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第一楽章 その1

 ぐだぐだと一日のカリキュラムを過ごした放課後、煉は言いつけ通りに鑑賞室に足を運んだ。音楽科教師から同情的な視線を浴びつつ鍵を預かって、楽譜整理開始。

『あ、あの、僕がやりますから』

 ケースに納められたヴァイオリン――アンドゥスキアスが慌てて言う。

「どうやってやるつもりなんだ。自分で動けもしないのに」

『でも、』

「サマエルだろうと魔王だろうと、ここではただの学生だ。それらしく振舞わないと」

 実際、煉は雑用をこなすことに抵抗を感じていなかった。地獄では『立派な悪魔大王になるため』と称して帝王学や武術や誘惑術の勉強の他、現悪魔大王ルシフェルの代行として執政官の職務に明け暮れていた。書類整理もお手の物である。

『それにしても多いですねー』

「どうやら際限なく量産していたらしい。パガニーニが見たら卒倒するだろうな」

 十九世紀の鬼才ヴァイオリニスト、ニコロ=パガニーニは自らが生み出した技巧や旋律が他人に奪われるのを恐れて、自分の作品は徹底的に管理し、出版はおろかオーケストラの楽団員にすら演奏会の直前に楽譜を渡して終了直後に回収したという。お陰様で彼の書いた楽譜は失われたものが多く、ヴァイオリン協奏曲に至っては推定全十二曲中、六曲しか発見されていない。

 後世の者としては、著作権を主張するのは結構だが、後先と限度というものを考えてほしいと訴えたい。ニコロ=パガニーニは、それほどの鬼才作曲家だった。

 それはさておき、パガニーニならば憤死しかねない程の楽譜がコピーにコピーを重ねて無駄に量産され放置状態。これを一人で整理整頓するには一日や二日ではとても足りない。

 命じた方もそれはわかっているので今日一日でできるだけでいいとの条件だった。楽譜整理ではなく、生産性のない業務に従事させて六時まで残らせることが目的なのだろう。つまりは嫌がらせだ。

「それよりも問題なのは、君のことだ」

 昨日の件は既にアンドゥスキアスから報告を受けている。最初の接触で成約までこぎつけるのは至難の業だ。とはいえ、完全拒否されるというのも珍しい。吉良醒時が極端な現実主義者なのか、あるいはアンドゥスキアスがよほど下手な誘惑をしたのか。

『やっぱり僕は悪魔に向いていないんです』

「諦めるには早いぜ。まだ一人目じゃないか」

『その前に十六年間に渡って積み重ねてきた数々の失敗がありますよう』

 情けない返答に煉は苦笑した。他の悪魔ならば叱りつけるところだが、彼だと怒りすら湧いてこない。

「どんな人間にだって魔が差すことはある。付け入る隙だってあるはずだ」

『眉目秀麗、文武両道、ピアノに至ってはここ百年でも随一の才です。十分以上に恵まれて器から溢れてますよ』

 やや恨みがましいと感じるのは煉の気のせいではないのだろう。ターゲットに吉良醒時を指定したのは他ならない煉だった。

「手ごわい相手の方が燃えてこないか?」

『燃え尽きそうです、サマエル』

「それは困るな」

 煉は吉良醒時の顔を思い浮かべた。他者を寄せ付けない孤高の態度は、煉の目には傲慢に映った。日本人離れした容姿に意志の強そうな鋭い眼差し――いかにも頑固そうだった。不必要に高い身長も気に食わない。

「ああいうプライドが高そうなのは一度へし折ってから誘惑すると簡単に堕ちるんだけどな」

『吉良醒時に対抗できる音楽家なんていますか?』

「真山奏」

『あの人の専攻はチェロですよ。たしかに突出してますけど』

 真に優れた音楽の前では専攻など関係ない。音楽史上屈指のピアニストにして作曲家のフランツ=リストだって、ニコロ=パガニーニの超人的なヴァイオリン演奏に触発され、ピアノの超絶技巧に目覚めた。真山奏のチェロ演奏で吉良醒時の自尊心を打ちのめ――無理だ。

(想像できないな)

 真山奏の腕が決して劣っているわけではない。本人に熱意もあるし環境も整っている。音楽の才は十年に一度と呼んでも差し支えない。

 だが、百年に一度の才を持つ者には到底及ばない。それだけのことだ。

「じゃあ真山雄二」

 当学校の理事長にして日本を代表するリスト弾きの名を挙げた。ピアニストとして国内外のコンクールで数多の賞を獲得。活躍分野はピアノに留まらず、作曲、音楽評論でもその名を轟かせ、さらには最年少で交響楽団の常任指揮者に任命され現在に至っている。十八番はリスト作曲の『ハンガリー狂詩曲第二番』。

『娘よりはマシですが、文字通り親子ほどの差がある人相手にどう対抗心を燃やさせろと?』

 本人が小学生だろうが高齢者だろうが音楽の演奏に関係はない。条件さえ揃えば、嫉妬するのは簡単だ。

(あるいは――)

 煉は交響曲の総譜を保管用の袋に詰めた。

「音楽以外で攻める方法もある」


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