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「……なんだ」
場の異様な空気を感じ取ったジークは、立ち上がっているウームを見ながら声をあげる。
「なんだじゃないだろうが! そんなことはさっさと言え!」
「聞かなかっただろうが」
「聞かなくても研究者たちの発表見てりゃ……! あ、くそ、こいつそういうの全然みねぇんだった」
どっかりとソファに腰を下ろしたウームは、あまりの衝撃に、隣にメリッサがいることすら忘れているようであった。
「とりあえず百階から先の様子を聞かせろ。それをまとめて研究者たちに提供する必要がある。っつーか、アイオスの街の副ギルド長は何してやがった!? なぜこんなことを聞いて……!」
「ウーム、黙れ」
「……失礼しました」
メリッサの一言でヒートアップしていたウームが口をぴたりと閉ざす。
元は高層階探索者であったウームだが、なまじ賢いせいで権力に逆らおうという気持ちは起きないようだ。
「……その辺りに、侵蝕を止める理由があるのではないのか? 何かそれらしいものはなかったか?」
「わからん」
「何か変わったものはなかったか?」
「……百階から先は、普通に暮らしている魔物が住んでいた」
「もう少し詳しく話せ」
言葉が足らないせいか理解が難しく、メリッサが眉を顰める。
「家に住んで畑を耕してて、よくわからん言葉もしゃべっていた。俺を見たら襲ってきたから返り討ちにしながら進んだ。仲間を殺した奴を探して殺すのに二年かかったが、取り戻したから戻ってきた」
「広さは」
「下の階よりは狭かったが、とにかく魔物が多い。階を上がってから転移の魔法陣まで、整備された道をまっすぐに歩けば数時間だ。どこの階も同じくらいの大きさだな」
ジークの感覚を数字にするならば、一階層の広さは半径十キロ程度だろう。確かに九十階層と比べると階層自体はかなり小ぶりになっている。
「言葉を話していたと言ったな」
「そうだ。言葉を話していた。武器も持っていたし、何ならば城もあった」
「……まさかそれすべてを向こうに回して戦ったのか?」
「仕方ないだろう、敵がそこにいたのだから」
「戦ったんだな?」
「なぜ同じことを聞く。戦った。殺した」
あまりに現実味のない未知の場所の話を聞いているせいで、ウームやヴァンツァーは想像することが難しかったが、特別に頭の回転が速いメリッサはすでにジークの異常さを看破していた。
魔物はそれぞれが人よりもかなり強い存在だ。
そんな魔物が城という防御施設を築いている場所に一人乗り込んで戦い、目的の人物を見つけて殺害し、必要なものを取り返してきた。恐ろしい執念であると感心している場合ではない。これはジークの実力がこれまでの想像をはるかに上回っていることを示しているのだ。
世界には国がいくつも存在しており、当然、戦争に備えて、防衛のための城がいくつも築かれている。城は各国の知恵者が頭を絞って作り上げたもので、数倍の兵士を跳ね返せる程に堅牢なものだ。
ただし、そこに配属されている兵士は、魔物ほど強くない。
もしジークが攻略した城が、藁で作られているようなものでないとするならば、ジークは一人で王城に乗り込んで、国王の首を取って帰ってくることが出来るということになる。
メリッサは平然としながらも、ジークという人間兵器の顔を眺めて、これに倫理観を教えた人間に感謝をしなければならないと考えていた。
全員が一時的に黙って考え込んでいる間に、ジークは立ち上がって扉に向かって歩き出す。
「おい、待て」
「なぜだ。もう話すべきことは話した。俺は風呂に入って寝る」
「今それどころじゃあ……」
「良い、行かせてやれ。……ジーク、用があったらここに呼ぶ、面倒くさがらずに来るように」
ジークからすれば今日のメリッサはやけに聞き分けがよく、却下も出してこない。
今もウームの呼び止めを阻止してくれたような形になる。
「……わかった」
ジークの中で面倒くささと、一応えらい奴らしいという認識が殴り合いをした結果、僅差で後者が勝利した結果の返答であった。ウームがしつこく引き留めた場合は、面倒くさいが勝っていた可能性があるので、メリッサによる好プレイであると言えるだろう。
ばたんと扉が閉まったところで残されたものは三者三様の表情をしていた。
ウームは額に手を当てて疲れたようで、メリッサは変わらず無表情。そしてヴァンツァーは嬉しそうにニコニコと笑っていた。
「おい、ヴァンツァー、お前まさか知ってたか?」
「え? いいえ、知りませんでした」
「それにしてはいい笑顔じゃねぇか、おい」
突っかかるというよりも、疲れたおじさんが愚痴を吐いてるような具合である。
「や、流石ジークさんは僕たちの期待を容易に上回ってくるなと。改めて惚れ直してただけですよ。かつての仲間のために、二年も塔にこもって遺品を取り戻してきたんですからすごいですよね。もし僕がやられたら同じことしてくれるのかなぁとか」
「縁起でもないこと言うんじゃねぇよ。お前に死なれたらどんだけの人間が嘆くと思ってんだ」
ファンの女性達だけではない。
各国の研究者やそれに協力する上層部も、みんなそろって惜しいものを無くしたと嘆くことだろう。何せまともに頭脳労働者と付き合えてこれだけの実力がある探索者なんて、世界でも片手に収まるほどしかいないのだ。
「仮定の話ですよ」
「ヴァンツァー、引き続きジークとは仲良くしておけ」
「……承知しました」
メリッサの命令に対する返答に少しだけ間が開いたのは、あなたに命令されたから仲良くしているわけではない、という反骨心だったが、大人なヴァンツァーはするりと自分の気持ちをごまかして頭を下げる。
「国の外の塔への調査はしばらく控えよ。きな臭くなるだろうから、暗殺でもされてはかなわない。ウームも、何でも良いからジークについて気付いたことは報告にまとめよ。決して他の街への移動をしないように気を使え。どんな手を使ってでもこの街に留まるようにせよ。今日のところはここまでとする。緊急の事態には、直接使者をよこすことを許可する」
メリッサの先にウームが、後ろにヴァンツァーがついてギルド内を移動する。
風呂入って寝ると宣言した通り、ギルド内にはすでにジークの姿はなく、メリッサの姿が見えた途端に、しんと音がなくなった。
ジークがいる時ならば無遠慮にぼりぼりと豆をかじる音が聞こえてくるのだが、本来はこれが正しい姿である。探索者の誰もが目を伏せる中、食器を拾おうとしていたせいで、中途半端な姿勢で停止することとなった魔法使いの少女が、こっそりと元の位置に戻ろうとしてテーブルに頭をぶつける。
テーブルの上にある食器が跳ねて、がしゃんと音が立った。
メリッサの首がゆっくりと動き、音の主がまたも変な姿勢で停止しているのを見つけた。
そんなことで罪に問うつもりはさらさらないメリッサだが、傍から見ればそうは見えない。冷たい表情、顎を引きつつも見下ろすような目つきは、メリッサの冷静な賢さ以上に、その人柄の冷たさを見る者に意識させる。
ある意味怖がられ嫌われているジークと似たようなものである。
「失礼いたしました。早く上がってきて頭を下げて」
魔法使いの少女の代わりに席を立って頭を下げたのはテルマだった。
そして少女を引っ張り上げると、同じように頭を下げさせる。
「良い。楽にせよ」
メリッサはそんなテルマの顔を見て目を細め、彼女たちにだけではなく、全体に向けて楽にしていろと言ったつもりだった。生憎その意図は伝わらなかったが、別に親しみやすくなりたいわけではないので、メリッサもそれはよしとする。
ギルドを出たところで、自前の兵士に護衛を引き継がせたメリッサは、最後にウームに向かって尋ねた。
「先ほど謝罪をしてきた少女は?」
「ここ最近アイオスの街からやってきた七十階層の探索者です」
「ふむ、逃がさず育てよ」
メリッサは馬車に乗り込み、初めて少しだけ表情を緩める。
この女公爵、仕事外であれば、意外なことに義理とか人情とか勇気とか、そんな青くさいものが割と好きであった。
 




