(前奏) その3
自信満々に断言し、声は『むーん』と小さく唸った。
『ずばりあなたの名前は榊醒時』
「吉良、醒時だ。せめて最初は当てろ」
『お父様は今をときめく榊財閥の御曹司。息子には自由な道を歩ませたいと願う理解のある――結構いいお父さんじゃないですか。なんで毛嫌いしているんですか? ……ああ、なるほど、でも音楽は別、と。趣味でやる程度なら構わないけど、音楽で食べていこうなんて論外。納得できない君はこっそりピアノコンクールに出場して優勝なんてしちゃったものだから、一ヶ月程お家に軟禁されたんですね。穏やかそうな顔して過激なお父様ですね。それでも懲りずに音楽科のある高校に入学する辺りは親子なんですねえ。でもやはりお父様の手前、堂々と音楽科に入るのはよろしくない。下手すればまた拉致監禁。仕方なく普通科で手を打って現在に至る、と』
他人の家庭事情を饒舌に語った後、声はこう締めくくった。
『ほら、やっぱり契約した方がいいですよ。僕の力をもってすれば頑固なお父様も説得できます』
「オレですら説得できない貴様に、奴を懐柔できるとはとても思えんがな」
すかさず放った指摘に声は沈黙した。何か反論してくるかと思いきや、か細く『……くすん』と情けないにも程があるすすり泣き。呆れた自称悪魔だ。
「オレの個人情報を一体どこで入手したのか。そもそもオレに一体何の恨みがあるのかは知らんが、とりあえずここから出せ」
『嫌です』
「ならば、窓から出るまでだ」
『窓を開けた瞬間に僕は大声で喚きます』
思わぬ反撃に醒時は言葉を失った。
『僕が知らないとでも思ったんですか? ここは生徒立ち入り禁止の倉庫です。なのに君はどういうわけか鍵を使って中に入って楽譜を漁っている。見つかったら事でしょうねー』
「貴様……っ!」
握り締めた拳が震える。この状況で第三者が入ってきたら困るのは醒時の方だ。苦労にして(無断で)拝借した倉庫の鍵は、まず間違いなく没収される。珍妙な声のことを訴えても誰も相手にしないだろう。『声』の言うことは当たっていた。図星であるが故に醒時の受ける屈辱は半端ではなかった。
『お互い利害は一致してますから、ここは友好的にいきましょうよ』
やけに弾んだ声も怒りを煽る要素にしかならなかった。
「黙れ」
『さあさあまずは契約を結びましょう、そうしましょう』
「オレは黙れと言ったはずだが」