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「なんだ、変な顔をして」
いつもの鑑定士がジークの顔を見るなりそう言った。
納品物にしか興味なさそうな顔をして、意外とよく見ているものである。
ジークは変な顔をしている自覚がないので、指摘されたところで返事のしようもなかったけれど。
返事がないからって鑑定士の老人はそれを気にすることもなく、いつも通りに鑑定を進めて、いつも通りに支払いを終える。ジークの変な顔なんて、そのルーティンを崩すほどのことではなかった。
すべてを終えた老人は、ジークに金を渡すときに再び口を開く。
今日は随分と多弁だ。
「良いことでもあったか」
「…………ああ」
「そりゃよかったな」
「そうだな」
それだけの会話だった。
しかしこの二人の関係を思えば、十分な祝福であった。
ジークは受付を一度見てから、そういえばニコラは休みであったことを思い出す。
だからハンナのいる場所へまっすぐ向かい、今日は特別に重い袋を目の前に置いて「風呂」と言って外へ歩いて行った。
「ちょっとジーク」というハンナの言葉が聞こえてきたが、語調に怒りが含まれていないので無視だ。とりあえず塔から帰ったら風呂にはいれとしつこく教育したのはハンナである。約束を守っているだけで怒られる筋合いはない。
血と泥を流したジークは、さっさと上がって髪を濡らしたままギルドへ引っ返す。
濡れている髪は風に吹かれて体を冷やす。
丈夫なジークは風邪をひくということを知らないので特に気にする必要のないことだったが、ふと足を止めて店で大手の布を買い、がしがしと水分をぬぐいとる。
そういえば昔は髪を乾かせと仲間によく言われていた。
これまでは思い出すと辛くなっていたので振り返らないようにしていたが、ハンナと再会したせいか、あれしろこれしろと言われた記憶が次々とよみがえってくる。
ジークはギルドの前まで来て一度足を止めた。
今の状態をハンナが知ったら、すごく文句を言われるはずだ。
それがちょっとだけ面倒くさかった。
足を止めているといつだかジークに絡んで壁にたたきつけられた男がやいのやいのと絡んでくる。考え事をしているジークの耳には何が言いたいのかよく理解できなかったが「ここであったが百年目」みたいなことを言っている。
探索者同士なのだからギルドに来れば遭うに決まっている。
これまで遭遇しなかったのは、ジークにやられた後、他の奴らからも恨みを買っていたこの男が、ここぞとばかりに仕返しをされて大けがをしていたからに他ならない。
ついでに記憶が混乱してるのか、自分が負けた相手はジークではなく、テルマであったという噂を信じているのだった。だからこそジークとの決着をつけに来たという大馬鹿者である。
復帰そうそう懲りずに元気なことだ。
「うるせぇ」
「食らえ、諸悪の根源!」
唸る拳を首を傾げて避けたジークは、男のこめかみに拳を叩き込んでやる。
もんどりうって倒れて伸びてしまった男の足を持ち、引きずってギルドの中へ放り投げる。外に置いておくよりはましだろうとの判断だが、人から恨みを買っている男はきっとまたひどい目にあうに違いない。
ハンナはぽいと放り投げられた男を目で追いかけてジークに尋ねる。
「喧嘩売られたの?」
「そうだ」
「じゃ、仕方ないわね」
「ママ!?」
悪いことはしちゃいけません、喧嘩は最低限身を守る程度に、と教えてきたハンナとは思えない発言だった。
子供の教育と考えて、そう教えてきたハンナだったが、元々は身寄りのない探索者の一人である。腕一本でのし上がってきたハンナが、絡んできた相手を黙って見逃すような信条を持っているわけがない。
テルマの前で失敗したと思ったハンナは、一応ジークに言い直す。
「……喧嘩は良くないわよ」
「は?」
ジークに何言ってんだこいつ、という目を向けられてもハンナは目を逸らさなかった。やられたら三倍にして返せと言っていた女の言葉とは思えない。
むしろ当時は「三倍はやりすぎだろ、倍返しくらいで」「いや、そもそも喧嘩とかくだらないからするなよ」「野蛮じゃな」という具合で、もっとも好戦的だったのはハンナであったくらいだ。
間をとってどうしようもないときは一撃で仕留めるようにしているジークはかなり優しい。
しかし、黙っていろと言う無言の圧力に屈したジークは、ため息をついてニコラの方を向き「飯」と呟いた。
他の誰相手にでも堂々と文句を言うジークだが、ハンナ相手だけには引くことがある。ハンナが、まだ小さかった頃のジークを、熱心に教育し躾した成果である。
ギルドは少しばかりざわめいたが、ジークが特に声の大きい辺りをぎろっと睨みつけるとすぐに静かになった。
ジークの催促に従って、ニコラが立ち上がって腕をとる。
「じゃ、案内するわね」
「もう遅いから明日にしませんか?」
「大丈夫、あの店は遅くまでやってるから」
どうしても叱られるのを先延ばしにしたいテルマが粘るが、ニコラはあっさりとそれを却下した。折角未来の義姉の印象をよくする機会が訪れたのに、みすみす逃すつもりはない。
ついでにあの店は近くにいい宿があって、酔いつぶれてもすぐに泊まることができる素晴らしい立地なのだが、どうもそちらの方は諦める必要がありそうだと、ニコラはちょっと残念に思っていた。
テルマは時折足元にいる犬のジークにご飯を分けてやりながら、大人たちの会話を聞いている。
酒の入ったハンナとフロウ兄妹が、昔のジークの話で盛り上がっていて、入る隙がないのだ。それは話題の渦中であるジーク本人も同じで、仏頂面のまま黙って食事を口に運び続けている。
テルマが一応耳を澄ませて聞いていると、確かにジークは昔もっと小さくて可愛らしかったらしい。出会ってから薄々察していた通り、どうやらハンナよりも少し年下で、別れた頃は背丈もハンナと変わらないくらいだったそうだ。
今のジークからはとても想像がつかない。
「当時から目つきは悪かったけど、言うことは聞くし、ちゃんと小さくてかわいかったのに、こんな大きくなっちゃって」
「見てみたかったです、小さいジークさん」
「僕も小さいジークさん育てたい……」
怪しい雰囲気を出すヴァンツァーの横腹をニコラが殴りつけるが、流石に現役の探索者はノーダメージだったようだ。
「ジークのことじゃないよ」
名前が聞こえる度にピクリと耳を動かす犬のジークの頭を撫でて時間を潰すテルマ。
先ほどからずっとそれが気になっていたジークは、ついに重い口を開いて隣にいるテルマに話しかけた。
「そいつ、名前一緒なのか」
「そう、ママがつけたの」
「……俺と一緒だな」
しばらくの間テルマは何を言っているのか理解できなかったが、やがてハッと気づいて恐る恐る問い返す。
「ジークさんの名前って、ママがつけたの?」
「そうだ」
「……なのにママ、この子にジークって名前つけたの?」
「そうみたいだな」
真面目で優しく、いつだって正しいことを言う母親が、実は変な奴であるという疑惑を抱いてしまって、テルマは疑わし気に楽しそうに話している母の顔を窺う。
「なぁに、テルマ」
少し頬を赤らめているハンナが首を傾げた。
そういえば酒を飲んでいる姿も初めて見る。
「ママ、どうしてジークにジークさんと同じ名前つけたの?」
ハンナはコップに入っている酒を一気に飲みほして、とんと音を立ててテーブルに置いた。そして溶けるようにテーブルに突っ伏して答える。
「どっちも目つきが悪くて、痩せてて小さくて、世の中皆敵、みたいな顔してたから。ジークを見つけた時、ジークにそっくりだなって思ったの。いつかまた会えたら、もっと優しくしてあげられるように、ジークで練習させてもらってて……、違うの、ジークのこともジークの代わりとか思ってたわけじゃなくて、ちゃんと家族だと思ってるけど……、でも、もう失敗したくないし、皆いなくなって寂しかったし……」
そしてそのままハンナはテーブルに溶け切った。
テルマはできればそんな母の姿見たくなかったと思う反面、これまでの話を聞いた限り、仕方ないと思う部分もある。
今日の醜態は見なかったことにしようと決めて、少し心配そうにハンナの方を見ている一人と一匹のジークをこっそりと見比べるテルマであった。




