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それからの訓練は順調だった。
ジークはテルマの言葉に耳を傾けるようになったし、テルマは厳しい訓練でもジークの本心を疑うことはなくなったからだ。
心地よい疲れ、というには疲労がひどかったが、それでも今日の訓練でも進歩がみられたテルマは、気持ちは前向きにジークと共に塔から出ていく。
そこには久々に塔の番人であるオルガノが待っていて、気さくな様子で手を上げて歩み寄ってくる。
「調子がどうだか心配してましたが……表情を見るに大丈夫そうですね」
「ありがとうございます、順調です」
オルガノに悩みを見破られたのは、力の訓練を始めた最初の頃だったが、それ以来ずっと気にしてくれていたらしい。この男、不愛想なジークの友人をしているだけあって、非常に人間ができているのだ。
テルマは心が温かくなって笑顔で頭を下げた。
オルガノもまた、普通の探索者にはあるまじきその丁寧な対応に気分が少し良くなりながらも、もう一つ大事な用があったことを思い出してジークに問いかける。
「あの、この先でヴァンツァーさんが難しい顔をしてジークさんのこと待ってるんですけど、なにかありました?」
ジークはしばし考えてみるが、最近は特にヴァンツァーに迷惑をかけた記憶がない。テルマの方は、間違いなくニコラとの結婚の件だと一瞬で察しがついたけれど、本人はまったくもってぴんと来ないようである。
「いつも朗らかな人だからどうしたのかと思って。大事な用かもしれないんで急いだほうがいいですよ」
「そうだな」
そうだなではない。
足早に歩き出すジークの後ろを、少しだけ距離を開けてテルマはついて行く。
世話にもなっているし、フォローをするべきだろうと思うのだが、どうしてか気が進まなかった。
「ジークさん」
駆け寄ってくる顔のよい男。
探索者としての腕も一流で、誰にでも分け隔てなく優しい。
欠点があるとすればハーレムパーティを持っていることと、彼の本命がジークであるという点くらいである。
だが、今日は彼のパーティである女性探索者たちも連れてきていなかった。
これは本気だと察したテルマは、距離を保ったまま、どうなることかとはらはらしながら観察を続ける。
「ニコラと結婚するって本当?」
「そうだ」
「僕にしない?」
「何がだ」
「結婚相手」
「嫌だ」
「何で」
あまり理由を深く考えてこなかったジークは、ここでぴたりと返事を止める。
ヴァンツァーが今までよりも真剣な表情でしつこく聞いてきたので、その理由を考えてみることにしたのだ。
まず単純に、ジークの身近で結婚したものは皆男女で結婚していた。
だから結婚は異性でするものだという感覚がある。
だがジークは、自分がそれが理由で結婚を断っているわけではないことは、なんとなく理解していた。
そうしてしばらく考えて、ぽつりと答える。
「お前、もう相手がいるだろ」
そんなに長く考える必要もなかった。
そう、ヴァンツァーはこれまでジークにアプローチしてきたことが何度もあったが、いつの時でも近くに女性の影があったのだ。
それはもう、初対面の時からずっとで、だからこそジークは、ヴァンツァーが仲のいい妹であるニコラの真似でもしてるのかと考えていた。あまりにしつこいので、途中でそうでない可能性も考えたが、それにしてはやっぱりいつだって一定数恋人らしき影がある。
一方でジークにずっとよくしてくれてきたニコラは、出会ってからこれまで一度だって恋人の影がなかった。言い寄られている姿は見たことがあるが、わざわざ断ったことをジークに教えてくれた程である。
「ジークさんが嫌なら……」
ヴァンツァーは最悪なことを言いかけて、なぜだかその続きが出てこなくてぴたりと言葉を止めた。
はじめは軽い気持ちだった。
もともと自分を好いてくれる人とうまく遊ぶのは得意だったし、体を重ね合わせても最終的にトラブルになる様な失態を犯したことは一度もない。
今一緒にいる女性探索者たちは、塔の攻略にも熱心で、ヴァンツァーへの理解も非常に深い。もし万が一ヴァンツァーの気持ちがジークに受け入れられるようなことがあるならば、ジークが世間からどう思われていようと受け入れる準備はあったし、自分たちの方が邪魔なら引き下がる覚悟もある。
そんな風に滅私で自分を愛してくれる彼女たちを、ヴァンツァー自身も大事にしてきたつもりだし、一線を引いて関係を保ってきたつもりだった。だからジークがもしそんな関係が嫌だと言うのなら、惜しみながらも関係を解消できるはずだった。
「嫌ならなんだ」
ジークに問われてもヴァンツァーは答えを出せなかった。
ジークのことは好きだ。
命を助けられたし、その時の戦いぶりは今でも目に焼き付いている。
器用で天才的なヴァンツァーには真似のできない、泥臭くて野性的な雄々しい姿だった。だからこそ憧れたし、ジークを自分のものにしたいと思ってアプローチを続けてきた。
そう、ヴァンツァーは男性にしてはかわいらしい顔をしながら、随分と男らしい内面をしているのである。
だがふとこの瞬間、ヴァンツァーはともに探索者を続けてきた彼女たちを、ジークのために捨てると、嘘でも言葉にできないことに気づいてしまった。これまでの献身を、これまでの冒険の日々を、思い出を、そしてこれからも共に活動していくだろうと考えてきた展望を、すべて捨てることができないことに気づいてしまったのだ。
探索者として十分な地位を築いてきたつもりだ。
相棒足りうるために鍛えてきたつもりだ。
実績を上げて、ジークの活動のサポートができるよう準備してきたつもりだ。
ヴァンツァーは、魅力的な部分を磨いて、ジークに振り向いてもらうために頑張ってきたのである。
一方でニコラは逆の道を選んだ。
もしかしたら何も得ることがないかもしれないのに、探索者として生きることを捨て、他の一切に目移りせず、ただひたすらにジークを見つめてきた。そっけない態度をとられても、常にジークの帰還を待ち、僅かな変化と機会を見逃さずに、ジークの隣に立つ権利を得た。
ヴァンツァーは後ろ頭をかいてバツの悪そうな顔をする。
自分よりもニコラの方が、ジークの横にいるのにふさわしいような気がしてしまったからだ。
敗北感を覚えていた。
ニコラにではない。
自分の魅力に振り向かせることができなかったジークに対してだ。
「……なんでもない。あー……でもあれだ。ニコラと結婚するなら、僕たち義兄弟ってことになるよね。お義兄さんか、ちょっとそれもいいかもしれない」
ジークはまたヴァンツァーがよく分からないことを言い始めたと思い黙り込む。時折勝手に訳の分からないことを言って盛り上がるのはいつものことだ。終わるまでは放っておくのが正しい反応である。
「うん。とりあえずニコラとの結婚は認めるけど、これからもアプローチは続けようかな」
「勝手にしろ」
どうせ応える気もないし、ヴァンツァーがそれで気が済むならそれでいい。
ジークとしても長年交流のあるヴァンツァーが急に態度を変えてきたって、どう対応していいかわからない。
今まで通りでいてくれるのが一番ありがたかった。
「結婚式とかするの?」
「知らん」
「ジークさん真ん中にして僕とニコラで両脇を歩くって言うのどう?」
「知らん」
「ちょっとニコラに提案してもいい?」
「勝手にしろ」
歩き出した二人の後ろを、テルマは変な顔をしてついて行く。
もっと酷いもめごとになるんじゃないかと思っていたのに、随分とあっさり話がついたことが不思議だった。
恋を知らないテルマには、ヴァンツァーの気持ちはさっぱりわからない。
でも声の調子から、ヴァンツァーが今回の件でそれほど落ち込んでいないことは分かった。
それもそのはず。
ヴァンツァーはこれからもジークの周りをうろつくつもりであるし、チャンスさえあれば泥棒猫になるつもりでいる。兄としてはかなり最悪の部類だが、ニコラもそれは理解しているのでちゃんと警戒し続けることだろう。
つまり、関係的には今までと何も変わらない。
むしろ逆に、一緒に塔に挑んできた女性探索者たちの大切さに気付くことができたと、ヴァンツァーは今回の件を前向きに考えていた。
ヴァンツァーという男は、【諦めずに挑み続ける】という探索者にとって大事な気性を持ち合わせた、根っからの探索者なのである。




