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ジークは自分のやっていることを人に隠しているわけではない。
だからテルマが、言葉巧みにニコラに情報を引き出されるのを黙って見ていた。
少なくともニコラは、ジークがこういった活動をしていることをあらかじめ知っている。
「そうね、ジークって見る角度によっては悪人に見えるもの」
「はい。でも話を聞いていると妙だなって……」
「だから実際に自分で足を運んで調べてみることにしたのね。ジークって不愛想でしょう? だからよく知らないまま陰口をたたいたり、足を引っ張ったりする人が多いのに、テルマさんは偉いわね」
「いえ、その……。母から、後悔しないように生きなさいと言われて育ったので……」
てれてれと指先を合わせる姿は、ただの年若い少女である。
探索者たちに見せているきりっとした姿でも、ジークに時折見せる怒った顔でもない。
二人でしゃべっているのだから自分はどこかへ行こうかと、ジークは途中で席を立とうとしたのだが、すっとニコラの腕が伸びてきて太ももを軽くたたかれた。
自分の話で盛り上がられると居づらいのだが、逃げ出すほど嫌なわけではない。
邪魔ならいなくなろうと思っただけだったので、素直に座って待機している。
話は続き、ジークが遺品回収の報酬を差し出したときのことになる。
「何が嫌だったのかしら。この人、知っての通り鈍感だから、直接言わないとわからないと思うの」
「……私もその時はよくわからなかったんですけど」
テルマは大人しく豆をつまんで口に放り込んでいるジークをちらっと見てから、ため息をついて答える。
「多分この人が善意だけでやってることを、自分は稼ぎのためにやったと思われたことに腹が立ったんです。手伝ったから、その、私の気持ちも察してもらえるだろうと勝手に思っていたので……。……こんな鈍感そうな人が気づいているわけもなかったので、私が悪いですが」
「分かってるじゃない。ジークにそういった感情の機微を期待するのは無駄よ?」
「はい。でもわかってても腹が立つんです」
テルマの感情は複雑だ。
色々と説明不足で誤解を解こうとしないジークの行動自体も腹が立つし、単純に鈍感で気持ちを逆なでしてくるから腹が立つという側面もある。
「それで、今日はなんでそんなジークと同じテーブルに座ったの?」
「…………どうせついてこられるのなら、やっぱりパーティを組もうかと思いまして」
「パーティ! でもジークはパーティを組んだことなんて……」
ニコラが驚きの声をあげると、テルマが怪訝な顔をする。
「そうなんですか? でもこの間あちらからも提案して……」
ニコラの目が丸くなったかと思うと、そのまま表情に影が差して、怪しい笑みが浮かべられる。先ほどまで穏やかな雰囲気だったのが、急に寒々しくなってきて、テルマは言葉を止めて目を泳がせた。
「へぇ、ジークから提案が……」
「あの、私その、すみません! 答えはまた塔へ登る日に聞きますので、これで失礼します」
早口で言いながら立ち上がったテルマは、ニコラに素早くぺこりと頭を下げてそそくさとその場を立ち去る。ニコラがジークのことを気に入っているらしいことはわかっていたのに、地雷を踏んでしまったと気づいたのだ。
テルマは魔物との戦いは慣れていても、色恋沙汰にはとんと疎い。ちなみに人当たりはいいが、真面目過ぎる性格のせいか、特別に仲のいい友人もいない。
ジークに恋心を抱いているわけでもなし、嫉妬の炎のようなものを瞳の奥に見せたニコラと戦う勇気はなかった。戦略的撤退である。
「なんだあいつ」
立ち去っていくテルマを目でおって呟くジークに、ニコラは立ち上がって椅子を近寄せる。
「ジーク、あなたパーティは組まないって言ってなかったかしら?」
「言った」
「じゃあ今のはどういうこと?」
「事情が変わった」
「…………あなたがパーティを組んでくれるのなら、私も探索者を続けていたのだけれど?」
「お前とは組まない」
「………………もうちょっとだけ詳しく説明してもらえるかしら?」
ニコラはジークの太ももに置いた指に力を込めて、ぎゅっとつねり上げる。
「痛い、やめろ、話したくない」
「それはどうして。あの子のことが好きだから、とかじゃないわよね?」
「違う。ただ……」
流れで昔の話をしそうになって、ジークは一度言葉を止める。
そういえばジークはこの街に来てから、人にそれ以前の話をしたことがほとんどなかった。ニコラは、ジークがテルマの母親に送金していることは知っているが、その理由はやっぱり知らない。
「ただ、なによ。聞くまで離れないから」
「……話したくない」
「どうしても聞きたいって言っても?」
「言わなきゃどうする」
「どうもしないわ。ただ、私が悲しいだけ」
手続きのことを人質にとることだってできた。
新たな受付にいちいち手続きの説明をするのは面倒だ。それに受付たちの横のつながりは強い。嫌がらせをしようとすればいくらだってすることができる。
でもニコラはそれをしなかった。
ただ人として、ジークのことを知りたいと言ってきた。
ジークは、これまで受付の外で接触を持ってこなかったニコラが、自分のことをからかっているだけなんじゃないかと思っていた。確かに昔助けたことはあるが、受付になって以来ずっと世話になっているのだから、ジークの中ではそんなものはとっくに帳消しになっている。
ただ、こうして人目もはばからずに同じ席について、当たり前のように会話を交わし、自分の過去を聞きたいと強請ってくる。これにはさすがのジークも気づく。
もしかして、自分とニコラは、昔の仲間たちのように友人のような間柄なのではないかと。
そんな女心のわからない大馬鹿者は、関係値の修正をしたうえで、ため息をついた。
「あいつのフルネームはテルマ=ヘリテージ。昔俺が傷つけた人の娘だ」
「……もしかして、ジークの娘、ってこと?」
「どうしてそうなる」
曖昧な言い方をするからそうなるのだ。
以前暮らしていた街で傷つけた女性の娘、なんて聞いたらそんな発想が出てくるのは当たり前のことだ。
「別に、今結婚していないなら私は気にしないけど」
「そもそも結婚はしたことがない」
「わかったけど、じゃあどういうこと?」
「…………昔の探索者仲間だ。テルマの母親が懐妊してパーティを抜けている間も、俺たちは塔に登っていた。無謀な挑戦をしたせいで、俺以外が全員死んだ。あいつの父親も俺を守って死んだ」
「ジーク……」
ニコラは目を伏せているジークの名を呼びしばし沈黙する。
同情すべきことだった。確かに、残されたテルマの母親はかわいそうである。
しかし、こんなことを本人に言うわけにはいかないが、探索者である以上、塔で死ぬのは自業自得でしかない。
誰かを守って死んだことは立派である。
しかし、生き残ったものが一生それを背負って生きていくべきか、という問いに対して、ニコラは否と答えるだろう。
妻と、間もなく生まれる子がいるのならば、その旦那はジークを守って死ぬのではなく、なんとしてでも生き延びるべきなのだ。
結果ニコラはジークに命を助けられたわけだから、亡くなったテルマの父には感謝しなければいけないのだけれど。
「テルマにはこの話をするな。俺はあいつの母親に、顔を見たくないと言われている。……テルマにしてみても、俺は親の敵みたいなものだ」
「ジーク、それは流石に考え過ぎよ」
ニコラは流石に助言を試みたが、ジークは口をへの字に結んだままじっとニコラのことを見つめている。
「……わかった、言わなければいいんでしょう?」
ニコラは不満だった。
テルマの母親にしたって、いくら旦那がなくなったにしても、一緒にパーティを組んでいたジークが生きて帰ったのに『顔も見たくない』はどう考えても言い過ぎだ。
ニコラの知っている限りもう十年以上、ジークはそんな女性に大金を送り続けている。
色々な気持ちを飲み込んだうえで、ニコラはため息をついてから笑ってジークに提案する。
「じゃ、秘密にする代わりに、今度食事に誘ってくれる?」
「……まぁ、わかった」
初めて色よい返事が戻ってきて、先ほどまでの不満はどこへやら、ニコラの機嫌は急浮上した。
男女の関係を想定しているか、友人関係を想定しているかの違いはあれども、長い長い膠着関係が一歩前進しそうであった。




