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シーダイの塔の上層階の特徴は、言うなれば自然と妖精の世界だ。
ぬかるみの沼地から始まった五十階層から、フィールドは少しずつ深い森へと変わっていき、いわゆる花や木々の魔物と妖精の世界へと誘われる。
一見ファンシーな世界観だが、魔物の全てが周囲の景色と一体化しており、慣れないと戦いで後手に回ってしまうことが多い。注意深い観察力と、いざという時の対応力が必須になってくる厄介な塔であった。
ちなみにジークは観察力が低いわけではないが、たいていのことは見てから対処して乗り越えてきているので、より良いアドバイスをもらうのであればヴァンツァーから話を聞いたほうがいいだろう。
聞き比べられるものはごくまれだけれども。
六十階層の探索は順調に進んでいる。
ジークのように後方腕組み系ではなく、前線で一緒に戦ってくれるヴァンツァーが一緒であれば、初めての階層でも危なげないのは当然のことだろう。
とはいえやはり、苦戦はしている。
気配の探り方であったり、不意の攻撃に対処できるようになるにはしばらく時間がかかるのだ。よほどとびぬけて強くない限り、それぞれの塔の上層階には、それぞれの塔らしい歩き方が必要になる。
後ろから様子を観察していたジークは、テルマはしばらくこの階で鍛えるべきだと判断する。七十階層にソロで挑戦するにはまだ早い。
一緒に行くにしても、十分な実力が備わってからでないといざという時に対処しきれるかわからない。いくらジークが強くたって、人を守りながら戦うのには限度というものがあるのだから。
丸三日かけて七十階まで到達して塔を出た時は、流石のテルマも顔には濃い疲労が見て取れた。どうやらテルマは二足歩行系魔物、動物系魔物、植物系魔物、の順に苦手となっていくらしい。
もともといたアイオスの塔の上層階が、二足歩行する獣人魔物が多い環境だったので、仕方のないことだろう。
「初めての挑戦、って考えれば十分な動きだったね」
「足を引っ張ってすみません」
「気にしない。しばらく頑張れば七十階層にも挑戦できるようになるさ」
「そうですね、頑張ります!」
今回、ヴァンツァーたちと一緒だったお陰で、ジークの存在感は薄かった。
泊る間も同性ということで、ヴァンツァーのパーティメンバーと話をしているばかりで、せいぜい一言二言しか口をきいていない。
テルマはなんとなくそれが気になって、解散する前にジークに尋ねる。
「どうでしたか」
ジークは伸びた顎髭を指先でなぞりながら少しだけ考える。
評価についてはヴァンツァーのパーティメンバーが言っている通りだ。
ならばそれ以上に言うことはないから、知らん、と答えるのがいつもである。
しかしわざわざ自分のところへやってきたのだから、そんな返事が欲しいわけではないことくらいは理解できていた。
強いて言うのならそう、一つだけ気になったことがあった。
「……もっと全力でやれ」
テルマはいたってまじめだ。
一生懸命だし、できる限りの業を尽くし、他から技能を吸収しようと努力している。ただどこか、遠慮しているような、怖がっているような雰囲気をジークは感じていたのだ。
例えば不意に攻撃を食らいそうなときや、力比べをするときに、自分の全てを振り絞っているような気迫がない。
普通そういう時には人は、雄たけびやらを上げるものなのだ。
今のところテルマにはそんな瞬間がやってきたことがなく、ぐっと歯を食いしばるのが精々だった。
人によって全力の出し方は変わるだろうと言われればそれまでだが、今回は割とぎりぎりの挑戦だったからこそ、ジークはテルマの戦い方に、そこはかとない違和感を覚えていたのであった。
的外れなことを言ったならば、ジーク相手でも平気で噛みついてきそうなのがテルマだ。しかしテルマは大きく目を見開いた後目を伏せて「はい……」と力なく返事をした。
「ちょっと、テルマは頑張ってたでしょ。その言い方はないんじゃない?」
それを見て抗議をしたのはヴァンツァーのパーティメンバーだ。
若い才能を見て多少嫉妬はしたものの、テルマの真摯な取り組み具合は彼女たちに好印象を与えていた。なによりテルマは、ヴァンツァーに対して恋愛的な視線をこれっぽっちも向けない。
彼女たちにとってテルマは、貴重なライバルとなりえない存在なのだ。
塔の中とは違う意味で、いつも周囲を警戒していなければならない彼女たちにとって、テルマは一種のオアシス足りえた。
そんなテルマをいじめている、ように見えて、つい口先に出た文句だ。
ジークも、言われてみればテルマが落ち込んでいるようにも見えてくる。
しかし吐いた言葉は嘘ではないから、取り下げるつもりもない。
だからふんと鼻を鳴らして街の風呂屋へ向かうことにした。
謝罪の一つでもしておけばいいのだが、その場を取り繕うのが下手な男である。
「ジークさん! 僕と登るのはいつ!?」
「お前の準備が出来たら来い」
「じゃ、明日ね!」
「わかった」
六十階層に三日もこもってじゃあ明日と言えるのは、流石シーダイの街の最高階到達記録保持者である。
ヴァンツァーは先ほどの会話に口を挟まなかった。
ジークの言い方はぶっきらぼうだが、確かにヴァンツァー自身も、テルマの戦い方に違和感を覚えていたのだ。ジークほどはっきりと理解出てきていたわけではないが、聞けば納得で、どこか力をセーブしているような印象を受けていたと気づく。
「テルマさん」
ジークがいなくなった後、ヴァンツァーは余計なお世話をしようかと思って声をかける。しかし、そういえばこの子はジークが目をかけている子だったなと思いだして、余計なことをするのをやめた。
ジークはきっとこの子を見捨てない。
なら自分が余計なことを言うよりは、ジークに任せた方がいいと考えたからだ。
「……僕は明日ジークさんと二人で高層階に行ってくるよ。だから良かったら、彼女たちと一緒に食事をしたり買い物をしたりしてあげてくれないかな。たまには女の子同士で楽しく遊べる日があってもいいでしょ?」
「ヴァンツァー、私たちも……」
「うん、だめ。明日は久々に九十階層に挑戦するつもりだから」
「そう、なら仕方ないわね……」
同じパーティだとしてもその実力には差が出てくる。
彼女たちもまた、才能に溢れており、若くして高層階に挑戦する探索者の超上澄みであるのだが、それでもなお届かない場所はある。彼女たちはそれぞれ一人であれば、七十階層から良くても八十階層のどこかまでしか進むことはできないだろう。
圧倒的な強さというのは、結局個の強さに落ち着いてくる。
「じゃ、今日は僕もゆっくり休むから、あとはよろしくね」
颯爽と去っていくヴァンツァーを見送ったパーティの女たちは、そろってため息をついた。
様々な塔で八十階層に挑戦することが出来る彼女たちは(仲良くできることも含めて)、ヴァンツァーにとって本当に得難い仲間だ。ヴァンツァーのその気持ちに嘘偽りはない。
しかし、彼女たちにとっては違う。
ヴァンツァーの本気についていけないことがすなわち、足を引っ張っているということに他ならないと考えてしまうのだ。
「あの……」
気落ちする彼女たちに何と声をかけていいか分からず狼狽えるテルマの姿に、彼女たちは癒され笑った。こんな気持ちを分かってくれる相手も、この世界にはごく少数だ。
「頑張っても中々追いつけないって、たまに辛いの。あの男と一緒にいるなら、少しはわかるんじゃない?」
ジークと一緒にいるテルマになら分かってもらえるんじゃないか。
そう考えての問いかけであった。
「そうですね……。少しだけ」
「うん、よし。それじゃあ今日は探索成功のお祝いでもしよっか。ほら、ついておいで」
「はい!」
元気よく答えて後に続いたテルマだったが、足取りは少しだけ重たい。
わけあって全力を出せていない自分が、本当に全力で頑張っているであろう彼女たちに同意して良かったのかと、心中複雑な思いを抱えての祝勝会となりそうであった。




