第8話 日中事変起こらず
ヨーロッパが激動の波にのみ込まれている。これと東アジアは位置的にも反対な平穏を保った。日本を中心にした秩序が構築されてソ連さえ除けば安定と言える。日英同盟を通じてヨーロッパの一部と見ることもできた。安定に疑義を呈する者は少なくない。日本は対ヨーロッパの窓口と機能して利害の調整に奮闘していた。
実は史実の日中事変は勃発していないのである。国共内戦自体は発生した。日英同盟は反共で一致して国民党支援に乗り出して共産党を蒙古まで追いやる。その後も小規模な動乱が発生する度に鎮圧した。ソ連としては侵攻する名ばかりの大義を得て中華内部の共産党員を保護すると主張して南下の危機は残っている。
イギリスの入り込みに関してはアヘン戦争の一件があった。国民党も掘り返す程に愚かではない。かと言って、やぁやぁと両手を広げて歓迎することもできなかった。日本による仲介が入って教科書に残る歴史的な和解が図られる。イギリスはアヘンに関して謝罪を行った。日英資本の経済援助と国土開発を賠償金の代わりとする。国民党政権と握手を交わした。
「香港は日本領としマレーからシンガポールにかけて譲渡の用意がある。旧時代の支配に終止符を打つ」
「大日本帝国はアジアの民族自決に一歩前進したと認識している。これが世界中に広がり、ナチス・ドイツやソビエト連邦の暴虐な行い、それぞれに天罰が下ることを切に願っている」
日英は共同記者会見の場で爆弾を投下する。イギリス政府は長らく保持していた香港を日本に譲渡した。マレーとシンガポールなど植民地も将来的に譲渡する用意があると発表する。日本政府は責任を持って管理していくことを宣言した。そこは返還や独立でないのかと思われる。香港は日英中の会議室と機能して現時点は譲渡に落ち着いた。ゆくゆくは統一された中華に返還しよう。マレーからシンガポールなどアジアのイギリス領は独自の都合が込められた。イギリスはナチス・ドイツとソビエト連邦の脅威に直面している。もはや、アジアを管理できる余裕がなかった。しかし、現地勢力に独立させては逆に不安定を招こう。約半世紀にわたる同盟国である大日本帝国に譲渡することで、権益の損失を最小限に抑えつつ日本の平和的な拡張を認めた。
「幣原喜重郎首相を中心にした大東亜連邦の構築に向けて行動している。東久邇宮稔彦王を業務上の長官に据えた。日本は民主的な体制の構築に全力を注いでいく。我々はいかなる暴力による一方的な変更を認めなかった」
皮肉なことに民主的な体制を維持する方が穏便に拡張を果たしている。日本は様々な動乱を経た。昭和天皇の下で憲政の常道を堅持する。現在は欧米諸国に通ずる幣原喜重郎が首相を務めた。海軍大臣を米内光政が陸軍大臣を阿南惟幾という不仲コンビだが両者共に役者である以前に大臣はお飾りのようなもの。
「日英同盟は世界の平和を希求します」
1938年も終わる頃に対ドイツと対ソ連を睨んだ協定書が交わされた。ヨーロッパの宥和外交と別個にアジアでは日英の謀略が進められる。イギリスが自ら植民地を手放して時代の終焉を告げたことに驚きの声が集まった。当たり前だが計画されていたことで思いつきでない。両国に係る国防の観点から極めて重要なのだ。日本は資源確保と海洋進出を強めて長期的な発展を見込む。イギリスは不安定な植民地を切って膿を出して日本を通じた太平洋へのアクセスを維持した。
ともかく、日本側は無血で南進論を成功させている。
やはり、議会制民主主義は全てを解決するのだ。
そして、世界は1939年に突入する。
【1939年】
世界は欧州を中心に不穏に包まれた。
スペイン内戦はフランコ将軍が勝利宣言を発したことで終結を得る。これで一安心もできなかった。ナチス・ドイツは武力を伴う恫喝を武力の行使に変えて拡張を続けてイタリアもどさくさに紛れて侵攻を開始する。
イギリスは即応体制に徴兵制を始めた。チェンバレンも遂に宥和外交を終了して明確に圧力を加え始める。その背後にアメリカが重い腰を上げたことが存在した。これ以上の暴走は認めないと訴える。フランスはドイツと交戦を回避したいようでチグハグだった。極東ではソ連がコミンテルンの総会を開催する。中国国民党を認めず共産党政権樹立に合意した。満蒙国境線に軍隊を展開し始める。
欧州から極東にかけて大国同士の軍事衝突があり得た。
「イギリスは義勇軍を極東に派遣する。共産主義の浸透を食い止める責務がある」
「日本は大西洋の安全確保に基づき艦隊を派遣する。ファシストは粛清する」
お互いの得意とする分野で義勇軍を派遣し合う。現在も行われていることを一層も拡大する旨が込められた。もはや、現時点で牽制は意味を為さない。大国なりの正義を主張して正当性を得ようと試みた。両国の軍事的な交流は加速して遂には新型機の交換が図られる。満州では楕円の翼が飛んでドーバーではゼロが鼓動した。
「すごいなぁ…」
「見惚れますね。ありゃすごい」
「うん。グイっと曲がる。それにしても速い」
「キ43と互角かそれ以上に」
「まぁ、液冷と空冷で違うからな。そこを比べちゃ公平性に欠けるぞ」
「もらえませんかね」
「お偉いさんに期待するしかないだろ。期待できないが」
満州にやって来たのはイギリス空軍の満州派遣組(義勇軍)である。このためにわざわざ航空機運搬艦の甲板上と格納庫に詰め込んだ。甲板上ではカバーを被せて具体的な機種がわからないようにしている。空きスペースにはエンジンなど部品も詰めた。
港から満州まで自力飛行でやってきたのはイギリス空軍の誉れである。スーパーマリン・スピットファイアMk-1とホーカー・ハリケーンMk-1の群れだ。両者共に主力級の戦闘機である。なんと贅沢な援軍と驚かせた。後者は量産中だが前者は最新型故に生産数は少ない。極東まで回してくれることに感謝した。いいや、政治的な妥結に基づいている。スピットファイアではなくてエンジンのマーリンを欲した。政府を交えた話し合いを重ねる。満州の大地に各社が進出することを条件に合意した。欧州情勢の著しい悪化と極東情勢の混迷から手のひらを返す。
早速と慣らし運転の飛行を行うが九七式戦闘機を圧倒した。速度は言わずもがな旋回性も優秀とくる。これならソ連人民空軍のI-16を蹴散らすことができた。厄介な高速爆撃機もあっという間に撃墜してくれる。素晴らしい助っ人が来てくれたと喜ぶが大日本の魂も負けていなかった。
「おっと?」
「行きましたね」
「ありゃ異形の局地戦闘機だぜ。足は短いが速いどころか意外と曲がるからな。俺は乗りたくないが」
「ロートルにゃ介護の軽戦で良いです。若い子が重戦に乗ればいい」
「川崎は変な機体を送って来るわい」
スピットファイアが優雅に飛んでいるところに異形の試作機が挨拶に向かう。それは川崎の試作単座戦闘機だが先行生産と称して一定数が投入された。いつ国境紛争が全面衝突に突入してもおかしくない。したがって、完成度の低さと粗削りを承知して直すべきところは現地で直すと強行した。このために中島や三菱、川崎など各社の人員が派遣される。
「液冷機の首なしへ空冷エンジンを無理矢理突っ込んだ割に良い動きですね」
「みたいだな。苦渋の間に合わせにしては悪くないぞ」
「良い突っ込みだ。速度は負けていない」
「グイっと曲がれるか…曲がったか。無茶苦茶だ」
「若さゆえの冒険だろうよ。ロートルにゃ怖くてなぁ」
「そんなジジィ臭くしなくても…」
ほぼ最前線だが遊び心は忘れていなかった。軍隊の規則や規律は重要であるが多少の遊びがなければ窒息する。今は平和的な競演であるが今後は共演になるはずだ。今のうちに切磋琢磨して来る大戦争に備えたい。
続く




