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二人は刃を潰した剣をもって対峙する。
テルマにとってそれはとても重く、持ち上げただけでふらっとするほどの代物であった。
こんなものでは戦えない。
すぐさまそう判断できたのに、やっぱりやめると言わなかったのは子供の意地である。ハンナが短い剣を二つ持っているのもずるいと思ったけれど、自分が挑んだ勝負だから指摘もしなかった。
ぐっと力を込めて剣を握り、思いきり振りかぶりながら走っていく。
ハンナはため息をついて、少しだけ立ち位置を変えてテルマに足をかけた。
ブランクがあるとはいえハンナが年端のいかぬ少女に後れを取るはずがなかった。
転んで中々立ち上がらないテルマの背中を、ハンナの剣がつつく。
「テルマ、あなた塔の中ならもう死んでるわ。これじゃあ探索者にはなれないわね」
絶対に泣き出すであろうと思っていたのに、剣を握ったままであったテルマはぎゅっと唇を結んだまま立ち上がって「もう一回!」と震える声で言った。
どうやらテルマは、ハンナが思っていたよりもずっと負けず嫌いだったらしい。
その日以来テルマは、何度もハンナに挑んで何度も負けることを繰り返した。
どうやら先生役を任せていた探索者たちが、やめろと言っているのに訓練をしたり入れ知恵をしたりしているようで、繰り返すたびにテルマはほんの僅かずつだが手ごわくなっていく。
何年も日を置かずに相手をし続けたせいで、ハンナの手の内もばれ始めて、ついにテルマが十歳になった時、危機感を覚えたハンナはテルマに宣告をしたのだ。
「今日私に勝てなかったら、もう探索者になる話はなし。これだけ長いことやっても駄目だったのだから、いい加減諦めなさい」
まだ勝てるはずだった。
技術的にも身体的にもなんとかなる間に打ち切ることにしたのだから当たり前だ。
その日も手合わせはハンナがテルマの攻撃をいなし続けることで進んでいった。
ところがテルマは、いくら転がしても、手を打って剣を落とさせても、覚悟を決めて多少の怪我をさせても立ち上がって向かってくる。
「どうしてそんなに探索者になりたいの」
「……ママが皆と話すとき楽しそうだったから」
「それだけ?」
「……私がすごく強い探索者になったら、危ないとき皆のこと助けられるもん」
そもそも探索者の知り合いをたくさん作ったことが失敗だったのだ。
いくら伝手がそこにしかないとはいえ、仲が良くなった探索者が来なくなり、塔で死んだと知れば、何かしら強い思いを抱くのは当たり前のことだった。
結局痛い思いをさせているのも、危ない夢を持たせたのもハンナが原因である。
だからこそ、この夢を断ち切ってやるのも自分の役割であるとハンナは思った。
どんな理屈なのか、ますます鋭くなってきているテルマの攻撃を受け流したハンナは、決着をつけるべく、テルマの後頭部に一撃を加えた。
手ごたえがあった。
テルマが地面に崩れ落ちていくのを見て、これで終わりだと思った。
それと同時に、これで良かったのだろうかという迷いもあった。
娘のやりたいことを無理やり奪い取る親が、本当に正しいのだろうかと、ハンナはテルマの倒れる姿から一瞬目を逸らした。
その瞬間、ハンナの足が地面から離れた。
テルマが地面に手を突き、ぐるりと体を回してハンナへ足払いを仕掛けたのだ。
それは、足が払われたというより、足を根こそぎ持っていきそうな一撃であった。
瞬間の衝撃と激痛は、その一撃の重さを物語っていた。
確実に意識がないはずのテルマは、ハンナが倒れる前に剣を振り上げる。
辛うじて剣をクロスして受け止めた一撃は、柄を握っているハンナの指をぐちゃぐちゃに曲げて、そのまま地面へと突き刺さる。
勢いを増して地面に頭を打ったハンナはその時点で意識を飛ばし、同じく攻撃をしていたはずのテルマも、その場でぱたりと意識を失った。
母娘が折り重なるようにして倒れているのを見つけたのは、テルマに勉強を教えるためにやってきたギレントであった。驚いたギレントは急ぎ二人を家の中に担ぎこみ、頭部から血を流しているハンナに棚に保管してあったポーションをぶちまける。
ポーションのお陰で先に意識を取り戻したハンナは、体を起こすために手をついて小さく悲鳴を上げた。指があらぬ方向に曲がっているのを確認して、ギレントは残ったポーションをそこへかける。
使ったのはそれなりに高級なポーションだったが、手を握ったり広げたりしてみると、ハンナの指は前程には力が入らなくなっていた。
「何があった」
ギレントの質問を後回しにして、ハンナはテルマの様子を確認する。
大きな怪我はさせていないが、あちこちに打ち身が目立つ。
自分のやったことを再確認して、ハンナは大きなため息をついた。
「わからないわ。でも、気を失ったテルマに反撃をされたの」
「それでそんなことになるものか。この子はまだ十歳だぞ」
「じゃあいったい私はこの子以外の何にやられたの?ありえない力だったわ。うまく防げなかったら死んでいたと思う」
ギレントはいつも手合わせが終わるころにやってくる。
今日の手合わせは長引いていたから、きっと終わった直後に顔を出したはずだ。
別の何かかが介入する余地はなかった。
「……テルマが目を覚ますまで待つ」
「そうね」
何が何だかわからないのだから、本人から話を聞いてみるよりほかにない。
二人は言葉も交わさずに、テルマが目を覚ますのをじっと待った。
テルマが目を覚まして体を起こすと、ハンナとギレントの姿が目に入る。
節々が痛み、気を失っていたことから、テルマは自分が敗北したのだろうと察して俯いた。酷く残念な気持ちと、同時に夢うつつの中で変な声が聞こえてきて、それから体が勝手に動いてハンナを叩きのめしていたような気がしたのが、ただの夢で良かったとほっとしていた。
あれが現実ならば、ハンナは今頃体を起こしていられないはずである。
「テルマ、あの力は何かしら? 今まで手加減をしてたの?」
しかし、ハンナの質問でそれが夢ではなかったのだと察する。
事情を飲み込み切れていないテルマに、ギレントが静かに説明をしてやった。
「私が来た時、二人とも庭で気絶していた。ハンナは酷い怪我を負っていたから、ポーションを使って治した。何があったか説明ができるかね」
「わ、わかんない……。ママ、だ、大丈夫……?」
大丈夫ではない。
足も手もひどい怪我で、探索者としての第一線に復帰することは、最高級のポーションでも使わない限り、もはや不可能だろう。
「大丈夫よ、私は体を鍛えているもの。そんなことよりも何があったか聞かせてくれる?」
「……『君に決めた』って、それから『力の使い方を教えてあげる』って聞こえて……」
「魔法?」
「いや、そんな魔法は聞いたことがない」
ハンナには聞こえていない言葉だった。
テルマにだけ聞こえ、そして確かに力を与えた。
得体のしれない何かが、テルマに干渉をしてきたのだ。
「……テルマ、今もその力は使える?」
「……うん、多分」
「使うとどうなるの」
「多分、今よりたくさん力が出て、強くなるんだと、思う」
ギレントは二人の会話を聞きながら腕を組んで思考をめぐらせた。
状況を理解するのは難しい。
ハンナは深いため息をついて額を抑えた。
テルマには見えないように隠している足が、酷く腫れて痛み出していた。
「テルマ、どんな力を使ったにしても、あなたは私に勝ったわ。どうしたい?」
テルマはフルフルと首を横に振った。
「私、負けてた。あのへんな力がなければ負けてたから……」
「テルマ」
ハンナはテルマの言葉を遮る。
テルマが無理やり自分を納得させようとしているのが表情で分かってしまった。
得体のしれない何かであっても、あの瞬間にハンナを負かすために力を授かったのだとしたら、それは何かの運命なのかもしれない、そんな風にも考えてのことだった。
「今答えなくてもいいわ。よく考えなさい。あなたは、探索者になってもいい。でもならない道を選んでもいい。こうなった以上、どちらを選んでも私はあなたのことを応援するわ」
「そ、それじゃあ、ママにちゃんと勝ってから……とか……」
「すぐに決めなくていいから、よく考えなさい。皆に相談してもいいから、よく考えるのよ?」
テルマはきっと正面から戦ってハンナを負かせて、自信をもって探索者になりたかったのだろう。
ただしそれはもうできない。
ハンナの手や足は、きっと元の様に治ることはないだろう。
次にもし戦ったとしても、テルマが納得のいくような戦いにはならないはずだ。
だからハンナは繰り返しテルマに『よく考えなさい』と言い聞かせたのであった。




