と掲げる者」
エレノアは魔法を発動し、一冊の本を手に騎士と対峙する。
そして、処刑寸前だった価値なき子へ告げる。
あの時ノアがかけてくれた言葉を、今度は自分が。
「聞こえていましたよ、あなたの、助けを求める声が!!」




