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装備の確認をしているジークの前に、テルマが立ち止まる。
「……パーティ、組みますか?」
「組む」
一言シンプルに答えたジークは、ぬっと立ち上がって歩き出す。
歩幅が大きいので、テルマは少し早足にならざるを得ないが、この男はそんなことをいちいち気にしたりはしないし、特に悪意もない。
しばらくジークを観察してきて、テルマは一つの答えにたどり着いた。
この男とうまく付き合っていくためには、ぶっきらぼうな態度に押し切られず、して欲しいことをちゃんと伝えることだ。
「歩くのが早いので、もう少しゆっくりお願いします」
ジークはぴたりと足を止め、まじまじとテルマを見てから「そうだな」と答えて歩調を緩めた。随分と昔に、テルマの母親にも同じことを言われたのを思い出していた。
その頃のジークは今ほど背が高くなく、さっさと塔に入りたくて早足になっていただけだったけれど。
『もう少しゆっくり歩いてよ。そんなに急がなくても塔は逃げないんだから』
そんな風に言われたんだったとジークは記憶している。
『気持ちはわかるぜ』と陽気な男がフォローし『餌を前にした犬みてぇだな』と斥候の男がからかってきた。『お主はこそこそ嗅ぎまわる鼠の様じゃがな』と魔法使いが嫌みを言うと、二人が仲良く喧嘩を始めて、テルマの母親がそれをしかりつけるのだ。
遠い記憶を思い出しながら歩いているジークの横では、今回の挑戦の予定を語るテルマがいる。自分の世界に入っているジークはなんとなくそれを聞いていたが、当然相槌も何もない。
聞いているのか不安になったテルマは顔を覗き込んで尋ねる。
「だから数日はかかるつもりでいますが……、ねぇ、聞いてます?」
「……数日をかけて六十階まで行くんだろ。お前が思っているより地面がぬかるんでいる。まともに休める場所なんてろくにないぞ」
思ったよりもちゃんと聞いていたらしいジークからそれっぽい返事があって、テルマは目を丸くした。
「いつもどうしてるんです?」
「できるだけ一日で抜けるようにしている。他の探索者も五十階層は嫌がるものが多い」
「一日で抜けない場合を聞いています」
そもそもそんなことはあまりないが、随分と昔、初めて挑戦した時は一泊くらいしたことがある。それを記憶の片隅から拾い上げながらジークは答えた。
「崩れた壁をさらに壊して地面に敷き、蔦をはいで適当に敷き詰める。時折枯れ木が生えているから、そこに登って休んでもいい」
「なるほど……、ありがとうございます」
情報を引き出すのが難しいだけで、適切な質問を投げかければ有用な答えが返ってくるジークである。
できるだけの情報は集めてきたテルマだが、探索者は、現場の情報をあまり漏らしてくれない。
環境や出てくる魔物の種類くらいはギルドからも提供されていても、それ以上の具体的な情報となると中々手に入らないのだ。
ジークとしてはいくらでも開示していいと考えているのだが、他の探索者との兼ね合いもある。いくらジークがギルドへ情報を提供したとしても、どこまで情報を表に出すかはギルドの裁量だ。
多くの中層、上層階の探索者の飯のタネを奪って、探索者が寄り付かなくなってしまっては困る。
塔が現れてから未だ百年。
その階に到達した者しか持っていない情報が高く売り買いされるのは当然であった。
みんなで仲良く攻略すればいいじゃないかと、人と仲良くすることのできないジークは思うのだが、それは強者の理論でしかない。
とはいえ、パーティの仲間に情報を漏らすくらいは当たり前のことだ。
ジークは、テルマに対しては知っていることを、適宜全て伝えていくつもりでいた。
「あれジークさん……、もしかしてパーティですか?」
「そうだ」
「……そうですか。ええと、そっちのお嬢さん、お名前はなんですか?」
「テルマです」
「俺はオルガノって言います。この塔の番人をしていて……、まぁ、俺のことなんてどうでもいいんですが。ジークさん、こんな顔ですけど、悪い人じゃないので、どうか一つよろしくお願いします」
オルガノは真面目腐った顔で頭を下げる。
おふざけなんて何一つなしの本気のお願いだった。
テルマもあまりにも真摯な態度に、思わず動揺しながら問い返す。
「普通、新しく街に来た私がこの人のお世話になる方だと思うのですが……」
「それはそうなんですがね、まぁ、とにかく頼みますよ」
テルマがなんとも言えずに困っていると、ジークがため息混じりに「いくぞ」と言って歩き出す。
転移の宝玉に触れる間際に、テルマが振り返ると、オルガノは片手を顔の前に出して、やっぱりお願いをしていた。
このジークという男、あちこちから嫌われていると思いきや、時折妙に好かれている。変な人だなと、テルマはジークの顔を見ながら五十階へ向けて転移を開始した。
さて、五十階に到着すると、ジークはテルマの少し後ろに陣取り、歩き出そうとしない。てっきりベテランとして先に行ってくれるものかと思っていたテルマは、不思議に思い首を傾げた。
「後ろからついてくるんですか?」
「そうだ。危ない時は声をかける。自分で経験した方がためになるだろう」
「……まぁ、そうですね」
実はこれまで一度もパーティを組んだことのない生粋のボッチ探索者であるテルマは、そういうものかとジークの言葉に納得する。
普通は協力して進むものだし、知っているものがあらかじめ危険を知らせるものである。しかし、今までずっと一人でやってきたテルマにとっては、このやり方の方が性に合っていた。
それに、実力に関しては間違いなく信頼できる男が近くにいるだけで、気持ちには少し余裕ができる。
べちゃりべちゃりと泥が跳ねるフィールドは不愉快であったが、オーガの相手自体は足を滑らせ無いように気をつけていれば、それほど難しくない。
むしろパワーファイターであるオーガの方が、四十階層に出てきた時よりも戦いにくそうにしていた。
しばらく何事もなく進んで、テルマはある時ぴたりと足を止める。
少し先に、大きな水たまりがあって、そこを中心にわずかに波紋が広がっているのだ。
水たまりは他のぬかるみと同じ土の色をしていて、気をつけて歩いていなければ踏み込んでしまいそうだ。
どちらにせよ、深さのわからない水たまりなど踏んで歩く気にはなれない。
テルマが避けて通ろうとすると、後ろからのっしのっしとジークが歩いてきた。一歩一歩が大きいのに、不思議とあまり泥を跳ねさせない不思議な歩き方である。
「よく気づいたな」
そういってジークは剣を振り上げ、水たまりに向けて真っ直ぐに振り下ろした。
ばくり、と水たまりが浮き上がり、剣に吸い込まれ、両断される。
赤い血と、生き物の脂がでろりと水に広がって、ジークが振り返る。
「巨大蛙だ。時折こうして潜んでいるから、オーガと戦う時には気をつけろ」
気づいていたわけではないテルマは、内心ドキドキしながら答える。
「大蛙と同じように歩いて出てくるのかと思ってました……」
「知らなかったのによく気づいた。俺はオーガが捕食されているのを見て気づいたからな。大したものだ」
「まぁ……」
今更気づいてなかったとは言えず、テルマは曖昧に返事をする。
昔仲間に褒められた時のことを思い出して真似をしてみたのが、やはりうまくいかないものだなと、ジークは顎髭を撫でながら首を傾げた。
順調に先へ歩みを進めた二人は、五十五階の途中で挑戦を中断して、一晩を過ごすことに決める。
枯れ木が一本だけ生えている開けた場所で、あたりには崩れた壁の跡がいくつかあり、かろうじて進むべき道がわかるような地形だ。
塔は上がれば上がるほど、フィールドが広くなり、まるで外のように風が吹き、時には日が登って落ちたりすることすらある。
七十階層まで登ったことのあるテルマだからこそ、落ち着いて一晩過ごす選択を取ることができるのだ。初めて五十階層に挑戦するものは、大抵緊張と不安で休むことなどできない。
テルマがわずかな壁の跡に糸をひっかけ、鳴子を設置している間に、ジークは枯れ木を折って火を起こす。
パーティを組んで最初の一晩は、常にどんよりとくらい湿地帯。決して良いコンディションとは言えぬ場所での一夜が始まろうとしていた。
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