十話・好きな人
レイシンはコウジンから告白された日から、床から出れないでいた。外に出れば毎回でなくても会ってしまうので、顔を突き合わせるのが怖かったのだ。
臆病者だと分かっているが、会って何を話せばいいか分からない。
好きか?と問われれば、躊躇なく頷く。嫌いか?と問われれば、間を置かずに首を横に振る。だが、愛しているか?と問われたのなら、頷くことも首を振ることもできない。
これが義兄に対して聞かれたのなら、全ての問いに頷くことができる。自分でも笑ってしまうが、裏切られたと感じてもまだどこかで大好きだと思っている。
メイスイとコウジン、二人の何が違うのだろうか。どちらも好きというのが偽りのない気持ちだが、『好き』と『愛している』という気持ちは似ているようで異なる。どちらの感情が恋慕なのか、レイシンでは区別ができないでいた。
悩み考えていたら寝食を忘れてしまい、最近では時間の感覚も分からなくなってきてしまう。
どこか遠くで扉を叩く音が聞こえるが、レイシンは聞こえない振りをしてやり過ごす。向こうも返事をしないのを分かっているのか、失礼しますと言葉を述べて静々と入ってくる。
「こんにちは、レイシン様。もう日が高くなっていますわよ。久しぶりに外に出たらいかがですか?」
「…………」
レイシンは答えず、布を被ったまま出てこない。声をかけてくれるユミンの気遣いは嬉しいが、今は早く答えを出して楽になりたいという気持ちが強く構っている暇はない。
「ほら、たまには起きて下さいませ」
近くで声が聞こえと思ったら、被っていた布を引き離されてしまう。いつもとは違うユミンの対応に、レイシンは驚きながら顔だけ向ける。
「今日は外出するには良い天気ですわ。そうだ! お散歩に行かれるなら、何か口にしたほうが宜しいですわ。こちらなんてどうでしょうか? 今日の採れたてですので、瑞々しくて美味しいですわよ」
レイシンが口挟む隙を与えぬままユミンは喋りだし、台車に乗っている皿を押し付けるように渡すがレイシンは眉を下げるだけ。
無理に笑顔を作って明るく振舞っていたユミンだが、段々と顔が泣きそうに歪んでいく。
「どうぞお召し上がり下さい!」
侍女にあるまじく声を張り上げ訴える姿は、レイシンの心に響くが残念ながら食欲は湧かない。いくら大好物を前に出されても喉を通る気がしないのだ。
「下げて」
「お好きなアリンですよ」
尚も食い下がるが、レイシンは頑なに拒絶する。
「食欲がないから」
欲しいのは解答だ。正しい答え。それが出るまでは考え続けなければならない。
「駄目です。今日こそは食べて頂きます」
「ユミン。私は本当に……」
「一口でも。お願いです」
ユミンの懇願にレイシンは折れた。横たえていた体を起こすが物を食べていなかったせいか、力が入らずふらついてしまう。ユミンはそんなレイシンを支え、食べやすいように世話をしてくれる。
ゆっくりと咀嚼し、時間をかけて食べ終わるとレイシンはまた寝転がる。目を閉じて眠るわけではなく、答えの見えない解答を探しにいく。
台車を片付けて立ち去る筈のユミンが動かずジッと己を見ているのに気づき、声を出す体力さえも失せてしまったので目だけで問う。
「畏れながらレイシン様、あの日一体何があったのですか?」
一度も聞いてこなかったのに、どうしてこのタイミングなのだろうか。本当は聞きたかったのに、レイシンが話すのを待っていたのか。自分にとって都合の良い考えをしてしまい思わず苦笑する。
「別に何も」
否定はしたが声が震えてしまう。元々レイシンは嘘が得意ではないので、動揺を隠すことは苦手だ。
「いいえ。あの日からレイシン様もコウジン様もおかしいです」
確信のこもった目で見られ、レイシンは眼を逸らす。だけど、ユミンは逃してくれない。何も言葉にしないが、目が雄弁に語っている。どこか責めているような瞳にジットリと嫌な汗が滲み、居心地が悪くなっていく。
話しても良いだろうか?
彼女は朱雀の民ではないし、自分のみっともないところはいくつも見られている。恥は十分かいてるし、もう一つくらいかいても痛くもないだろう。
「ユミンは……いや、何でもない」
重い口を開くがするりとはなかなか出てこない。
「仰って下さい。私で答えられることなら、いくらでもお話し致します」
ユミンが食らいついてくる。
真剣な表情にレイシンはついに降参する。
「好きってなんだ?」
「え?」
「好きと愛しているの違いが分からない」
ユミンが額に手を当て、間を置いてから顔を引きつらせる。
「コ、コウジン様が告白なされたのですか?」
「ああ。でも、よく分からない」
緩く首を振る。何度も考えるが恋愛経験が乏しいせいか、やはり考えれば考えるほど分からなくなってきた。
その点、ユミンはレイシンよりも経験がありそうだ。同じ女性だし恥ずかしくないとは言い切れないが、このまま一人で抱え込むよりはいいだろう。
ユミンも気づいているのか、馬鹿になどせずに言葉を選ぶ。
「レイシン様、コウジン様と口付けできますか?」
ユミンの言葉に思考が止まり、意味を理解してから顔が真っ赤に染まる。
「な、何を急に!」
「口付けをすると想像して何を感じましたか?」
恥ずかしい。だけど、嫌と言うわけではない。困るという表現が一番しっくりくる。
情けない程眉を下げ、百面相するレイシンにユミンは笑う。
「嫌ですか?」
ハッキリと首を横に振る。
「恥ずかしいですか?」
「ユミンは意地悪だ」
ちろりとユミンを見れば、口は弧を描き笑っている。きっとレイシンの気持ちなど筒抜けになっている。分かっていて聞くのはずるいとレイシンは口を尖らせる。
「では、他の殿方とはどうです?」
目を瞑り、想像する。
メイスイに抱きしめられるのは好きだ。頭を撫でられると、もっとと強請りたくなる。一緒の床に寝るのも構わない。
――だけど。
「嫌だ! 絶対に無理だ」
口から出たのは拒絶の言葉。レイシンは自身の言葉に思いの他驚いている。
(何で兄様とは無理なんだ?)
だって、将来を誓っていずれは結婚をと考えていたのに、キス程度をなぜ嫌がるのだろう。いや、唇が嫌なだけで頬や額なら構わない。
「それが答えですよ」
微笑むユミンの目に偽りは見えない。こんなに簡単に答えが出るのなら、もっと早くに相談していれば良かった。
「私、は、コウジンの事が、好き、なのか?」
口に出してみると恥ずかしいがしっくりとくる。おそらく、そうなのだろう。異性としてコウジンのことがすきなのだ。
「うん。好きだ」
認めた途端に頭の中でカチリと何かが嵌り、光が弾けていく。
心臓の音が煩い位響き、体は熱をもち痛みが続く。頭は霞がかったように何も考えられず、睡眠のみを欲する。
「レイシン様?」
慌てたようなユミンの声が聞こえているような気がするが、気のせいな気もする。本能のままにレイシンは夢の中へと落ちていった。