三話・狩猟祭
天人たちが浮き足立つお祭り、狩猟祭の日がやってきた。黄龍王、天界を統べる天帝が住まう黄龍城の広場で開かれ、滅多に庶民の前に現われない天帝も姿を見せる。青龍王を始め、名立たる王たちも集まる。多くの者たちは彼ら目当てでやってくる。天帝の誕生祭、新年祭に次ぐ盛り上がりだ。
その中で暗い顔をしている人物が一人いた。
朱雀軍の元帥、レイシンだ。見るからにやる気のなさそうな顔をし、鉛がついているのかと思うくらい足取りが重い。
大体、レイシンはこの祭りが嫌いだ。成人していないばかりに、メインイベントには参加できない。
この祭りの目玉は名前の通り、獣を狩ることだ。各区内で大小様々な獣を放ち、倒す。討ち取った数で勝負を決めるのではなく、ポイント制だ。獣にはそれぞれにポイントが決められている。ポイントが高いほど獣も強くなっているので、高いポイントを得るには強い獣を狩るしかない。毎年怪我人がたえないが、参加者は後を絶たない。優勝者には天帝から望むものを一つ与えられるが、何よりも武人にとって優勝することは、天界一の武を持つ者として認められるので最高の栄誉になるのだ。
レイシンは唇を噛んだ。
実力があるのに参加できない。剣を握って思いっきり戦いたいのにできない。来たくなかったのに帰ることができない。
できないだらけだ。
成人していたら、少し変わっていたと思う。狩りに参加して、優勝したら気持ちいいだろう。それをメイスイのために捧げる。兄は「よく頑張ったね」と、頭を撫でて誉めてくれるに違いない。
虚しい想像に足元の石ころを蹴り飛ばした。
「うわっ」
前に上がったままの足先から、人の声が聞こえた。運が悪いことにレイシンが蹴った石が当たってしまったらしい。
石造りの道から芝生に下りて被害者を捜す。狩猟祭にこんな人気がない場所にいる人はすぐに見つかった。
「すまない、大丈夫か?」
声をかけると、だらしなく芝生に寝転がっていた男は上半身を起こし、気にするなと手を振る。
「ああ、へーきさ……って、レイシンじゃん。久しぶりだな」
振り返った人物は懐かしい顔、コウジンだ。あれから会っていなかった。
「こんなところで何してるんだ?」
コウジンの人柄上、部下を率いて祭りを楽しんでいるかと思っていた。そんな中出会ったのなら声がかけづらいなと思っていたし、狩猟祭は天界中の天人が集まってくるので半ば諦めていた。
「昼寝だ。レイシンこそ、どーした?」
コウジンは自分の隣を叩き、座るように促す。断る理由もなかったから、素直に従う。
「人に酔ったんだ」
「あれだけいりゃあ、酔うよな」
「コウジンは出ないのか?」
レイシンの含んだ物言いに、コウジンは大げさに肩を落とした。
「出ないで下さいって部下に泣き付かれてよ。まったく、つまんねーよな」
その光景が目に浮かぶ。数人に囲まれて、困り顔のコウジンに部下は後から後から増えるばかり。言い渋っていたが、あまりの多さとしつこさに「分かった、分かった。出なけりゃいーんだろ!」とでも、啖呵を切ったのだろう。
ここ十年ほどコウジンの名を聞かなかったのはそういう理由か。
将軍の彼が出れば、優勝は間違いない。名を挙げたい者たちにとっては、目の上のたんこぶだったのだろう。
「じゃあ、出れたとしたら何を願う?」
「うーわ、優勝したらじゃねぇのか」
「コウジンが出れば優勝するだろ。自信ないのか?」
からかうように、下からコウジンの目を覗き込む。少し馬鹿にしたように笑えば、予想通り噛み付いてきた。
「あるさ、もちろん。願い……か。大体自力じゃ無理なことは叶えてもらったし、何だろうな。レイシンはどうなんだ?」
いきなり振られて、レイシンは固まった。目を瞬かせ、何を問われたか理解できなくて首を傾げる。
「だ・か・ら、レイシンはどうなんだって?」
不審気にコウジンがもう一度繰り返すと、ようやく理解できたのかは顔は真っ赤になり、口をへの字に曲げて殴るぞとばかりに拳を振り上げる。
「私か?! 成人していないのに参加できるわけがない」
「もしも、だろ?」
激昂したレイシンにコウジンは片目を瞑ってウィンクした。気持ち悪いほど似合っていないが、怒りは治まっていく。
レイシンは沈黙した。
コウジンは優しい。レイシンが成人していないのを、まったく気に留めていない。馬鹿にしているわけでもなく、子ども扱いではなく、平等に接してくれているのは無意識だろう。
だから、つい、本音が零れだしてしまった。
「だったら、兄様とあのバカ女の婚約を解消してほしい」
「バカ女?」
首を傾げるコウジンは、まだメイスイの婚約を知らないのだろう。
「リンケイ。青龍=リンケイ」
口にするのも忌々しいが、レイシンは教えてやる。
「はあ?!」
大口を開けて固まった。
それはそうだろう。リンケイは現青龍王の妹なのだ。それも、妾腹の異母妹などではなく母親が同じの妹だ。
生まれながらの高貴な青龍王家のお姫様。周囲に甘やかされ、傅かれ、壊れ物を扱うように接せられ、手は白魚のように綺麗な穢れを知らない手で、何から何までレイシンとは違う存在だ。比べるのが馬鹿らしくなるほど、高貴な存在でお姫様の中のお姫様。それがリンケイだ。
「せ、青龍王の妹じゃねーか」
コウジンにしては滑舌が悪い。口元は引きつり、心なしか顔色が青い。
普通、王家同士では婚姻関係を結ばない。生まれる子どもの属性を混ぜないようにするためだ。火を操る朱雀王家の跡継ぎが、風や地、水の属性だったら後を継げない。
名家である青龍王家がそのことを知らないわけではないのに。レイシンの中に怒りが込み上げてくる。
「そうだよ。あいつなんかに兄様はあげない!」
「お前って意外とブラコンなんだな」
「うるさい! 私は、兄様のことを……」
ガサリと草が揺れた。人の気配に瞬時に二人は体を緊張させた。すぐさま、腰に刺してある剣に手をかける。
足音は近づいてくる。隠しもしない様子に、ようやく二人の警戒が和らいできた。
気配を殺さない点から、刺客ではないようだ。立場上、二人は妬まれることが多い。特に、朱雀王家のレイシンは一族から孤立しているため、寝込みや人気のないところで襲われたり、食事に毒を混ぜられたりされた。
相手は、レイシンの前で止まる。不審げに振り向くと見知った顔があった。
シャラシャラとなる髪飾りに、揺れる耳飾り。首元に手首、足元まで飾りをつけて、衣は幾重にも重なり、ヒラヒラと風になびく。背筋を伸ばし、口元を隠す美女。
隣で鼻を伸ばすコウジンが憎らしくて、鳩尾に肘鉄を喰らわせる。「うぐっ」などと言って蹲るが、レイシンは気にしない。
完璧に着飾った美女は自分に見惚れるのは当然のように悠然と笑う。瞳と髪の色は青。
「あ~ら、誰かと思ったら、レイシンではなくって? 相変わらず男の子みたいな姿ですこと」
「――リンケイ」
声が低くなる。
リンケイはコウジンの姿を上から下に見る。舐めるような視線は品定めをしているようでレイシンを不愉快にさせる。
「まぁ、貴女が貴女なら相手も相手ですのね、レベルが知れますわ。一応、わたくしは貴女の義姉になるのだから、名を辱めないでいただきたいわ」
「辱める? お前が朱雀に……兄様と結婚しようとするのに比べれば」
「おだまり! メイスイ様と結婚するのがなぜ辱めることになって?」
「お前は自分の家の力を認識しているのか?! 青龍王の申し出を蹴れると思うのか」
「何ですって! わたくしが無理強いしているとでも? 馬鹿にするのは止めていただきたいわ」
コウジンはオロオロとレイシンとリンケイを見ている。関係もなく、身分が下のコウジンは口を挟めずにいた。
「ああ、嫉妬ですの? メイスイ様がわたくしにとられるから……羨ましいのですわね」
鼻を鳴らしてわざわざレイシンの背に合わせて屈む。あまりにも人を馬鹿にした態度に、レイシンの中で何かが切れた。
目の前が一瞬赤くなる。
熱い。体中が燃え上がったように、血液が沸騰しているような錯覚をうける。
俯いていた顔を上げると、リンケイの目と合う。リンケイは身を縮こませ、引きつった悲鳴を上げた。
「ひぃっ!」
レイシンの足元にある草が燃える。肌にまとわりつく風には火花が飛び、リンケイが怯える様は見ていて面白い。
「レイシン、止めろ!」
コウジンが制止の声をかけてくる。焦ったような声色に、レイシンは口を尖らせる。
「何で止めなきゃいけないんだ」
意識がリンケイからコウジンに移る。瞳は一層紅く、リンシュの花のように鮮やかに美しくなる。見るものを焼き尽くしてしまいそうなほど苛烈なのに、コウジンは息をするのを忘れて一瞬見惚れてしまった。
見つめ合ったまま、どちらも動かない。動いた瞬間、戦いが始まると分かっているからだ。
レイシンはリンケイが憎いのであって、コウジンを害する気などない。ただ、止めようものなら倒せばいいだけだ。多少の怪我を負わせてしまうが死なせる気などない。
コウジンもレイシンを殺す気はない。ここで青龍王の妹に怪我をさせれば、レイシンの立場が危ない。全く顔も知らない相手ならコウジンは知らん顔したが、一度手合わせをして言葉を交わして知人となったからには止めないわけにはいかない。
すり足をして両者の間が縮まった瞬間、静寂を破ったのは第三者リンケイだった。
「いやあああああ!!」
恐怖を表すように水柱が上がり、リンケイを守るようにレイシンを威嚇する。足元を水が掠め、地面が抉れる。
「うをっと」
コウジンにも水は攻撃を仕掛けている。直情的な動きは読みやすいので、あっさりと避けているが。
血が上っていたレイシンの頭がようやく冷えてきた。今の状況はマズイ。レイシンだけではなくコウジンまで攻撃するなんて、リンケイの力が暴走してしまっている証拠だ。
よく観察すれば、眼の焦点が合っていない。
たかがあれしきのことで我を忘れるなど。人のことは言えないがレイシンは呆れてしまう。
リンケイは殺気というものに耐性はない。理由は簡単だ。彼女が深窓のお姫様だから、護衛が傍に控え血なまぐさいものから遠ざけさせた。レイシンのように武芸もできず、青龍王家特有の力も遊び程度にしか使えない。
このまま、力を出し尽くしてしまえばリンケイは死んでしまう。悪ければ、レイシンとコウジンも巻き添えをくって大怪我をする。さらに悪ければ、一般人に被害が及び狩猟祭どころではなくなるだろう。
「リンケイ、この馬鹿! 水を止めろ」
レイシンが正気に戻そうと叱責しても効果はない。むしろ、水の勢いは増していくばかりだ。
今頃、祭りを楽しんでいる者たちも気付いているかもしれない。その中に、メイスイもいるだろう。
(呆れられて見捨てられてしまったら)
スウッと体が冷えていく。そんなのだけは嫌だ。何か良い案はないかと巡らすが良案など出てこない。焦りだけばかりが生まれてしまう。
「レイシン、このままじゃ青龍王の妹が死ぬぞ。どうする?」
言われなくても分かっている。唇を噛み締めながら唸っていると一つの案が浮かんだ。かなり乱暴な方法だが贅沢は言ってられない。
「私が火の力で蒸発させるから、コウジンがそこからリンケイを殴ってでも気絶させてくれ」
やや不満そうにコウジンが声を上げるが仕方がない。ここには青龍王家の者がいない。彼らがいれば直接水柱に干渉して止められるのだが、ないものねだりしてもしょうがない。
レイシンは覚悟を決めると、両手に力を集中させて水柱にかざす。白い煙とともに、水が蒸発していく。人一人分が通れるくらいになってから、コウジンに合図する。
素早く体を滑らせたコウジンは、あっさりとリンケイの首に手刀を決めた。彼女が意識を失うと、水柱は徐々に弱まり、消えた。
コウジンはリンケイを草の上に寝かせると大きくため息を吐いた。
「寿命が縮まった」
「そうだな」
横目で頷きながら、懐に入れていた人差し指ほどの大きさの笛を吹く。音が出ない笛はヨンハクを呼ぶためのものだ。
音を聞き付けて駆け付けたヨンハクに乗ると、コウジンに別れを告げた。
「悪いな、コウジン。面倒なことになる前に帰るわ」
「おい、だったら乗せてってくれよ。俺だってゴタゴタはごめんだ」
コウジンはレイシンが答える前に、ヨンハクの背にまたがった。主人以外を拒む気高い鬼虎遊は無礼な人物を許し、飛翔した。
(ヨンハクが許した?)
レイシンは思わず後方のコウジンを振り向く。彼はヨンハクのスピードに物応じず、振り落とされないように太股に力を入れている。手はレイシンの腰には回さずに、ヨンハクの体に添えられている。
邸に着いた時には「やっぱ、鬼虎遊っていいな。俺も欲しいな」としげしげと眺め、丁寧に毛を撫でていた。ヨンハクは気持ちよさそうにコウジンに擦り寄る。レイシン以外には全く懐かないので、レイシンは嬉しかった。また、コウジンとヨンハクに乗る約束をして、城へと戻った。
翌日、朱雀王に呼び出されたレイシンはこっぴどく怒られた。処分も厳しいもので武器を取り上げられた上、元帥の地位も一時返上させられた。
抗議したが一切聞いてくれなくて、リンケイがあることないこと色々と吹き込んだらしい。
やることのなくなったレイシンは泉に向かった。久しぶりに森の皆と遊ぼうと思いついたのだ。
草を踏み付けながら歩いていると、人の話し声が聞こえてきた。進むほど声は大きくなってくる。どうやら、泉にいるらしい。
レイシンは悩んだ挙げ句、足音を殺して近づいた。自分以外めったに人は来ないから、誰がいるのか興味がわいた。
赤い髪と青い髪。
目を凝らしてみると、よく知る人たちだった。
(兄様と……リンケイ?!)
歓喜とともに絶望が押し寄せる。自分が処分を受けたのに、人目をはばかるように会っているリンケイとメイスイ。声が聞き取れないので話の内容はさっぱり分からないが、親しそうに話す二人にレイシンは愕然とうなだれた。リンケイとは犬猿の仲であるから、メイスイも同じであるかのように考えていた。
レイシンの頭に嫌な考えが浮かぶ。
(兄様はリンケイとの婚約を望んでいた? あの時の約束を大切に思っていたのは私だけ?)
ガクガクと足が震えてくる。縋るように手をついていた木に爪を立て、割れながら木の皮を紅く染め上げる。一文字に結んだ唇は鉄の味がした。
メイスイとリンケイの顔がグッと近づく。いたたまれなくなり、レイシンは逃げるように駆け出した。
レイシンはその日から部屋の外に出なくなる。全てを拒んで泣きながら一日中過ごした。心配するメイスイすら入れずに……。