(前奏) その5
「書き終わりましたか?」
煉は目をしばたいた。音楽科の教師ではなく、国語担当の小浦が様子を見にきたのが意外だった。しかしさらに驚いたのは、その小浦に吉良醒時がついてきたことだ。
普通科きっての優等生。一学年下で科も違う煉でさえ知っている有名人。なんでこんな、音楽科があるだけが取り柄の平凡な高校に入学したのか不思議なくらい抜きん出た生徒だった。
そして成績以上に吉良醒時には特筆すべき点があった。その容姿だ。
白皙で鋭角的な顔立ちは、日本男子にしては彫りが深く、栗色の髪ということもあり、外国人かと思える。その上、百八十をゆうに越える長身痩躯は、年相応以上に完成された男のもので、彼が制服を着ていなければ高校生だとは思えなかっただろう。
自分とは違って、良い意味で目立つ普通科の二年生――それがこの学校における吉良醒時の一般的な認識だった。
「浅野さん?」
「あ、はい」
吉良醒時に取られていた思考が引き戻される。気付けば、小浦は煉の手元にある『反省文』を覗き込んでいた。題名だけで、本文には一文字も書かれていない上に、全く関係ない音楽家の名前が書かれた原稿用紙を。
「……あの、反省していますか?」
小浦の声には呆れの色が濃かった。
「してます」
煉は神妙な顔で頷いた。嘘は言っていない。反省はしている。もう二度と、陰険野田の目につくような場所に進路希望プリントを置くようなヘマはすまい、と煉はこの一時間で固く心に誓っていた。
「まあ、野田先生も少し怒り過ぎたとは思うよ。建前とはいえ『あくまでも希望ですので正直に書いてください』と明記しているわけだし、いちいち目くじら立てていたら誰も本当のことは書いてくれなくなる」
小浦は頭をかいた。
「でもな、進路希望で『悪魔』はないと思う。目を開けている時ぐらいは現実を見なさい」
「一番現実味のある希望を書きました」
煉は小浦の声を遮った。
「世に音楽家の卵は何千といます。だが、音楽家になれるのは一握り。プロデビューを夢見る奴らよりは、よっぽど身の程をわきまえています」
煉は先ほどから一向に話さない醒時を見た。小浦の傍らに立つ青年は、その名の通り醒めた面持ちで机に置かれたままの『反省文』に目をやっていた。マス目を無視してでかでかとドイツ三大音楽家の名前が描かれた原稿用紙を。
「諦めが早い、とも言えますね」
嫌というほど聞き覚えのある声に首を向ければ、招かれざる生徒が断りもなく教室へと入ってきた。吉良醒時には劣るが、こちらも美少女だ。ひいき目を差し引いてもそう思う。すらりと高い背といい、クラスの中でも目立つ存在だ。腰にまで伸ばした豊かな髪をなびかせ、颯爽と歩く姿は視覚的に結構なことなのだが、こちらに向かってくるのはいただけない。迫力があり過ぎる。
「真山さん?」
やや間の抜けた声で小浦は闖入者の名を呼ぶ。