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      (前奏) その6

「お取り込み中失礼いたします」

 おざなりに断ってから、音楽科二年の真山奏は値踏みするように煉を一瞥した。

「いきさつは野田先生より伺いました。それで、小浦先生はこの件に対してどのような措置を取るおつもりなのですか?」

 学校の生徒に過ぎない小娘にそんなことを訊かれる筋合いはないのだが、小浦は困ったように苦笑した。真山奏はただの生徒ではなかった。君には関係のないことだと言おうものなら、手痛い目に遭う。

「十分反省はしているようだから、今回はこのくらいで」

「反省している、ということは二度と同じ過ちを繰り返さないということですよね? そういう意味でしたら、私はいささか得心がいきません。先生は浅野さんがどのような生徒か、ご存知ですか」

 ここでそれを言うか。煉は奏の意地の悪さに呆れた。期待を裏切らず、普段あまり接点のない普通科担当教師と普通科生徒の前で、奏は得意げに言った。

「たしかに入学当初は期待の厚い生徒でしたが、三教科は平均点――まあ、それはいいとして、肝心要の音楽理論と音楽史、ソルフェージュは赤点ギリギリ。かといって実技が優秀なのかと言えばそうでもなく、むしろレッスンに集中していないと担当講師からも苦情が出ている始末。入学して三ヶ月目で早くもヴィルトゥオーゾ(特進)コースからは外れていただくことまで検討されています」

 他人の成績を大して面識のない第三者にまで暴露。学長の娘でなければできない芸当だった。が、いくら音楽科生徒としての不適格性を淀みなく並べ立てられても、そもそも学科の違う小浦がどうこうできる話でもなかった。

「……それで?」

 至極ごもっともな小浦の問いにしかし、奏は気分を害したらしく不快気に眉を寄せた。

「再三の注意にも関わらず、態度は改善されていません。今回の件も――」

「今回問うべきは学校に提出する書類に真面目に記入することであって、専攻科目の履修態度云々ではないと思います。少なくとも僕の授業は真面目に受けていますよ」

「では音楽科ではなく、普通科に入るべきだったんですね」

 お前が他人の適性を決めるな。文句の言葉は喉の奥に押し込んだ。奏がチェリストとして頭角を現し始めているのも、管弦楽団部長になれたのも、そうやって威張り散らしていられるのも全ては父親の権力と財力があってこそのものだ。

 勝手にやっていてくれ。煉が欠伸を噛み殺している間に言いたいだけ言った奏は満足したらしく「――以上のことを踏まえて、どうか賢明なご判断を」と締めくくり、教室から出て行った。

 残されたのは判断を委ねられた国語教師と準落第生の烙印を押された音楽科生徒と、なんでこの場にいるのか未だに不明な普通科優等生。小浦は早々に不毛さに気付いたらしく、煉と醒時の二人に解散を命じた。

無論、無罪放免ではない。明日の放課後、鑑賞室にある棚の楽譜整理をすることが罰として課せられた。最低限でもそれくらいはさせるよう、我が高等学校の偉大なる学長のご令嬢より命が下っていたらしい。

「その、まあ、学校には学校のルールがあるから」

 どんなに理不尽で価値を見い出せなかろうと所属している以上はそこの規則に従えと諭して、今日のところは終了。実に賢明な判断だった。

 眠気は既にピークを迎えている。楽器庫に寄ってマイ楽器――アンドゥスキアスを引き取ってさっさと帰ろう。煉は手早く帰り支度を済ませた。鞄を背負ったところで見やれば、吉良醒時は腕組みをしながら煉の机に目を落としていた。反省文もどき。落書きのようなドイツ三大B。

「何だよ?」

 暇つぶしに書いたものをじろじろ見られていい気はしない。何の断りもないのならなおさらだ。悪びれることなく、醒時は切れ長の目をさらに細めた。

「nが足りん。馬鹿者」

 すらりと伸びた指が示す先には煉が書いたバッハのフルネーム。改めて見て煉は「あ」と呟いた。「Johan」ではなく、「Johann」だ。授業でも気を付けるように言われたのになんという失態。今更だが煉はシャーペンを取り出して「n」を割り込ませた。

 その間に醒時は教室の出口へ。素っ気ない背中に慌てて煉は声をかけた。

「明日、よろしくな」

 醒時は足を止めて煉を一瞥。頷くことも口を開くこともなく、退室した。


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