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「ああ、おかえりなさい」
途中でジークと合流して帰宅したニコラとテルマを迎えたのは、顔半分を隠した長身の妙な女だった。
『おかえりなさい』『ただいま』のやりとりはニコラにとって一つの理想である。
それを我が物顔でやろうとしているクエットに警戒心を抱くのは無理もない。
救いがあるとすればジークが『ただいま』と答えていない点だろうか。
「どちら様でしょうか?」
「薬屋だ。ついてくるらしい」
ついてくるのを許可するぐらいだから、ジークとの関係は良いはずだと推測するニコラ。あまりに怪しすぎるので、自然と視線も鋭くなってしまう。
よく見れば変な格好ではあるけれど、中々の美女であるようだし、とか考えているうちに、クエットはにこやかに挨拶を始めた。
「あ、どうもどうも、クエットと申します。ジークさんの奥様でいらっしゃいますか。この度はご結婚おめでとうございます。ちょっと街から離れたい用事がありまして……、お邪魔しないんでついでにお願いしますねぇ。ポーションとか作るの得意なんで、お役には立ちますから」
「そうでしたか。明日からよろしくお願いします」
先ほどまでの警戒はどこへやら。ニコラはすっかり優し気な笑みを浮かべていた。
ジークとの結婚を祝われた辺りから警戒心はきれいさっぱりと拭われてしまったようだ。
横目で見ていたテルマは、あまりのちょろさにちょっと心配になったけれど、いったんそれは脇に置いておく。普段はしっかりしてるので、結婚生活に慣れれば元に戻るだろうという判断だ。
そんなことよりも、ジークが連れてきて、ポーションを作っていると聞けば、一つ思い当たる節がある。
「……もしかしてジークさんが私に使っていたポーションは、あなたが作ってくれたものでしょうか?」
「ああ、はいはい。あの大量にポーション使われた子ですか! いやぁ、よくジークさんの無茶苦茶に付き合って無事ですねぇ。いや、あたしが作ったポーション使ったんだから無事じゃなきゃ困るんですが」
「ありがとうございます。助かりました」
どこか腕に自信が垣間見える台詞に、テルマは苦笑しながら頭を下げる。
やっぱりジークと一緒にいるくらいだから普通の人ではない。
これから他の街の塔に挑戦しなければいけないことを思えば、頼りになる連れ添いになることだろう。
とにかく、ファーストコンタクトはうまくいった。
クエットも相当変わり者だが、今回おいていかれては困るという思いからか、彼女なりに気を遣って会話をしたのだろう。喋りすぎることもなければ、黙ってむすっともしない。
その代わり夜は疲れてぐっすり眠ることになったようだが、同行者に認められるという十分な対価は手にしたようである。
翌朝早く、ジークは車輪のついた荷台に荷物を積み込んで幌をかける。
待機している馬は四頭。
馬車は二台編成で向かうことになっている。
馬車も御者も公爵から手配されたものであるから、作りは立派だし、秘密の会話だって平気でできる。良く揺れるので多少尻は痛くなるけれど、きわめてのんびりとした旅路になることだろう。
「それじゃ、気を付けるのよ。テルマは、あまり無理はしないこと」
「わかった」
「うん、気を付ける」
ジークはそっけなく返事をしただけだったが、テルマはきちんとハンナと抱擁して、それから犬のジークのこともぎゅっと抱きしめてから馬車に乗り込む。
腕を組んでいたジークに向けて、ハンナは小声でさらに付け足した。
「テルマのこと、任せたわよ」
「ああ」
短く、頼りになる返事だった。
ジークにしてみれば今度こそ、という気持ちがこもっているし、ハンナにもそれは伝わっている。
そのまま出発しようとしたジークに、犬のジークが一吼え。
ジークは振り返って見つめ合ってから、頭をがりがりと掻いて「ハンナを頼む」と言って馬車に乗り込んだ。
犬のジークは尻尾を振っただけ。
ハンナはその光景がなんとなく面白く、いや、嬉しくて、声を漏らして笑った。
かぽかぽと、馬がゆっくりと歩き出す。
車輪が動き、座っていたジークたちの尻がガタンとはねた。
街中を抜け、門をくぐり、しばらくすれば街が少しずつ遠ざかっていく。
ニコラは幌馬車から顔だけを出して振り返り、段々と街が遠くなっていくのをしばらく見つめていた。
やがてしっかりと座り直したニコラは、いつもよりは少しばかり頬を上気させて言う。
「私、街を出るのは初めて」
「そうか」
ニコラは、街で育ち、探索者となり、やがてジークのために受付嬢になった。
ヴァンツァーとは違って、他の街への遠征にもいっていない。
遠ざかっていく街の景色には少しばかり不安があったけれど、それ以上に冒険へ出かけるような興奮があった。それも好きな人と一緒であれば、なおさら楽しみの方が勝る。
「何かあったら言え」
「ありがとう、ジーク」
言葉は全然足りないけれど、ジークなりに色々と考えて、困ったことがあれば相談するようにと声をかけてくれたのだ。口数の多くないジークにしては十分な気遣いであった。
そんな話をしていると先を走っている馬車から、ヴァンツァーが飛び降り、同じく走っているジークたちの馬車へと飛び乗ってくる。
非常に危険な行為だが、ここには真似をするような子供もいないので気にする必要はないだろう。
「何をしに来たんですか、兄さん」
「別にニコラに用があったわけじゃないさ。さっきはバタバタしてて聞けなかったんだけど、そこの美人は誰かと思ってね」
「お前は知ってるだろ」
「そうですよぉ、ひどいですねぇ」
ジークが言えば、それに続いてクエットもヴァンツァーのことを批難する。
しかしどう考えたってヴァンツァーの知り合いに、こんな長身の美女はいなかった。人の顔を見れば忘れない自信はあるのだが、二人ともが知り合いだというのだから間違いはないはずだ。
「……もしかして、ポーション屋さんですか」
「はいはい、そうですよぉ」
一応知り合いの中から特徴が一番近いものの名前をあげると、クエットから元気な声が返ってくる。
気付けるはずがなかった。
普段ヴァンツァーが尋ねた時のクエットは、顔全体に仮面をつけ、フードを目深にかぶっていた。声はくぐもっているせいで性別の判別は難しく、その上ほとんどしゃべりもしない。
挙句店の床は少し高くなっており身長もはっきりとわからないとなれば、こうして一発であてられた方が奇跡である。
というか、ヴァンツァーの知っているポーション屋は、金と材料を渡すとすぐにポーションを作ってくれる寡黙な職人であったはずだ。こんな妙なテンションでしゃべる女性という印象はまったくない。
今一つ納得いかない思いを抱えながらもヴァンツァーは、「いつもお世話になっています」と軽く頭を下げた。
「それで、兄さんは何をしに?」
「ああ、折角だからジークさんと過ごそうかと思って」
「戻って」
「戻れ」
「いいじゃん、隣に座るくらい! ニコラは結婚したんだからさ!」
外聞もなく駄々をこねてみたヴァンツァーだったが、ニコラは最後まで主張を翻さない。
休憩時間になるまで粘ったヴァンツァーであったが、流石にパーティの仲間たちに悪いと思ったのか、昼過ぎにはすごすごと元の馬車へ乗り込んでいくのだった。
カクヨムコン10特別賞頂きました




