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十一から二十階層には、ゴブリンのでかい奴の集団とか、オークと呼ばれる豚の顔をした大男とかが出てくる。どちらも雄たけびのようなものをあげるが、言語らしきものを用いてコミュニケーションを図っている様子はない。
他にもぼちぼち色々なものが出てくるのだが、ジークが主に認識しているのはこの二種類の魔物だ。
理由は単純で、ゴブリンは数が多くてよく目につくから。
オークは、この階層の中では一番おいしく食べられるからである。
塔の中で倒された魔物は、放っておくとそのうち床に溶けるようにして消えてしまうのだが、食ってしまえばエネルギーになる。
当然のように十一階の入り口付近で陣取って野営、というか、塔の中で生活を営んでいたジークは、通りがかりの探索者に悲鳴を上げて逃げられていた。何も悪さはしていないのだが、いつも通りの強面と、ちょっと人っぽく見えるオークの一部とかを焼いて食らっていたのが悪い印象を与えたのだろう。
仕方のないことだと、肉を食いちぎりながら考える。
塔は上の階へ登るほどフロアが広くなっていくというのは、探索者にとっての常識だ。ただし外から見ると明らかに土台の方が広くなっている。
これも塔の不思議なのであるが、いまだにどういった仕組みなのか解明されていない。
塔の研究者なるものが学会をもって研究しているそうだが、根本的ななぞに関して正しい答えらしきものを出したものは未だにいない。この世界には攻撃をするための魔法なんて言うのもあるが、あれはそんな応用のきくものではなく、巨大な炎を放つとか、風の刃を飛ばすとか、そういう単純なものでしかない。
では研究者は役立たずなのかというと、そんなことはない。
彼らの一部は頭でっかちに論戦を交わしているだけだが、その多くは塔から手に入った特殊なアイテムの解析をすることを主としている。
例えば見つかったものの中には、小さな火を自由に調整できるスクロールなんかがあった。解析された当初は何に使うんだという声があったが、世界の頭脳が首を突き合わせて考えた結果、料理をするのに最適だという答えが出たのだ。
誰もが持っているほんの少しの魔力を流すだけで、ある一定の大きさの火を維持してくれるのだ。こんなに便利なものはなかなかない。
一点物では使いようがなかったが、なんとそれが見つかった塔の低階層からは、何に使うかもよくわからないインクと普通に見える羊皮紙が見つかっていたのだ。
そう、そのインクをもって羊皮紙に同じ魔法陣さえ描いてしまえば、これはいくらでも量産できる代物だったのである。
少しばかり値は張るが、今じゃあ探索者も持っていたりするし、結婚のときに思い切って買う家庭なんかも増えているようだ。
ちなみにジークは持っていないし、塔の中の調理の際は、壁に巻き付いた蔦を適当に刈ってきて、古典的な摩擦の熱によって火をつけるようにしている。一応火種になりやすい麻紐のようなものは常備しているが、原始的な行動をしていることには違いない。
そんなジークが人から避けられつつも五日ほどを塔の中で過ごしたところで、前回同様テルマが塔の攻略にやってきた。
中へ入れば、当然ジークの前を通ることになるし、肉を食べているジークの姿を見ることになる。
一階を通った時よりもよっぽど声をかけたくなったが、やはり一階の時と同じような理由で、自制心を働かせ、テルマはその場を足早に遠ざかった。何をしているかよくわからないけれど、警戒する相手というよりは、不気味な相手という印象の方が強くなってきている。
ジークは広げたものを片付け、火をしっかりと消すと、やはり少し遅れてテルマの後を追った。ジークとしてもろくでもないことをしている自覚はあったが、気にすると約束したのだから仕方ないと自分に言い訳をする。
テルマのその日一日かけての探索は夜遅くまで続いたが、やはり何事もなく終わった。
ジークはテルマが帰還したことを確認すると、一時間ほど時間をおいて転移の宝玉に触れる。
これは間違っても戻った瞬間にテルマと出会わないようにとの配慮である。
追跡するためにスタート地点で遭遇するのは仕方ないとしても、ほぼ同じタイミングで戻っていることがばれると、流石にテルマからもストーカーを疑われるようになってしまう。
「なあ、ジークさん」
すっかり夜更けになって塔の外へ出たジークが、一度風呂屋にでも行ってから安宿に帰ろうと画策していると、背中に声をかけてくるものがいる。
それは昔ジークが世話をしたことのある元探索者で、結婚を機に、塔の番人に転職した男だった。金儲けの夢よりも家庭を大事にすることを選んだ良き夫である。奥さんの尻に敷かれているようだが、子供にも恵まれて充実した毎日を送っている。
「なんだ」
「……いや、なんかあんたが低階層の入り口にいて怖いって訴えがきてんだけど、なにしてるんですか?」
「何でもいいだろ」
「いや、俺はあんたが悪さする人じゃないって知ってるからいいですけど、そのうち他の番人からギルドに苦情が入りますよ?」
「その時はその時だ」
「……俺は伝えましたからね」
「悪いな。別にギルドに伝えていいぞ」
どうやら男が情報を抱えて他に出さないようにしていることを察しての言葉だった。
「ホントに大丈夫ですか?」
「あぁ」
確認に首肯すると男はほっとした表情で胸をなでおろす。
「じゃ、そうしますよ。後で怒んないでくださいね」
仕事柄、探索者の訴えをいつまでも止めておくと、いつ上司から叱責が飛んでくるかわからない。怒んないでとは言ったけれど、男だってジークがこんなことで怒ると思っていないからこその軽口だ。
ジークは軽く手を上げるだけで返事をすると、そのまま街へと歩き出す。
この街の風呂屋というのは、これも塔から出てきた水を湯に変える機械によって成り立っている商いである。
少しばかり値は張るけれど、足を伸ばしてゆったりと湯につかる気持ちよさは、一度味わうと中々それきりとはいかないものだ。
しっかりと体を休め、安宿で睡眠をとったジークは、翌日の朝いつものようにベッドに胡坐をかいて今後について考える。
どうやらテルマは週に一度塔に入るようにしているらしいと分かった。
であれば、ジークだってそんなに早くからテルマが来る階層で待ち構えている必要はない。わざわざ駆け出しの探索者を怖がらせて楽しむような悪い趣味も持っていないジークは、今後入り口で待機をするのはやめることにした。
それに低階層で探索をしていると、はっきり言って稼ぎがあまり良くない。
お金にはそれほど興味がないが、お金を使う用事はあるのだ。
大体の方針は決まったところで、ジークは少ない荷物と、引き揚げてきた戦利品をもって立ち上がり、いつも通り宿の床をきしませ、主人のブラックなジョークを受け流してギルドへとやってきた。
戦利品を鑑定してもらっている間は酷く退屈だ。
だからってこの場を離れると「人にものを任せてどこかへ行くとは何事だ」と頑固な爺さんに文句を言われる。できることといえば、ギルドに目を配り耳を澄ませることくらいである。
どうもジークが低階層に滞在していることはじわじわと噂になってしまっているようで、割と年の若い探索者たちが戦々恐々としながら、こっそりとジークの顔色を窺っている。
彼らにしてみれば何が目的で低階層に来ているかわからないから本当に恐ろしいのだ。
こういった噂に尾ひれがつけば、ジークは低階層で新人を殺して楽しんでる、なんてろくでもない話になっていくわけである。
まぁ、これまでも何度も経験したことなので、放っておけばそのうち皆が飽きることもジークは知っている。それが積み重なって悪評となってしまうことだけは如何ともし難いが。
ぼんやりと噂を聞き流していたジークの耳に、一つ気になる言い争いの声が飛び込んでくる。
その言い争いの主は、五十階層を探索できる中堅上位の探索者。
ベテランだが素行の悪い、立ち位置としてはジークに近いものがある男とその仲間たちだ。
そしてその相手はテルマ。
目を開けてみると、受付に並んでいることころを絡まれたようだ。
さて、どうしたものか。
鑑定の方にちらっと目をやると、そろそろ終盤。
換金を後回しにすれば間に割って入ることはできそうだが、テルマがそれを望んでいるかと言えば微妙なところである。
「換金額はこれで良いな?」
「…………ああ、いい」
「ちゃんと見ていないな?」
「あんたが誤魔化すなんて思ってない。さっさと支払いをしてくれ」
眼鏡をかけた初老の鑑定士は、口をへの字に曲げていたが、ジークの言葉を聞くと鼻の穴をぷくっと膨らませて、金の入った袋をジークが差し出している手の上へ乗せるのだった。




