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ハンナが酔いつぶれてしまったのでこの場はお開きだ。
ニコラにとっては残念なことに、今日のところは隣の宿を使う機会はなさそうである。
また明日ということでフロウ兄妹とは店の前で別れを告げて、テルマとジークは肩を並べて歩く。身内だけにしか話したくないことだってあるだろうという、兄妹の気遣いである。
月明かりだけを頼りに宿に向けて歩きながら、テルマがぽつりとつぶやく。
「ジークさんは、私のことに気づいてたんですか」
「途中から」
「パーティを組もうって言ってきた辺りですよね」
「そうだ」
テルマもあの時はおかしいと思っていたのだ。
一度断った癖に、ジークらしくない申し出であった。
理由がわかってしまえば納得しかなかったけれど。
「私のパパは……父親はどんな人でしたか?」
「なんにでも首を突っ込んでく奴だった。皆に好かれていた。よく笑うやつだった」
「かっこよかったですか?」
「知らん。でもお前の顔はあいつに似てる」
「そうなんだ……」
宿に着いたら鏡をのぞいてみようと決めながらも、続けてジークに尋ねる。
今ならば何でも答えてくれるような気がした。
「ジークさんって、パパとママに拾われたんですっけ」
「そうだ」
テルマは前に塔の中でジークと話したことを思い出す。
ジークはその時、もう二度と会えないと言いながらも穏やかな表情をしていた。
そうさせたのが、父や母だと思うと、テルマはなぜだか少し誇らしかった。
あの時は勝手に連れ出して、なんて言った気がするが、そんなことはもう忘れたことにする。
「テルマ」
感慨に浸っていると、ジークから声をかけられる。
「なんですか」
「お前の父親は、俺なんかのために死んだ。お前は俺を恨むべきだ」
テルマは足を止めてジークを見上げた。
犬のジークもそれに習う。
それなりに長い沈黙の後、テルマは呆れたようにため息をついた。
実力も、年も、背丈も自分を上回っているジークに説教をするのは気が進まなかった。
「ジークさんは、パパやママにとって自分がどんな存在だったと思ってるんですか」
「塔で拾ってきた薄汚いガキ」
生まれて物心ついたころには虐げられ、挙句捨てられた、愛を知らなかった男だ。
愛情というものがどんな形をしているかさえ知らなかったのだろう。
だから気付かない。気づいていてもそれがそうだとわからない。
一方テルマは生まれてこの方、ハンナにしっかりと愛されて育てられた自覚があった。
その点においてはテルマの方がよっぽど先輩である。
「そんなこと言ってるとママに怒られますよ」
「なんでだ」
理解はできないが怒られるのは嫌なようで、ジークの眉間にいつもより少し皺が寄った。この図体でハンナのことを恐れているのがテルマにはおかしくて仕方がなかった。
「どうしてジークさんはそんなに自分が悪いと思ってるんですか」
ジークは少しだけ首をひねってしばし考えてから答える。
「もしあの頃の仲間が何かが原因で死んだなら、俺はそいつを絶対に許さないからだ。俺はその原因になった。俺がいたせいであいつらは新しい階に挑戦したし、俺を逃がすために犠牲になった。俺がいなければあいつらは死ななかった」
「ジークさんって本当に馬鹿ですね」
急に罵られたがジークは反論しない。
ちょっとだけ腹は立ったが、確かに馬鹿であることは事実だし、テルマには何を言われても仕方がないと考えているからだ。
「パパとその仲間を殺したのは、塔の魔物です。ジークさんじゃありません。新しい階に挑戦するのを決めたのはジークさんだけじゃないでしょう? 探索者は自分の命をかけて塔に登っているんです。判断が悪くて死んでしまうのは自分の責任です。違いますか?」
テルマの言うことも事実だ。
探索者ならば誰でも知っていることだし、心得ておくべき基本のきだ。
話しているうちにテルマはだんだんと腹が立ってきて口調が強くなる。
「私のパパはどうでもいい人を守って死んだんですか? 私のママはどうでもいい人を思ってずっと悩んでいたんですか? いい加減にしてください! ジークさんは、パパやママにとって大事な人だったんです! 大事な家族だったから守ったんです! 悩んだんです! ママがさっきそう言ってたじゃないですか!」
そんな大事にされていたはずの人が、自分の父や母が大事にしていたジークが、自分なんかと自らをないがしろにするのが許せなかった。
頭に直接叩き込まれるような言葉を消化しきれず、何か答えようとしてジークは口を開けたまま止まってしまった。
「……テルマ、夜に大きな声出さないの」
背負われているハンナが静かな声で言って、目じりに涙をためるほどに怒っているテルマの頭を撫でて宥める。
「ジークはずっとこんな感じで、怒ったってあまり意味ないんだから」
それにしてはいつも怒られていた記憶があるジークは、いったんすべてのことを横によけて「起きていたのか」と呟く。
「これだけ大きな声を出せばね。久しぶりに飲んだら頭が痛いったら……」
いつも浴びるようにお酒を飲んでいたハンナが飲まなくなったのは、腹に子を宿してからだった。大きくなっていくお腹を撫でていたハンナは、いつもよりも少しだけ優しかったことを覚えている。
「ジーク、覚えてる? 私、テルマが生まれる前に聞いたわよね。お兄ちゃんって呼ばれたい? それともおじさんがいい? って。あなた変な顔して答えなかったけど」
覚えている。
関係なんてどうでもよかったし、呼ばれ方なんてもっとどうでも良かった。
ただ漠然と、ノックスやハンナみたいなやつらが一人増えるんだなと思っていた。
だから答えなかったし、ハンナの質問の意図にも気づかなかった。
子供が生まれても今までと同じ家族だとジークに伝えるには迂遠すぎるやり方だった。
ハンナだってそれはわかっていたけれど、おいおいジークにわからせていけばいいと思っていたのだ。家族で共に過ごす時間はまだまだたっぷりあるはずだったのだから。
「ねぇジーク。どっちがいい?」
ジークは今回もやっぱりよくわからなくて答えられない。
そうだろうと思っていたハンナは、今度はすぐにテルマに尋ねた。
「テルマはどっち?」
「え? ……兄って感じじゃないから、叔父さんの方がいい、かも」
「じゃあ、私にとっては義弟ね。ジーク、うちのテルマを守ってあげてね。あなたは私たちの家族なんだから。…………わかったの?」
返事のないジークにハンナが催促をする。
いくら考えたってぐるぐると余計なことを考えて、ろくな結果に着地しないことはよくわかっている。
この男相手には答えをせかすくらいで丁度いい。
「…………わかった」
答えたからってすぐに納得するわけではない。
ただ、ジークの中にあるテルマを守るための理由が一つ増えただけだ。
今はそれで十分だった。
「…………テルマ、下ろしてくれる?」
「危ないからちゃんと宿まで連れてく」
目がさめたとはいえ、ハンナの呼吸はかなりアルコール臭い。
歩けばフラフラであるはずだ。
それにテルマはなくなった父親の話をしたせいか、背中に感じるハンナの体温をもうしばらく感じていたかったのだ。
「……テルマ、下ろせ」
「何ですか急に。いいじゃないですか、ママのことを運びたいんです」
「いいから早くしろ」
ジークが催促したところで、背中にいるハンナが無言でテルマの肩を叩き始める。
驚いたテルマが手を放すと、ハンナはすぐに駆け出して路地の裏の方へ行ってしまった。
追いかけようとした犬のジークを、人のジークが抱き上げる。
犬のジークはじたばたと暴れたが、すぐに敵わないと察して大人しくなった。
「な、なに?」
「ハンナは飲みすぎると吐く」
路地裏から嫌な音が聞こえてきて、テルマは眉を顰める。
「もしかして、昔からなんですか?」
「そうだ」
「……ママがお酒飲んでるの見たことなかったから、しらなかった」
ジークにとっては懐かしき馴染みの光景であるが。
雰囲気が台無しだし、娘からの評価は少しばかり下がったようである。




