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力を発動し、ジークに殴りかかり、しばらくいなされた後頭がカッと熱くなってきた辺りで、色んな手段で強制的に戦闘を終了させられる。戦闘終了、すなわち意識の喪失である。
ポーションで治しているが、回数を重ねるごとにテルマのテンションが下がり、やがて精神的に追い詰められてぶつぶつと独り言を言い始めた。そんなテルマに全く物おじせずに「何を言ってる?」と問いただすのがジークである。
はっきり言わなければわからないのは、ハンナと再会し、友人ができた今も変わらず健在だ。もともと人の気持ちを察するのは壊滅的に苦手であるから仕方がない。
テルマの様子がおかしくなってからも、しばらくの間訓練は続いた。
「ここまでだな」
ポーションの在庫が減ってきたところで、ジークが訓練の終わりを宣言した。
気持ちがしぼんでくるにつれて、冷静になることができたのか、だんだんと力の制御が上手になってきていたのは皮肉である。ある意味ジークの訓練は的確であったと言ってもいいだろう。
「ようやく……」
危険な訓練に付き合ってもらっている手前、文句など言えようはずもないけれど、ひたすらに落とされ続ける訓練というのは、素直につらかったテルマである。思わず安堵の一言が漏れてしまった。
随分と長い時間訓練をしていたような気もするけれど、実際はまだ昼を少し過ぎたくらいだろう。今からダンジョンを出れば、腹ペコという調味料をもって美味しく昼食にありつけそうである。
死にかけていたテルマの目が少しばかり光を取り戻したところで、ジークはその場に座り込んで、持ってきた硬いパンを食べ始めた。言葉は少ないが昼休憩と言うことなのだと察したテルマは、自分もちゃんと食事を持ってきていたことを思い出して、荷物を漁り出す。
少しでも早くダンジョンから出たいと思っていたせいで、気がせいて忘れてしまっていた。折角ハンナが出かけに用意してくれたのだからと、具を挟んだパンを取り出してもそもそとかじる。
食事が終わってしばらく休んだところで、テルマは「そろそろ……」とジークに声をかける。
するとジークは「そうだな」と言って荷物をまとめて立ち上がった。
「よし、続きをする」
気づかないふりをしていた事実を言葉として突き付けられたテルマは、少しばかり持ち直したいつもの表情を、再びずんと暗くして横目でジークを見た。
「ま、まだポーションがあるんですか?」
「あまりない。だから別の訓練をする」
ほっと胸をなでおろしたテルマである。
午前中だけで十回では利かない回数コテンパンにやられているのだ。午後も同じだけやってしまっては、もう心なんかズタボロにへし折れて再起不能になってしまう。
「どんな訓練をするんです?」
「俺が攻撃動作に移るまでに力を発動させろ。咄嗟に使えるようにする訓練だ」
「なるほど、わかりました」
これなら身体的には消耗しない。
攻撃動作と言っているからには、実際に攻撃まではしないはずだ。
そう希望的な観測をもって自分を元気づけたテルマは、ジークと距離をとって「お願いします!」と気合を入れて声を上げた。
テルマは泣きそうだった。
考えが甘かったのだ。
体にダメージがないから問題がないなんて考えた自分の愚かさにはうんざりだった。
ジークが石を投げる。
石が落ちたところから力を発動させる。
テルマはごくりと唾をのんで石の軌道をじっと見つめた。
それが地面に落ちて音が届く前に、力を発動させようとする。
しかしうまく集中できないのだ。
正面からとてつもない殺気を放ったジークが、まっすぐに自分に向けて走ってきている。最初の頃はそれを見ただけで唖然としてしまい、力の発動なんてどこかへ吹っ飛んでいってしまったくらいだ。
まさに蛇に睨まれた蛙。
本当に殺されると思った。
テルマはジークから能動的に本気の攻撃意志を向けられたのは、これが初めてだったのだ。
完全に固まっていたテルマの目前までやってきたジークは、怪訝な顔をして「何をしてる?」と首をかしげただけだった。そして答えも聞かずに小石を一つ適当に拾って元の位置へ戻っていった。
妙に苦しくなって初めて、いつの間にか呼吸を止めていたことに気づいたテルマは、音を立てて大きく息を吸い込んで咳き込む。
そこで分かったことは、午前中までのジークがまだまだ手を抜いて相手をしてくれていたということだ。攻撃する、という強い意志が宿っただけで、呼吸もままならないほどに緊張をさせられる。
そこにははっきりとした、信じられないほどの実力の隔たりがあった。
テルマがまともに力の発動を意識できるようになるまで十数回。
こうして石の動きを気にしてまともに訓練の成果を出そうと努力し始めたのは、訓練を初めて一時間以上経過した後だった。
今回も発動に至る前に目の前にやってきたジークは、無言で石を拾って元の位置へ戻っていく。
だんだんと結果を出さなければと焦り始める心が、余計にテルマを迷走させる。
そんなメンタル的な部分はあまり気にしたことのないジークはと言えば、愚直に繰り返してさえいればいつかはできるようになるだろうと、楽天的な考えを持っていた。
当然テルマのメンタルが午前中から引き続き、ズタボロになり始めたことにも気づいていない。
それからさらに一時間。
失敗しても一言もなく戻っていくジークに、成長のなさと自分が何をしているのだろうという疑問から追い詰められたテルマは、石を投げる前に力を発動させることを考える。
少しくらい成果を出さないと、呆れられるのではないかという不安もあってのことだった。ただ、ジークに失望されるのが嫌だ、というところまでメンタルがやられ切ってしまっていたのだ。
これまで挫折も知らず、言われたことは何でもすぐに吸収してきたテルマには、今の状況が耐えられなかったのだ。褒められて育ったテルマにいきなりこの訓練をさせるのはあまりに酷過ぎたのかもしれない。
見た目にはわからないのだから大丈夫。
一度成功をさせたからって訓練をやめるわけではない。
できるようになるまで、もちろん頑張るつもりだ。
そのつもりで、ジークが背を向けて石を拾っている間に力の発動を試みる。
石が投げられる動作の途中で力が発動。これまでと比べると妙に早い発動だった。
普段からこれくらいの速さで発動できるのであれば、ジークがやってくるまでに発動できているはずなのだ。
殺気にあてられていない状態であれば、いつの間にやら発動は随分と早くできるようになっていたようだ。
これまた、実はジークの訓練が功を奏していたということになる。
メンタル面でのケアはともかく、成長をさせるという点において、ジークは導くものとしての才能があるのかもしれない。
ジークはぽいっと石を投げてから、それが地面に着くのを待って走りだし、そして力を発動して顔を上げているテルマの頭をガシッと掴む。
「ずるをするな」
もしかしたら褒められるかもしれない、なんて思っていたテルマは、目を泳がせてから俯き「ごめんなさい……」と力なくつぶやく。
テルマの体に入った力の入り具合、妙な気配、それらを総合して、ジークは石を投げた直後にテルマが力を発動させたことに気づいていた。殺気を振りまかずに走った時点でテルマも気づいてもよさそうなものだったが、本当に珍しくずるをしてしまったという罪悪感からそんな余裕はなかった。
軽くため息をついて石を拾い、定位置に戻ったジークは振り返ってぎょっとした。
顔を上げているテルマが、先ほどと変わらない浮かぬ表情のままぼろぼろと涙を流していたのだ。
「あれ……、すみません、ちょっと待ってください。あれ……」
本人もよくわかっていないらしく、涙を流し続けながら何やら焦っている。
どうしたらいいかわからず固まるジークと、「あれ、おかしいな、すみません……」と言いながら涙を流し続けるテルマは、しばらくそうしてダンジョンの中で立ち尽くしていた。




