(前奏) その2
許容できる胡散臭さを著しく上回る事態に、醒時の中で意向が固まった。手始めに楽譜を収める棚の戸ガラスをしっかり閉め、鍵をかける。次に床に放置していた鞄を取り上げた。
「いらん」
『タワシの方がいいですか? でしたら――』
「必要ないと言っている」
何故ここが生徒立ち入り禁止なのかを、醒時は理解した。高級な楽器と貴重な楽譜が保管されているからだけではない。得体の知れない声がするからだ。そうに違いない。結論付けて扉を開――こうとしたが、できなかった。鍵は空いている。外から固定されたかのように動かないのだ。
『逃がしませんよ』
背後から例の『声』。醒時は扉の窓ガラスを凝視した。栗色の髪。切れ長の目。鋭角的な頬。十七という年齢にしては大人びた顔。間違いなく己だ。問題はそこではない。
見慣れた自分の顔。その背後に、少年の姿が映し出された。壁に寄り掛かって腕を組み、この状況を面白がっているように観察している。
醒時は振り向いた。が、そこには楽器と楽譜しかなかった。
「一体どんなからくりなのかは知らんが、手品の自慢なら余所でやれ。ここは倉庫だ。舞台ではない」
『手品ですって……っ!』
声の主が息を呑む。何やら衝撃を受けたようだ。
『違います。これは僕の力を使ってですね、邪魔者が入らないように結界を……って何をやっているんですか?』
「扉が駄目なら他の脱出方法を探すまでだ」
醒時は部屋に一つしかない窓の枠に手を掛けた。内鍵はやけにあっさりと開いた。
『ああ駄目ですよ! せっかく張った結界を壊さないでください。居場所がバレてしまいます』
「オレの知ったことか」
『な、なんて冷たい。それでも人間ですか』
「人間外生物を気取る者に言われる筋合いはない」
『僕はれっきとした悪魔です!』
その瞬間、音楽倉庫の時が止まった。現実世界から切り離されたような錯覚。耳が痛くなるほどの沈黙。永劫とも刹那ともつかない硬直の後――醒時は、鼻で笑った。
ありったけの嘲笑を込めて。
『ちょっ、今の何ですか。まるで僕が妄想に浸っている可哀想な人みたいに』
「まるで、ではなく事実だ。現実を冷静に受け止めろ」
『僕は至って正気です。そこまで言うなら証明してみせます』