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「……ハンナ、もういいか」
「……そうね。元気そうで本当に良かった」
ハンナが手を放すと、ジークは回れ右をしてニコラがいる方へ歩いていく。
納品物をたくさん抱え、汚れた格好のまま覚悟の決まった顔でどこかへと歩いて行こうとする……のを、ニコラが手を取って止めた。別にさっきまでハンナが掴んでいたから対抗しようとしたわけではない。
ほっとしているハンナはブランクと達成感で気付いていなかったが、最近のジークをよく見ているニコラは、すごく嫌な予感がしていた。
「ジークさん、どこいくのかしら」
「塔にこもる」
「今出てきたところでしょう?」
「もう二度と出てこない。ハンナに悪い」
ハンナは生きていてよかったと言ってくれた。
自分のことを嫌いになったわけではなかった。それは素晴らしいことである。
それはそうとして、顔を見るとノックスたちのことを思い出して辛くなるだろうから、塔にこもって二度と出てくるつもりはない。
これが今の言葉の間に省略されたジークの言葉の全てである。
「……テルマさんを守るように、テルマさんの父親に頼まれたんじゃないんですか?」
「そうだ。でも生きているハンナが優先だ」
後ろで話を聞いていたハンナはぽかんとしてから、大股で歩いてくると、その勢いを緩めずジークの背中をグーで殴る。
ジークはほんの少し揺れただけだったが、不満そうな顔をして振り返った。
「何で怒るんだ」
「あのね、確かに別れ際の言葉は、ジークにわかりにくく言った私が悪いわよ? ちゃんと言い直すからよく聞きなさい。あの時私は『あなたの顔を見るのが辛いの。お願い、一人にして』って言ったわね? 何度も思い出したことだから、多分間違いないと思うけど」
「……そうだ」
ハンナの言葉を聞いて、そこにいる全員が呆れる。
どう考えても『落ち着くまで一人にしてほしい』という意味にとるべき言葉である。
ご機嫌なのはやっぱり名前をいっぱい呼ばれて嬉しい犬のジークだけである。
「あれはね、ノックスたちの死が受け入れられなくて、考える時間が欲しかっただけ。折角無事に帰ってきてくれたあなたに、八つ当たりしてしまいそうだったから、ちょっと時間が欲しかっただけなの。あなたの顔を二度と見たくないなんて、言うわけないでしょ!」
勢い込んで話してから、ハンナは首を振って額を押さえ「ごめん、違う」と謝罪をする。もしジークにまた会うことができたら、決して怒らないようにしようと決めていたのに、あっという間に破ってしまっていた。
「ノックスも私も、身寄りがなかったわ。家族に憧れて……結婚して、テルマができて……。ガジュがおじさん、ゼノスがお爺ちゃん、それでジークは弟ねって話したじゃない。ノックスはあなたのことを長男だって言ってたっけ。大して年も変わらないのにね。……もう少し信じてくれたって……! ああ、違う、違うわね。私がもうちょっとうまく言葉を選べてればよかったんだもの」
喋れば喋るほど昔に戻って説教をしそうになる。
その度ギレントの『どうせ頭ごなしにしかりつけて……』という言葉が脳裏をよぎるのだ。
「とにかく、私はあなたの顔を見れて嬉しいの。もし塔になんて籠ったら、無理してでも追いかけて見つけ出すわよ」
「危ないからやめろ」
「籠らない?」
「籠らない」
「ならいいけど。……すみません、こんな子で」
謝られたニコラは、何度か瞬きしてからにっこりと笑って首を横に振る。
「いいえ、ジークさんにはいつもお世話になっているんです。昔塔の中で命を救われたことがあって、それ以来たまにお食事をしたりと、ずっと仲良くしてもらっています。私、今は受付嬢をしているニコラ=フロウと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
目の前にいるこの女性が、ジークの姉や母のようなポジションにある人物だとするならば、というかジークの態度を見る限り、本当にそのような人物であるとわかったからこそ、ちょっとした嫉妬を捨てて好印象を残す方に切り替えた。
途中でヴァンツァーがハッと気づいたときにはもう遅い。
「ご丁寧にありがとうございます。私はテルマの母で……昔その子とパーティを組んでいたハンナ=ヘリテージと申します。あの、失礼ですが、もしかしてジークと特別に仲良くしてくださっていたり……」
「ちょっとお待ちくださいね」
さっと横入りしてきたのはヴァンツァーだ。
先を越されたけれどこのまま黙って見ているわけにはいかない。
「僕はヴァンツァー=フロウと言います。探索者で、妹と同じくジークさんといつも仲良くしていただいています。先日も二人で塔に登りまして……」
「兄さん、邪魔しないで」
「ニコラこそ、抜け駆けは良くないよ」
どうやらジークを取り合っているらしい美形の兄妹を見て、ハンナは思わず笑ってしまった。
「……案外、うまく人付き合いしてたのね。安心したわ」
決してそんなことはない。
テルマも兄妹もそう思ったが、喜んでいるハンナの手前はっきりと言い出すことができなかった。ジークも人から嫌われていることは理解しているけれど、それを言うとまたハンナが眉間にしわを寄せそうなので黙っている。
この場所にとどまっているといつだれが出てきて、ジークの悪口を言いだすかわからない。
アイコンタクトで意思の疎通を図ったフロウ兄妹は、将来の義理の姉に向けて提案を投げかける。
「積もる話もあるでしょうし、どこかで食事にしませんか?」
「そうですね。ちょうどジークさんと行こうと思っていた店があるので、ぜひ一緒に」
確かにいつまでも往来で話し合っているのも人の邪魔になる。
随分と注目も集めてしまっていることに気づいたハンナは、二人の提案に頷き、場所を変えて話をすることにした。
話が決まったところで、マイペースなジークは手にぶら下げてある納品物に目を落とす。塔にこもる必要がないというのなら、とりあえず換金を済ませて風呂に入ってしまいたかった。
「あの、ジークさん塔から帰ったばかりのようなので、用事を済ませてもらった方がいいんじゃないでしょうか?」
すっかり話に置いてけぼりにされていたテルマは、しゃがみこんでそわそわしている犬のジークを撫でながら言った。
テルマはジークが塔から出ると換金をして、必ず風呂に入ることを知っている。
話し合いが始まってしまえば、自動的にハンナとの約束を破ってパーティを組んでいたことについても言及されるから、できるだけ先延ばしにしたくて言っているわけではない。
「確かに」
「そうですね」
近くにいれば、それなりに泥と血と何日か風呂に入っていない人の臭いがする。
ヴァンツァーもニコラも気にしちゃいないが、店によっては入ることを拒否されることもあるだろう。
「それじゃあ、僕たちはギルドで待っているので、ジークさんは換金と風呂を終わらせてきてください。お義姉さん、一緒に中で待ちましょう」
「あら、お姉さんだなんて」
「お義姉さん、私と一緒にいましょう。この男、恋人が四人もいるんです、近寄らないほうがいいですよ」
「すごいわね……、確かにかっこいいけど」
「それはずるくない?」
「自業自得」
やや引いているお義姉さんの横を勝ちとったのは、恋愛経験の薄いニコラであった。
テルマは目まぐるしく変わる状況について行けず、全員がギルドに入っていくのを見送ってから、その場に残った犬のジークに話しかける。
「なんか、ママがお姉さんって呼ばれてるの、違和感がすごい……」
このまま散歩にでも行ってしまおうかと思ったくらいだったが、ハンナの後を追いかけたい犬のジークに引っ張られ、テルマは渋々ギルドの中へ戻ることになったのだった。




